2013年8月12日月曜日

新しい現場に行くたびに、こちらのblogに愚痴を書くというね。

一流企業で働いてて、頭が良くて、 仕事が出来るんだけど、やたら立場の下の人間(オレのような下請け)に厳しいというか、木で鼻を括るというか、積極的にバカにしてくるようなやつがいるんだよね。

官公庁エリートの見下し感とはまた違う気がする。もうちょっと人間味がある。よく言えば、の話だけれど。

思うに、結局「オレはこんなに働いていて、これほど貢献しているのに、それほど認められていない気がする。だから、オレほど働いていなくて、貢献してないやつは、馬鹿にしてもいいんだ」という、当人以外には支離滅裂な論理が働いているんじゃないかしらん。とは思うな。

えーと、以上かも。

仕事出来る集団を観察するのも、また面白いのだ。

2013年7月16日火曜日

うーん。

こっちのブログを開店休業状態にしてから、ほぼ一年が経つのか・・・

更新を辞めた今も、こちらには日に60~120件くらいのアクセスが来ているようで(ありがたい)、新しく始めたブログのアクセス数が(予想通り)大したことないことを考えると、継続は力なり。などと思いますが、これは数値化のマジックじゃなかろうか。とか思ったりもします。

こっちのブログは試験的に始めてしまったらからなあ。

最初からキャラと、ブログの方向性と、文体を固めてやっていれば、アクセス数が蓄積したんだろうなあとか思いますが、まあ、仕方ねえよ。

それにしても・・・

更新がほとんど止まったブログに、日に60件もアクセスが来るって、どういうこと?

半分以上がロボットとかの予感(悪寒)もしたりして。

ま、いいや。アクセス数って、よく分かりません。寝るっす。

2013年6月7日金曜日

怒ったらいかん、のか?

何だか「怒ったらいけません」とか「怒る人はバカです」とか、そういう話があります。

分からんでもありませんけどね。

人を呪わば穴二つ。

怒りを燃やすと、自分もその怒りに焼かれてしまう。

分かりますねー。

でも、怒るべきときはあるよね。

圧倒的に、理不尽に、やられたとき。

セクハラ、パワハラ、モラハラ。

いや、俺だってね。人間だよ。そんな風に扱われるべきじゃないんだよ。ってね。

とにかく、人を簡単に馬鹿にしたり、利用しようとしたりするヤツとか。

人の尊厳を、ナニゲに、軽く踏みにじるヤツがいるからね。

怒るべきときはある。

怒るべき時は、怒らなきゃいけない。

大事なことだよ。と思います。

宗教家には言えないことだろうな。ざまぁ。

ってよく分かりませんが。そんなキレイな社会じゃないですわな。

以上。

2013年6月1日土曜日

5:30起床のち小遣い帳updateならびに決算の準備でもするかと思ってPCを立ち上げて紅茶を沸かしてそのまま30分ほどWeb巡回に逃避してその旨を独り言ブログに書いてみたり。<今ここ。

さて。まず小遣い帳付けるか・・・

2013年5月11日土曜日

落ち着いたら落ち着いたで・・・

4月一杯でハードな現場を抜け、今はかなりゆったりしたスケジュールの現場に入っておりますが。

落ち着いたら落ち着いたで、落ち着かないんだよねー。 < なんだそりゃ。

忙しく振り回されるのは大変ストレスフルなものでしたが、 腹を括ってしまえば「ま、仕方ねーや」と思ってこらえてましたからね。

仕事がなければないで、「困った。これでいいのか」とか悩んじゃうし。

割り切った人生(?)を送ってるつもりのわたくしですが、案外根は真面目なのかな?とか思ったりもします。

ま、それも最近は一段落ですよ。

軌道に乗って来て、楽になってきました。

それなりに話の分かるお客さんと、仕事の出来るPLと、いろいろ相談できると一緒に仕事するのは、本当に楽ですわ。

うーむ。ありがたい。ありがたい。

以上だす。

2013年5月6日月曜日

4月総括

お客さんのパワハラ。

振り返ってみれば「むべなるかな」というか。

確かに厳しいお客さんでしたが、言ってることは、ま、マトモですな。
と、これは認めざるを得ない。

何もマネージできてなかった。それが根本原因という結論。

ゼネコンの営業さんからも言われましたね。「苦労したでしょ。営業でさえ(あの人に)苦労してるんだから分かりますよ」って。ちなみに「あの人」はお客さんではない。

匿名ブログとはいえ、これ以上はちょっとはばかられるかな。


2013年4月24日水曜日

ラッキーというか何というか、今月いっぱいで別の職場に行けそうな感じ。

いやあ。大変だったわ。

パワハラの恐ろしさが分かったっつーか。

ま、期待さえしなければ、かなりのことは耐えられるんだけどね。

しかし、忙しいっつうのは悪いことばかりじゃないよね。

あれこれ考えずに済む、という大きなメリットがありますな。

目先のことに関わってればいい。

目先の不安ってのは、救いなんだよね。すぐ解決するからさ。

それよりも、ゆったりスキマ時間があった時に覚える不安の方が、根源的だよ。

だから、人は(特に日本人は)仕事にまい進するのかね。 などと思ったりもするのさ。

南無阿弥陀仏。で済めば、それはそれで楽なんでしょうが、 いかんせんわたくしは色即是空で諸行無常な人生観。いろいろ考えてしまうわな。

やはり、パワハラはアカンね。

分かっていてもゲンナリする。サディストというか、ドSといったらかわいい感じだが。
人を空気のように馬鹿にして、自らを省みない人。
疲れるよねえ。ま、そういう人って、それはそれで周りからマジキチとか言われて、暮らしにくいんだろうけどね。

以上だす。

因果応報。

諸行無常。

色即是空。

いや、それほどでもないかな。(うちの娘≒佐藤浩市という前投稿)

オレ、全然 佐藤浩市に似てないしな。

2013年4月21日日曜日

うちの長女は、現時点では佐藤浩市に似ている。

2013年4月19日金曜日

人を馬鹿にしたい人たち その3

しつこいですが、このネタで。

いろいろ「人を馬鹿にしたい人たち」のことを考えてきたとき、前提としていたのが「人が人を馬鹿にするには、何か理由があるに違いない」という仮定だったわけですな。

「強い自信がないから、人を馬鹿にして威張るんじゃないか」とか「ナルシスムを満たす手段なのではないか」とかね。

しかし、どうも違うんじゃないかな。という気が、最近はしてきました。

簡単に人を馬鹿にする人たちを観察していると、何のためらいも感じられない。人を馬鹿にした後で自己満足に浸っているとか、そんなストーリーがあるわけでもない。

何というか、息でもするように、自然に人を馬鹿にするんですな。

「悪いことをしている」 という意識がない。

ちょっとしたことで馬鹿にする。必要もないのに、馬鹿にする。何かのついでに、ふと馬鹿にする。

人を馬鹿にすることが、その人の一部になっている。

いいとか、悪いとか、そういうレベルの話じゃないんですな。

そう考えると、どうも平気で人を馬鹿にする人たちってのは、わたしには理解できない人なんじゃないかな。と、その辺で割り切ってもよい気がしてきた昨今なのです。

平気で人の気持ちを馬鹿にする人たちがいたとして、その心情を理解してもしょうがないよな、と。

ま、少なくとも、多少馬鹿にされたとしても、善意で、前向きに生きていきたいと思いますね。

これもまた、修行なのである。

以上。

2013年4月9日火曜日

恵命我神散(なぜか一発変換)をちまちま頂きながら、酒を呑むと。

ブラック企業に勤める人の気持ちを追体験できる、貴重なプロジェクトに参画中。

いやはや。

2013年4月7日日曜日

優先順位が、大事なんだよなあ みつを

時間は限ら得ている。

その時間をどう配分するか。

それが、一番大事なこと。

お客さんが不安に駆られて、めったやたらに仕事を増やすのを、

「時間は限られています。限られた時間の中で、最高の成果を引き出すために、その仕事はやりません!」と言えるかどうか。

PMの器が問われるんですな。

ま、そもそもお客さんの不安や、怒りを煽った時点でピンチなわけですが。

最初が肝心。難しいけどねえ。

以上。

(そろそろ「年よりの繰り言」が近くなってきたか?まだ年寄から見ると若造だけれど)

2013年4月6日土曜日

不幸なプロジェクト2

前にも書きましたが不幸なプロジェクトってのはどれも同じでございますな。
顧客が成果物にケチを付けて仕事を増やす。
現場の仕事が回らなくなって品質が落ちる。
品質を上げろと、さらにタスクを増やす。
さらに品質が落ちる。
ヒドいプロジェクトになると「徹夜でやれ」とか全体にバトルモードですな。悪循環でございます。

この悪循環に入ってしまうとほとんど逃れられないですね。

PMを変えても難しい。火消専門の優秀なPMでも。

最初が肝心。ナメられないこと。

それから、途中も絶対気にを抜けない。内部プロセスとかかっちりやって、PMやリーダーが全ての成果物に目を通して理論武装しなきゃいけない。

いやはや。厳しいですね。

顧客と信頼関係があると、その辺が実に楽。

信頼関係というのは、とにかく大事なのです。

以上。

2013年3月29日金曜日

人を馬鹿にしたい人たち その2

このネタについて考えざるを得ない近況。

一難去ってまた一難。

以前、人を馬鹿にする行為ってのは、主観的セルフイメージは高いんだけど、客観的セルフがそれに追いついていない、そんな人が、苦しいギャップを埋めるために、他人をコキおろし、相対的に自分の立場を高めてプライドを保持しようとしている、哀れな行為なのだろう、という旨のことを書きました。

ま、基本的には正しいと思うんですが。

いろんなバージョンがありますな。確かに

「劣っている人が必死になって他人をコキおろして、やっとプライドを維持している」

ってケースが相対的に多い気はしますが、

「それなりに優れている人が他人をコキおろす」

ってことがありますね。残念ながら。

共通点もあります。

ナルシズムね。人をコケにして自己陶酔してる。

なまじっか優れているだけ、後者の方がタチが悪い。

ダメな人が必死で相手をコキおろしていたら、しばしばボロが出る。すると、ダメな人でも、それに気が付くことがある。どうも相手の方が正しい気がする。オレの方がダメかもしれない。何度もそんな経験を重ねると、反省したり、おとなしくなったりすることも、ないではない。
しかし、優れた人が相手をコキおろしていると、そこに気が付かない。

頭の回転が速い分、事実を都合よく丸めこんじゃうんですな。

多少の矛盾があっても、やり込められた事実があっても、テキパキと自分に都合よい方に現実を捻じ曲げてしまう。

多少やり込められても、その場で言い逃れて、取り繕うことができる。

頭がいい人ならでは。

でも、岡目八目というか何というか。

傍からみてると、分かるんですな。

その場は、やり込められる。ぐうの音も、出ない。

でも、何となく違和感が残る。

そして、翌日に思う。

あー。


頭はいいけど、ダメな人だね。
器の小さい、想像力の足りない人だね。
あんな風になりたくないな。って。

何度も書いてますが、頭がいい。頭の回転が速い。それだけじゃダメなのね。

尊敬されるか。軽蔑されるか。

頭の良さは、あまり関係ない。

あと、生真面目な人。

こんな人も、やたら人を見下したりするね。真面目でプライドの高い人。

で、頭のいい人。

真面目でプライドが高いからこそ、理不尽な言い分でやり込められた記憶が、積もり積もってるんだろうね。

理不尽な正論で、やり込められる悔しさ。

・・・

そうは言ってもな。
そんなに世の中そんな単純じゃねーんだよ。って。

正論で、世の中が変わるのかよ(怒)

お前がやれよ(怒)

みたいな。

自分より立場が上の人間にさんざん叩かれた、真面目でプライドの高い人間が、こんどは立ち場が下の人間に対して理不尽なことを言いまくる。

虐待の連鎖とかいいますが、それに近いよね。

ユダヤ教なんかは、目には目を。とか言うんでしたっけ。

そのリアクションが、自分より立場が下の人に、いっちゃうんだよなあ。 みつを

キリストだったら、右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出せって。(難しいよね)

ブッダだったらば、恨みに恨みを以て返せば、その恨み止むことはない。だから、やめようよ。って。


数千年も前から、偉い人は正しいことを言ってたんだなあ。 みつを

ま、なんつーかね。

今日は金曜じゃないすか。

酒でも呑んで、風呂入って寝るかと。

以上。

2013年3月28日木曜日

やっぱしプロジェクトは人間が回すもんだよなあ みつを

当たり前のことなんですけどね。

人間がプロジェクトを回す。

人間がナニだと、プロジェクトがアレになる。

頭の良さって、あまり関係ないよなと思います。

センスと度胸、それから人の気持ちが分かること。

こっちのが重要だね。

人間次第で、全然雰囲気が違う。

暗ーい、鬱々とした雰囲気か。

あるいは冗談が飛び交う雰囲気か。

いやはや。

しかし、いつでも力づけられるのはニーチェの名言。

「わたしを殺さないものは、わたしをますます強くする」(この人を見よ)

あとはブッダの言葉。

いやあ。今日はね。さっさと仕事を切り上げて、合気道にでも行きたいなとか思っています。

そのくらいの自由度はあるからね。

以上。

2013年3月20日水曜日

やはり・・・

「ここ最近メンタルの方の調子がイマイチだな・・・と思っていたら鬱の季節だったのか」と昔のブログを読み返して思う。

あるいは「そういえば、確か晩冬~初春は鬱の季節だったっけ?」と気が付いて、昔のブログを読み返す。

どちらも正しい。表裏一体の気づき。

仕事場と人間関係が変わっただけじゃなかったんだな。

人間って、本当にもろいもんだな、と思います。

こういう厄介な感覚を背負うことなく、ストレートに生きられる人もいるんだろうけどね。

そういう人たちは、一等地に100平米の土地を相続したくらいのアドバンテージがあるよな。などと思っても詮無い話で。

あるもので頑張るしかないのよ。

などと思うのです。

以上。

不幸なプロジェクト

トルストイの言葉に、
すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。
というのがあるようですが、ことプロジェクトについては逆のことが言えそうです。
すべての*不幸な*プロジェクトは互いに似ている。*幸福な*プロジェクトはそれぞれの仕方で幸福である。
顧客の不信感。コミュニケーション不全。段取り崩壊。迷走。クリティカルパスの忘却。目先の突発タスクに振り回される現場。

幸福なプロジェクトはいろいろですな。

リーダーがしっかりしているとか、お客さんから信頼されているとか、何かしらポジティブなファクターがあって、それを突破口として何かと上手く行く。それが幸福なプロジェクト。

完璧じゃなくてもいい。何かしら長所があれば、それを広げて幸福なプロジェクトにすることはできる。

そんなことを思う毎日なのです。

2013年3月15日金曜日

人を馬鹿にしたい人たち

「この人から馬鹿にされる理由は全く思い当たらないのに、何故だかしらないけど馬鹿にされる」というのはどうやら普遍的な経験らしい。

などと「マウントポジションを取りたがる人の話」を読んで思ったのでした。

以前に引用した記事もそうでしたが、「他人を馬鹿にする」人の通底には、「ハイレベルなセルフイメージ」と「現実の自己」とのギャップに薄々気が付き、苦しんでいる。あるいは焦りを感じている、ということがありそうです。

だって、素晴らしい容姿やら才能やらに恵まれて「あー。自分は恵まれているよな。ありがたいな」と思っている人が、他人をコキおろすってのは考えにくいですからね。

何かしら不満があるから、他人をバカにするワケ。オレはこんなに素晴らしいのに。にもかかわらず、こんなに苦しんでいるのに。そのことに気が付かないこいつはバカかと。

人を馬鹿にする人の基本的な思考回路って、そんな感じ。

そこに、人によっていろんな風味が入ってきます。

高い濃度の「自己陶酔」が入ってくる。

「器が小さい」感がブレンドされる。あるいは「時折ヒステリーを伴う」とかね。

あー。やだやだ。疲れますな。人生って。

でも、黙ってたらやられるばかりだけど、状況が変わることもあります。

理路整然と口答えしたらば、それ以降は黙ったとかね。

子供がいて仕事があるとあまり波風は立てたくないワケですが、時折はそんな反応も必要になるのかな、と。上手くやらないとトゲが立つから、慎重にやらねばなりませんけど。

思い返してみれば、わたしも若い頃はかなり人を馬鹿にしてたなあと。高校生~大学生くらいが山だったかな。

ナルシズムもあったし、自己の能力を信じる!オレは出来る!という焦燥感もあったし、でも、結果が出なくてピリピリと追い詰められていた。のほほんと生きているヤツが、バカに見えるワケ。

正直、イヤなヤツだったですよ。あのころの振る舞いを思い出して「ぎゃー!」叫ぶこともしょっちゅうっすわ。ぎゃー。

年取るに従って徐々に落ち着いてきましたね。

自己過信が減ってきた。自分の能力に幻想を持たなくなってきた。理想と現実の折り合いがついてきた。総合的な自信もついてきた。

総合的な自信って何かというと、人生観と現実生活の折り合いとでもいいますかね。オレもそれなりに頑張ってきたじゃないかと。100%満足ではないけれど、それなりに自分を肯定できる。オレ、頑張ってるぞ。それが総合的な自信。

「東大出だから、オレは偉い」「年収3千万だから、オレは偉い」こういうのって指標自体は確かに客観的だけれど、総合的な自信じゃない。むしろ、総合的に自信がないから、そんな指標にすがりつくワケ。

逆に言えば、他人を否定して何とかセルフイメージを維持している人たちって、理想と現実の折り合いも付いてないし、総合的な自信もないってことでしょうね。

こういう人たちって、高飛車なんだけど案外もろかったり、弱かったりするので、しっかり言い返すことは重要だよな。などと思うのです。

ブツブツ

2013年3月11日月曜日

やっぱり名著

岩波文庫「ブッダの真理のことば・感興のことば」。

出勤前に目に留まり、ナニゲに手に取ってパラリとめくってみました。

ホントにナニゲ。あ。そういえばこんな本があったな。ってくらいのナニゲ。

適当にページを開いていきなり目に入ったのが・・・
悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮らそう。

愚人とともに歩む人は長い道のりにわたって憂いがある。愚人とともに住むのは、
つねにつらいことである。--------- 仇敵とともに住むように。
心ある人と住むのは楽しい。--------- 親族に出会うように。
あー。そうだよ。その通りですよ。

なんで大昔の人に、今のわたしの状況が分かるかね。

などと思ったのです。最近ストレスフルだったからなあ。

というわけで本日は出勤うぃずブッダ。

悩んでいる人はほっとけ、と。

愚人といるのはつらいから、なるべくよそうよ、と。

なんだか傲慢でしょうか。

そうとは、思えないです。

足の引っ張り合いやら、しょーもないエゴとエゴとの衝突(いくらでも回避できるだろうに・・・)などを日常的に目の当たりにすると、ね。

結局のところ、悩んだり、苦しんでる人が、お互いに足を引っ張りあったり、しょうもないシノギ合いをしてるわけですよ。

だったらそういう人たちはさておいて、われわれは悩み無く、楽しく生きようと。

ま、そんなに簡単にゃ、いきませんがね。

以上でした。

2013年3月10日日曜日

匿名ブログにもメリットはあるよな


このブログを、「99%匿名(両親もしくは数少ない友人がこのブログを見て本人特定できるかどうか)」という方針で、自己慰安という喜びだけで数年書き続けてきて、それはそれで地味に満足してはいたものの、こと客観的成果という観点からすれば砂漠に砂をまいてるも同然だよな。ここに掛けるエネルギーを使って、もう少し客観的な成果を上げられないかということで「80%程度匿名」コンセプトでブログを開設・移転してみて、相変わらず読者の方々からのレスポンスはほとんど貰えないものの、ブログ含めていろんな刺激を受けて、今年から新たな副業などやってみようという新たなステージに来ることができたのは、やはり99%匿名ブログを辞めて80%匿名ブログを始めた成果ではなかろうか。と思いつつ、やっぱり80%匿名ブログだと、書きにくいようなネタもあったりするので、そんなネタはたまにこっちに書いてみようかなどと思う昨今。

では早速。

頭の悪い人ほど自己評価が高いのはなぜか

うつ病の人は自己評価が低いって話もありますし。

以前80%匿名ブログに書いたように、仕事の出来る人は自己評価が(根拠もなく)高いってこともあるし。(逆は必ずしも真ならず)

自己評価が高いのも、一概に悪いこととは言えませんな。

しかし、中には性質の悪いのもありまして。

「頭が悪い等ある種の能力が低いにく関わらず、自己評価が高い」。

それだけなら別にいいのですが。

自分でも薄々感じているその矛盾を埋めるために、人を馬鹿にし始める。


こういうハタ迷惑なのがいますな。

経験的にも能力的にも平均より優れているハズのオレの発言あるいはスキルが、経験的にも能力的にも劣ってるハズのアイツよりも、どうやら劣っていることがあるらしいが、これは妙なことだ。
しかしながら、アイツにはそれ以上に大きな欠点があり、その辺を総合してみると、やはりオレの方が優れている。だからアイツをバカにして、イジメてやらねば。


こんなイミフな思考回路で、自分より立場の弱い人間を馬鹿にする。

セルフ・イメージを維持するためだから、多少イミフにならざるを得ない。もう必死。

何とも、イタイ。

そういう人の、精神構造まで見えてしまうと、バカにされている方もちょっとイタイなーとかしんどくなってしまう。

真っ向から立ち向かうと、角が立つ。

ま、頭を伏せてやり過ごしていれば、こういう人はかなりの確率でシュリンクしていくのでしょうけどな。

人生ってのは、ホントいろいろあるよな。と思うのです。

以上。少し、スッキリ。