ポニョです。この間テレビ放送したのを、気が向いたときに少しずつ見てます。甲類焼中のお湯割りを啜りながら。
この映画をテレビでしみじみ見ると、細かいところを本当にきちんと作ってることに気がつきます。表情の一つ一つ、風景。究極の職人芸って感じですね。スゴイっす。
モットーは「健全な精神は健全な胃腸に宿る」「生きてるあいだは上機嫌」
主張として「原発は営利企業に任せるべきでなく、もんじゅは絶対に廃炉!」「税金には気をつけろ!」
もう一つ、福島原発作業員の方々ならびに早野先生に国民栄誉賞を。
サブ・ブログという位置づけで、細々更新しています。
人物の描写が秀逸です。ストーリーもなかなか。若さと勢いで人生を駆け抜けた二人の、ほろ苦い(どころじゃないか)青春ストーリー。
今見ても十分楽しめました。佳作です。
★★★★☆☆:学者の良心
ノモンハンといえば村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」なわけですが(そうか?)、これは近代モンゴル史の第一人者による、迫力のある研究です。著者のの人としての良心と気概、そして真実を求める迫力が伝わって来ました。良書です。
★★★★★★:アメリカを考える上では必読。読みにくいのが玉に瑕
ベトナム戦争という悲惨な事態の発生とその泥沼化を追った凄いルポルタージュです。硬い翻訳と政治家の名前の奔流に苦労しますが、そんなことはおかまいなしにグイグイ引き込まれます。間違いない傑作です。
ベトナム戦争?何か昔の話だよね。しかも日本には関係ないし。そんな風に思って気軽に読み出した私はすぐに考えを改めました。こりゃあ深い。普遍的な問題を提起するルポルタージュだ、と。
絶対に正しい自由な民主主義に対する絶対悪としての共産全体主義。冷戦構造と軍拡競争。その悪の組織たる共産主義政権がベトナムを飲み込もうとしている。そんな現状と乖離した安直なスキームと、アメリカ的価値観の押し付けに、最終的にはとんでもなく高い代償を払うことになりました。しかもアメリカが得たものは多くの若者の戦死と、世界からの批判だけ。
文官と軍官の衝突。隠蔽と偽装工作。見たいものしか見ない人たち。自分たちの方法論と成功体験に固執し泥沼にはまり込むエリートたち。戦局を拡大させたジョンソン大統領がエリートではなかったのもまた救いがない。その後を次いだニクソンも実に凡庸。
残念ながらベトナム戦争は、傲慢で優秀なエリートによる民主制も決して万能ではないという証左のようです。自分の見たくないものは見えないという人間の弱さと、権力への固執、それから驕りと油断。あまりにありふれた人間的な欲望が、悲惨な結果を引き起こす。エリートだろうが生え抜きだろうが、その事実は変わりません。
ゴルバチョフ回想録とこれを読んだ感想は、やはり投票による民主制というのは最低限のラインだなあ、というものでした。ファシズムは安直で手っ取り早そうだけど間違ったところに行ったら破滅は必定。人間は絶対に間違える。指導者が間違えた時に、一人一人がちゃんと投票で指摘しないと、民主主義は絶対に正常に機能しないと思います。自民党(&大企業&アメリカ)に任せてれば、なんのかんの言ってもそこそこの政治が行われていた時代は終わった。優等生っぽいことを言って恐縮ですが、これからは選挙を通じて一人一人が意思表示をしていかないとマズいと思いましたね。無関心と無介入だと、とんでもないところに連れていかれるかもしれませんぜ。小泉竹中がいい例で。
システム設計書には二つの意味がある。一つはあるべき姿の記述。もう一つは「現にそうなってしまった」事実の反映。つまりソフトウェアの設計とは、設計時においては未来の記述であり、メンテナンスにおいては過去の記述なのである。
したがってソフトウェアの設計を、ハードウェアの設計のアナロジーで捉えることは誤りである。ソフトウェアの設計はもっと柔軟で、後の変更がきく。そして実装時に創造力を発揮する余地が大きい。
実際、ソフトウェアの開発においては、常に設計よりも実装のほうが優れている。いや、むしろ設計どおりでは動かないはずのものが、実装された段階で動き出すのだ。
ここから導かれる教訓が二つある。
完璧なソフトウェア設計はありえない。(デマルコはここで誤りを犯している)
ソフトウェアの設計は実装とその結果を常に反映し続けるべきものである。
厳密に言えば、実装は終わっても設計に終わりはないのだ。コード=設計とすれば実装は完了する。しかし、コードの持つ意味は、時間とともに変化しうるから。
常識的には受け入れがたいことだが、これは真実である。
アバターは賞を取れませんでしたね。アメリカ自己批判っぽいメッセージ性が嫌われたんじゃないのかね、という印象です。妻も、そうかもねえ、なんて言ってました。なんだろうな。アメリカってのも複雑な社会ですな。受賞作品はアレだし。いろんなアメリカがあります。
★★★★☆☆:イタリア人の見たムッソリーニ。第二次世界大戦時の日独伊の体制がファシズムという言葉で一括りにされたりしますが、ものごとはそんな単純ではないといのが分かります
ムッソリーニ。名前は聞いたことあるけど。詳細は全く知りませんでした。ファシズムという言葉にもリアリティなし。先入観ほとんどなし。
読んでみると面白い。ムッソリーニさん、なかなかカッコいい生き方をしたようですね。国のことを真剣に考えていた。ファシズムといえば全体主義、独裁主義の代名詞ですが、実際にはムッソリーニは止むなく独裁体制を取っただけであって、むしろ直接民主制を目指していた模様。反対派の弾圧もかなり甘かったようです。マキァベリズムとすらも言えません。女性関係以外は清廉で使命感に燃えた立派な政治家だったようです。
私の理解では、ファシズムとは直接民主制を土台としたエリートによる寡頭政治。エリートといっても、民衆への教育を通じて優秀な人を育てるという健全な発想です。その意味では日本の官僚システムも一種のファシズムですわな。昨今の官僚が優秀かどうかはさておき。
男尊女卑を言明しているあたりは現代には受け入れられないでしょうが、特にそれほど変な思想とは思えない。別にいいんじゃないの。ムッソリーニ的ファシズム。ヒットラーのファシズムはヤバイですけど。何ごとも運用次第です。
それから日本、イタリア、ドイツが戦争を始めるに至った経緯や、ドイツの考え方も興味深い。やはりこれらの国はイギリス、フランス、アメリカの圧力を受けてワリを食ってたんですね。しかし、ドイツには黄禍論が根強く、アメリカを敵に回まわしたくなかったということもあり、日本の参戦を喜ばなかったとか。逆にムッソリーニは日本のサムライ文化に強い親近感を抱いていたとか。歴史は面白い。
ファシズムで思い起こされるのはチャーチル(だったか)の言葉。「民主主義は最悪の思想だが、それよりましなものがない」という旨の警句です。この人、ムッソリーニを高く評価していたらしい。しかし、ファシズムよりもダメだが民主主義を選ぶ、という判断は正しいセンスだと思います。寡頭政治はいつかは腐敗するんだよね。多分ね。
しかし、それでは既得権益層の思うツボなんですよね。実に。投票率が低ければ低いけどありがたいのは自民党。たしかに投票しても何も変わらないかもしれない。でも投票しなければ、確実に何も変わらない。選挙に行こうという官のキャンペーンは実は、若者に「ケッ。誰が行くかよ。独立独歩のおれカコイイ」と思わせるための「選挙来るな」キャンペーンだ、という噂もある。
しかし、かつて森総理が「選挙率が低いほどありがたい」という挑発的発言をしましたが、投票率は全然上がりませんでしたね。こんな時は私も民主主義よりファシズムの方がマシなんじゃねえの?なんて考えがふと浮かぶ。
選挙権を放棄する若者の背後から、自民党とアメリカ強欲ロビイストたちの高笑いが聞こえて来るようです。ま、妄想ですがね。
朝から大豆を仕込んだので夕食は豆カレーにしました。キーマカレーもどき。
豆は朝の8:30に仕込み。ざっと洗ってポットに入れ、熱湯を注いで5時間超。そこからさらに3時間弱火で茹でるというロングラン調理。圧力鍋があるともう少し楽なのかなあ。圧力鍋買おうか、と妻と会話してはや数ヶ月。未だに購入しておりません。じっくり作るのもまた楽しからずや。
豆を利用してカレー作りです。和風の薄味お出汁の効いた豆の煮物にも惹かれたんですが、今回は子供ウケを狙ってカレー。
にんにく、しょうが、ニンジン、タマネギ、ピーマンを刻みます。
まずはにんにくしょうがを香りが出るまで炒め、次にひき肉と塩を入れて肉の色が変わるまで炒めます。次に野菜。再び軽く炒めてからトマト缶、生協のトマトケチャップを投入。グツグツ煮ます。仕上げにS&Bのゴールデン・カレールー少々と残っていたコスモの甘口カレールーを投入。軽く水分を飛ばして完成。
あとは一袋39円のモヤシを湯通しして、ゴマドレッシングをかけて完成。もやし美味いよ。安いし。サイコー。
ジャガイモが余って芽を出し始めているので優先的に消費しなければなりませんでした。
芽を取るわけですけど、結構出ていて大変。大体ジャガイモほどポピュラーな食べ物の芽に毒があるってどういうスペックだろうか。勘弁して欲しい。むしろ食通は芽をわさびと和えていただくとか、そのくらいの柔軟性が欲しい。ジャガイモには気配りが足りないと思われる。
Webでレシピを調べる限り、かなり適当でも大丈夫だろうと判断しました。目分量で薄力粉をぶち込んで捏ね作業。捏造の捏はこねると読む。
まとめて塩で茹でます。それからチャイ。
昨日の残りのポトフ・スープに入れて完成。チャイとジャガイモのニョッキ。おしゃれでしょう。美味そうでしょう。でもね。すごい地味な味です。しみじみテンションが下がるというか。ジャガイモの土の味が心に染みわたる。ああ、いつかオレも土に帰るのだなあ。とそこまでは思いませんでしたがね。
ニョッキ作りは子供も手伝えるので、家族で料理するのもいいかも。今回はポトフという地味系スープで頂いたので、地味さに拍車がかかりましたが、コッテリバター・チーズ・クリーム系だと華々しい味になる予感もあります。ぜひリベンジしたい。