2009年6月27日土曜日

鬱に関する考察、冷シャブ(豚肉、牛肉、水菜、レタス、オクラ、キュウリ、キャベツ)、ソバ

やっぱり最近鬱っぽかったのかもしれません。鬱が哲学方面の思索を呼び込んだのか、あるいはその逆か。

正しいことって何だ?と考え始めるとだんだんヤバい方面に向かいますね。これはやはり正しいことってのはもう身も蓋もない真実っていうか、どうしようもないっていうか、それよりも刹那的な現在を楽しむことの方が大事じゃないのかな、そんな気すらしたりして。いやあ、ソシュールがアナグラム研究に向かったのも分からんでもない。人間的なるあらゆる価値を乗り越える超人(by ニーチェ)が必要なのは間違いないのではないか。

だってそりゃあ美味いマズいも所詮は差異としてのシーニュかもしれませんよ。でも、美味いものを食ったときの幸福感とマズいものを食ったときのがっかり感ってのは重要だよね。食べ物ですらこれほどまでの多様性を持つのか、という感動っていうか。一切は無である。そんなニヒリズムに向かう前に、存在そのものを享受すべきではありませんか!コトバ以前のリアルが、実は普通に目の前に広がっているんじゃないか。無意識って、本当に無意識なのかな。逆に意識がある時間ってどんだけあるっけ?すなわち無意識=ボケーっとしている時間の方が多いんじゃないの?そして、無意識は存在という奇跡を大いに楽しんでるんじゃないかな。ってことは、ラングもパロールもランガージュもなく、生きるための誤謬としての真理もなく、ありのままにボケーっと存在し、時を生きている自分がいるんじゃないの?そんな風に思うこともなきにしもあらず。論理的な意識のみが人にあらず。現象学が面白いのはその辺への射程も含んでいるところ。おっと。哲学系の話題はしばらくは意識的に避けてみるか。

というわけで(どういうわけだ(ってありがちな話題展開だな))、冷シャブとかソバとか。

冷シャブははなまるなんとかを参考にして、片栗粉まぶしでいきました。ツルンとした食感が悪くないっす。

写真にしてみれば緑一色ですが野菜関係は結構仕事してます。レタスをちぎってキャベツを千切りにしてキュウリを薄切りにしてオクラを刻んで水菜を切って。定番のゴマドレッシングも作成。
 

後はソバ。例によってちゃんと出汁を取りますよ。市販のもいいツユが出てますけどね。化学系材料不使用とか。味も悪くない。でも自分で作ると香りが全然ちがいます。しかもそんなに大変じゃないし。
 

私は納豆ソバで頂きます。青ネギもたっぷり刻んでます。

美味かった。しかも低カロリーです。
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