2009年7月2日木曜日

「現象学」J.Fリオタール クセジュ文庫(白水社) 「デカルト的省察」E.フッサール 岩波文庫(読みだした)

★☆☆☆☆☆:分かりにくい

まずはクセジュ文庫の方。現象学を他の思想と比較させて際立てようという趣旨の入門書だけど、分かりにくかったの一言。現象学と超越論的主観主義の差異。経験的心理学との差異。超越論的観念論との差異。現象学とマルクス主義の関係。社会学。歴史云々。いやあ、そもそも比較対象がよーわからんというのと、比較対象に時代の制約というか著者のバイアスがかかってるんじゃね?と思わせる箇所もあって、いまいち肝心の現象学とは?という問いには答えていない感じです。言語には差異しかない。でもあからさまにネガティブな規定(~ではない)を繰り返されても肝のところが浮かび上がってこない。エイヤで読み切ったけど、結局のところよく分かりませんでした。というわけで本尊にアタック。
「デカルト的省察」です。まだ読みだしたばかりですけど。しかし現象学って分かりにくいです。なぜ難しいか。まずはひたすら意識の構造を記述している、その記述内容が難しい。何のためにそこまでやっているのか、よく分からない。

それから、そもそも現象学で求めるところの「事象そのもの」が、現象学的方法論(あるいはいかなるものであれ「方法論」なるもの)で辿りつけるんですかい?という根本的な疑念があって、その辺が分かりにくさの原因になっているのではないかな?などと考えてみたり。従来の哲学や科学を乗り越えようとしてるのは分かるんですが、結局西洋哲学の言葉で語らざるを得ないところが厳しいのかも。

しかし意識の構造をあくまで記述することによって、人間の持っている豊かさが開けていることが何となく分かる。フッサールの現象学がハイデガー、メルロ・ポンティ、デリダに受け継がれたのもむべなるかな、という気がします。あるいは木村敏とかの現象学的方法を使った精神病理学とかね。

以下はほとんどたわごとなんですけど、現象学はブルース・リーの名言(?)「Don't think! Feeeeel!!」も、葉っぱ隊の「水飲んだらうめー!」というフレーズもその射程に収めているような気がします。すなわち、あーだこーだ言う前に食えよ、と。食って美味かったらサイコーだろ?頭で理解するもんじゃねーだろ?と。理性的な(あくまで理性的な)方法論としては究極のものかとは思います。

言葉なんて所詮カオスを力技で仕切ってる差異に過ぎないじゃねえか。所詮生きるための誤謬としての真理。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意云々。と悟ってしまってもしょうがない。事象そのものへ向かうことで、人間がありのままに生きている世界が開かれる可能性はあるんだ、と。

一朝一夕で理解できる対象ではないので、じわじわ読み進めようと思ってます。
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