2009年9月20日日曜日

長寿の秘訣

だいたいこの年寄りがテレビやらラジオやらに出てくると、まずは年齢を聞いて「いやあお若い」などと驚いてから「長寿の秘訣は?」とアナウンサーがインタビューすると、年寄りの方は腹八分とか、適度な運動とか適度な飲酒とか、そういったような事がらを挙げて、アナウンサーがほっほっほなどと意味もなく笑う、そんなやりとりがわりと典型的にあるわけです。

そういったステレオタイプな会話を聞きつつ、まあ確かにもっともなことであるなあ。せっかくだから長生きしたいたいし、私も長寿の秘訣に励まなければ。と日頃思っていたのですが、ふと気がついてしまいました。長寿の秘訣っつうのもまた原因と結果の履き違えではないか。つまり、長生きした人がたまたま小食だった、あるいは小食で何とかなるライフスタイルだった。そういうことではないだろうか、と。

原因と結果というフレームワークは、まずヒュームが否定して、カントが何とか限定付きで肯定し返したところを、再びニーチェが完膚なきまでに否定し、その後フッサールが何故かシレッと肯定している一方、養老孟司が浅はかな人間的思い込みであると決め付ける、といった感じの、哲学的にはわりとホットな概念です。

で、私はといえば、だいたいニーチェとカントの中間あたりで考えてまして、原因も結果もないんだ、んなものは人間的尺度に過ぎないんだ、という感じで考えています。原因なんてのは人間の浅知恵に過ぎない。過去を振り返って、便宜的に原因を措定してるだけなんだ、と。

長寿の秘訣っつうのも実は同様じゃないのか。腹八分だとか程よく酒を嗜むというのは、原因というよりも、むしろその人のライフスタイルや生きざまの結果ではないか。だってたらふく食べる/呑むことが楽しくてしょうがない人がいるはずで、そんな人が多少長生きしたいからといって、小食や酒の節制に励むわけがない。(この辺ロジック大丈夫かな)

要するに、小食が長寿の秘訣だと仰る100歳オーバーの方がいっぱいいる一方、たらふく食べ呑んで100歳を越えたという人を余り聞かない。とすれば、基本的に鯨飲馬食系の人は長生きができない。そう捉えた方がポジティブな気がします。つまり、ライフスタイルが、体質が違うのです。

別に自暴自棄になるとか、そういうことではありません。一病息災という言葉もある。自分の体質なりライフスタイルなり嗜好なりに欠点があると分かれば、それを前提として自分なりの長寿の法則を考えればよいと思うのです。

どうせ無理したって長続きするわけがない。だから酒飲みは酒飲みなりに、大食いは大食いなりに注意して、そこそこ長生きできればそれでいいんじゃないか。そういう感じで気軽に、でも注意しながら健康を指向したらよろしいんじゃなかろうか。そんなことを思いました。

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