2009年10月19日月曜日

なぜ私はTwitterをしないのか

別に私がTwitterをしようがしまいが世の中の大勢には何の影響も与えないわけですが、考えがまとまってきたので書いてみます。主に四つの理由があります。

一。私のつぶやきが世の中に影響を与える可能性が極めて低いから。そんなこといったらこのブログの影響だって全く大したことないわけですけど、少なくとも私のブログを読んでいる方がわずかながらいらっしゃるらしい。とすれば、これを読んで、うん。まあその通りだなあとか、いやいやそれは変だよとか、そんな風に思われることもあるに違いない。その可能性があるだけで十分ブログを書くモチベーションになります。他方でTwitterではどうか。私のつぶやきにどれほどインパクトがあるか。そんなものありゃしません。あきらかに。だからTwitterに投稿するモチベーションも低いと言わざるをえません。

二。つぶやきという表現、具体的には140文字という制約の投稿形式に、魅力が感じられない。140文字で何かを伝えるというのはやはりしんどい。わざわざそんな制約の下に情報発信したくありません。

三。読む立場としても他人のつぶやきにあまり魅力を感じられない。Twitterの価値はリアルタイム性にあるようですが、私は個人的にあまりWebにリアルタイム性を期待してません。

四。その他多勢に埋没するだけという予感。

80対20の法則という便宜的な解釈があります。世界の富の80%は20%の人が独占している、とか企業の売上の80%は20%の人が稼いでいる、といった感じで使われるのですが、その正しさはともかく、80と20という数字を使われると何となく説得力があるという不思議な法則です。この法則をTwitterに当てはめてみたらどうなるでしょう。20%のユーザーが全体の80%のフォローワを獲得する?いやいや、それどころではない気がしますね。根拠はありませんが。ひょっとしたら0.01%のユーザーが99.99%のフォローワを独占してたりして。とにかく、どこそこの有名人がTwitterを始めただのという話はよく聞きますが、無名氏によるこんな優れた投稿があったとか、無名氏のつぶやきが非常な共感を得て評判だとか、そういう話はあまり聞きません。要するに、Twitterというのはすでにコンテンツを持っているユーザーや、ネームバリューのあるユーザーが発信するためのメディアじゃないか、と思います。優れた俳句などがバンバン投稿されるとまた違うかもしれませんけど。

私ごときがつぶやいたところでねえ。それに価値があるとは全く思えませんので。

本当はこんな記事を書く前に、実際に使ってみるべきなんですけどね。でも試しに使う気にもなりませんでした。だってオレのつぶやきだよ?そんなもの投稿してどうするよ。

以上。

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