2010年4月7日水曜日

秋月龍珉「誤解された仏教」講談社学術文庫

★★★★★★:どんぴしゃ

仏教思想には親近感を持っているのですが、一つだけ納得いかなかったんですよね。輪廻転生。前世の業(カルマ)を引きずって、生まれ変わる。んなの信じられないよ。

脳みそ削れば別の人。脳が焼ければ意識はない。私はそう思う。無味乾燥ではあるけれど。火葬場で灰になって千の風に舞ってるかもしれない。それを情緒的に取るか即物的に取るかは人の勝手。死んだら意識はない。輪廻もない。もちろん死んだ後のことは分からない。でも、少なくとも生まれ変わるってのはありそうにない。

でも仏教は輪廻を説く。分からない。なぜそこだけ独断的なのか。他の経説は理論的なのに。

この本を読んでスッキリしました。

悟って「後生を受けず」とした釈尊が輪廻を信じていたわけがない。輪廻は当時のインドで支配的だった思想を援用した方便だと。説法を分かりやすくするために輪廻を使ったのだ。仏教は「今」かつ「ここ」だ。この瞬間に、ここで、非我=無にさらされてあるのが私なのだ。一瞬一瞬が新しい私だ。直前の私の業(カルマ)から、次の瞬間の私が縁起するのだ。そうか。それで分かった。

後は、アートマン=ブラフマンすなわち梵我一如は仏教ではない。という主張。仏教は無我だ。梵我一如を超えるのだ。なるほど。そうか。

古代ギリシャ人が感じた存在の驚異は、インドではアートマンとして梵我一如の思想に結実した一方、キリスト教の近代ヨーロッパでは超越論的主観となり存在が忘却された。

仏教では、アートマンを超え、超越論的主観を超え、無の境地に至ったのであった。うーむ。感心しきり。

私は不勉強で秋月さんという方を今まで知らなかったのですが、宗教家としても思想家としてもスゴイ人です。素晴らしい。この人の本に出会えてよかった。

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