最近私は、禅に強い親近感を持っており、この本も興味深く読んだのですが、その一方で昨今禅が流行らない訳が分かったような気がしました。
秋月さんは、どうしても俗世間から禅を離したかったらしい。禅とは凡人には及び難いものだ、とやたらに強調する風がある。そりゃあそうかもしれませんが、これでは敷居が高くなるばかりです。ヨガのように、とりあえず美容の柔軟体操と思ってやってみたらよろしい、などというノリは一切なし。それどころか、一旦悟ったからといってそこに安住しているようではイカサマ禅だ。オラオラ。どや。と厳しい。まあ、だからこそ魅力的だ、ということもあるんですけどね。
しかし、繰り返しになりますが、これでは最近の人は近寄らないだろうな、という気がします。親鸞の本願ぼこり批判もありますし、宗教を悪用したり、安易に流れる風潮に危機感を持つのも分かりますが、もう少し間口を広げたらどうか、と。既存宗教も、葬式ばかりに頼らず、どんどん営業しなければいかんのではないか。
私も最近、ちょっと禅の在家修行ができる寺はないかと探してみましたのですが、近場にないんですね。曹洞、臨済の寺はあっても坐禅会の案内は出ていない。かといって、そこを押して修行に潜り込ませて欲しいというほどの気概は持ち合わせない。既存宗教。やる気が感じられません。
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