ヤゴを飼ってみたのですわ。
こういうペット(?)ってのはいいです。パートタイムペット。人生(虫生)の一生涯の責任を持たされることもなく、一時的に面倒をみればそれでいい、そんな(比較的)気楽な生き物飼い。気楽で楽しい。それでいいのか、という問題はありつつも。
で、数週間赤虫とか食わせてたんですわ。まずは冷凍赤虫。当然死んでるやつ。ピンセットで摘まんでピロピロやってるとヤゴがパクッって食べるんですわ。楽しい。でもじきにそれが面倒になるもんだから、勝手にピロピロしている生の赤虫に切り替えるわけです。でも冷凍から生に切り替えたらどれほど食べるかと思えば、そんなに変わらないんですな。冷凍をぴろぴろやってたころとヤゴの食欲は変わらぬ。そうだったか。うぬぬ。などと思いながら赤虫が力なくウニョウニョする水槽をにらむ。
赤虫って昔は汚れたドブ川にいたやつですけど、最近はどうなのかね。見ない気がするけど。ドブ川に行く機会すらなくなったのか。赤虫すら住めないドブ川になったのか。前者であると思いたい。
ヤゴはヤゴで共食いしてましたね。狭い場所に詰め込まれると、お互いお布施合戦になるらしい。こんなにいっぱいいるなら、僕は不要だから、僕の体を食べて。どうせ全員生き延びることはできない。だから、僕の体を食べて少しでも長生きして欲しい。いや、赤虫はあるから。共食いしなくても大丈夫だから。そんな祈りも空しく、今日も共食いするヤゴを恨めしく眺める。
そんなこんなでヤゴからトンボへ。かなり感動しましたよ。すごいね。生命ってのは。どうしてこんなことになるのか。以下写真を連ねます。
これで一時間経ってないんだからね。人間に比べるとその時間の進み方の早いこと。0歳から18歳までを1時間で済ませるわけ。18歳(多分)のトンボを、羽が固まるのを待って外に離しました。いやあすごいね。ホント感動したよ。地味な感動だけどね。
ある日妻が小バエを叩き殺してふと言いました。「あの愛おしかったトンボも、この憎たらしい小バエも、同じ虫だよね。何が違うんだろう」。心が違うんだよね。ほとけの心か凡夫の心か。それによって命の見え方が違うのだ。
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