見たの二回目なんですけどね。新たな発見がありました。もう、これからは、ハウルを宮崎駿の最高傑作の一つに挙げますね。
まとまってないですが、解釈メモ。
ハウル=宮崎駿さん
カルシファー=鈴木敏夫さん
動く城=ジブリ
ハウルはカルシファーと契約し、二人三脚で仕事をしている。
師匠や国王は、顧客のエライさんでしょうな。
ハウルには、どこか「本当にやりたいことはこんなことじゃないんだ」という葛藤がある。宮崎さんしかり。
しかし、宮崎さんもカルシファー(=鈴木さん)と契約し、仲良くやっていて、その現実は100%否定できない。それはそれでうまく行っているという面もある。
つまり「ハウルの動く城」=ジブリである。ジブリはカルシファー=宮崎さんと鈴木敏夫さんの二人三脚で動いているのである。
しかし、ジブリを運営することは、資本主義の社会で戦うことでもある。本当は戦いたくない。しんどいのはゴメンだ。
その葛藤が「戦争」という形で映画に表れる。生きることは、仕事は、戦争じゃない。もう戦争はもうやめなさい。ハウルの闘いは宮崎駿の社会に対する闘いである。
ジブリ=「城」は、ボケかけた魔法使いの老女によって結果的に破壊される。その老女は宮崎駿さんの母ではなかろうか。もう、やめなさい。あなたの心臓をもっと大事にしなさい。母はエゴとともに息子の心臓を抱え、いたわろうとする。
しかし、ソフィーは母から心臓を取り戻す。お母さんの役目は終わったのです。ハウル=宮崎駿はもう小さな子供ではない。女性を愛し、社会とかかわる大人なのです。そしてソフィーはハウルを愛するわけです。
最後にハウルとカルシファーの心臓はソフィーによって分けられる。ここで二人とも一旦死に、即座に再生することによって、自由になる。
自由になった二人の魂は、再び二人三脚で城=ジブリを動かす。これは二通りの解釈が可能。
一つ目の解釈:やっぱり、しんどくてもジブリをなんとか動かしていかなければならない、という宮崎さんの覚悟。
二つ目の解釈:二人は分けられて一旦自由になり、解放される。その後でジブリを引き継ぐのは実は別人(であって欲しい)。たとえ宮崎さんと鈴木さんがいなくなってジブリが困難な状況になっても、復活して欲しい、という宮崎さんの願い。
ソフィーとはだれか。宮崎さんを100%理解し、受け止めてくれる永遠の女性なんでしょうねえ。
って書くと身も蓋もない解釈ですけどね。野暮だったかねぇ。
でも、宮崎さんの強烈な葛藤があるからこそ、あの映画が普遍的・夢幻的傑作になりえていると思いますよ。最高傑作の一つです。
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