2011年1月28日金曜日

「納棺夫日記」青木新門 文春文庫 とか

葬式関連投稿。ヘビーなことは書いてないつもり。適宜スルーでお願いします。

妻がママ友に「おくりびと」に感動したと話したら、そのママ友(大変な読書家)が「映画は見てないけど原作持ってるわよ」ということで貸して頂きました。普通持ってないって。

それを妻が読んでいる間、昔図書館で予約した「葬式は、要らない」(幻冬舎新書 島田 裕巳)が届いたとの連絡。予約したことすら忘れてたよ。

ということで、妙に葬式関連の情報に縁があった数週間でした。

まずは「納棺夫日記」。うん。これは映画とはまったくの別物ですね。例えるなら「おくりびと」はシロップだの香料だのを効かせた甘いカフェラテ。「納棺夫日記」はコクと酸味の効いた美味いブラックコーヒー。青木さんが映画化を拒否したのも当然だ。

どちらもおもしろいんですが「納棺夫日記」の方は哲学的、宗教的思索が深く入ってます。個人的には原作の方が好きですね。特に前半。淡々とした記述ながら何かと伝わってきて、通勤電車の人混みの中、涙が出て困りました。映画の方は哲学・宗教色を完全に取っ払って、親子の絆とかそういう分かりやすいシナリオを持ち込んでいる感じです。

ま、映画もおもしろいですけどね。それにしても、よく本木雅弘がこれを映画化しようと思ったなあ、と感心します。久々に良い本を読みました。

次は「葬式は、要らない」。簡単に内容をまとめると、

葬式は金かかるよ?250万だよ?あなた、そんなに出す?ま、金がかかるのは、歴史とかお寺の経営事情とか日本人の国民性とか、しかるべき理由はあるんだけどね。それにしても高すぎるよね。大体、今はそんな世間体とか体面に金をかける時代じゃないでしょ。私は葬式はしないよ(島田裕巳)。だって、贅沢だよ。

というものです。

思い起こせば、父は祖父の葬式には結構金を掛けてたなあ、と感じます。土地柄というのもありますし、父が結構見栄っ張りだから、というのもありそう。祖父も父も平凡なサラリーマンなのに。祖父には可愛がってもらったわたしですが、こぢんまりした式の方がいいのに、という感想を持った覚えも。

さて、まずは自分が両親に先立つということは絶対に回避しなければならないのは当然として、私はどうしたもんかなあと考えましたね。両親の意向が最優先でしょうけど、でも浪費はイヤだなあ。でも、仮に遺産が出てしまったら葬儀で使い果たすってのも悪くないかも?・・・ブツブツと考えてみたり。後は自分のをどうするか。宇宙に散骨で100万ってのも悪くないかな(寺と葬儀屋に出すより安いらしい)。うーむ。などなど。

いやはや。「おくりびと」を発端に色々と考えさせられた誕生月でした。

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