再建という希望が残った
作家・医師の加賀乙彦氏(81歳)の方の言葉。長いけど引用します。asahi.comってリンク先が消えることが多いし、この記事は消えるには惜しいので・・・
しかし、昔にもこれに比較される悲惨な出来事があったと老人の私は思う。それは戦争中の都市爆撃の被害と残酷である。広島・長崎の原子爆弾の巨大な被害と、考えられる限りの苦しみと破壊を思い出す。あの膨大な死者の数と都市の破壊は、ひどかった。子供であった私は、アメリカの爆撃機B29の、無差別爆撃や艦載機の銃撃を、今でもまざまざと覚えている。食べるものもなく、飲む水もなく、火傷(やけど)で死んでいく人々を見ながら逃げ回る。あの地獄の苦痛は、今度の大震災の被害に比較さるべきものである。
福島原発の被害は、それに対する対策が後手後手で、原子爆弾の惨禍によく似ている。原発の破壊を復旧し、救命活動にはげむ献身的な人々の活躍には感動を覚えた。またボランティアとして被害者のために働く人々の熱意にも感心した。こういうところは、戦争中の軍国主義者の横暴とはまるで違って、日本の未来には明るい希望があると思った。
家々が地震に壊され集落が津波に流された。それは大きな天災で人の力の及ぶところではない。しかし、絶望だけでなく、故郷を再生し大津波に対抗できる街を作るのが私たちの希望である。
日本人よ、あわてふためかず、災害よりの復興を、少しずつでもなし遂げていこうではないか。放射能もれに絶望せず、原子爆弾の惨禍から立ち直っていった過去を思い出そうではないか。食料品の買いだめに夢中になるよりも、おたがいに助け合って、この災禍を乗りこえようではないか。かつて、爆撃と原子爆弾の痛苦にのたうちまわった歴史を思いだして、冷静に津波の被害や故郷の町の喪失を、再建しようではないか。
日本には再建という大きな希望が残されている。そして全世界の人々が私たちに注目している。これが病気でなにもできない老人のつぶやきである。
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