2011年5月24日火曜日

言葉のチカラ

(昼の更新をしようと思ったら写真が大量だった・・・アップロードは夜にしよう)

さてさて。

たまにやっちまうんですが、怒りを抱えて悪口なり批判なり書くと、後味が非常に悪いんですよね。

これはやはり小学生お得意の「バカと言った方がバカだよー」ではありませんが、怒りのこもった言葉というのは、何かを損なわずにはいられない、ということだと思いますね。どこかで自分に返ってくる。自分も無傷ではいられない。

じゃあ、悪口も批判もしない方がいいか。

その方がいいに決まってるんですけどねー。

そうも行かないのがこの修羅の世界。

子供の被曝より東電の株価を心配する経団連米倉ナントカとか、いまだに利権ズブズブスキームに安住して平気で原発建てようとする電力会社やらを見ると「金金言ってんじゃねえ!」「原発は危ないだろ!」と怒りの声を上げざるを得ませんな。

小乗仏教なんかは「怒っちゃダメ」と身も蓋もないことを言いますけどね。
そりゃムリというもの。
かのダライ・ラマさんだって中国に対しては怒ってますからね。慈悲の怒りがあるんだ、と。チベットを弾圧してはいけない!って。
それが当たり前だと思うな。

話は変わってマスコミ。

悪口言いまくりの批判しまくりですね。特に最近の中吊り広告なんかヒドい。まあ昔からヒドかったですけどね。もう「売らんかな」を通り越して「ヒステリー」状態。

マスコミの意見。一歩下がって後出しジャンケン。
さかしらに「あいつらアホやねん。ホンマはこうせなアカンかったねん」などと書き立てると、書いてる本人は「ワイ、お利口さんやわー」とか思うんでしょうね。(関西弁に他意はない)

しかし、あんだけ文句付けたり煽ったりしてるライターの方々に、精神衛生上の被害は出ないのかしらん。何かしら損なわれると思うんだけどな。あるいは、そこはプロ。ちゃんと心に殻が出来ているのか。それはそれで哀れではないかと思ったり。

話微妙に変わって。

個人では相当な怨みや業(ごう)を抱えてないと、何かを執拗に継続的に批判することは難しいですよね。費用対効果悪すぎ。他にエネルギーを傾ける対象がある。

ひるがえってマスコミって常に何かを批判し続けている。

これはやっぱり何らかの思想的な背景があったり、ちょっと勘ぐってある筋からの圧力があったりするんじゃないか、などという気がしないでもないですね。

だって、普通に理性的な人なら「まあそうは言っても、浜岡原発の停止は当たり前の判断だよな」とか、ある人を100%けなし倒すことはしないと思うんですよね。総論反対各論賛成。是々非々で判断。

多様な意見が生まれて当たり前。

一方、批判トレンドが醸成されると、我先に容易にバッシング一辺倒になるマスコミ。

やはりマスゴミと言われることはあるなあ、とたまに思ったりもしますね。

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