子も救うことができない。父も親戚もまた救うことができない。死に捉えられた者を、親族も救い得る能力がない。
心ある人はこの道理を知って、戒律を守り、すみやかにニルヴァーナに至る道を清くせよ。
とにかく身もフタもないんですね。小乗仏教は。
しかしまあ、その通り。人はいずれ死ぬ。誰も救うことはできない。
これが事実です。
いや、そこを何とかして。この。うががが。などと考えるから苦しい。
検査したらガンが出来てたから手術した。しばらく長生きができる。せいぜいその程度です。
だからといってあがいたらいかんのか。
子供を救おうと頑張ったらいかんのか。
その辺がね。小乗仏教(今の南方上座仏教含む)の限界ですよね。
この厳しい世界で家族で生きるためには、あがいて、もがかざるを得ない。
怒ることだって、泣くことだってあるさ。
でも、怒ることや泣くことに疲れてどうしようもなくなった時、ブッダの言葉にしみじみ癒されることも、なきにしもあらず。と思ったりもします。
小乗仏教って、鬱の人や、何かとてつもなくツラいことがあって心を病んだ人を対象とした、実践心理学じゃなかろうかと。
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