ライプニッツのモナドロジーを再読しました。(非アフィリアイト)
ま、はっきり言ってピンと来ないんですけどね。
全体としては。興味深くはあるけれど。
だいたいキリスト教的魂観が大前提にありますからな。
「思惟は複合的な仕掛けから発生するものではない。思惟とは単一の魂=モナドから生じる」などと証明してますが、現代に生きるわれわれは「じゃ脳削ってみろよ。コラ」などと思いますからね。脳を少しずつ削ったらある時点で自我なぞ消え去るでしょうからな。
ま、そんな意地悪は置いといて。
所々とても心に残る言葉がありますね。
例えば「モナドには窓がない」とか「予定調和」とか。
モナドには窓がない。
下村寅太郎さんは「これは文字通りこの意味じゃないよー」などと言ってますけど、わたしなんかはこのまま受け取ったらええんじゃないの、と思いますね。
経団連のじいさんたちとか政治家見てるとさ。
モナドって閉じてるんだなーってしみじみ実感するもの。
でもまあ何のかんのいって世の中前に進んでる。
その辺が「予定調和」ってやつじゃなかろうかと。
このオプティミズムは好きですねー。
ただ、ライプニッツは「最終的には神さまが何とかしてくれるやろ」という確信を持っとったようですね。
そこはやっぱり共感できないっすね。
モナドには窓はないといいつつ、実際他人と自分とのあいだには絶望的な壁があるよなーとたまに痛感しつつ、でも周りに働きかけていくことも大事だよなーと思います。多分神さまはいないから。
非力なオジサンではあるけれど、できるだけのことはしなきゃね、と。
やっぱり脱原発。もんじゅは「なるはや」で廃炉。
Webの片隅でブツブツと呟く他に、9/19の脱原発パレードに出る予定であります。
以上。
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