もう十五年以上昔の、若い子の単純でたわいもない意見が、今なおわたしをいろいろ考えさせるのもいかがなものかと思いつつ。
「お金がなきゃ、楽しくないでしょ」
「金は大事じゃない。他に大事なことがあるよ」というのは、「当面は子供を飢えさせるとか、養育費に困るようなことはないだろう」という見通しの元に言ってるわけで、決して子供がお腹を空かせているところに気張って「お金は問題じゃない」といってるわけではなくて。
また、贅沢を否定するわけでもないんですな。
お金を貯めて、一点突破で消費!というのは断然アリだと思いますし。
何が気に入らないか。
いろいろあるんですが、まず「健康で三度の飯が食えて、それで楽しくないってどんだけもったいない発想だよ」と、これはまあジジ臭い&道徳臭い考え方。
生きてるだけで丸儲けじゃないけど、家族と自分が健康で元気で、寝る所もあって風呂にも入れて美味いメシが食えるとして、それで文句言ってんのか。ちょっとお前グランド10周してこいと。
後はやっぱり「頭使えよ」と。
金が無いなら無いなりに、面白いことは見つけられるはず。
わたしの友人の知り合いは、金がなくて暇で、何してたかっていうと河原走って重い石持って体鍛えてたんだと。んで太極拳の無料講座に行ったりとかしてるうちに先生に気に入られて、無料で道場通わせて貰ってるとか。
金がないなりに情報集めて、自分を楽しい場所に持っていく、そのプロセス自体も楽しいわけですよ。それをお前、金がないと楽しくないだと?お前の頭に入ってるのは何だ?白子か?
まあ、あまり偉そうなことは言えませんけどね。金がなくて暇ってのは、人として強烈に問われる状況だよね。わたしも学生時代は苦労したなあ。あ。今も少し苦労してるか。でも「金がもう少しあったらなあ」という意識は常にあったけど「金がないと人生つまらん」などと思ったことは一度もないんだよな。その発想はない。人生つまらんのはオレのせいだ。オレが問われてるんだと。Y君とそんな話をしてた記憶もあるなあ。
それからもう一つ。
人生を楽しく過ごすための必須条件に「金」を組み込んでしまうと、生きにくいと思うんだよねー。例えばどんなに嫌な仕事でも、金のためには!と働いて自分をすり減らすとか、結婚相手の条件に年収とか貯金とか設定して、選択肢が狭まるとかさ。
もちろん食ってけるってのが大前提だけど「金がなきゃだめ」という発想は、どうも気の毒だなあなどと正直思うのであります。
まあ、これだけいろいろ考えてるってのも、わたしが金に囚われてる証拠なのかもしれないななどとも思いつつ。
やれやれ。
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