いかん。金についての思考に囚われてしまった。ということで、こうなったらオレ的便宜的「マネー哲学」までつきつめてやれと。
まずマイ哲学の背景。
親がミドルクラスサラリーマンだったわたしは、シリアスな飢えや貧困を知りません。学生時代に金がなくて暇で家でぼーっとしてたことは多かったけど、そんなの貧困とは言えない。だからその方面から「甘い!」などと突っ込まれると「申し訳ないです」となります。
ミドルクラスの家庭(客観的に言って中の中レベルだと思う)出身で、マンションのローンを抱えて子供を二人育てていて、妻はそろそろ働きだそうかと助走中。普通のサラリーマンのマネー哲学。
何度も書いてますが、学生時代からどこか「金は(それほど)大事じゃない。もっと大事なことがある」と確信しながら生きていて、その確信は今に至るまで変わっていません。もちろん友人も同じ考えだったし、周りの雰囲気もそんな感じでしたね。金も大事だけど、それよりまずは納得できる生き方をしたいという人が多かった気がします。だから、別の学部の学生から「やっぱり金が基本だよ」という意見を聞いたときは正直驚いたもんです。しかもそういう人が結構多いと聞いて呆れたこともありました。
「まず食えることが大前提だけど、そんなに金は大事じゃないよな」という発想の裏には、金のない生活ってのもそれはそれで悪くないぜという開き直りとか、金がなくってもオレはオレだぜという青臭いプライドとか、そういうものがあるように思います。マゾヒスティックな矜持とでも言いますかね。
例えば、仮に今後わたしの生活が困窮して来たとしてどこまでイケるかと。たまにそういう思考実験をしてみます。
えーと。外食もってのほか。残念だけど生協もダメだな。近所の野菜無人販売で朝一に安い野菜仕入れて、米は最悪実家から送ってもらおう。それから電気代減らしてパソコンもなるたけ立ち上げないようにして、会社にはお弁当持ってって、オレの小遣いも当然減らさなきゃならなくて、酒の量も減らさないとな。それから娯楽費がなくなるから、図書館の本でもかたっぱしから読んで、晴れた日はジョギングでもしてと。うん。イケるな。って感じ。
金があるといろんなオプションは出てくるんですが、あまりそれに依存したくない感があります。
身一つで人生楽しめなきゃおかしいだろ?貧乏ばっちこいと。
そういう覚悟で生きてないと、面白いこともできないし、リスクも取れないような気もするんですよねー。
年収とかに最低限度を定めて仕事を選ぶより、給料安くてもこっちの仕事の方が面白そうだと。うん。その給料でも大丈夫。子供食わせていける。みたいな。それに、疲れてイライラして滅多に家に帰って来ないお父さんより、いくら給料安くても一緒にご飯食べてくれるお父さんの方がいいんだよね。そういう意味では子供ってまっとうな感覚持ってると思います。家族一緒に住んで、みんなニコニコしてご飯食べられれば、別に給料気にしないと。子供の方が、ちゃんと自分の足元見てる。自分の幸せを知っている。
大人が金に囚われてしまうと、足元も見えなくなるし、人生を楽しむオプションもそれだけ減ってしまうんじゃないかと思いますね。
ま、でも、特にやってることは普通っすけどね。はは。節税にはエネルギー掛けてるし(たかが知れてますけどね。そんなに甘いもんじゃない。)、収入を増やそうと思って努力もしてるしさ。人生を楽しむ上では、金は必須ではないけれど、あるとオプションが広がるのは確かだからだからね。ないよりあった方がいい。
ということで、少なくとも子供たちが大学を卒業する辺りまでは、お金は大事にしようと思ってるのでした。ってなんだそりゃ。わたしの中では矛盾してないけどね。
以上。
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