今日、ボケーっと帰りの電車に乗ってたら、となりに二十台前半の若い男が二人座ったんですよ。
ボケーっとソリティアやってたわたしに聞こえてきた二人の話。
その内容に戦慄したわたくし。
男A(後輩):仕事の後にLECだかTACだか大原だか学校に通ってるらしい(公務員?勤怠がしっかりしてる大企業?)
男B(先輩):ロックバンドのメンバー。仕事帰りにスタジオで練習している。趣味は旅行でいろいろ行ってる模様
二人で見事に当たり障りのないトーク。中堅ブランドのバッグの話やら、旅行の話やら。 どう見てもリア充(※)です。ありがとうございました。
※リア充 ゲームやネットといったバーチャルワールドではなく、リアルワールドが充実している人々
仕事帰りにバンドの練習とか資格の学校に通うとか、絵にかいたような「ヤング」(死語)。トレンディードラマみたいな?(死語)
それだけでも相当ですが、さらに感心したのがいわゆるリア充のコミュ力。
とにかく無難というか、無害というか、当たり障りのない会話を延々としておる。
振る舞い、語らい、どう見ても、二人はナイスガイ。
大したもんだなーと。
わたしが二十代だったら、半日立ち直れないほどのコンプレクスを感じただろうなーと。
年を取るとね。コンプレクスが激減しますからな。ああん?オレにどうしろと?みたいな。
というわけで、そんな図太いオジサン(わたし)が逆に思ったのが、そういうメンノン的、テレビドラマ的、すなわち「広告代理店が仕掛けました」的な価値観で動いてる若者がいるんだなーと。(この辺の論旨、苦しいよなー)
ということは、自らの傾向、好みが弱いか、あるいは仮にそういうものがあったとしても、広告代理店の仕掛けに乗ってしまう程度の人なんだなーと。(この辺りも、苦しいよなー)
要するに「リア充」とは、逆に見れば面白みのない奴なのかも。そんなことを思ってしまったのでした。
もちろん、自らの好み、傾向をアグレッシブに突き詰めた結果、そんな「リア充ライフ」にたどり着いた人もいるかもしれませんがね。
まあ、いろんなアレがありますよ。
ストレートにいわゆる「リア充」な生活を送ることは、ある意味では近道かもしれないけれど、苦労して辿った遠回りの道の方が、生きる上では役に立ったりするんじゃないかなーとか思ったのでした。
うーん。伝わるかなー。難しいなー。
翌日後記)
若かりし自分を重ねるということでもなくて、劣等感にのたうちまわったり、思った通りに動けない自分に憤ったりして若い頃を過ごした方が、人間に厚みがでるような気がするんですが、それもまた傲慢な意見なのかしらん。正しい気もするけれど。
以上。
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