「この人から馬鹿にされる理由は全く思い当たらないのに、何故だかしらないけど馬鹿にされる」というのはどうやら普遍的な経験らしい。
などと「マウントポジションを取りたがる人の話」を読んで思ったのでした。
以前に引用した記事もそうでしたが、「他人を馬鹿にする」人の通底には、「ハイレベルなセルフイメージ」と「現実の自己」とのギャップに薄々気が付き、苦しんでいる。あるいは焦りを感じている、ということがありそうです。
だって、素晴らしい容姿やら才能やらに恵まれて「あー。自分は恵まれているよな。ありがたいな」と思っている人が、他人をコキおろすってのは考えにくいですからね。
何かしら不満があるから、他人をバカにするワケ。オレはこんなに素晴らしいのに。にもかかわらず、こんなに苦しんでいるのに。そのことに気が付かないこいつはバカかと。
人を馬鹿にする人の基本的な思考回路って、そんな感じ。
そこに、人によっていろんな風味が入ってきます。
高い濃度の「自己陶酔」が入ってくる。
「器が小さい」感がブレンドされる。あるいは「時折ヒステリーを伴う」とかね。
あー。やだやだ。疲れますな。人生って。
でも、黙ってたらやられるばかりだけど、状況が変わることもあります。
理路整然と口答えしたらば、それ以降は黙ったとかね。
子供がいて仕事があるとあまり波風は立てたくないワケですが、時折はそんな反応も必要になるのかな、と。上手くやらないとトゲが立つから、慎重にやらねばなりませんけど。
思い返してみれば、わたしも若い頃はかなり人を馬鹿にしてたなあと。高校生~大学生くらいが山だったかな。
ナルシズムもあったし、自己の能力を信じる!オレは出来る!という焦燥感もあったし、でも、結果が出なくてピリピリと追い詰められていた。のほほんと生きているヤツが、バカに見えるワケ。
正直、イヤなヤツだったですよ。あのころの振る舞いを思い出して「ぎゃー!」叫ぶこともしょっちゅうっすわ。ぎゃー。
年取るに従って徐々に落ち着いてきましたね。
自己過信が減ってきた。自分の能力に幻想を持たなくなってきた。理想と現実の折り合いがついてきた。総合的な自信もついてきた。
総合的な自信って何かというと、人生観と現実生活の折り合いとでもいいますかね。オレもそれなりに頑張ってきたじゃないかと。100%満足ではないけれど、それなりに自分を肯定できる。オレ、頑張ってるぞ。それが総合的な自信。
「東大出だから、オレは偉い」「年収3千万だから、オレは偉い」こういうのって指標自体は確かに客観的だけれど、総合的な自信じゃない。むしろ、総合的に自信がないから、そんな指標にすがりつくワケ。
逆に言えば、他人を否定して何とかセルフイメージを維持している人たちって、理想と現実の折り合いも付いてないし、総合的な自信もないってことでしょうね。
こういう人たちって、高飛車なんだけど案外もろかったり、弱かったりするので、しっかり言い返すことは重要だよな。などと思うのです。
ブツブツ
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