2008年12月30日火曜日

餅つき

妻の実家で餅つきを手伝いました。臼と杵でぺったんぺったんするやつです。

杵をずぽっと真っ白い餅から抜き、杵の重みに手を添える感じで臼にぼすっと落とす。(杵の重みだけで十分搗けます。テレビで杵をがんがん振り下ろしているのはパフォーマンスです。)しみじみ懐かしいこの感じ。いや、まいったホント懐かしいわ。思い出すのはもう10年以上前の、祖父の家で搗いた餅。

風呂場の釜にセイロを重ねて祖母がもち米をふかしてたなあ。ふけたもち米を父が小走りで運んで、臼に投入したっけ。祖父がそれを杵でねりねりと細かいリズムで搗く。いや、搗くというよりすり潰す。最初に潰しておかないと、搗く時に米が飛び散ってしまう。米が8割がた潰れてからようやく搗き始める。ぺったんぺったんと玄関で搗いたなあ。60後半になっても一臼を自分で搗きあげてた。孫にいいところを見せようとしたんだな。

最後の臼は必ず草もち。一キロほど離れた川辺で祖母が摘んだよもぎ(あらかじめ茹でてある)を、まずは餅なしで臼に投入。ぐりぐりと杵ですり潰す。繊維を断つわけですね。青臭い匂いがしたっけ。決して美味そうな匂いじゃなかったな。むしろ強烈な匂いだった。それからもち米を投入して、やはりねりねりと潰す。ヨモギの繊維が明らかに異質な感じで白いもち米に割り込んでいて、ちゃんと混ざるのかな。大変そうだな。と思うけど大丈夫。しばらく搗いていればちゃんときれいで美味そうなヨモギ餅になります。母親と妹と祖母は隣の部屋で餅を加工中。餡を詰めたり伸し餅にしたり鏡餅を作ったり。白い大福とヨモギ大福を交互に食べると飽きなくてヤバイんだよね。またこうやって作ったヨモギ餅は、本当に「草です。青臭いです。しかもヨモギです」って感じがする。春菊なんかよりよほど強力。市販のはヨモギ餅。こっちは噛み跡がちゃんと繊維っぽい。そんなよもぎ餅を食べておなかいっぱいになってもう食べられない、食べないぞ。と宣言すると、父が「餅は消化にいいからな。食べても太らない」とわけの分からないことを言って煽ってくる。しかも毎年。まったく信じてないんだけど、しっかり食べ過ぎてしまって何か悔しかったな。

そんなわが家の餅つきも、餅がいっぱいあっても食べきれないという理由でいつのまにかやらなくなった。おせち料理も作らなくなったし。スーパーは元旦から営業するようになったし。「静かで退屈なお正月三が日」がなくなったのも、その頃だった気がする。

で、現在に戻って熱いふけたばかりのもち米が臼に投入されて、それを待ち構える私。最初は体を使ってもち米を潰す。そうそう。この感じ。最初にもち米を潰すのが大変なんだよね。思わず「この最初に米を潰すのが大変なんですよね」と口をついて出る。軽く息を切らしながら、杵を小刻みに動かす。うん大変だ。餅つきって結構つらい作業なんだよね。楽しいことは楽しいけど。そうそう。一度父親の都合か何かで正月に帰省できなかったことがあって、そんなときでも祖父から伸し餅と大福が送られてきた。「ええ?じいちゃんだけで搗いたの?すごいね」。父が「ほら。この辺もち米が粒のままや。途中でダウンしたんやろ」。じいちゃん無理したなあ、と二人で笑ったこともあった。

そうか。じいちゃんが死んでもう10年か。孫の顔を見せたかったなあ。と再び杵を振り上げて。

向こうで子供が餅を丸めながら、どうすればいいの?と妻に聞いて、妻が大福の作り方を教えてる。餅を搗く動作に気合が入る。

そしてふと思う。あ。おれ「お父さん」になってるわ。いや、餅搗かなくっても父は父なんだけどさ。子供にとって特別な存在って意味で。そんな感慨がする年末の餅つき。
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