顧客に迷惑を掛けてしまった時の罪悪感に、どう対処するか。システム構築の仕事をする時に、大事な課題です。
罪悪感を強く感じてしまうタイプの人は、その感情にドライブされてハードワークにのめり込み、体か精神を壊してしまうという結果にハマりやすいといえるでしょう。
そこまでいかないまでも、何となく「何でオレがこんな目に・・・」「知るかよ!」的な感情に囚われ、モチベーションが下がったり、訳もなく顧客に悪い感情を持ってしまうこともあるかと思います(顧客だって同じことを言いたいんですが、そこまで気が回らなくなるんですね)。
罪悪感をあまり感じずに、モチベーションを維持できる人は非常にお得です。私も常日頃そうなりたいものだ、と思っているのですが・・・
以上の説明では、分かる人には分かるかも知れませんが、分からない人には何のことだかさっぱり分かりませんね。もう少し具体的に書いてみましょう。まず、迷惑を掛ける原因の方です。
【ケース1】「自分の書いたソースにバグがあってシステムが止まってしまった」時の罪悪感。
→ まあ、私に関して言えば、この場合に割とまっとうで適切な罪悪感が得られますね。なんと言ったって自分が書いたものが問題を引き起こして周りに迷惑を掛けた訳ですから、自分で責任を取りたい。
体調を崩さない限り、出来るだけ努力して修正して、必要であれば徹夜も辞さない、ということを、モチベーション維持しながら遂行できるような気がします。
当然、懲罰的な徹夜待機とか、出来るだけ無意味な作業は勘弁して欲しいということはありますが、それでもまあ仕方がないか、と納得できます。
【ケース2】「自分の部下(指導する後輩)の書いたソースにバグがあってシステムが止まってしまった」時の罪悪感。
→ 他人(隣接プロジェクト|他社|他チーム)のバグならば極端なとばっちりはないので、ケースからは除外します。こちらで再テストが発生したとしても「お互い様」というのが大人の対応でしょう。
そうではなく、直接自分が手を下したわけではないが、強めの連帯責任が発生するパターンです。
この場合は「後輩のミスの後始末を助けてやるいい上司(リーダー|先輩)」というイメージを無理矢理自分に重ねつつ、心の中では部下に「このやろー」と思いつつ、何とかモチベーションを維持する、といったところでしょうか。部下から一言「ありがとうございました」あるいは「ご迷惑をお掛けしました」と言って貰えれば「俺も昔は失敗したもんだ」などと余裕の対応できると思います。
【ケース3】「第三者が開発したが、それを引き継いでしまい責任を追うことになったプログラムに(略)」時の罪悪感
→ 前任者のソースコードを引き継いで管理しているようなケースです。
前任者が自分と同じ会社の人間かそうではないかによって微妙に異なりますが、前任者の顔が見えている分【ケース2】よりも気が楽ではないでしょうか。「やらなきゃならないことはやるけど、俺の書いたソースじゃねーし」みたいな感覚です。罪悪感がない分「なんで俺が」というのはあるかもしれませんが、周りも事情は理解しているでしょうから、そう無体なことは言われないような気がします。やらなければならないことを淡々と進める感じですね。
【ケース4】「第三者から提供されたが、こちらで責任を負わなければならないプログラムに(略)」時の罪悪感
→ ケース3と違い、第三者の顔が見えないパターンです。具体的にはプロダクトの障害や、多くの開発メンバーを束ねるゼネコンのリーダーやマネージャにとってのプログラム障害がこれに該当します。
プロダクトと一口に言っても、OS、Oracle、WebSphere、DB2、WebLogic などいろいろなものがあります。これらを扱っている、いわゆるインフラ構築SE、基盤SEが時折直面する障害です。障害が発生したけれども、それは自分やプロジェクトチームで作成した個所ではない。じゃあ誰の書いたコードで障害を出しているんだ、と言えばどこにいるかも分からない見知らぬ他人です。開発拠点はアメリカか。はたまたインドか中国か・・・。しかし、その障害の責任は現場で取ることになるのです。その責任の取り方(取らせられ方)も、誰が、という具体的な個人名ではなく、法人名になってくるのが普通です。法人名で個人が責任を取らされるわけです。
リーダーやマネージャーにとってのプログラム障害も同様です。一応自分のチームで作っていることになってはいるが、実際のソースなんか見たこともない(スキルを問題にしているのではありません。数千本のソースを全て見て理解できるわけがない)。せいぜい特徴的な設計とテストケースの概要と、これまで起きた障害を把握している程度、上等なプロジェクトマネージャと言えましょう。それでもプロジェクトで障害が発生して、大問題になる。「知らねーよ」とは口が裂けても言えない。これも、プロダクトの障害と似ていて、個人ではなく、法人名で責任を追及されてしまうパターンです。
【まとめ】
やはり一番きついのが4のケースでしょう。自分がコントロールできたわけでもない障害について、法人名で責任を問われるのですから。
障害が発生してがっかりしている顧客に申し訳ないと思いつつ(中には張り切っている顧客もいるかもしれませんが)、自身の罪悪感を何とかマネジメントしなければなりません。
恐らくは適度な罪悪感が必要なのでしょう。過度に思いつめると、行き着く先は肉体的/精神的ダウンです。あまりに罪悪感がなさすぎると、顧客からは信頼されなくなります。
顧客の立場は理解した上で、障害対応に必要なモチベーションは保持しつつ、不安に駆られた顧客からの、理不尽な対応は適宜断るなり、有効なものを逆に提案するなりできる、そんな適度な精神状態になりたいものです。
(続く・・のか?)
モットーは「健全な精神は健全な胃腸に宿る」「生きてるあいだは上機嫌」
主張として「原発は営利企業に任せるべきでなく、もんじゅは絶対に廃炉!」「税金には気をつけろ!」
もう一つ、福島原発作業員の方々ならびに早野先生に国民栄誉賞を。
サブ・ブログという位置づけで、細々更新しています。
2008年2月27日水曜日
2008年2月25日月曜日
技術の変遷とその弊害(2)
技術の変遷がセールスパーソンというフィルタを通ると、ある滑稽な状況を生み出します。
それは、技術があたかも魔法のソリューションのように語られるようになることです。もちろん顧客の誰もそんな売り文句を全て信じているわけではないでしょう。しかし、それを生み出す方は必死です。世の中を見回せば、ある技術が「とても素晴らしい」ものであり「顧客の抱える問題を見事に解決する」ものであるキャッチフレーズに溢れているようです。曰く、複雑怪奇な環境で行る非効率なビジネスプロセスを革新して、目覚しい生産性をもたらす。あるいは、そこかしこに散ったビジネスロジックを統合して業務の効率化だけではなく運用体力の軽減を実現する。あるいは企業の意思決定を迅速に行えるようにし、国際競争力を強くする、などなど。
しかし、そのセールストークが指すのがEJBであったり、SOAPであったり、Web Servicesであったりすると、エンジニアとしては苦笑せざるを得ません。一体この技術の何が/どこがお客様のプロセスを革新するのか、と。
恐らく、このような新しい技術を利用して、業務を革新することは可能ではあるでしょう。しかし、それは多分EJBやSOAPを使わずともできるはずです。それにEJBを利用して業務革新が出来たということは、必ずしもEJBを利用すれば業務革新ができる、ということを意味しません。技術は手段に過ぎないのです。
このようなことを言うと、技術なんてどうでもいいのか、と批判されてしまうかもしれませんが、そうではありません。
技術が変ることによって、人が活性化します。ITシステムを作るのは結局のところ人ですから、人(特に若い人)が楽しめる、夢中になれる技術は必要です。そのためには技術は常に変って行く必要があると思います。
そういう意味では、ピントが外れたようなよく分からないセールストークも、新しい技術をお客さんに売り込むためには必要です。買ってもらえなければ、その技術も使われることがありませんから。
問題は、大風呂敷を広げる営業が技術を理解していないことではなく、現場を左右する意思決定を行う人が技術に疎い、という状況が広がることです。
技術を理解していなくてもマネジメントは出来る。システムの運用が出来る。そういう言葉が大手を振っているのが現状です。それは決して間違いではない。Javaのシステムを理解し、意思決定するために、必ずしもJavaのコーディングが出来る必要はありません。C言語でもCOBOLでも、何らかの開発経験があればアナロジーによって理解はできるし、意思決定もできるでしょう。
しかし、その「技術を理解していなくてもマネジメントができる」「システムの運用ができる」というスローガンの下には、実は暗黙的な過去の技術の蓄積があるのではないでしょうか。Javaは知らない。知らないけれどシステムの上流設計は出来る。だからJavaの知識は不要だ。本当でしょうか。COBOLやC言語の知識があるから、Javaで実装するシステムの設計ができるのではないでしょうか。
Javaやそこから派生した新しい技術が進化する度に、暗黙的な過去のノウハウに依存した「新しい技術を理解しなくてもよい」という思い込みが、どんどん時代遅れになってくるような気がしてなりません。さすがに今さらJavaを勉強して欲しい、などと言うつもりはありません。昔の技術でも何でもよいのです。とにかく現在のシステムを理解しようと努力すること。現在のシステムが人によって作られていることを理解すること。その努力がなければ、これからもどんどん現場とマネジメント層が乖離して行くことになるのではないでしょうか。現場とマネジメントが無理解によって乖離して行けば、理不尽な意思決定が行われることも増えますし、それにつれて現場のモチベーションも下がって行きます。
技術が変って行くその背景を見つめ、適切に理解し、セールストークに踊らされず、現場をきちんと理解すること。これらのことが重要になってくるだろう、と私は思います。
それは、技術があたかも魔法のソリューションのように語られるようになることです。もちろん顧客の誰もそんな売り文句を全て信じているわけではないでしょう。しかし、それを生み出す方は必死です。世の中を見回せば、ある技術が「とても素晴らしい」ものであり「顧客の抱える問題を見事に解決する」ものであるキャッチフレーズに溢れているようです。曰く、複雑怪奇な環境で行る非効率なビジネスプロセスを革新して、目覚しい生産性をもたらす。あるいは、そこかしこに散ったビジネスロジックを統合して業務の効率化だけではなく運用体力の軽減を実現する。あるいは企業の意思決定を迅速に行えるようにし、国際競争力を強くする、などなど。
しかし、そのセールストークが指すのがEJBであったり、SOAPであったり、Web Servicesであったりすると、エンジニアとしては苦笑せざるを得ません。一体この技術の何が/どこがお客様のプロセスを革新するのか、と。
恐らく、このような新しい技術を利用して、業務を革新することは可能ではあるでしょう。しかし、それは多分EJBやSOAPを使わずともできるはずです。それにEJBを利用して業務革新が出来たということは、必ずしもEJBを利用すれば業務革新ができる、ということを意味しません。技術は手段に過ぎないのです。
このようなことを言うと、技術なんてどうでもいいのか、と批判されてしまうかもしれませんが、そうではありません。
技術が変ることによって、人が活性化します。ITシステムを作るのは結局のところ人ですから、人(特に若い人)が楽しめる、夢中になれる技術は必要です。そのためには技術は常に変って行く必要があると思います。
そういう意味では、ピントが外れたようなよく分からないセールストークも、新しい技術をお客さんに売り込むためには必要です。買ってもらえなければ、その技術も使われることがありませんから。
問題は、大風呂敷を広げる営業が技術を理解していないことではなく、現場を左右する意思決定を行う人が技術に疎い、という状況が広がることです。
技術を理解していなくてもマネジメントは出来る。システムの運用が出来る。そういう言葉が大手を振っているのが現状です。それは決して間違いではない。Javaのシステムを理解し、意思決定するために、必ずしもJavaのコーディングが出来る必要はありません。C言語でもCOBOLでも、何らかの開発経験があればアナロジーによって理解はできるし、意思決定もできるでしょう。
しかし、その「技術を理解していなくてもマネジメントができる」「システムの運用ができる」というスローガンの下には、実は暗黙的な過去の技術の蓄積があるのではないでしょうか。Javaは知らない。知らないけれどシステムの上流設計は出来る。だからJavaの知識は不要だ。本当でしょうか。COBOLやC言語の知識があるから、Javaで実装するシステムの設計ができるのではないでしょうか。
Javaやそこから派生した新しい技術が進化する度に、暗黙的な過去のノウハウに依存した「新しい技術を理解しなくてもよい」という思い込みが、どんどん時代遅れになってくるような気がしてなりません。さすがに今さらJavaを勉強して欲しい、などと言うつもりはありません。昔の技術でも何でもよいのです。とにかく現在のシステムを理解しようと努力すること。現在のシステムが人によって作られていることを理解すること。その努力がなければ、これからもどんどん現場とマネジメント層が乖離して行くことになるのではないでしょうか。現場とマネジメントが無理解によって乖離して行けば、理不尽な意思決定が行われることも増えますし、それにつれて現場のモチベーションも下がって行きます。
技術が変って行くその背景を見つめ、適切に理解し、セールストークに踊らされず、現場をきちんと理解すること。これらのことが重要になってくるだろう、と私は思います。
技術の変遷とその弊害(1)
IT業界ではどんどん技術が移り変わって行きます。
昔のホスト中心の構成、一昔前のクライアント・サーバー構成、そして現在のJavaアプリケーションサーバが中心になった三層Webアーキテクチャ構成。
この遷移が、何を背景として進んできたのか。それには例えば以下のような理由があるでしょう。
■ ハードウェアの進歩
安価なハードウェアが普及したことによって、リッチなクライアントを展開しやすくなったこと。
→ ホストからクラサバへ。
コストと比較して、相対的にサーバの処理能力が向上したため、サーバでロジックを実行できるようになったこと。
→ クラサバから三層アーキテクチャへ。
■ インターネットの普及
インフラとしてのインターネットが一般化し、その上で稼働させるアプリケーションの実行環境が整ってきたこと。(Java Webアプリケーションサーバ、PHP、Ruby)
それによってイントラネットでもWebアプリケーション実行環境が利用されるようになった。
→ クラサバから三層アーキテクチャへ。
上記の他にも理由はいろいろありそうですが、ここで少し根本的な問いを立てて見ましょう。
それは「なぜ、ソフトウェアが変らなければならなかったのか」という問いです。
ソフトウェアの技術の変遷と軌を一にして、環境が変ってきたことが分かりました。どちらかと言えば環境が先に変化し、それに伴ってソフトウェアの状況が変ってきたように見えます。この流れは不自然ではありません。ハードウェアの変化は('ハード'らしく)硬直的です。つまり、ソフトウェアに合わせてハードウェアが変るよりもハードウェアの変化に合わせてソフトウェアが変る方がよほど自然だからです(一部の例外はありますが)。
しかし、ここでもう一度問いを立ててみましょう。「ハードウェアが進歩したからといってソフトウェアは本当に変らなければならなかったのか」。
実はここには必然的なつながりはないのです。ホストの処理能力が向上したのなら、ホストで稼働させるアプリケーションもそのまま早くなります。ハードウェアを置き換えて、アプリケーションをそのまま稼働させればよい。
クラサバも同様です。クライアントが早くなれば、そのままクライアントアプリケーションの処理が早くなる訳ですから、単にリプレースすればよい。
ソフトウェアが変化しなければならないのは、主に二つの理由からです。
一つは技術を活性化すること。技術を新しくすることによって、新しい人材をひきつけることができます。また、若い技術者は昔の技術に早晩慣れてしまい、それを改善したがります。彼らは学習意欲が活発で、また吸収も早い。この場合ソフトウェアの変化は、ソフトウェアの改善に結びつきます。
もう一つはビジネス上の理由です。新しいビジネスを作り出すために、ソフトウェアを変化させるのです。これをさらに二つに分けてみます。
一つは、いわゆるプロダクトのバージョンアップです。プロダクトに新しい機能を付け、バグを修正してリリースします。このサイクルを進めることで、昔のバージョンのサポートを切ることができます。サポートを切れば、サポートに必要な人体力を別の仕事に振り分けることができますし、顧客にはバージョンアップ費用を要求することができます。
使いもしない機能を売りつけるのか、とか、バグを直しただけの製品に新たに金を取るのか、という意見もあるかもしれませんが、ソフトウェアビジネスとしてはやむを得ない流れでしょう。
もう一つのタイプは、セールスのための新技術開発です。これは実体としてはプロダクトのバージョンアップと一体になっています。新しい技術はこんなに素晴らしく、お客様の問題を解決するものだからぜひ買ったらいいよ、という提案に結びつきます。
(続く)
昔のホスト中心の構成、一昔前のクライアント・サーバー構成、そして現在のJavaアプリケーションサーバが中心になった三層Webアーキテクチャ構成。
この遷移が、何を背景として進んできたのか。それには例えば以下のような理由があるでしょう。
■ ハードウェアの進歩
安価なハードウェアが普及したことによって、リッチなクライアントを展開しやすくなったこと。
→ ホストからクラサバへ。
コストと比較して、相対的にサーバの処理能力が向上したため、サーバでロジックを実行できるようになったこと。
→ クラサバから三層アーキテクチャへ。
■ インターネットの普及
インフラとしてのインターネットが一般化し、その上で稼働させるアプリケーションの実行環境が整ってきたこと。(Java Webアプリケーションサーバ、PHP、Ruby)
それによってイントラネットでもWebアプリケーション実行環境が利用されるようになった。
→ クラサバから三層アーキテクチャへ。
上記の他にも理由はいろいろありそうですが、ここで少し根本的な問いを立てて見ましょう。
それは「なぜ、ソフトウェアが変らなければならなかったのか」という問いです。
ソフトウェアの技術の変遷と軌を一にして、環境が変ってきたことが分かりました。どちらかと言えば環境が先に変化し、それに伴ってソフトウェアの状況が変ってきたように見えます。この流れは不自然ではありません。ハードウェアの変化は('ハード'らしく)硬直的です。つまり、ソフトウェアに合わせてハードウェアが変るよりもハードウェアの変化に合わせてソフトウェアが変る方がよほど自然だからです(一部の例外はありますが)。
しかし、ここでもう一度問いを立ててみましょう。「ハードウェアが進歩したからといってソフトウェアは本当に変らなければならなかったのか」。
実はここには必然的なつながりはないのです。ホストの処理能力が向上したのなら、ホストで稼働させるアプリケーションもそのまま早くなります。ハードウェアを置き換えて、アプリケーションをそのまま稼働させればよい。
クラサバも同様です。クライアントが早くなれば、そのままクライアントアプリケーションの処理が早くなる訳ですから、単にリプレースすればよい。
ソフトウェアが変化しなければならないのは、主に二つの理由からです。
一つは技術を活性化すること。技術を新しくすることによって、新しい人材をひきつけることができます。また、若い技術者は昔の技術に早晩慣れてしまい、それを改善したがります。彼らは学習意欲が活発で、また吸収も早い。この場合ソフトウェアの変化は、ソフトウェアの改善に結びつきます。
もう一つはビジネス上の理由です。新しいビジネスを作り出すために、ソフトウェアを変化させるのです。これをさらに二つに分けてみます。
一つは、いわゆるプロダクトのバージョンアップです。プロダクトに新しい機能を付け、バグを修正してリリースします。このサイクルを進めることで、昔のバージョンのサポートを切ることができます。サポートを切れば、サポートに必要な人体力を別の仕事に振り分けることができますし、顧客にはバージョンアップ費用を要求することができます。
使いもしない機能を売りつけるのか、とか、バグを直しただけの製品に新たに金を取るのか、という意見もあるかもしれませんが、ソフトウェアビジネスとしてはやむを得ない流れでしょう。
もう一つのタイプは、セールスのための新技術開発です。これは実体としてはプロダクトのバージョンアップと一体になっています。新しい技術はこんなに素晴らしく、お客様の問題を解決するものだからぜひ買ったらいいよ、という提案に結びつきます。
(続く)