2009年4月2日木曜日

鬱の時とそうじゃないとき

しばらく鬱状態だったのが、最近になって復活してきました。

鬱のときの記憶がまだ残っているので、世界の見方がガラッと変わったことがよく分かります。

まず何でもないようなことが嬉しい。嬉しいと言うほどではないとしても、少なくともイヤだと言うには抵抗がある感じです。例えば昼休みに何食べてやろうとか、あれ勉強しておかなきゃ、とか、そんな些細なことでも前向きに取り組めます。一方、鬱の時は楽しいことは何もありません。無理やり楽しみを見つけるとか、そういうケナゲな努力が必要となります。実際、愛少女ポリアンナ(あるいは小公女セーラ?。なつかしー)じゃないけど、毎朝良かった探し/良くなるだろう探しをしてから自分を元気付けて出勤することになります。

ネガティブな感情も、鬱の時は内にこもって自らを刺す棘となりますが、回復すると我慢もできるしジョークにして笑い飛ばすことだってできる。

それから新聞に躍るセンセーショナルで嫌なニュース。鬱の時はそんなニュースのタイトルを見るたびにイヤな気分がしてなかなか消えませんが、回復するとすぐ忘れることもできるし、却って自らの恵まれた環境に感謝してこれを守っていこうと、前向きに考えることができる(人の不幸は蜜の味じゃあありません)。

酒量や食べる量の制限も鬱じゃないときのほうが比較的やりやすいですね。

こういう風に書いてみると、やっぱり「鬱=現実を深刻にとらえる」「通常状態=現実を前向きにとらえる」という精神状態の違いが分かります。

意地悪く言えば、通常状態は「臭いものにはフタ。自分を大事にして能天気に生きる」とも言えますね。しかしまあ、これはしょうがないでしょう。

吉行淳之介がどこかで鬱の時は本当に苦しかったし、回復できてよかったと思うが、今でもふと鬱状態で見たものや考えたことが正しかったと思うことがある、という旨のことを書いていましたが、分からんでもないです。

私の好きなニーチェの言葉で言えばやっぱり「生きるために必要な誤謬としての真理」ってとこでしょうね。

まあ、そんなところで。
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