2009年9月15日火曜日

ネット右翼とか

衆議院選挙のときにWebを巡回していると、とにかく目についたのはアンチ民主党と麻生擁護の書き込みでした。民主党の政策の不備をついたり、アジア寄りの方針をバカにしたり、あるいは麻生の業績を強調したり。短絡的であさはかな書き込みだけでなく、中にはしっかり考えられた指摘もありまして、そういった書き込みは多分自民党の工作員なのでしょうが、とにかく保守的な意見が非常に目につきました。それを見ていた私には、マスコミの報道通りに民主が圧勝するとも思えず、意外と民主は伸びないんじゃないか。少なくとも300議席を越えることはないだろう。と予測していました。しかし、蓋を開けてみればマスコミの予想通り民主の圧勝。意外に思うと同時に、ネットで声の大きい意見ってのもこんなもんなんだな、という感慨を持ちました。

つまりネットの右翼的な盛り上がりは実は一部のユーザに限られているんだけど、現れとしては大きく見えてしまう。言い換えるとネット上の意見の広がりが必ずしも実際のユーザ数の広がりには結びつかない、ということです。一部のユーザが共鳴し増幅しているだけの可能性が高い。

もちろん、そのような一部のユーザの共鳴が、他のユーザを巻き込んで行く可能性もある。しかしネット右翼(保守?)の主張にはそれほどのパワーはなかったということでしょう。むべなるかな、という気がします。今回の事象は、私には以下のことを示すように思えました。

1 少数派によって支持される意見がネットの匿名性によって増幅し、あたかも一大勢力を成したかのように見える場合がある

2 Webを見ている人は案外冷静である(選挙結果より)

1はともかく、2には言い過ぎかも知れません。今後の印象次第では変わる可能性があります。

1はネットの面白い特徴です。ネット右翼の主張がスカッた今回、情報の発信元であるネウヨが嘲笑の対象になってしまいましたが、マイノリティの意見が増幅するというネットの構造、つまりネットのパワー自体が否定されたわけではありません。別のマイノリティの意見が増幅され、ポジティブな動きを作り出す可能性があるのですから。確かにネットで増幅する意見には、浅はかだったり、ウケねらいの面白いおかしいもの、くだらないものが多い。でも中には傾聴に値する意見もあります。だから、浅はかなアジテーションや短絡的なバッシングが氾濫するからといってネットユーザーはバカか暇人だと決め付けるのは、勿体ないことだと思います。その決め付けに一抹の真理を感じるにやぶさかではありませんが。

ネットのバカバカしさや醜さ、弱さ、欲望、悲しさetcを、私はどうも簡単に突き放して見ることができません。そこに病に近いものを見るからか。あるいは単なるセンチメンタリズムか。それは分かりませんけれども。

確かにネットは時間の無駄だと思う(本当に実感します)ことは多いです。しかし、バカだと切り捨てるのは違うような気がします。

まあ、そんなことをウダウダ考えるんじゃなくて、いっそアサヒコムとか日経ネットあたりしか見ないという使い方が一番効率的な気もしますけどね。

しかしiPod経由の長文投稿は文章がギクシャクしますかね。もう少し慣れないとな。

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