若い頃からファッションにはほとんど関心がありません。そこそこの定番ブーツ、定番ジーンズ、定番シャツを買うだけ。すなわち頭はまったく使わない。金もさほど使わない。特にユニクロが定番化してから顕著になりました。安い。かつ特徴のない汎用的デザイン。モノによっては品質もいい。おまけに、ユニクロってワリと行ったり買ったりするのが楽しいんですな。だからもう、ホント何も考えずにユニクロ一本。そんなファッションライフです。
それに、そもそも最近は「もうモテなくていいや」って思ってる。すなわちファッションにこだわる原動力の根源が失われてしまったわけ。んで、ぼーっと外に行く服を着たら妻に「ちょっとあんた!何それ。やめなさいよ!チノパンにジャージは無理!」とか「いや、その上下が黒ってないわ。ありえない」とか言われる。ええ?そうなん?よく分からんけどな。という状態です。言われて、しみじみ鏡を見て、ま、変といえば変?でもためらわずに外行っちゃうけどな?とちょっとヤバめ。つーか普段鏡すら見ないし。みたいな。
ちなみに妻は地味系なんですけどそれなりに服には気を使っています。パート先やボランティア先などでナニゲに服装がチェックされてしまうのだそうだ。思い起こせば、ママトモさんたちを見てもオシャレな人が多いようです。ということで、妻はもともとMuji指向、ゆる系指向の人でさほど服には気を遣わないんですけど、最低限みっともなくない格好をしようと努力している模様です。
私もまあ、興味はないことはないんです。例えば美容院に行ってメンズノンノ読むのは楽しいですね。おお。君ら本当に細いなあ。何だ?そのカッコ?半ズボンにストッキング?それがカッコいいの?モテるの?とか。私より2、3才上の美容師さん(若く見える。おしゃれ。二児の父)も「昔は金掛けましたけどねえ。今はユニクロにRight’on重ねるくらいっすよ」などとおっしゃる。そうっすよねえ。ファッションに頭も金もかけてらんないっすよ。いかんせんおっさんにはコストパフォーマンスが悪すぎる。つーか似合う服がない。それだったらユニクロのチノパンにユニクロシャツでええよ、と。
で、例によって話は唐突に展開しますが、この間うさとという手織り系、草木染め系の服のブランドの、展示会に行ったんですね。展示会と行っても、普通の民家の二階でやってるみたいな、6畳と4.5畳をつなげた程度の小さな会場です。この「普通の民家」というのはほとんど比喩ではありません。一階を店舗に改造した木造の一軒家。一階は自然食品、自然系服飾品を扱っている小さなお店です。マクロビオティックとかヨガとか(ヨガはなかったかな)東洋医学とかそれ系です。そんな店の二階。店の小上がりで、子供がちゃぶ台でおやつ食べてる。そんな和み系のお店です。
この「うさと」の服。妻が一着持っていて、なかなかセンスがいいんです。ぱっと見地味なんだけど、不思議とおしゃれ。ダサくない。流行とは一切無関係でありつつ、銀座あたりを散歩してもしっくり来る感じ。ということで「うさと」の展示会、あんたも来る?と妻に誘われて当日。
妻とチャリ漕いで行ってみたら、お姉さん・おばさんパワー充満な感じの店内でした。NPOとかボランティアに取り組むおばさん、お姉さんをご存知ならお分かりかと思うんですが、みなさんコミュ力(りょく)があって、ある価値観(あるいは弱い使命感)で結びついてて、女性だから人間関係が強力で厳しそうですが、前向きで足が地についたポジティブさ、たくましさがあるっていうか、そんな雰囲気。
で、そんな熟女パワーの渦巻く雰囲気の中、ノンポリ(ポリシーなし)のおじさんであるわたしが、ふらふら服を眺めるているんですが、これがなかなかおもしろい。まずユニクロに並んでる商品とモノが違う(当たり前だ)。デザインは当然ちょっとユニクロやRight’on、バーバリー、NewYoker(要するにデパートやイオン等の複合ショッピングモールに入ってるような店舗)では見られないタイプ。アジアっぽい感じです。でも、奇を衒った安物っぽい雰囲気は全然ない。タイやベトナムの金持ちおじさんが着ている感じかなあ。でも、タイ・ベトナム風というわけではなく中国山間部と日本の田舎、インディオも入ってる感じ。汎アジアチックとでもいいましょうか。それでいてシルエットもいい感じです。腹の出たおじさんにも似合う型あり、ウェストラインすっきりという型もあります。しかも、ナチュラルな癒し系でありながら洗練されている。
気になるお値段は、ユニクロに比べれば高い(当たり前だ)けど、デパートに入ってるようないわゆるブランドの商品からすると全然リーズナブル。具体的にはシャツとパンツが一万円~一万七千円くらい。コートが二万~。高いけど手が出ないほどではない。
でも、ちょっとあれかな、オレ、もうモテなくてもいいし。とワリと他人事な感じで服を眺めてたら、手の空いたコーディネーターさん(?)がいらっしゃって、わたくしにいろいろ「うさと」の服を着せてくれたんですね。まいったなあ、こういうの慣れないし、照れるなあ、などと思いながらも上下を何着か試着していると、だんだんと着心地だとかデザインだとかが、もの凄く気に入ってきたんです。着ていて楽だ。動きやすい。デザインもおもしろい。太ってても痩せてても似合う服だし。うん。これ、いいじゃないすか。妻からもあんたなかなか似合ってるわよ。森に住んでる人みたい。とお声がかかる。へぇ。そうかな(照れ)(褒められてるんか?)。コーディネーターさんからも「宗教関係の人みたいですね」とコメント頂いたり(多分褒められてない)、気分は盛り上がる一方。結局上下セットを3万弱で購入してしまいました。
で、家に帰って子供に着替えて見せて「ムササビ!」などとポーズを取ってウケを狙ったんですけど、そんなことはともかく気に入った服があるっていうことは楽しいものだなあ、と久しぶりに思った次第です。そういえば遠い昔にもこのワクワク感があった記憶があります。もはやハッキリとは思い出せませんが、それは多分小学生時代ではなかろうか。勝手に「カコイイ」と思い込んでいた服。それは例えばただの黒いシャツだったり(子供心に黒がカッコよかった)とか、初めて買ってもらったボストンバッグとか。服やバッグ(あるいはアーミーナイフ)にワクワクして、モノから貰ったエネルギーを燃やして生きていた子供の頃。
ずいぶん年をとったけれど、小学生のころと同じように服にテンションをあげてもらったり、服から元気をもらうことができるのだなあ。
小学生から大人になる途中で、結局オレなんかそんなに服似合わんやんけ。とか所詮「布」やんけ、とか、物事を即物的に捉え始めてからは、あまり惹かれなくなったモノ(服)についての情熱が、再び湧き上がってきたこと、そしてその対象が服飾であったということは、子供時代の気持ちを思い出すとともに、このオレが服に興味をもつとは、何か「わたくし的歴史」におけるちょっとした革命のようだなあ、という感慨もあり、なかなか興味深い心境の変化だと思っています。
もう一歩下がって反省してみると、どうも最近物欲が旺盛である、という警戒心もありつつ、でも物欲を楽しみながら生きていると、それはワリと楽しいから、これはこれで結構なことではないか、と思ったりもする今日この頃であります。
0 件のコメント:
コメントを投稿