天才てれびくんに出ていたKARAという韓国アイドルグループに夢中のわが子たち。そうか。天てれにも韓流アイドルが出る時代か。と感心しました。一昔前は韓国って遠い国でしたね。遠いというか関心が向かない。私の身近に韓国の人がいなかった、ということもありますが。あるいは、むしろ「在日」などと言って差別の対象だったりしますね。残念ながら今でも。
しかし、こうして韓国のアイドルが入ってくるのは基本的にはよいことではなかろうか、と思います。地理も近いし経済交流もある。あっちにはいろいろ恨みはあるのでしょうが、若い世代に移り変わりながら、よい方向に向かったらいいんじゃなかろうか。
ただ、なぜ韓流?という疑問はあります。韓国のアイドルがどいうしてわざわざ日本に来てるんだ?日本も不景気で勢いがないのに。韓国のアイドルが活躍することで、日本のアイドルのシェアが奪われているということもあろう。
ということで、妻と話したりしてちょっと考えてみました。
一つはやはりプロデューサーというか仕掛け人みたいなのがいて(電通?)韓流アイドルを売り込んでいる、ということ。なぜ電通がそうするのかまでは分かりませんけどね。多分商売になるからでしょう。
もう一つは残念ながら日本のアイドルに魅力的な人材がいないからではなかろうか。
一昔前の(今でも現役ですが)安室奈美恵みたいな強力な人材がいないんじゃないか。妻によれば「KARAはダンスがカッコいい。ちゃんと芸がある」とのことです。日本語もちゃんと話してるしね。ひるがえって日本のアイドルに「芸」をもった人材がいるのか。(って偉そうでだしお前はどうなんだと言われると返す言葉もなくて申し訳ないけれど)AKB48とKARAを比べたら、どうにも後者の方が光って見えるわな。比べる方が悪いのか、売り出す方が悪いのか。
まあ、そんなこんなで、よく分からないけど芸能界も硬直化しちゃってるんじゃないかねえ。だってAKB48だぜ?おっさんの産物でしかないやんか。既得権益というか、いわゆる「大物」みたいなのが仕切っているが故に、活力が失われている、そんなことがあるんじゃなかろうか、などと愚考したり。
モットーは「健全な精神は健全な胃腸に宿る」「生きてるあいだは上機嫌」
主張として「原発は営利企業に任せるべきでなく、もんじゅは絶対に廃炉!」「税金には気をつけろ!」
もう一つ、福島原発作業員の方々ならびに早野先生に国民栄誉賞を。
サブ・ブログという位置づけで、細々更新しています。
2010年12月15日水曜日
多即一、一即多
西田哲学の多即一、一即多が分かったような気がしました。
考えてみれば、生物なんてのは数十億の細胞という「多」の「一」じゃないですか。すなわち、多即一、一即多とは個としての生物に他ならないわけで。あるいは地球規模で考えた時の「生命」だって、個としての生命が生まれ、生み、死んで行く、その一連の流れに支えられた統一である。すなわち多即一、一即多なわけです。
この一と多との関係ってのは、絶対にお互いが相容れない。私という存在は毛髪細胞ではないし、肝臓を構成する細胞でもなければ、皮膚の細胞でもない。逆に各々の細胞は私という存在ではない。しかしながら、無数の細胞が「私」というものを構成している。絶対に相異なるものが、統一されている。だから絶対矛盾的自己同一なわけ。考えてみれば自然なことなのですな。
その統一がどこにあるかと言えば「一」にも属さないし「多」にも属さない。そういう意味で「無の場所」において成立するというのが西田哲学の肝ではなかろうか、と思うのであります。さあ。面白くなってきた。
考えてみれば、生物なんてのは数十億の細胞という「多」の「一」じゃないですか。すなわち、多即一、一即多とは個としての生物に他ならないわけで。あるいは地球規模で考えた時の「生命」だって、個としての生命が生まれ、生み、死んで行く、その一連の流れに支えられた統一である。すなわち多即一、一即多なわけです。
この一と多との関係ってのは、絶対にお互いが相容れない。私という存在は毛髪細胞ではないし、肝臓を構成する細胞でもなければ、皮膚の細胞でもない。逆に各々の細胞は私という存在ではない。しかしながら、無数の細胞が「私」というものを構成している。絶対に相異なるものが、統一されている。だから絶対矛盾的自己同一なわけ。考えてみれば自然なことなのですな。
その統一がどこにあるかと言えば「一」にも属さないし「多」にも属さない。そういう意味で「無の場所」において成立するというのが西田哲学の肝ではなかろうか、と思うのであります。さあ。面白くなってきた。
2010年12月14日火曜日
Ubuntu geditの「開く」ダイアログで邪魔なフロッピーアイコンを消す
Ubuntu 標準エディタのgeditなんですが、開くダイアログになぜかフロッピーアイコンが表示されていて、うっかり突つくとエラーポップアップが出て結構神経に触るわけです。フロッピーなんか使ってないよ!
というわけで消す方法。
$ sudo vi /etc/fstab
[sudo] password for XXXX:
して、
/dev/scd0 /media/floppy0 auto rw,user,noauto,exec,utf8 0 0
の行を以下のようにコメントアウトするだけ
# /dev/scd0 /media/floppy0 auto rw,user,noauto,exec,utf8 0 0
です。
というわけで消す方法。
$ sudo vi /etc/fstab
[sudo] password for XXXX:
して、
/dev/scd0 /media/floppy0 auto rw,user,noauto,exec,utf8 0 0
の行を以下のようにコメントアウトするだけ
# /dev/scd0 /media/floppy0 auto rw,user,noauto,exec,utf8 0 0
です。
2010年12月13日月曜日
多摩川で釣り
普通は晩秋~冬には釣りに行く人は少ないです。寒い季節は概して魚の活性が低く、敢えて釣ろうというのなら腕前と慣れと根性がいるから。やはり釣りはシーズンに行くべき。しかし、考えてみると、これまで何度か発作的に釣りに行ったのは、なぜか釣れない時期であることが多い。何でかなあ、と思い返してみたら、釣りのシーズンというのはピクニック、おでかけシーズンでもあり、外に行ってお弁当食べるだけで楽しいのですな。特に「釣り」などというイベントを設ける必要はないわけ。ただ外に行ってお弁当食べるだけで楽しいわけ。だから、敢えて釣りに行かなくてもダイジョブなわけ。
ということで、最近あまり外出できていないため、イベントを設定して敢えて外出しました。すなわち、釣り。釣れないのは覚悟の上で多摩川へ。また、私は気合を入れるためにてフライフィッシングの入門セットを敢えて購入致しました。
このあたり、難解(イミフ)な論旨ですが、わたし的には筋が通っているのです。要するに、最近子供を連れて外出してないから、外出の理由づけが必要。ということで、外出イベントとして「釣り」を、しかも自分には「フライフィッシング」というムチャ振りを課してみたわけ。そうでもしないとテンションが上がらないから。しかも妻は体調があまりよろしくないのと、用事があるため留守番。大人一人、子供お二人というかなり厳しいシチュエーション。カモン?って感じ。
さて。冬の多摩川で何が釣れるか。小物エサ釣りならクチボソとかハヤあたりは何とか期待できるかも。フライフィッシングでは、理論上はハヤとかオイカワ、コイあたりがイケるのでしょうが、土地勘も経験も少ない私には釣果がほぼ絶望的。まあ、そこは覚悟の上で、フライロッドを振る練習と割り切りです。子供には何とか魚を釣らせてやりたいなあとは思いますが、子供も釣れることは期待していない様子でした。これまで数回釣りに行ったけど、一度も釣れなかったからね。坊主(一匹も釣れないことをこういう)には慣れてる模様です。
ということで、釣りです。妻にはおにぎりとちょっとしたお弁当を作ってもらいました。まずは新宿へ。相変わらず混雑している新宿駅を、二人の子供の手を引きながら気がついたやや痛恨のカメラ忘れ。しょうがないね。釣れたら携帯でお魚の写真を撮ろうね。と上の子がなぐさめてくれました。
小田急線に乗り換えて、多摩川付近の駅に到着。案外近いんじゃない?少なくとも昭和記念公園よりは近そうだぞ。これは通えるかも。心強いことに釣り人さんは結構大勢いらっしゃいました。もっとも、皆さんヘラ歴ウン十年とか鯉歴ウン十年とかいったツワモノぞろいのようでしたが。
しかしざっと川を眺めたところ、どうも手近なところに魚の気配はなし。近くに小物の魚影が見えて欲しいんだけどなあ。子供にも扱えるようにということで、わが家の竿は短い。あまり奥は攻められないのです。魚が明らかにいないところに釣り針を入れてもなあ。
ま、しかたがない。何はさておき仕掛けを竿に付け、練りエサを付けて川に投入。ウキを眺めながらおにぎりを食べました。しかしまあ、正直釣れる気はしませんでしたね。気配で分かる。見れば分かる。仕掛けのあたりに魚がいないもの。子供も、さっさと釣りには見切りを付け、川沿いで探検ごっこ。川にだけは落ちるなよ、と幾度も厳重注意。一応着替えは持ってきましたし、小学生+川で遊ぶと言えば足踏み外してドボン事故が当たり前なので、平常心で対応したいものの、その後の苦労を思えばやはり落ちてほしくはない。
その後数時間。やはり当たりはまったくありませんでした。私は黙々とフライフィッシングの練習&ときおり練りエサのチェック&交換。子供はひたすら河原で遊んでいました。フライを振り回す私の周りでドタドタ走ったり、仕掛けを絡ませたり、私の服に針を刺してみたり(取るのに凄い苦労した)、イライラすることもありましたが、ふと空を見上げれば多摩川の秋晴れ、広い空。ゆったりと流れる多摩川。怒るなんてもったいない。清々しいいい気分を満喫。
魚の気配がないまま、15時頃に竿じまい。駅でおやつにお団子を食べました。そう言えば周りのヴェテランおじさんたちを見てもさほど釣れている気配はなかったから、わりと暖かかったとはいえ釣れない日だったのでしょう。でも、子供は川のそばで一日遊んで充分楽しかった模様。また釣りにこようね。今度は絶対釣ろうね。と帰りの電車の中で誓い合ったのでした。
ということで、最近あまり外出できていないため、イベントを設定して敢えて外出しました。すなわち、釣り。釣れないのは覚悟の上で多摩川へ。また、私は気合を入れるためにてフライフィッシングの入門セットを敢えて購入致しました。
このあたり、難解(イミフ)な論旨ですが、わたし的には筋が通っているのです。要するに、最近子供を連れて外出してないから、外出の理由づけが必要。ということで、外出イベントとして「釣り」を、しかも自分には「フライフィッシング」というムチャ振りを課してみたわけ。そうでもしないとテンションが上がらないから。しかも妻は体調があまりよろしくないのと、用事があるため留守番。大人一人、子供お二人というかなり厳しいシチュエーション。カモン?って感じ。
さて。冬の多摩川で何が釣れるか。小物エサ釣りならクチボソとかハヤあたりは何とか期待できるかも。フライフィッシングでは、理論上はハヤとかオイカワ、コイあたりがイケるのでしょうが、土地勘も経験も少ない私には釣果がほぼ絶望的。まあ、そこは覚悟の上で、フライロッドを振る練習と割り切りです。子供には何とか魚を釣らせてやりたいなあとは思いますが、子供も釣れることは期待していない様子でした。これまで数回釣りに行ったけど、一度も釣れなかったからね。坊主(一匹も釣れないことをこういう)には慣れてる模様です。
ということで、釣りです。妻にはおにぎりとちょっとしたお弁当を作ってもらいました。まずは新宿へ。相変わらず混雑している新宿駅を、二人の子供の手を引きながら気がついたやや痛恨のカメラ忘れ。しょうがないね。釣れたら携帯でお魚の写真を撮ろうね。と上の子がなぐさめてくれました。
小田急線に乗り換えて、多摩川付近の駅に到着。案外近いんじゃない?少なくとも昭和記念公園よりは近そうだぞ。これは通えるかも。心強いことに釣り人さんは結構大勢いらっしゃいました。もっとも、皆さんヘラ歴ウン十年とか鯉歴ウン十年とかいったツワモノぞろいのようでしたが。
しかしざっと川を眺めたところ、どうも手近なところに魚の気配はなし。近くに小物の魚影が見えて欲しいんだけどなあ。子供にも扱えるようにということで、わが家の竿は短い。あまり奥は攻められないのです。魚が明らかにいないところに釣り針を入れてもなあ。
ま、しかたがない。何はさておき仕掛けを竿に付け、練りエサを付けて川に投入。ウキを眺めながらおにぎりを食べました。しかしまあ、正直釣れる気はしませんでしたね。気配で分かる。見れば分かる。仕掛けのあたりに魚がいないもの。子供も、さっさと釣りには見切りを付け、川沿いで探検ごっこ。川にだけは落ちるなよ、と幾度も厳重注意。一応着替えは持ってきましたし、小学生+川で遊ぶと言えば足踏み外してドボン事故が当たり前なので、平常心で対応したいものの、その後の苦労を思えばやはり落ちてほしくはない。
その後数時間。やはり当たりはまったくありませんでした。私は黙々とフライフィッシングの練習&ときおり練りエサのチェック&交換。子供はひたすら河原で遊んでいました。フライを振り回す私の周りでドタドタ走ったり、仕掛けを絡ませたり、私の服に針を刺してみたり(取るのに凄い苦労した)、イライラすることもありましたが、ふと空を見上げれば多摩川の秋晴れ、広い空。ゆったりと流れる多摩川。怒るなんてもったいない。清々しいいい気分を満喫。
魚の気配がないまま、15時頃に竿じまい。駅でおやつにお団子を食べました。そう言えば周りのヴェテランおじさんたちを見てもさほど釣れている気配はなかったから、わりと暖かかったとはいえ釣れない日だったのでしょう。でも、子供は川のそばで一日遊んで充分楽しかった模様。また釣りにこようね。今度は絶対釣ろうね。と帰りの電車の中で誓い合ったのでした。