2009年11月12日木曜日

塩野七生「ローマ人の物語」途中経過

★★★★★☆:歴史って面白い

やはり面白い。順調に読み進めています。と言ってもまだ文庫三冊目ですけど。文庫版は薄いのでテンポがいい。

さて。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という警句があります。私はこれが昔から気にいらなかった。経験をバカんすんなよ。経験から学ぶのも簡単じゃねーぞ。

たまたま歴史を趣味にしている人が、後出しじゃんけんで、上から目線で言うセリフ。それがこの警句だと思ってました。なんか偉そうだ。悔しい。

まあ、そうは言っても歴史も大事だから、ということで今回は真摯に歴史チックな本を楽しんでいるんですが、身も蓋もないことを言えば、昔から持っていた私の直感は正しかった、と今のところは思っています。つまり「愚者は云々」は間違い。あくまで人は経験から学ぶのであって、歴史から何を学ぶかは学ぶ人次第だ、ということ。愚者が経験に、賢者が歴史に学ぶというのはあまりにも傲慢。というかレベルが低い警句だと言わざるを得ない。

歴史とは、学ぶ人がおのおのの見出したいものをそこから発見して、都合良く解釈できてしまう、そんな非常に柔軟で多義的な対象だと思います。確かに見事な解釈は存在し得ます。でも愚かしい解釈だって充分にありえる。歴史をどう解釈するか、そして歴史から何を学ぶかは、学ぶ人にかかっている。誰かが歴史から学んだからといってその人が賢者だということにはなりません。当たり前のことですが。

結局、ある歴史の一時点の意思決定が次の時代にどういうことになるか。最終的に正しいかどうか、なんて絶対に分からないのです。だって人間には未来は分からないから。もちろん、明らかな愚行はありますよ。でも、歴史は明らかな愚行と、明らかな正しい行いばかりで成り立っているわけではない。

しかし歴史を都合良く解釈する人にはそうは見えない。あの時の決断は誤っていた。なぜなら云々。事後的に見ると評価は実に容易。歴史上の出来事を自らの価値観で並べてそこに因果関係を見出していると、歴史の流れは必当然的に見える。

ホレミタコトカ。これと似た事例は過去にもあった。そのときも同じような意思決定がなされ、同じような失敗をした。なぜ歴史から学ばないのか。云々。似てる。同じ。それもまた価値判断です。恐らくは逆の事象もあったに違いない。でも歴史から学べという高慢な人には、自分に都合の悪い史実は見えていない。

そしてこううそぶくのでしょう。愚者は経験から学び賢者は歴史から学ぶのだ、と。

愚者が経験から学ぶのではない。人はありありとした経験からしか学べない。あるいは経験こそが人の礎となる。経験とそれに裏付けられた抽象化された体系がなければ、歴史の解釈なぞそもそも不可能です。

自由平等博愛というフランス革命的理念や、あるいはキリスト教的価値観が透けて見える西洋史解釈には馴染めなかった、と言う塩野さんのセンスは正しいと思います。やはり、人は経験や社会にを背景としたバイアスを持っている。歴史よりも先に経験があるのは間違いないと私は思います。

結論として、歴史というのは非常に肥沃な研究対象であり、それは疑う余地がありません。注意しなければならないのは、自分がそこから何を見出そうとしているが。そこから何を学ぶか。一歩下がって反省しておかないと、歴史解釈なぞ単なる自分勝手な手前味噌に終わってしまう、ということです。

まあ、単なる警句に腹を立てもしょうがないのでこの辺で。

話を変えます。

勉強になったのはリパブリックとデモクラティックの語源。デモクラティックは民主、リパブリックが共和という日本語。民主はよく分かる。でも共和が分からん。共に和する?何のこっちゃ。違和感ありまくりでした。でも、この本を読んでスッキリ!

なるほど。民主が皆で皆のためになることを考えよう主義。民衆を信じる主義。共和(リパブリック)は皆(パブリック)のためになることを考えるから任せてくれ主義。民衆を信用しない主義。そういうことだっのか。今さらながら一つ勉強させていただきました。

この本は面白いです。もう少し若いころに出会えてたらなあ、と思いました。歴史に「もし」はないのけれど。

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