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2012年3月23日金曜日

まだまだ支援が必要なのだと心する。

katukawa: イオン陸前高田分店は、仮設で営業中です。 http://t.co/xze0a9n0

それはそれとして、今週末、定例の(明日で二回目)早野先生への寄付をしよう。

hayano: 皆様,御寄付感謝.http://t.co/ItBDnRnj 給食検査やホールボディカウンタの精度向上に活用させていただきます.(寄付窓口→ http://t.co/MEHT9ok6

2012年3月15日木曜日

katukawa: 「陸前高田市の空っぽの図書室を本でいっぱいにしようプロジェクト」は、好きな本を蔵書にしてくれるのが、おもしろいですね。目標金額を達成したようですが、まだ受け付けているようです。 http://t.co/fqDVyW6D

これは個人的にツボったので、早速10,000円寄付。



本はお任せで。

こういう具体的な寄付はいいですね。うむ。

2012年3月11日日曜日

3・11から一年。犠牲者の方々に黙とう。

朝の更新(3/11)

本日は3・11。長かったような短かったような1年。

個人的にも、東北方面への支援ってできてないよなあ。と反省してみる。

食材、酒を買う時に、いわゆる「食べて、飲んで支援」というバイアスを掛けて選択しているものの、そもそも日本酒自体頻繁には買わないし、食材もどれほどの支援になっているのかと。なるたけ金銭以外で、具体的に支援できないもんかね。とはわれながら生々しい思いである。

復興国債でも買うか?ってまた金か。しかも当方あまり公務員に期待してない。もちろん、真面目で優秀な公務員の方がいらっしゃることは疑っていないが、組織としてのパフォーマンスはどうか。

セキュリテ被災地応援ファンドは顔が見える&投資目的が明瞭でかなりいいアイデアだと思うけど、いまいち惹かれないのはなぜだろう・・・。ハイブロウ気味な店舗が多いからだろうか(主観)・・・。(妻はお菓子関係に出資したらしいが)

ま、いいや。とりあえず検討は継続だ。

・・・

・・・と、くだらない方面に方向転換。

物欲とかについて。

銀座ユニクロに行ってみたい。UUをチェックしたい。

そろそろ休業するとかいう神田万惣でホットケーキを食べてみたい。

とは思いつつ、メンドクセー感が先に立つんだよな。ぶっちゃけたところが。

せっかくの休みだし、テンション上げて行きたいのだが。

Wii。

バーチャルコンソール懐かし過ぎ。女神転生、ファイナルファンタジー、ぷよぷよ、スターフォースとか、500円~で買えるのはかなりの魅力だ。我慢できるけどな。はは。(スーパーマリオ3、初代FFを購入でトータル1,000円)

節酒。

ロギング&金額で計測するのが極めて有効。「強度の酩酊まで突っ走る」飲酒スタイルが変わってきました。軽い酩酊疲れ(?)を覚えた辺りでストップできてます。

以上。

2012年1月7日土曜日

あーこりゃいいや(被災地支援)

セキュリテ被災地応援ファンド (昨日酔って更新してリンク間違えてた)

下手したら赤十字社に出すよりいいんじゃねーか。

マジで検討予定で。

2011年11月29日火曜日


石巻震災復興期間限定商品

高橋徳治商店より

「3・11はまだ終わらない。」

瓦礫とヘドロ、そして破壊された三工場と自宅を前にただ立ちすくんでいた私たち。

余震が続き不安な中、青森から九州までの500人余の皆さんが半年もの間、泥をかぶり汗を流し、背中を押していただき、ただただ頭が下がります。

ここに多くの皆さんの温かい思いが今ようやく形になりました。

たった一つの生産ラインですが、変わり果てたこの地に新しい未来を作るための第一歩、涙を越えて笑顔をそえて「アリガトウ」をお送りします。


生活クラブ生協、パルシステムで購入できます。

ええと。これ自然に美味いっす。
クセが全くありません。

レンチンで温めるとか、トースターで軽く炙ってそのまま食べるもよし。
おでん、煮物に入れるとなお美味い。

2011年5月10日火曜日

本日の気は心(5/10)

特上まころん。
宮城県は仙台市の渡辺製菓さんのお菓子です。
近所のスーパーの東北応援フェアで購入。まあ、気は心ですわ。

「食べたい」というよりも「買わねば」って感じで購入。
食べることはあまり考えてなかったんですが(オイ)、これを発見した妻が「あら。いいもの買ってきたわね」と嬉しそう。
名代だったんですな。
そうなん?ということで一口食べてみたら、ピーナッツの風味が効いて大変美味かったです。
ウィスキーに合うと思われる。マジです。

どうやら「まころん」って仙台の銘菓らしいですね。いろいろあるみたい。
そんなに高くもないので、見つけたら定期的に買ってもいいかも。

2011年5月5日木曜日

執務室まで歩いてみる(2011/5/5)

東日本大震災の際に執務室に泊まって以来、一回家から執務室までのルートを踏破せねばならんな。と思っておりました。で、本日。チャレンジしてみたその結果は!?

・・・

ま、さっさと結論をいえば、ダメでしたね。
新橋で膝の痛みに負けました。
直線距離で18kmくらいだから、20kmは歩いてるでしょう。
まあ、こんなもんか。と納得できる結果でした。

さてさて。写真の整理です。

家を出たのが10:30頃。
まずは新青梅街道。

練馬から杉並に入る手前です。→ Google map(以下GM)
この辺では「道を確認するんなら、自転車でも良かったんじゃね?」などという悪魔の囁きに悩まされております。

GM
井荻環八の辺り。

GM
新青梅街道から旧早稲田街道に入ります。
体力的には全然大丈夫も、これからどうなるんだろう?どこまで行けるんだろう?と不安な気持ち。

GM
西武新宿線は下井草駅。

GM
地図の距離感がつかめず、旧早稲田通りでちょいと迷ったところ。
ユニクロがあります。

GM
想定通り川があって安心。

GM
新旧早稲田通り合流地点。

GM
早稲田通りと中杉通りの交差点手前にて。

GM
杉並消防署 阿佐ヶ谷出張所にて。
東日本大震災
東京消防庁緊急消防援助隊 437隊 2758名
杉並消防署から 12隊 52名
平成二三年四月十一日現在 派遣活動中

心で敬礼。

GM
中野区の看板。
この後メモを落として50mほど後退のち前進。

GM
環七大和陸橋。

GM
JR高円寺。12:00頃。
コンビニでトイレをお借りしてパンを購入。
「さほど疲れず。右足首が少し気になる」というメモが残っており。

GM
ようやく青梅街道。12:15頃撮影。
遠かった・・・。しかし、まだまだこれからなのだ・・・

GM
中野通りまで300m。

GM
中野通りと青梅街道の交差点。ひたすら歩く。

GM
山の手通りまで200m。

青梅街道は、車が多いことを除けば楽しかったですね。
いろんな店があるし、活気がありました。

GM
よどはし。新宿区入り。
ここからガラッと雰囲気が変わります。

GM
野村ビルの辺り。

GM
お馴染みODAKYU HALC、ビックカメラ。

東口に抜けるまで、結構迷いました。

GM
新宿通り。
「おしゃれオヤジが散見される」とのメモ。
目指せ。おしゃれオヤジ。

GM
新宿御苑。
さすがに疲れてます。


御苑入り口にて食事。
非常事態っぽい食事を選びました。炭水化物多めで。

美味かったです。
新宿御苑インフォメーションセンターにてトイレを拝借。
食堂からカレーの美味そうな匂いがしてました。
「13:35 一休みして元気。モチベーション復活。休暇と栄養は大事」
「13:40 じきに弱る」
とのメモ。

GM
新宿通りの続き。四谷に出ています。

「13:50 ひざが気になる。少し前から」

GM
新宿通りと外苑東通りの交差点。

「小さな公園で遊ぶ二人の子(小2、3?)子供には厳しい町だ」とのメモ。

GM
外堀通りと新宿通りの交差点。

この辺で「新橋が限界だな」と妻にメール。膝が痛かった。

GM
弁慶堀。


釣り堀。少年がルアーを木に引っ掛けて格闘中でした。

GM
赤坂見附手前。

GM
溜池山王。新橋の文字が見えます。

GM
外堀通りと六本木通りの交差点。

GM
霞ヶ関中央官庁案内。
・・・あれ?桜田門?実は道を間違えております。
50mほど離れた外堀通りに復帰。

GM
新橋はSL広場。
15:00ちょうど。家を出てほぼ四時間半です。
時速4km強。
高橋尚子さん。あんたスゲーよ。

いやー疲れた。淡々と写真アップするだけで疲れた。

膝の痛みがなければ、あと1時間くらい歩けたんですけどねー。
充分ゴールを狙えるはずだ。

歩き方がなってないんだな。ちょっと研究の余地あり。
それから、最初飛ばしすぎました。ペース配分が、大事。

水は一滴も飲みませんでした。トイレには行ったけど。
不思議だ。体質はあるでしょうね。

あと、体調はしっかり管理せねばなあ、と思いましたね。
胃腸が相変わらずややすっきりしない。休みだからと油断しているのう。歩くときに気になりました。

ぜひぜひ、リベンジしたいと。

30km先を目標に歩いてみたらどうなるかと

本日は、執務室まで徒歩で歩いてみようかと思っております。
直線距離でほぼ25Km。
実際のところは30km弱でしょうか。
迷子にならないよう、また災害時も通れるよう、大きな道を選ぶ必要があるためです。

東北地方太平洋沖地震の時は、わりと早い段階で家族の無事が確認できましたし、道わかんねーし、遠すぎるし、ってことであっさり腹を据えて会社に泊まることができました。
翌日には交通機関が復旧してましたしね。まったく問題なし。泊まり正解。

しかし、イザというとき徒歩で帰れないというのはちょっとマズいかなあ、と。
妻が近所でパート的に働いているので、子供だけ取り残される事態こそ考えにくいものの。
連絡が取れない、交通機関が2日動かないとアウトですしね。

あの時頑張って歩いて帰宅したお父さんお母さん方は、やはり家族が、子供が心配だということで、道もよく分からないまま、帰宅の途に着かれた人も多かろう。実際、小学校でも深夜までご両親を待っていた子供たちがいたらしい。どうも他人事ではありません。

しかし、30kmか。うーん。
「30kmだったら高校の時遠足か何かで歩きましたよ。早い奴は2時間台でしたね」と、かつて陸上部だったという美容師さん(わたしより2、3こ年上)。
わたし)  「高橋尚子なら・・・」
美容師さん)「1時間台ですね」
わたし)  「30kmか・・・」
美容師さん)「この年になるとキツいっすよね」
わたし)  「そうっすねー」

などと一抹の不安を覚えつつ、本日。

やってみるかと。
持ち物は、地図、水筒、携帯、iPod、財布のみ。
地図でルートを検討するとテンション上がりますね。

後は、ムリをしない。新宿、皇居辺りで様子見て、ヤバそうだったらアッサリ諦めます。
足を痛めて残りのG/Wをおシャカにしたくありませんからね。

さてさて。そろそろ行ってきます。

2011年4月27日水曜日

ボランティア、寄付のガイド

正直、わたしは現地には行けませんけど。残念ながら。

hayano: 【更新:官邸HP 支援をお考えの方へ】「大型連休を利用してボランティア活動への参加をお考えの方へ」など.http://bit.ly/gniREk

有益な情報が載っております。ボランティア以外での貢献(寄付など)の情報もありますね。

ちゃんと仕事している官僚もいる、と。

ウチももういっちょ検討しようかな。

2011年4月18日月曜日

時事チェックストップから4、5日

ちょっと落ち着いてきたかなあ。

「もうニュースチェック止めた!」と決意した頃。時事に一喜一憂で、ほとほと疲れてました。

いや、俺が泣こうがわめこうが、事態が好転するわけもなし。福島の方々に何かプラスがあるわけでもなし。でも、分かっちゃいるけど止められない。あいも変わらず、怒っては涙を流す毎日。

今もまあ、少し引きずってますが。

そんな半パニック日常も、ちょっとは、本当に少しだけ、落ち着いてきたかな、という気がしないでもありません。

もう少し、もう少し。

落ち着け、落ち着け。

2011年4月16日土曜日

今日のお酒(福島産)

今日は何のお酒にしよっかなー。と食材を探しに行ったスーパーにて。

やはり東北地方、太平洋側のお酒。と思って探していて、浦霞発見。奥の松発見。しかし、このレベルのお酒を呑みつづけるのは財布に厳しいなあ(気持ち的には呑みたいんだけど。美味いから)・・・と紙パックコーナーにて。

あ。これ・・・


福島のお方だったんですね。

地図で確認したところ、おそらくさほどの被害は受けなかったと思われる地域(本当はどうか分かりません。ただの推測)。

でもまあ、福島は福島。こちらを頂こうかと。

以前からわりと愛飲していたお酒です。パックにしては上出来の方。若干薄いんですが、スッキリ美味い。冷やでおいしく頂けるお酒。日本酒の王道たる(とわたしが信じる)ぬる燗にはキビしいですが。

暖かかった本日は、このお酒を冷やで頂こう。

2011年4月14日木曜日

宮城のお酒 浦霞

今酒呑みにできること。

それは、酒を呑むこと。

しかも、楽しく。



吉田類さん 東日本大震災義援イベントのお知らせ
合い言葉は「我々酒呑みにできることは、楽しく笑って酒を呑むことだけだ」
なんつーか。酒呑みなら分かって頂けることかと思います。

どーせなら、福島周辺のお酒。

ということで、福島在住の方のブログでご教示頂いた以下の酒
(福島) 磐城壽 金寶 あぶくま(中通り)
(宮城) 愛宕の松 乾坤一 日高見 墨廼江
を求めてスーパー、酒屋に行ってみたんですが、無いもんですねえ。

とりあえず福島、宮城のお酒を探して、今回ゲットしたのはこちら。


浦霞です。公式ページ。再建に向けて大変なご努力をなさっておられます。

微力ながら、及ばずながら、福島、宮城の酒を呑むばかり。

ただ、無心に、楽しく、そして有難く呑むこと。それがせめてもの気遣いか。

2011年4月11日月曜日

2011年4月6日水曜日

わたしなりの支援(福島産、茨木産)



福島産の酒「あだたら吟醸 奥の松」。2008・2009モンドセレクション連続金賞受賞とのこと。

マジうめーっす。本醸造なのに香りがよい。旨味がありつつわたし好みの辛口。

いや、製造年月がさ、今年の二月なワケですわ。安全なのが当たり前。今年の四月以降の製造でも飲みますよ。ここに宣言しておく。また買おう。

この酒蔵の人は、泣いてるんじゃないか。頼むから自殺するなよー。俺が飲むから。

あとは茨城産のトマト。近所のスーパーでは普通に売れてる模様。安くないし。これはちょっと安かったですが。

以上。ささやかながら、支援。こんなことでも少しは支援になるんですからな。やるしか。

2011年4月3日日曜日

二つの大震災を経験して

阪神大震災の時、学生だった私は京都で下宿していました。

当時早朝バイトをしていたので、地震発生の瞬間は起きていました。パイプベッドに寄りかかってボケーッとテレビを見ていた時、「ガン!」という大きな音とともにミシリ!とアパート全体が大きく揺れたことを覚えています。でも、余震はほとんどなし。一回、ドカンと来ただけでした。

外に出たら大家さんがアパートを点検していました。「大丈夫だった?」「はい。凄い揺れでしたね」

バイトから戻ってテレビを点けると、そこに映されていたのは神戸の惨状。止まるところを知らない死亡者の数。テレビを見ながら、これは大変なことになった、と唖然としました。友人や、友人の友人から、兄弟が大怪我をしたとか、冷蔵庫が吹っ飛んで来たとか、窓を開けたら高速道路が倒れていたとか、そんな話を聞きました。

しかし、東日本大震災と比べて、阪神大震災の方が精神的ショックは明らかに小さかった。

その理由はいろいろありそうです。

今回の方が被害が大きい。高層ビルでの数分間にわたる揺れ+余震は、阪神大震災の揺れの恐怖を大幅にしのいだ。原発が制御不能になった。

でも、阪神大震災と東日本大震災とで一番違うのは、わたしが年を取ったということに尽きると思います。

昔は失うものがなかった。ことに実家が遠かった下宿生としては。でも、今は家族がいて、マンションがあってローンがある。津波に押し流された街や、子を失った親、親を失った子を見聞するのは相当な苦痛である。

昔は「オレが死んでいたかもしれない。オレが今生きているのは、たまたまなのだ」という事実を容易に受け入れられた。今は「子供を残したまま死ぬわけにはいかない」と思ってる。

昔は働かなくても少なくとも飢えることはなかった。今は子供を食べさせる必要がある。

昔は一人で生きていた。今は、いろんなものを支えながら、支えられながら、生きている。

昔は「チキショー。ナメんなよ」と悪態をつきながら生きていた。今はまわりの顔色を見ながら、生きている。

振り返ってみて、どっちが正しいとも言えないんじゃないか。そんな風に思いました。

若い頃は張り詰めた気持ちで、ギリギリのところで生きていた。

今、その気持ちを取り戻したって別にいいじゃないか、と。

人生、守りだけじゃつまらない。

希望は残った。

希望は、消そうとしなければ、消えないんだ。

やるべきことはまだまだある。

まだまだ!

2011年3月31日木曜日

そろそろ平常状態に戻ろうかな、と

正直、まだ自分なりの「オトシマエ」はついてないんですけどね。

東北関東大震災。福島原発事故。数週間ではとても受け入れられない。「そういうことがあった」という事実を飲み込むのに、まだまだ時間がかかる。特に原発事故には人災という側面もあって、容易に飲み込めない。喉に引っかかってしょうがない。悲しみだけではなく、怒りや憤りが収まる気配がない。

でも、そろそろ落ち着かなければいけんなあと思います。

子供たちのためにも、何より自分のためにも。

以下、不謹慎かもしれません。

閲覧注意かもしれません。基本、スルーでお願いします。

わたしの好きな吉行淳之介氏が常に心に抱いていたという言葉。

「死んだやつは死なしておけ おれはこれから朝飯だ」

とにかく、生きていかなければならない。生きていくためには、食わなければならない。数多くの友人、知り合いを戦争や原爆で失くした吉行氏の言葉。

「こんな時によく食えるな。オレなんか胸がいっぱいで食べられないよ」などと言いつつ、みな飯はしっかり食っているんです。それが人間なんだ。

「自粛すべきだ」などとエラそうに主張しながら、日常を上滑りしている。

それだったら、しっかり二の足で立って、美味いものを食って、美味いぜ!と感じた方がいいんじゃないかと。

どうせ、人の命一つ救えやしないんです。だったら、死んだ人の分だけ、ありがたく朝飯を噛み締めてやろうと。

それが、生きているわれわれの勤めじゃなかろうか。

そう思えるまで、強くなろうと。

2011年3月26日土曜日

枝野さん、頑張れ!

官邸、眠れぬ城…枝野氏奔走・影薄い首相

わたしよりほぼ一回り上の方ですな。

連日連夜、記者会見を行う枝野幸男官房長官(46)にも、さすがに疲労の色がにじむ。政府のスポークスマンとして、震災から2週間で計41回をこなした。未曽有の国家危機のただなかで、国民にわかりやすく、信頼できる情報を伝え、不安を広げないようにしないといけない。よく見ると、会見中、額には玉のような汗が浮かんでいる。

読売がこの記事を書いているのがまた泣かせるわ。

遅ればせながら精神的支援!頑張ってください!

忘れないために・・・

東日本大震災:津波憎い 入学目前、孫さらわれ 気仙沼

入学に備え、夫婦は緑ちゃんに、欲しがっていた水色のランドセルをプレゼントした。緑ちゃんはとても気に入り、自慢げに背負ってみせた。勉強机も発注したが、その机が届く前に地震が来た。
・・・
 「朝、目を覚ますと、いるはずの緑がいない。それがつらい」と大崎さんは声を詰まらせる。ランドセルも鍵盤ハーモニカも筆箱も、みんな流された。「なぜあの時、すぐに逃げなかったのか」と何度思ったことか。ツタヨさんは「何もいらない。緑に帰ってきてほしい」と繰り返した。

2011年3月25日金曜日