モットーは「健全な精神は健全な胃腸に宿る」「生きてるあいだは上機嫌」
主張として「原発は営利企業に任せるべきでなく、もんじゅは絶対に廃炉!」「税金には気をつけろ!」
もう一つ、福島原発作業員の方々ならびに早野先生に国民栄誉賞を。
サブ・ブログという位置づけで、細々更新しています。
2013年3月20日水曜日
やはり・・・
あるいは「そういえば、確か晩冬~初春は鬱の季節だったっけ?」と気が付いて、昔のブログを読み返す。
どちらも正しい。表裏一体の気づき。
仕事場と人間関係が変わっただけじゃなかったんだな。
人間って、本当にもろいもんだな、と思います。
こういう厄介な感覚を背負うことなく、ストレートに生きられる人もいるんだろうけどね。
そういう人たちは、一等地に100平米の土地を相続したくらいのアドバンテージがあるよな。などと思っても詮無い話で。
あるもので頑張るしかないのよ。
などと思うのです。
以上。
2012年4月17日火曜日
2012年4月16日月曜日
朝の更新(4/16)
今は全然平気でイッテQの録画を見てやがる。でもまあ、昨日遊園地で相当歩いたから勘弁してやろう。
鬱から脱却?とか前向きに考えようとしてて、実際気分は上向きではあるのだけど、そんなに簡単に気分転換ができるわけもなく。
今朝は、以下のような軽度の悪夢を見て嫌な気持ちで起床。
・大手町の乗り換えで苦労
・トイレで苦労
・橋下が選挙で圧勝
適宜、お財布にやさしい&周りにあまり迷惑をかけないストレス解消を織り込みたいなと。
具体的には、遅出・早退・ラーメン?悪事を働く意識を意図的にプロデュース。よく分りませんが。
ま、本日も頑張ろう。
2012年4月12日木曜日
朝の更新(4/12)
不機嫌(定例の鬱?)から脱出しつつも、いまだに完全復活ではありません。
まあ「上機嫌を志向しよう」と思えるだけマシ。
やっぱアレですよ。季節の変わり目ですよ。体調に気分が連動しているに違いない。睡眠の質も悪いし(冬の延長では厚着な気がするけど、これ以上薄着にすると冷える・・・)
本日も勉強・読書・仕事を頑張ろう。
2012年4月9日月曜日
2011年2月17日木曜日
なんか鬱じゃないっぽいかも
単なる疲労だな、こりゃ。アルコールの注入が効いたということもありそうですが、アル中ではない(一歩手前?)のでまあ、よしとしよう、と思いました。
まだもう少し仕事の疲労が溜まってるみたいだから、慎重にしようっと。
以上。
2011年2月16日水曜日
鬱?
というわけで、どうも「鬱?」っぽい現象が観察される昨今。
睡眠時間は十分。体調もさほど悪くない。でも何となく疲れが取れない。機嫌が悪い。イライラがすぐ表に出る。周りにキツいことを言ってしまう。空気が読めなくなる。これってわたし的には鬱の兆候なんですが、最近こんな感じです。どーもオカシイ。
ま、鬱といっても、会社にどうしても行きたくないとか、日常生活に支障をきたすとか、そういうことは幸いありませんけれど。
原因らしいことを考えてみたんですが思い当たるのが3点。
1.鬱の周期がやってきた。
2.最近結構神経を使う仕事があって心身ともに疲れた。(ホント)
3.最近酒を減らしたため、抑うつ症が出て来た
どれもありそうなんですが・・・、3番が一番臭いと個人的には思ってまして。
アルコール中毒の人が節酒/断酒すると、抑うつ症になる、ということをどっかで聞いたんですね。オレはアル中だったか。まさか・・・でも、実はそんな気もしてました・・・と思って、Webのアル中自己診断をやってみたんですが、ギリギリ引っかからない。「飲まない日はない」は該当するんですが、「朝も昼も酒を飲む」とか「酒が原因で人間関係/家族関係をこじらせたことがある」とかが該当しないのでかろうじて大丈夫?な感じ。油断はできないんですけどね。
30代に入ってから、このままのペースで酒を飲みながら歳を取るのはヤバイ、と思っていたので、酒の量が減るのはウェルカム。
というわけで、ちょっと代休などを取ってゆっくり休みつつ、様子を見ようかと思ってます。
2010年6月3日木曜日
じわじわと鬱を脱しつつ
前回、鬱が始まると人を見て不愉快になるようだ、という旨のことを書きました。
最近、鬱を脱却しつつあるのですが、しかし人を見て不愉快になるのはさほど変わらぬ。でも、鬱の時と明らかに違うのは、不愉快になってもそれが怒りとか鬱屈した感情に直結しないこと。軽い嫌味は言うものの、重くはならない。周りの雰囲気も柔らかくなる。これはホント。鬱のときは、なるべく私も押し殺してはいましたが、周りも緊張していたというか、微妙に腫れものに触るような雰囲気があった(まあこれはこれで有難いことかも知れぬ)。鬱から抜け出てつつある最近は、周りの雰囲気も緩んでいる気配がある。やはり対人関係というのは、ライプニッツの言う窓のないモナドの予定調和というよりも、主客未分の因果・縁起の世界なのではないだろうか、とそんなことを考えます。
2010年5月23日日曜日
鬱脱却気味 2010/05
今から思えば今回の鬱の初期症状は、むやみに不機嫌であった、そのことでした。
なんか人の顔を見れば腹が立つ。特に仕事。最近私も丸くなって、あまり「アノヤロー」とかしつこく思わなくなったのですが、それにしても、なんとなく腹が立つ。そんな感じです。
不機嫌になってくると、なるたけ目を合わさないように話すとか、そんな挙動不審な態度だったのではないか、と思います。やはり仕事仲間だから、むやみにチームの人間に当たるわけにはゆかぬ。勤めて、なるべく笑顔で働いておりました。
それから酒量が増えた。というか酒が美味く感じるようになった。
平行して眠りが浅くなっていった。
この辺、どちらが原因かはわかりません。
(1)ストレス → (2)酒がうめー → (3)眠りが浅い
上記、(2)、(3)あたりは因果関係がはっきりしない。ほとんど同時じゃなかろうか。
では(1)ストレスの原因は何か。それはもう辿れません。体調が原因かもしれぬ。となれば、ひょっとしたら
(3)眠りが浅い → (1)ストレス(耐性が落ちる) → (2)酒がうめー
すなわち鶏と卵。どちらが先か。というか、最近改めて感じるのですが、直線的な時系列での因果関係というのは完全に間違いですね。誤謬。幻想。そんなものはありゃしない。世の中そんな簡単じゃねーよ。ああすればこうなる。そんなのウソだ。大ウソ。縁があって因がある。縁によって起こり、因によって果が生じるのです。まさに因縁。成るべくして成るのだ。
それから、これも事象としてはパラレル(すなわち単純な因果ではなく、縁によって起こったもの)ですが、禅と仏教に非常に興味を持ち始めた。このブログをたどれば4月の上旬からその傾向が見られます。で、最近ひろさちやさんの著作にはまってますが、それと同時に鬱を脱しつつある。これもまた縁でしょう。単純な因果ではなかろう。人生不思議なものでございます。
2010年5月11日火曜日
うん。鬱かもしれない
最近どうも朝早く目が覚めてしまってひょっとしたら鬱じゃないかしらん、などと考えていたのですが、これはどうも本当に鬱じゃないか、と思い始めました。これが一週間~ひと月くらい続くのか。。。まあ、私の場合はそんなに深刻な症状じゃないんですけどね。タブンね。
鬱になると嫌なニュースが目につくし、読んだら読んだで嫌な気分になる。自分と周りの人間にむやみと腹が立つ。
それから不思議と酒が美味く感じられる。でもこれは前向きな現象ではなくて、体が酒による逃避を求めているわけです。すなわち酒量が増え、酔って寝るから睡眠不足が増え、さらに心身の疲労が溜まるという悪循環。
人生とは苦である。すなわちそもそもマイナスである。だから、別に苦を恨む必要もなく、自己を無にしてゆったりと生きればよいのですが、これもまた鬱だとなかなかしんどい認識です。
もう少し我慢だ我慢だ。少なくとも人になるたけ当たらないように気をつけよう。
2009年4月2日木曜日
鬱の時とそうじゃないとき
鬱のときの記憶がまだ残っているので、世界の見方がガラッと変わったことがよく分かります。
まず何でもないようなことが嬉しい。嬉しいと言うほどではないとしても、少なくともイヤだと言うには抵抗がある感じです。例えば昼休みに何食べてやろうとか、あれ勉強しておかなきゃ、とか、そんな些細なことでも前向きに取り組めます。一方、鬱の時は楽しいことは何もありません。無理やり楽しみを見つけるとか、そういうケナゲな努力が必要となります。実際、愛少女ポリアンナ(あるいは小公女セーラ?。なつかしー)じゃないけど、毎朝良かった探し/良くなるだろう探しをしてから自分を元気付けて出勤することになります。
ネガティブな感情も、鬱の時は内にこもって自らを刺す棘となりますが、回復すると我慢もできるしジョークにして笑い飛ばすことだってできる。
それから新聞に躍るセンセーショナルで嫌なニュース。鬱の時はそんなニュースのタイトルを見るたびにイヤな気分がしてなかなか消えませんが、回復するとすぐ忘れることもできるし、却って自らの恵まれた環境に感謝してこれを守っていこうと、前向きに考えることができる(人の不幸は蜜の味じゃあありません)。
酒量や食べる量の制限も鬱じゃないときのほうが比較的やりやすいですね。
こういう風に書いてみると、やっぱり「鬱=現実を深刻にとらえる」「通常状態=現実を前向きにとらえる」という精神状態の違いが分かります。
意地悪く言えば、通常状態は「臭いものにはフタ。自分を大事にして能天気に生きる」とも言えますね。しかしまあ、これはしょうがないでしょう。
吉行淳之介がどこかで鬱の時は本当に苦しかったし、回復できてよかったと思うが、今でもふと鬱状態で見たものや考えたことが正しかったと思うことがある、という旨のことを書いていましたが、分からんでもないです。
私の好きなニーチェの言葉で言えばやっぱり「生きるために必要な誤謬としての真理」ってとこでしょうね。
まあ、そんなところで。
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2009年3月8日日曜日
デジカメ購入(PENTAX Optio M60)・「長いお別れ」読了
PENTAX Optio M60
店頭で見てデザインがよさげだったのと、価格が安かったので即決。
NikonのD70はかなり(・∀・)イイ!!んですけど、なにぶん一眼スタイルなので大仰で手に余る。という訳でコンパクトデジカメをほとんど衝動買いしました。
メイン嬉しいですね。動画も取れるし。
思い起こせば、10年ほど前。200万画素のデジカメが出たてのころ、奮発して買った時のお値段は10万円。それが今は1000万画素のコンパクトカメラが1万6千円。どうなっとんねん。まさに日進月歩ですね。
まあ、モノを買って楽しい、モノを買うために労力をかけられる、というのは鬱では出来ないことなので、元気になってきた、ということでしょうな。
それから本日レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」の原書を読了。2ヶ月ほどかけて通勤の行き帰りで読みきりました。面白かった。
以上、日記でした。
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2009年3月7日土曜日
脱出中 from 鬱
・何をやっても間違ったことをしているような気がする
・何かやらなければいけないような気がするけど何もできない
・自己嫌悪(キツめのやつ)
・自分以外の対象にも憎しみや嫌悪感を抱く機会が多くなる
・不機嫌になる
・上記がぐるぐると巡回してドツボにはまる悪循環
そりゃあ私も社会生活を送っている訳で、鬱だからといって周りの同僚やらお客さんに当たるわけにはいきません。周りに当り散らした方が回復が早いのかもしれないけど、そうは行かない。でも妻や子供には少し不機嫌になったりして、それがまた自己嫌悪につながります。
やれやれ。
で、なぜに鬱になるのか、いろいろ考えてみました。
原因があって結果がある。鬱の原因はなんでしょう。
一般的な理由はいろいろ考えつきます。ストレス。うまくいかない人間関係。体調不良。質の悪い生活習慣(飲酒やハードワーク)。
でも、さすがにこれまで生き延びてきたスキルというものがあって、私の場合多少の(相当の?)仕事や人間関係のストレスには耐性がある。なきゃやってらんない。まあ、こんなもんだろ。しょうがねーよな。俺も悪いかもしれないけど、あんたも相当悪いぜ。とかとか、やり過ごすスキルです。ストレスは重要なファクターではありますが、ストレスがあるからといって簡単に鬱になるわけではありません(というかなるわけにはいかない)。
今回久々にやや重い鬱になった経過を考えてみると、実は仕事はさほど忙しくはなく、軽い風邪を引いていた気配がありました。つまり体調が少しよろしくなかった。かといって、これ休まないとヤバイ、というほどでもありませんでした。だからずるずると体がやられて、精神がやられた、そんな流れが見えます。何となく体調が悪いことはかすかに自覚があって、普段より30分~1時間早く寝てみたりしたのですが、焼け石に水だったようです。30分早く寝たら、30分早く目が覚めていた気がする。酒の量を減らすとか、ドラスティックにやるべきでしたね。
やはり体が資本ですよ。体の不調が精神に来る。病は気から、と言います。ストレス耐性の弱い人はそんなこともあるでしょうが、私の場合は体調がそれなりなら多少のストレスは何とかしてしまう。だから、私にとっては病は体から、というのがまず正しい気がする。
話を鬱に戻して、鬱っぽくなってからの対症療法。
これはやっぱり会社を1日、2日休むことですな。それから飲酒量を減らし、睡眠の質を上げること。早く寝ること。それからニーチェやキルケゴールといったイタい系の哲学書を読むのも効きます。絶望とか否定を突き詰めて考えてるような本ですね。絶望を突き詰めると救いが見えてくるんですよ。葉っぱ一枚あればいい♪ってやつですな。(by 葉っぱ隊)
ま、という訳で、少しずつ回復しております。
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2009年3月1日日曜日
疲労と鬱 まとめ
こんなシニカルな言葉が出るのもまあ鬱期だからってことで。
逆に言えば鬱だから割り引くべき見解が多い。鬱っぽい人間の言うことを、あまり真に受けてはいけない。
資本主義を動かす人間の欲望。
真善美はどこへいったのか。
醜さばかりが目に付いてしまう。
翻って自分を見てみれば、現状に甘んじて何も出来ない疲れたオジサン。
そりゃあ鬱にもなりますよ。
じゃあどうすればいいのか。
もうバカになるしかないじゃないですか。
でも、バカになって生きることにも救いがあるんじゃないか、と思います。
思わなきゃやってらんないから?生きるための誤謬としての真理か?いや、そうじゃないと思う。
バカになって生きる、そこに価値あるいは美があるんじゃないかな。むしろ、価値のある生き方、美しい生き方ってのは、バカな生き方じゃないのかな。
さて、そろそろ鬱から脱出しよう。
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2009年2月28日土曜日
疲労とか絶望とか
若いころはその波の間隔が短く、精神的な高揚期から停滞期が数日~数週間単位で入れ替わることもあり、これって躁鬱病なんじゃないかね、と自分ながら疑問に思ったこともありましたが、年を取るにつれてその間隔が広くなり、また波の高低も狭まってきたように思います。
今でもたまに憂鬱期がやってきますが、本当に頻度は少なくなりました。
といっても、今がまさにその憂鬱期なんですけどね。
なぜ、鬱状態が少なくなったか。それはやはり思春期だったがゆえに、若い頃は鬱状態になることが多かったんじゃないかね、と考えますね。では、年を取ったら鬱状態が少なくなった、これは何故か。生活が固定化してきたからのような気がします。すなわち仕事という日常。家庭という日常。大きな変化もなく、そこそこ心地いい。
仕事ではストレスもありますし、不愉快なこともありますが、そういうのがまた何らかの原動力になることもあって、一概に悪いとも言えない。本当に平和でストレスも全くないのが続くとすれば、早々にボケてしまうような気がします。まあ、それはそれでいいかもしれないですけどね。
で、今はまさに鬱状態。こういう時は哲学書に惹かれます。今回はキルケゴールの「死に至る病」をふと思い出して、読んでみたら気分的にどんぴしゃ。
絶望は精神におけるすなわち自己における病であり、そこでそこに三様の場合が考えられうる。 絶望して、自己を持っていることを意識していない場合(非本来的な絶望)。絶望して、自己自身であろうと欲しない場合。絶望して、自己自身であろうと欲する場合。
人間とは精神である。精神とは何であるか?精神とは自己である。自己とは何であるか?自己とは自己自身に関係するところの関係である、すなわち関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている、・・・
絶望を突き詰めるとそこには救いがあります。キルケゴールはキリスト者でした。でも、不可知論者/無思想者の私にだって、救いはあるように思います。経験的に言って。
土日はゆっくり休もう・・・
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