「世界最大最強」の戦艦。しかし、時代が違った。もはや役に立つことなく、なすすべもなく航空機に爆撃され沈没した「最強の」戦艦。その戦艦を巡る若い戦士たちの物語。人の人生にはどんな意味があるのだろう、と思っても詮無い問が浮かび、少なからず涙が出ました。
モットーは「健全な精神は健全な胃腸に宿る」「生きてるあいだは上機嫌」
主張として「原発は営利企業に任せるべきでなく、もんじゅは絶対に廃炉!」「税金には気をつけろ!」
もう一つ、福島原発作業員の方々ならびに早野先生に国民栄誉賞を。
サブ・ブログという位置づけで、細々更新しています。
2010年5月6日木曜日
キルケゴール著 田淵義三郎訳「不安の概念」世界の名著51中央公論社
前半はアダムとイブの話や原罪をベースに不安が語られます。当然ピンと来ない。私は自分のことを決して高く評価するものではありませんが、むやみに罪深い存在であるなあなどとは考えません。そりゃあ肉も魚も食べるし、褒められるようなことも滅多にしない。いや、むしろロクでもないことばかりしてるかもしれない。でも、だからといってお前は罪深いと言われても困る。仏教なら一切衆生悉有仏性。煩悩を落とせば誰でも悟ることができる。心塵脱落脱落心身。原罪といわれてもねえ。
語られるのはあくまでキリスト教+近代西欧フレームワークでの不安について。ピンと来ないまま読了。
「死に至る病」はかなり好きなんですけどね。
2010年5月5日水曜日
ジャガイモのニョッキ、チャイ
ジャガイモのニョッキです。忘れもしない。レシピに騙された日。おっと。私のやり方が間違っていた可能性はあります。しかし、それにしてもユルユル過ぎた。卵一個は多すぎなのではないか。他のレシピを見てもそう思わずにはいられない。
確かに茹であがったジャガイモの水分は多かったのです。しかし、ここに卵一個を投入。
もう生地はユルユルでした。
ソースは前回の反省を踏まえてチーズ入りこってり味で。
茹であがったニョッキを投入。なんだかソバガキ状態ですよ。スプーンですくって投入したぐらいですからね。
チャイを作成。
まあ、ひどい出来ではなかったですけどね。どうもイマイチな感じでした。残念。
2010年4月28日水曜日
C.S.フォード、F.A.ビーチ共著 小原秀雄訳「人間と動物の性行動」新思潮社
タイトル通りの内容てんこ盛り。面白いのでニヤニヤしながら読んだのですが、途中でもうおなかいっぱい。このエネルギーは肉食人種ならではと感心しきり。
有福孝岳「正法眼蔵の心」日本放送出版協会
難解。解説になってない。キーワードをベースに好き勝手に書いてる。正法眼蔵が晦渋なのである程度は仕方がないとは言え、これではどうも。
いただけないのは、親切心も、読者に理解して欲しいという気持ちも、熱意も伝わらないこと。一般向けにこんな本を書いてはいけない。
足を組んで食べる人
良識ぶる気もありませんし、美的でないと眉をしかめるわけでもありません。むしろ私は見た目とか礼儀作法をうるさくいう人間を好まない。
じゃあ何で人の食べる様をことさらあげつらうか。
それは明らかに違和感があるからです。いい大人が、人前で食事するのに足を組んで食べてる。しかも少なからぬ大人がそうしてる。あれれ?という気がする。昔からそうだったっけ。しかも、お世辞にもカッコイイとは思えない。
お作法に則らなくても、アンニュイにでも、カッコよく食べることは可能でしょうに。
どうみてもアレは「ついで」のスタイルです。試しに左手にハンバーガーを持った彼らの右手に携帯を持たせてごらんなさい。実にしっくりくるではありませんか。彼らは自分の考えにとらわれたり、携帯にとらわれながら、ついでに食事しているわけです。あれじゃあ消化に悪いね。
吉行淳之介がどこかで食事という行為の、性行為とも比べられる生々しさを語っていました。むき出しの生の活動です。別の生命を、咀嚼し、嚥下するという行為。それが食事。これを上の空で済ませるというのは、どうももったいないように思えてなりません。
そりゃあマックとか松屋の牛丼とかサプリメントに、そんな生々しさはありませんがね。でも、それはパッケージ化され、イメージ商品となったからであって、マックや牛丼屋の影で多数の牛が殺されているのに違いはない。そうでなくとも、自らの身体に栄養を与える行為です。真剣に行われたっていいじゃありませんか。
食育が大事だというけれども、大人があれじゃあ駄目ですわな。
食事というのは生きるという不思議を味わうことのできるまたとない機会だと思えば、毎度毎度の食事も退屈はしません。日々是れ修行なり。
2010年4月27日火曜日
ジョン・トーランド著 毎日新聞社訳「大日本帝国興亡史 全5巻」ハヤカワ文庫
全巻読了。東京大空襲、硫黄島、広島、長崎は涙を禁じ得ませんでした。
若林亜紀「独身手当 給与明細でわかるトンデモ公務員の実態」東洋経済新報社
表題の通り、不景気の世の中、安定した職業である公務員への庶民のルサンチマンに働きかけた本。
私は基本的に公務員叩きには同情的だったのですが、さすがにこれを読んで呆れた。自己の保身ばかりを考えた組織が生み出した手当の数々。こりゃ亡国の域だわ。
ドラッカーが世界一優秀だと褒めた日本の官僚はどこへ行ったか。税金に寄生する自己目的化した組織。それが公務員。それが官僚。マズいよ。これは。こうなったら国家財政も一度破綻しちまって、公務員に反省してもらった方がいいんじゃないか。でもそうなったら今度は財政破綻手当が出たりしてね。って本当にありそうでシャレにもならん。
草野顕之編「日本の名僧(8)親鸞」吉川弘文館
いまだに現代的意義を持ち、人を引きつけて止まない魅力的な宗教者を、このような中途半端な学問的方法論で扱っていいのか。見ればこれを書いたのは大谷大学の学者の皆さんだそうです。既成仏教が力を持たない理由が分かるような気がしました。
ダメだ。こりゃ。
アサツー ディ・ケイ 岩村暢子「普通の家族がいちばん怖いー崩壊するお正月、暴走するクリスマス」新潮文庫
いやあ、スゴイ。何がスゴイって普通の家族の普通の生活が露わになっているんですが、これがスゴイ。衆愚という言葉を見に染みて感じます。あ、偉そうで済みません。実は私も人のことは言えない。ある程度この本に書かれている「普通の家庭」の父親です。大なり小なり当てはまるところがある。正直言って。
著者の記述も少なからず偉そうな言い方になっていて、途中ちょっと鼻に付くんですけど、最後まで読めばその理由はわかります。そうなるよ。正しいよ。岩村さん。
ここに語られるのは一般の日本人の人間性そのままな気がします。刹那的で、主体というものがなく、短期的な価値観に支配されている。それが悪いとは言いませんが、どうもこれほどあからさまに見せつけられると失笑を禁じ得ない。軽薄な日本人らしさが、日本的な伝統をあっという間に破壊してしまうこの皮肉。やれやれ。
「偉そうに。お前はどうなんだ」。はい。謝ります。その辺はまた考えておきます。
青木冨貴子「731 石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く」新潮文庫
それなりに厚い本ですが、退屈せずに読み終えました。
石井四郎のノート発見の興奮や、生き証人たちへのインタビューが生き生きと書かれています。逆にいえば見所はそこだけかな。
著者が何を伝えたかったのかがいまいち不明。最後になって、ようやく著者の問題意識が戦後のGHQと石井四郎たちとの闇取引にあったことが分かって、そこかよ!というツッコミが思わず頭に浮かぶ。
731部隊の活動そのものを期待していた私には、ちょっといまいちな読後でした。
2010年4月26日月曜日
2010年4月25日日曜日
チキンとキノコのクリームパスタ、コールスローサラダ、トマトドレッシング
小豆あん、豚薄切りカツサンド、多摩六都科学館
サンマ骨まで軟らか煮、茹で鶏胸肉、トマトスープ、モヤシサラダ
さんまの煮ものです。圧力鍋で作りました。今回は中骨も食べるつもりで30分の圧力。
完成。バッチリでした。缶詰のさんまみたい。骨まで軟らか。いいですね。
これは鶏胸肉。
20分圧力をかけます。残ったスープにトマト缶を投入。トマトスープを作成。
完成した蒸し鶏は、サラダにするつもり。
モヤシのさっと茹で。
トマトスープ。
蒸し鶏のほぐしたん。モヤシと和えてドレッシングで頂きました。ヘルシーな感じでグッド。
2010年4月22日木曜日
角田房子「責任 ラバウルの将軍 今村均」筑摩書房
非常に感動して読みました。傑作です。しかし感想は複雑。これほど自らの信念に真摯に生きた将軍がいたのか、と。歎異抄と新約聖書を愛読した将軍。恐らく彼を理解した人は少なかったのではないか。孤独だったのではなかろうかと思われたり。
それから角田房子さんのスタンスも少し気になりました。徹底的な反戦の立場。客観性よりも人間の本性に迫ろうとする(と私には感じられた)スタンス。敢えて誤解を恐れずいえば、足に地のついた、女性らしいアプローチだと思いました。それはそれで構わないし、貴重だし、評価すべきなのですが、組織に生きる男の悲しさと葛藤が描かれなかったように見えて残念。「今村もやはり陸軍将軍の枠を出ることはなかった」旨のことがサラッと書いてあって、いや、組織に生きるってのはそんなに簡単に割り切れるものじゃないんですよ。とひとりごちたり。大体、あのご時世でジャワに対してリベラルな政策を押し通したり、ラバウルで食料の確保を最優先にしたということは、自分の信念に従ってやったことに違いないわけで、組織に完全に飲み込まれた人ではなかったことは明らかだし。
まあ、それにしても優れた本です。私はこの本で初めてラバウルの意味を知った。恥ずかしい限り。
2010年4月20日火曜日
大佛次郎「終戦日記」文春文庫~ノグソに関する考察
昭和19年9月から20年10月にかけての日記です。淡々と生活の様子が書かれていて、往時が忍ばれます。何だか美味いもの食べて酒ばかり呑んでいるようにも見えるのだけれど、物量は今よりよほど少なかったはずだから、そう見えるだけだと思う。ああいうご時世だからこそ、何を食べた、呑んだ、幾らだったということに関心が向くのでしょう。
まあ、地味な本です。
ひとつ気になったのがノグソ。野糞の方のノグソです。って他にないか。
たびたび腹を壊してノグソをした旨の記述がある。なんとなく読み過ごしてしまいますが、考えてみると不思議。功なり名を遂げた壮年過ぎの男性が、ノグソして、それを日記に残しているわけですから。
それを読んだアタクシは、ふと今の世はノグソもままならない世の中なわけだな、と思ったわけです。と言っても、私がかつてノグソという行為を日常的に堪能していたわけではありません。ノグソをめぐる状況。ノグソが可能な環境というものが、もはやなくなったのだなあ、と。なんというか人が多過ぎるし、草木の茂みというものも存在しない。東京に於いては、ノグソは事実上あり得ないものとなってしまった。
そんなん、別にかまへんやないか。まあ、そういえばそうなのですが、ノグソもできる環境、それはすなわちなんとなく人目につかないエリアがあって、そこに潜むこともできる環境なわけで、そういうエリアが周囲にあってもいいなあ、とそんなことを考えるわけです。治安上はよろしくないかもしれませんが、普段は近寄らなければいいわけで。誰かがウンコしてるかもしれないしね。
切羽詰まった時なんかはありがたいんじゃないかしらん。ちょっとそこでクソしてくる。そんな気楽な感じがあってもよいのでは。って何書いてんだろうな。オレ。ダメになってるのかも。
2010年4月19日月曜日
秦郁彦「南京事件」中公新書
南京事件があまりにも政治的に利用されているため、すでにして食傷気味だったのですが、最近「大日本帝国興亡史」を読んでいる関係で気になって読んでみました。
結果。良書でした。読んでで納得がいく。学者の良心と心意気が感じられました。
南京事件は、やはりかつての日本の問題としてちゃんと目を向けなければいかんなあ、と思いつつ、その政治的な利用のされ方には注意しなければいかんな、と。
日本人がなぜあんな行為に走ったのか。中国と日本の右派のプロパガンダはひとまず脇において、正視し、真摯に反省するにたる重大な出来事であったと思います。
ジョン・トーランド著 毎日新聞社訳「大日本帝国興亡史 全5巻」ハヤカワ文庫
3巻まで読了。愚かな日本人と愚かなアメリカ人の物語。日本もアメリカも望んでいなかった戦争がなぜ始まったか。
イギリス、フランスの植民地政策、白人優位主義、そして黄禍論が日本を追い込んだ。
戦えば負けることは日本には分かっていた。あくまで交渉で解決しようとしたが、日本の稚拙な外交と、ハル国務長官の無闇な猜疑心と不信感、そして日本語から英語への、英語から日本語への誤った翻訳が戦争の原因となる。筆者は「日本とアメリカという二人の子供が始めた戦争」と評する。
回避できた筈の戦争が、日本にどれほど悲惨な結果をもたらしたか。
われわれは敗戦国としての歴史を叩き込まれてきた。そのためか、日本が戦争を始めた理由はちゃんと教えられていないように思う。でも戦争の背景はしっかり教えるべき。過去を正当化するするためではなく、二度と戦争を起こさないために。