うさと服によってファッションに目覚めてしまったわたくしですが、最近は楽しく古着系の店を巡っています。
古着のどこがいいか。まず価格に惹かれますね。例えば人が何年か着た5万円の服が1万で手に入る。5万円の服だから、やはりモノがいい。流行に左右されない型の服や、面白系の服なら今でも楽しく着ることができる。大変リーズナブルだと思います。ものによっては10万円は下らないような服が1万円で手に入ったりするのもまた楽しからずや、です(ま、勝手に「これは10万円は下らないだろう」と思い込んでるだけってのはありますけどね)。
わたくし、普通のPコートや普通の革ジャンといった定番系の服やアメカジ(よく分からないけど)があまり好きじゃありません。エスニックとか変わった型、模様の服が好き。となると、どうしても定番系の回転が多くなる古着屋では、必然的に選択肢が限られてくる。なかなか当たりにはめぐり逢えない。それでもデパートやユニクロでやたら高い服や、仕掛けられた流行の服を選ぶよりは数倍も楽しいですね。たまに面白い服に出会えると、嬉しさもひとしおです。
この間、池袋の古着屋を回っていて店員さんと話をしたんですが、その話がやはり面白い。皆さんファッションに哲学がある(当たり前かもしれないけれど)。自分はどのようにファッションに関わっているのか。はっきりした(それでいて押し付けがましくない)人生観をお持ちになっておられる。なかなか好感が持てます。
ということで、まだまだしばらくは、楽しく古着屋を巡っていることと思いますね。
モットーは「健全な精神は健全な胃腸に宿る」「生きてるあいだは上機嫌」
主張として「原発は営利企業に任せるべきでなく、もんじゅは絶対に廃炉!」「税金には気をつけろ!」
もう一つ、福島原発作業員の方々ならびに早野先生に国民栄誉賞を。
サブ・ブログという位置づけで、細々更新しています。
2010年12月30日木曜日
帰省2010冬
今年もいよいよ大詰めです。11月から12月にかけて公私ともに忙しかった。仕事が忙しいというのは(独り言:その忙しさの原因と質にはいささか批判的ではありつつ)ありがたいもので、日本経済が先行き怪しいなか、しばらくの間は不景気を忘れることができました。もっとも忙しいからと言って給料が上がる訳ではないのですがね。時給換算では暇してる方が割がいいの。
ま、そんなこんなでやってまいりました大晦日。今年は特に、無事に年を越せたなあ、という感慨がありました。何でかっていうと、40を越えた知り合いとか知り合いの知り合いの方が、ボツボツ逝去されるんですな。幼稚園児、小学生のお子さんを残して。さぞかし無念であろう。悔しいであろう。胸が締め付けられるほどよく分かる。
普段仏教やら哲学に親しんでいるせいで、死についてはワリと考えている方だと思いますが、それにしても理不尽なことだ、と思います。しかし思っても詮ないこと。死すべき個体は、全力で今を生きるしかないのです。そう思って身を引き締めていると、やはりこの年越しというのはありがたいものだと思われます。マンネリと言えばマンネリ。死ぬもんかと思っていれば退屈かもしれないけれど、今年も無事に家族一緒に生きて来られた。この当たり前の事実を有難く噛み締める。すると何とも深い年越しが味わえるというわけ。
そういえば義母がちょっとした事故で骨折したことがありました。いわゆる「軽傷」の部類に入るのでしょうが、数週間家事に不自由して大変難儀をされておられた。そんな義母が時折しみじみ言った「当たり前のことが、ありがたいんですよ」という言葉を思い出します。
当たり前の年越し。しみじみと、有難く、過ごさせていただこうと思います。
ま、そんなこんなでやってまいりました大晦日。今年は特に、無事に年を越せたなあ、という感慨がありました。何でかっていうと、40を越えた知り合いとか知り合いの知り合いの方が、ボツボツ逝去されるんですな。幼稚園児、小学生のお子さんを残して。さぞかし無念であろう。悔しいであろう。胸が締め付けられるほどよく分かる。
普段仏教やら哲学に親しんでいるせいで、死についてはワリと考えている方だと思いますが、それにしても理不尽なことだ、と思います。しかし思っても詮ないこと。死すべき個体は、全力で今を生きるしかないのです。そう思って身を引き締めていると、やはりこの年越しというのはありがたいものだと思われます。マンネリと言えばマンネリ。死ぬもんかと思っていれば退屈かもしれないけれど、今年も無事に家族一緒に生きて来られた。この当たり前の事実を有難く噛み締める。すると何とも深い年越しが味わえるというわけ。
そういえば義母がちょっとした事故で骨折したことがありました。いわゆる「軽傷」の部類に入るのでしょうが、数週間家事に不自由して大変難儀をされておられた。そんな義母が時折しみじみ言った「当たり前のことが、ありがたいんですよ」という言葉を思い出します。
当たり前の年越し。しみじみと、有難く、過ごさせていただこうと思います。
2010年12月24日金曜日
ファッションの効用
この間、古着屋がその辺りにあるということで池袋の繁華街に行ったんです。北口の怪しいあたり。
で、地図を片手にブラブラ探していて思った。やはりちゃんとした身なり、おしゃれをしていない人をあそこで見かけると、ハッキリ言って身の危険を感じますな。だらしないカッコした人がふらふら歩いてくるだけで怖いよ。マジでヤ●ザさんじゃないかしら、と思います。いわんや、いわゆるヤンキーファッションをおいてをや。ビビるよ。親子でヤンキースタイルかよ。殺気に満ちた池袋北口。勘弁してください。ホントに。
結局古着屋さんはなかったし。いやはや。
ま、ともかく、ファッションには、やはり相手にリラックスしてもらうという明らかな効用があるようです。身をもって知りましたわ。
で、地図を片手にブラブラ探していて思った。やはりちゃんとした身なり、おしゃれをしていない人をあそこで見かけると、ハッキリ言って身の危険を感じますな。だらしないカッコした人がふらふら歩いてくるだけで怖いよ。マジでヤ●ザさんじゃないかしら、と思います。いわんや、いわゆるヤンキーファッションをおいてをや。ビビるよ。親子でヤンキースタイルかよ。殺気に満ちた池袋北口。勘弁してください。ホントに。
結局古着屋さんはなかったし。いやはや。
ま、ともかく、ファッションには、やはり相手にリラックスしてもらうという明らかな効用があるようです。身をもって知りましたわ。
2010年12月23日木曜日
西田哲学めも
ただ「否定」と提示されると、論理的には単に肯定の反転であるわけです。
しかし、現実的には
否定=嫌い
ってのが近い。否定ってのは意志の力だ。全力でするものだ。机上の論理じゃない。頭でこねくり回したコトバじゃない。心から嫌いと思う、それが否定。
そうでしょ?
最初に戻る。
A=Aってのが肯定だ。
A=非Aは否定。
論理的にはそうなる。
そして、
「A=AかつA=非A」とは、論理的には矛盾となる。
さて、否定は憎しみ。否定は嫌い。また、肯定は是認であり、肯定は好意である。
その常識的な、情動的な理解を、論理に持ち込んでみる。つまり、肯定とは「好き」であり、否定とは「嫌い」である。これを論理の世界に持ち込む。
かつ、ここで、西田哲学の、絶対矛盾的自己同一を考えてみる。
しかるに、
絶対矛盾的自己同一とは、絶対に否定しつつ、絶対に肯定する、ということである。
ということは、
絶対に嫌いだけど、絶対に好きだ、それが絶対矛盾的自己同一ってことになるじゃないか。
なんだか凄く良よく分かる気がしてしまうなあ。
要するに西田哲学ってのはダイナミックなんですよ。固定してない。取り澄ましてない。うごめいている。全力で、生きている。
12/24後記
と酔っ払って書いたようですが、まあ、当たらずとも遠からずってとこですかね。
エロスとタナトスとの矛盾とか、愛と憎しみの矛盾とか、そういうモメントは西田哲学に含まれるとは思うのですけどね。
しかし、現実的には
否定=嫌い
ってのが近い。否定ってのは意志の力だ。全力でするものだ。机上の論理じゃない。頭でこねくり回したコトバじゃない。心から嫌いと思う、それが否定。
そうでしょ?
最初に戻る。
A=Aってのが肯定だ。
A=非Aは否定。
論理的にはそうなる。
そして、
「A=AかつA=非A」とは、論理的には矛盾となる。
さて、否定は憎しみ。否定は嫌い。また、肯定は是認であり、肯定は好意である。
その常識的な、情動的な理解を、論理に持ち込んでみる。つまり、肯定とは「好き」であり、否定とは「嫌い」である。これを論理の世界に持ち込む。
かつ、ここで、西田哲学の、絶対矛盾的自己同一を考えてみる。
しかるに、
絶対矛盾的自己同一とは、絶対に否定しつつ、絶対に肯定する、ということである。
ということは、
絶対に嫌いだけど、絶対に好きだ、それが絶対矛盾的自己同一ってことになるじゃないか。
なんだか凄く良よく分かる気がしてしまうなあ。
要するに西田哲学ってのはダイナミックなんですよ。固定してない。取り澄ましてない。うごめいている。全力で、生きている。
12/24後記
と酔っ払って書いたようですが、まあ、当たらずとも遠からずってとこですかね。
エロスとタナトスとの矛盾とか、愛と憎しみの矛盾とか、そういうモメントは西田哲学に含まれるとは思うのですけどね。
2010年12月22日水曜日
鳥牛豚つみれ鍋、タコのやわらか煮、タコ飯
鳥挽き肉ベースに牛豚挽き肉を少々入れてみました。単なる思いつき。

昆布と出汁パックで出汁を取ります。あとは野菜を投入して薄めに醤油、塩して煮るだけ。


手が空いたらタコのやわらか煮に取りかかります。比較的安かったので前回固くなってしまった件のリベンジ。しっかり20分圧力を掛けました。今回はなかなか柔らかく仕上がりました。無事成功です。やれやれ。

鍋は相変わらず簡単ウマー。ただ、牛豚入りのつくねは若干臭みがありましたね。美味かったけど。次回は鳥100%で行こう。


残ったタコは、出汁ごとタコ飯として翌朝頂きました。思ったよりも薄味になりましたが、なかなかウマーでした。

昆布と出汁パックで出汁を取ります。あとは野菜を投入して薄めに醤油、塩して煮るだけ。


手が空いたらタコのやわらか煮に取りかかります。比較的安かったので前回固くなってしまった件のリベンジ。しっかり20分圧力を掛けました。今回はなかなか柔らかく仕上がりました。無事成功です。やれやれ。

鍋は相変わらず簡単ウマー。ただ、牛豚入りのつくねは若干臭みがありましたね。美味かったけど。次回は鳥100%で行こう。


残ったタコは、出汁ごとタコ飯として翌朝頂きました。思ったよりも薄味になりましたが、なかなかウマーでした。
2010年12月21日火曜日
タア菜のにんにく炒め、きのこクリームパスタ
作るものと作られるもの
難解な西田哲学ですが少ーしずつ分かってきた気がします。
例えば作るものと作られるものについて。作られたものが作るものになる。
そう言われると、例えばわたしという存在は親によって作られた存在なわけですが、これがまた親になると子を作るようになる。つまり、作られた存在としてのわたしが、作る存在になる、とまあ簡単に解釈していたんですが、この解釈はミスリードなことが分かってきた。
そうじゃなくて、むしろ人間には環境を改変する力があり、その改変された環境によって人間も作られる、そんなダイナミックな関係があるのだ、と解釈したいですね。
また、作られたものというのは、必然的に過去のものですね。「作られた」もの、つまり過去形なんですから。その過去が「作られた」ものとして現在を限定しにくるわけ。でも、過去ってのは「ない」わけ。あるのは「現在」しかないから。じゃあ、その「ない」はずの過去がどうやって現在を限定しに来るのか。実は、ここにある「過去」ってのはすでに現在なわけですね。作られたものとして、現在にある「過去」。その過去(=現在としての)が現在を限定する。つまり、現在が現在自身を限定する、という絶対矛盾的関係がそこにある。
そして、そのような存在は必然的に表現的たらざるを得ない、と西田さんは続けます。どうしてかというと、過去はあくまで潜在なわけですね。その「潜在」としての過去が、現れる。現在とは表現の場所である。
過去が現在として現在を限定する。そんなダイナミックなあり方を西田哲学は語るんですけど、これって凄いじゃありませんか。フッサールの時間の考え方にしても、やはりどうも直線的な考え方に近い。沈殿とかね。しかし、西田哲学の語る時間は、本当に生きられる時間だと思う。
おもしろいっすよ。
例えば作るものと作られるものについて。作られたものが作るものになる。
そう言われると、例えばわたしという存在は親によって作られた存在なわけですが、これがまた親になると子を作るようになる。つまり、作られた存在としてのわたしが、作る存在になる、とまあ簡単に解釈していたんですが、この解釈はミスリードなことが分かってきた。
そうじゃなくて、むしろ人間には環境を改変する力があり、その改変された環境によって人間も作られる、そんなダイナミックな関係があるのだ、と解釈したいですね。
また、作られたものというのは、必然的に過去のものですね。「作られた」もの、つまり過去形なんですから。その過去が「作られた」ものとして現在を限定しにくるわけ。でも、過去ってのは「ない」わけ。あるのは「現在」しかないから。じゃあ、その「ない」はずの過去がどうやって現在を限定しに来るのか。実は、ここにある「過去」ってのはすでに現在なわけですね。作られたものとして、現在にある「過去」。その過去(=現在としての)が現在を限定する。つまり、現在が現在自身を限定する、という絶対矛盾的関係がそこにある。
そして、そのような存在は必然的に表現的たらざるを得ない、と西田さんは続けます。どうしてかというと、過去はあくまで潜在なわけですね。その「潜在」としての過去が、現れる。現在とは表現の場所である。
過去が現在として現在を限定する。そんなダイナミックなあり方を西田哲学は語るんですけど、これって凄いじゃありませんか。フッサールの時間の考え方にしても、やはりどうも直線的な考え方に近い。沈殿とかね。しかし、西田哲学の語る時間は、本当に生きられる時間だと思う。
おもしろいっすよ。
2010年12月20日月曜日
2010年12月16日木曜日
韓流アイドルに思う
天才てれびくんに出ていたKARAという韓国アイドルグループに夢中のわが子たち。そうか。天てれにも韓流アイドルが出る時代か。と感心しました。一昔前は韓国って遠い国でしたね。遠いというか関心が向かない。私の身近に韓国の人がいなかった、ということもありますが。あるいは、むしろ「在日」などと言って差別の対象だったりしますね。残念ながら今でも。
しかし、こうして韓国のアイドルが入ってくるのは基本的にはよいことではなかろうか、と思います。地理も近いし経済交流もある。あっちにはいろいろ恨みはあるのでしょうが、若い世代に移り変わりながら、よい方向に向かったらいいんじゃなかろうか。
ただ、なぜ韓流?という疑問はあります。韓国のアイドルがどいうしてわざわざ日本に来てるんだ?日本も不景気で勢いがないのに。韓国のアイドルが活躍することで、日本のアイドルのシェアが奪われているということもあろう。
ということで、妻と話したりしてちょっと考えてみました。
一つはやはりプロデューサーというか仕掛け人みたいなのがいて(電通?)韓流アイドルを売り込んでいる、ということ。なぜ電通がそうするのかまでは分かりませんけどね。多分商売になるからでしょう。
もう一つは残念ながら日本のアイドルに魅力的な人材がいないからではなかろうか。
一昔前の(今でも現役ですが)安室奈美恵みたいな強力な人材がいないんじゃないか。妻によれば「KARAはダンスがカッコいい。ちゃんと芸がある」とのことです。日本語もちゃんと話してるしね。ひるがえって日本のアイドルに「芸」をもった人材がいるのか。(って偉そうでだしお前はどうなんだと言われると返す言葉もなくて申し訳ないけれど)AKB48とKARAを比べたら、どうにも後者の方が光って見えるわな。比べる方が悪いのか、売り出す方が悪いのか。
まあ、そんなこんなで、よく分からないけど芸能界も硬直化しちゃってるんじゃないかねえ。だってAKB48だぜ?おっさんの産物でしかないやんか。既得権益というか、いわゆる「大物」みたいなのが仕切っているが故に、活力が失われている、そんなことがあるんじゃなかろうか、などと愚考したり。
しかし、こうして韓国のアイドルが入ってくるのは基本的にはよいことではなかろうか、と思います。地理も近いし経済交流もある。あっちにはいろいろ恨みはあるのでしょうが、若い世代に移り変わりながら、よい方向に向かったらいいんじゃなかろうか。
ただ、なぜ韓流?という疑問はあります。韓国のアイドルがどいうしてわざわざ日本に来てるんだ?日本も不景気で勢いがないのに。韓国のアイドルが活躍することで、日本のアイドルのシェアが奪われているということもあろう。
ということで、妻と話したりしてちょっと考えてみました。
一つはやはりプロデューサーというか仕掛け人みたいなのがいて(電通?)韓流アイドルを売り込んでいる、ということ。なぜ電通がそうするのかまでは分かりませんけどね。多分商売になるからでしょう。
もう一つは残念ながら日本のアイドルに魅力的な人材がいないからではなかろうか。
一昔前の(今でも現役ですが)安室奈美恵みたいな強力な人材がいないんじゃないか。妻によれば「KARAはダンスがカッコいい。ちゃんと芸がある」とのことです。日本語もちゃんと話してるしね。ひるがえって日本のアイドルに「芸」をもった人材がいるのか。(って偉そうでだしお前はどうなんだと言われると返す言葉もなくて申し訳ないけれど)AKB48とKARAを比べたら、どうにも後者の方が光って見えるわな。比べる方が悪いのか、売り出す方が悪いのか。
まあ、そんなこんなで、よく分からないけど芸能界も硬直化しちゃってるんじゃないかねえ。だってAKB48だぜ?おっさんの産物でしかないやんか。既得権益というか、いわゆる「大物」みたいなのが仕切っているが故に、活力が失われている、そんなことがあるんじゃなかろうか、などと愚考したり。
2010年12月15日水曜日
多即一、一即多
西田哲学の多即一、一即多が分かったような気がしました。
考えてみれば、生物なんてのは数十億の細胞という「多」の「一」じゃないですか。すなわち、多即一、一即多とは個としての生物に他ならないわけで。あるいは地球規模で考えた時の「生命」だって、個としての生命が生まれ、生み、死んで行く、その一連の流れに支えられた統一である。すなわち多即一、一即多なわけです。
この一と多との関係ってのは、絶対にお互いが相容れない。私という存在は毛髪細胞ではないし、肝臓を構成する細胞でもなければ、皮膚の細胞でもない。逆に各々の細胞は私という存在ではない。しかしながら、無数の細胞が「私」というものを構成している。絶対に相異なるものが、統一されている。だから絶対矛盾的自己同一なわけ。考えてみれば自然なことなのですな。
その統一がどこにあるかと言えば「一」にも属さないし「多」にも属さない。そういう意味で「無の場所」において成立するというのが西田哲学の肝ではなかろうか、と思うのであります。さあ。面白くなってきた。
考えてみれば、生物なんてのは数十億の細胞という「多」の「一」じゃないですか。すなわち、多即一、一即多とは個としての生物に他ならないわけで。あるいは地球規模で考えた時の「生命」だって、個としての生命が生まれ、生み、死んで行く、その一連の流れに支えられた統一である。すなわち多即一、一即多なわけです。
この一と多との関係ってのは、絶対にお互いが相容れない。私という存在は毛髪細胞ではないし、肝臓を構成する細胞でもなければ、皮膚の細胞でもない。逆に各々の細胞は私という存在ではない。しかしながら、無数の細胞が「私」というものを構成している。絶対に相異なるものが、統一されている。だから絶対矛盾的自己同一なわけ。考えてみれば自然なことなのですな。
その統一がどこにあるかと言えば「一」にも属さないし「多」にも属さない。そういう意味で「無の場所」において成立するというのが西田哲学の肝ではなかろうか、と思うのであります。さあ。面白くなってきた。
2010年12月14日火曜日
Ubuntu geditの「開く」ダイアログで邪魔なフロッピーアイコンを消す
Ubuntu 標準エディタのgeditなんですが、開くダイアログになぜかフロッピーアイコンが表示されていて、うっかり突つくとエラーポップアップが出て結構神経に触るわけです。フロッピーなんか使ってないよ!
というわけで消す方法。
$ sudo vi /etc/fstab
[sudo] password for XXXX:
して、
/dev/scd0 /media/floppy0 auto rw,user,noauto,exec,utf8 0 0
の行を以下のようにコメントアウトするだけ
# /dev/scd0 /media/floppy0 auto rw,user,noauto,exec,utf8 0 0
です。
というわけで消す方法。
$ sudo vi /etc/fstab
[sudo] password for XXXX:
して、
/dev/scd0 /media/floppy0 auto rw,user,noauto,exec,utf8 0 0
の行を以下のようにコメントアウトするだけ
# /dev/scd0 /media/floppy0 auto rw,user,noauto,exec,utf8 0 0
です。
2010年12月13日月曜日
多摩川で釣り
普通は晩秋~冬には釣りに行く人は少ないです。寒い季節は概して魚の活性が低く、敢えて釣ろうというのなら腕前と慣れと根性がいるから。やはり釣りはシーズンに行くべき。しかし、考えてみると、これまで何度か発作的に釣りに行ったのは、なぜか釣れない時期であることが多い。何でかなあ、と思い返してみたら、釣りのシーズンというのはピクニック、おでかけシーズンでもあり、外に行ってお弁当食べるだけで楽しいのですな。特に「釣り」などというイベントを設ける必要はないわけ。ただ外に行ってお弁当食べるだけで楽しいわけ。だから、敢えて釣りに行かなくてもダイジョブなわけ。
ということで、最近あまり外出できていないため、イベントを設定して敢えて外出しました。すなわち、釣り。釣れないのは覚悟の上で多摩川へ。また、私は気合を入れるためにてフライフィッシングの入門セットを敢えて購入致しました。
このあたり、難解(イミフ)な論旨ですが、わたし的には筋が通っているのです。要するに、最近子供を連れて外出してないから、外出の理由づけが必要。ということで、外出イベントとして「釣り」を、しかも自分には「フライフィッシング」というムチャ振りを課してみたわけ。そうでもしないとテンションが上がらないから。しかも妻は体調があまりよろしくないのと、用事があるため留守番。大人一人、子供お二人というかなり厳しいシチュエーション。カモン?って感じ。
さて。冬の多摩川で何が釣れるか。小物エサ釣りならクチボソとかハヤあたりは何とか期待できるかも。フライフィッシングでは、理論上はハヤとかオイカワ、コイあたりがイケるのでしょうが、土地勘も経験も少ない私には釣果がほぼ絶望的。まあ、そこは覚悟の上で、フライロッドを振る練習と割り切りです。子供には何とか魚を釣らせてやりたいなあとは思いますが、子供も釣れることは期待していない様子でした。これまで数回釣りに行ったけど、一度も釣れなかったからね。坊主(一匹も釣れないことをこういう)には慣れてる模様です。
ということで、釣りです。妻にはおにぎりとちょっとしたお弁当を作ってもらいました。まずは新宿へ。相変わらず混雑している新宿駅を、二人の子供の手を引きながら気がついたやや痛恨のカメラ忘れ。しょうがないね。釣れたら携帯でお魚の写真を撮ろうね。と上の子がなぐさめてくれました。
小田急線に乗り換えて、多摩川付近の駅に到着。案外近いんじゃない?少なくとも昭和記念公園よりは近そうだぞ。これは通えるかも。心強いことに釣り人さんは結構大勢いらっしゃいました。もっとも、皆さんヘラ歴ウン十年とか鯉歴ウン十年とかいったツワモノぞろいのようでしたが。
しかしざっと川を眺めたところ、どうも手近なところに魚の気配はなし。近くに小物の魚影が見えて欲しいんだけどなあ。子供にも扱えるようにということで、わが家の竿は短い。あまり奥は攻められないのです。魚が明らかにいないところに釣り針を入れてもなあ。
ま、しかたがない。何はさておき仕掛けを竿に付け、練りエサを付けて川に投入。ウキを眺めながらおにぎりを食べました。しかしまあ、正直釣れる気はしませんでしたね。気配で分かる。見れば分かる。仕掛けのあたりに魚がいないもの。子供も、さっさと釣りには見切りを付け、川沿いで探検ごっこ。川にだけは落ちるなよ、と幾度も厳重注意。一応着替えは持ってきましたし、小学生+川で遊ぶと言えば足踏み外してドボン事故が当たり前なので、平常心で対応したいものの、その後の苦労を思えばやはり落ちてほしくはない。
その後数時間。やはり当たりはまったくありませんでした。私は黙々とフライフィッシングの練習&ときおり練りエサのチェック&交換。子供はひたすら河原で遊んでいました。フライを振り回す私の周りでドタドタ走ったり、仕掛けを絡ませたり、私の服に針を刺してみたり(取るのに凄い苦労した)、イライラすることもありましたが、ふと空を見上げれば多摩川の秋晴れ、広い空。ゆったりと流れる多摩川。怒るなんてもったいない。清々しいいい気分を満喫。
魚の気配がないまま、15時頃に竿じまい。駅でおやつにお団子を食べました。そう言えば周りのヴェテランおじさんたちを見てもさほど釣れている気配はなかったから、わりと暖かかったとはいえ釣れない日だったのでしょう。でも、子供は川のそばで一日遊んで充分楽しかった模様。また釣りにこようね。今度は絶対釣ろうね。と帰りの電車の中で誓い合ったのでした。
ということで、最近あまり外出できていないため、イベントを設定して敢えて外出しました。すなわち、釣り。釣れないのは覚悟の上で多摩川へ。また、私は気合を入れるためにてフライフィッシングの入門セットを敢えて購入致しました。
このあたり、難解(イミフ)な論旨ですが、わたし的には筋が通っているのです。要するに、最近子供を連れて外出してないから、外出の理由づけが必要。ということで、外出イベントとして「釣り」を、しかも自分には「フライフィッシング」というムチャ振りを課してみたわけ。そうでもしないとテンションが上がらないから。しかも妻は体調があまりよろしくないのと、用事があるため留守番。大人一人、子供お二人というかなり厳しいシチュエーション。カモン?って感じ。
さて。冬の多摩川で何が釣れるか。小物エサ釣りならクチボソとかハヤあたりは何とか期待できるかも。フライフィッシングでは、理論上はハヤとかオイカワ、コイあたりがイケるのでしょうが、土地勘も経験も少ない私には釣果がほぼ絶望的。まあ、そこは覚悟の上で、フライロッドを振る練習と割り切りです。子供には何とか魚を釣らせてやりたいなあとは思いますが、子供も釣れることは期待していない様子でした。これまで数回釣りに行ったけど、一度も釣れなかったからね。坊主(一匹も釣れないことをこういう)には慣れてる模様です。
ということで、釣りです。妻にはおにぎりとちょっとしたお弁当を作ってもらいました。まずは新宿へ。相変わらず混雑している新宿駅を、二人の子供の手を引きながら気がついたやや痛恨のカメラ忘れ。しょうがないね。釣れたら携帯でお魚の写真を撮ろうね。と上の子がなぐさめてくれました。
小田急線に乗り換えて、多摩川付近の駅に到着。案外近いんじゃない?少なくとも昭和記念公園よりは近そうだぞ。これは通えるかも。心強いことに釣り人さんは結構大勢いらっしゃいました。もっとも、皆さんヘラ歴ウン十年とか鯉歴ウン十年とかいったツワモノぞろいのようでしたが。
しかしざっと川を眺めたところ、どうも手近なところに魚の気配はなし。近くに小物の魚影が見えて欲しいんだけどなあ。子供にも扱えるようにということで、わが家の竿は短い。あまり奥は攻められないのです。魚が明らかにいないところに釣り針を入れてもなあ。
ま、しかたがない。何はさておき仕掛けを竿に付け、練りエサを付けて川に投入。ウキを眺めながらおにぎりを食べました。しかしまあ、正直釣れる気はしませんでしたね。気配で分かる。見れば分かる。仕掛けのあたりに魚がいないもの。子供も、さっさと釣りには見切りを付け、川沿いで探検ごっこ。川にだけは落ちるなよ、と幾度も厳重注意。一応着替えは持ってきましたし、小学生+川で遊ぶと言えば足踏み外してドボン事故が当たり前なので、平常心で対応したいものの、その後の苦労を思えばやはり落ちてほしくはない。
その後数時間。やはり当たりはまったくありませんでした。私は黙々とフライフィッシングの練習&ときおり練りエサのチェック&交換。子供はひたすら河原で遊んでいました。フライを振り回す私の周りでドタドタ走ったり、仕掛けを絡ませたり、私の服に針を刺してみたり(取るのに凄い苦労した)、イライラすることもありましたが、ふと空を見上げれば多摩川の秋晴れ、広い空。ゆったりと流れる多摩川。怒るなんてもったいない。清々しいいい気分を満喫。
魚の気配がないまま、15時頃に竿じまい。駅でおやつにお団子を食べました。そう言えば周りのヴェテランおじさんたちを見てもさほど釣れている気配はなかったから、わりと暖かかったとはいえ釣れない日だったのでしょう。でも、子供は川のそばで一日遊んで充分楽しかった模様。また釣りにこようね。今度は絶対釣ろうね。と帰りの電車の中で誓い合ったのでした。
肉じゃが、タコの煮物
2010年12月10日金曜日
2010年12月9日木曜日
エビゾー狂騒曲
政治家にしろ伝統芸能家にしろ、二世はダメだというのは明らかとしか。灰皿テキーラだとか無銭飲食だとか、なんだそりゃ。
芸能界ってのは暴力と金が支配する場所ってのを、あからさまに見せつけたのが名門歌舞伎俳優ウン世。いやあ、お見事。
エビゾーをめぐる人々の知能を疑うようなコメントを見ても、呆れるほかはない。(呑まなければいいヤツだ、とか、エビゾーが手を出したはずはない。なぜなら、エビゾーが手を出したとすれば、手を出された方がのされていた。しかるに、エビゾーに手を出した奴はのされていない。ゆえにエビゾーは手を出していない。とか、エビゾーが病院で毎日過去の行いを悔いて号泣している、だとか。いまどきマンガですら採用されないコンテンツじゃなかろうか)
生まれながらにして名声と報酬を手にした二世の悲哀か?冗談としても苦笑いしか浮かばない。
やれやれ。
芸能界ってのは暴力と金が支配する場所ってのを、あからさまに見せつけたのが名門歌舞伎俳優ウン世。いやあ、お見事。
エビゾーをめぐる人々の知能を疑うようなコメントを見ても、呆れるほかはない。(呑まなければいいヤツだ、とか、エビゾーが手を出したはずはない。なぜなら、エビゾーが手を出したとすれば、手を出された方がのされていた。しかるに、エビゾーに手を出した奴はのされていない。ゆえにエビゾーは手を出していない。とか、エビゾーが病院で毎日過去の行いを悔いて号泣している、だとか。いまどきマンガですら採用されないコンテンツじゃなかろうか)
生まれながらにして名声と報酬を手にした二世の悲哀か?冗談としても苦笑いしか浮かばない。
やれやれ。
2010年12月8日水曜日
葛西臨海水族園、焼き鳥
行ってきました水族園。なかなか家族の体調や都合が合わないがために、どうしてもワリと手近なところになりますな。とはいえ練馬からは結構遠い葛西臨海公園。本日は一計を案じて、子供にサンドウィッチを作らせてみました。親は朝食の準備片付け、お化粧(妻)と、やはり何かと忙しい。親がイライラと準備している時にハイテンションな子供に騒がれるのも精神的によろしくない。おまけにランチも出来上がるから安くて楽しい。ということで、一石三鳥、子供サンドイッチです。
サンドウィッチ、無事完成。ハムとレタスとチーズとツナとバターを手配して、バターをパンに塗らせ、具を挟ませただけですけどね。でも、大きくなったなあ、と少し感慨深い。子供たちも満足そう。

そうこうしているうちに到着。

お弁当を子供に作ってもらうと、ラクだわ。私はさすがにビールではなくホットコーヒーで頂きます。この季節、ビールよりもホットコーヒーが美味いね。と子供の作ったサンドをつまむ。

あまり混雑しておらず、リラックスして楽しめました。


帰って雑用を済ませたら夕食の支度。本日は焼き鳥です。まず鶏肉を蒸して、タレに付けて、グリルで炙りました。確かにうまかったけどいわゆる「焼き鳥」とは別物。どうしても焼き鳥屋の味にはなりませんでした。どうやったらあの味になるんだろう・・・


以上
サンドウィッチ、無事完成。ハムとレタスとチーズとツナとバターを手配して、バターをパンに塗らせ、具を挟ませただけですけどね。でも、大きくなったなあ、と少し感慨深い。子供たちも満足そう。

そうこうしているうちに到着。

お弁当を子供に作ってもらうと、ラクだわ。私はさすがにビールではなくホットコーヒーで頂きます。この季節、ビールよりもホットコーヒーが美味いね。と子供の作ったサンドをつまむ。

あまり混雑しておらず、リラックスして楽しめました。


帰って雑用を済ませたら夕食の支度。本日は焼き鳥です。まず鶏肉を蒸して、タレに付けて、グリルで炙りました。確かにうまかったけどいわゆる「焼き鳥」とは別物。どうしても焼き鳥屋の味にはなりませんでした。どうやったらあの味になるんだろう・・・


以上
2010年12月7日火曜日
コピス吉祥寺行った
コピス吉祥寺というのは最近出来たという複合商業施設です。吉祥寺の商店街の真ん中にあります。
吉祥寺来訪のそもそもの目的は妻の冬用コート物色だったのですが、妻が「大変疲れを感じるので私は寝る」ということになり、特に目的もなく私が吉祥寺に子供を連れて行くという、よく分からないおでかけになってしまいました。
ということでできるだけ頭は使いたくないおでかけ。こだわりなし。ジャンクカモン。昼はマックでハッピーセット。どうでもええよ。というコンセプトでのおでかけ。
最近ようやく自転車に慣れ始めた下の子を従え、30分ほど自転車を漕いで吉祥寺。何とか駐輪場を確保してコピス吉祥寺に入りました。子供には今回のおでかけの予算は3000円である旨を宣告。したがって昼食が2000円として、残り1000円。二人で分けて500円以内であれば好きなモノ買ってよろしい、と許可。子供の物欲を制御するのが面倒くさいというのがホンネです。
で、コピス。地下が食品、スーパー系。上にファッション、雑貨、書籍のフロアがある模様。まずはチャイハネチェック。うん。基本的に若い人向けのものが多く、私には厳しい。ジャンクっぽい感じもあるし。たまにイケそうなのがあるから、チェックは欠かせないんですけど、今回は特に惹かれるものがありませんでした。子供たちは天然石アクセサリーに夢中。値段を見ると500円前後から。なるほどね。中高生あたりからターゲットになってるわけ。
それから本屋を通り抜けてキャラクターグッズのフロアへ。本屋は通り抜けただけですが、詩とか文学評論とか、コアな本が目に留まりました。品揃えはかなりマニアックそう。今度ゆっくりチェックしたい。
キャラクターグッズはサンリオ系とかリラックマとかスヌーピーとかそんな感じです。その後マックで昼食(子供はハッピーセット、私はビッグマックとコーヒー)を済ませ、再びコピスへ。下の子がスタンプセット、上の子が定規とノートを買いました。それから家で寝ている妻に、ドイツパン屋さんでケーキを買って帰りました。
とりとめもない感じでしたが、ユルく過ごせた休日です。コピス吉祥寺もそんな感じかなあ。ユルい感じのショッピングモールでしたね。ターゲットは中学生~40才手前まで。目を吊り上げて行くような場所ではありません。何気に寄って何気に帰るような場所ですね。東京駅の地下街をセンス良くした感じ。また行ってもいいかな、と思える場所でした。
吉祥寺来訪のそもそもの目的は妻の冬用コート物色だったのですが、妻が「大変疲れを感じるので私は寝る」ということになり、特に目的もなく私が吉祥寺に子供を連れて行くという、よく分からないおでかけになってしまいました。
ということでできるだけ頭は使いたくないおでかけ。こだわりなし。ジャンクカモン。昼はマックでハッピーセット。どうでもええよ。というコンセプトでのおでかけ。
最近ようやく自転車に慣れ始めた下の子を従え、30分ほど自転車を漕いで吉祥寺。何とか駐輪場を確保してコピス吉祥寺に入りました。子供には今回のおでかけの予算は3000円である旨を宣告。したがって昼食が2000円として、残り1000円。二人で分けて500円以内であれば好きなモノ買ってよろしい、と許可。子供の物欲を制御するのが面倒くさいというのがホンネです。
で、コピス。地下が食品、スーパー系。上にファッション、雑貨、書籍のフロアがある模様。まずはチャイハネチェック。うん。基本的に若い人向けのものが多く、私には厳しい。ジャンクっぽい感じもあるし。たまにイケそうなのがあるから、チェックは欠かせないんですけど、今回は特に惹かれるものがありませんでした。子供たちは天然石アクセサリーに夢中。値段を見ると500円前後から。なるほどね。中高生あたりからターゲットになってるわけ。
それから本屋を通り抜けてキャラクターグッズのフロアへ。本屋は通り抜けただけですが、詩とか文学評論とか、コアな本が目に留まりました。品揃えはかなりマニアックそう。今度ゆっくりチェックしたい。
キャラクターグッズはサンリオ系とかリラックマとかスヌーピーとかそんな感じです。その後マックで昼食(子供はハッピーセット、私はビッグマックとコーヒー)を済ませ、再びコピスへ。下の子がスタンプセット、上の子が定規とノートを買いました。それから家で寝ている妻に、ドイツパン屋さんでケーキを買って帰りました。
とりとめもない感じでしたが、ユルく過ごせた休日です。コピス吉祥寺もそんな感じかなあ。ユルい感じのショッピングモールでしたね。ターゲットは中学生~40才手前まで。目を吊り上げて行くような場所ではありません。何気に寄って何気に帰るような場所ですね。東京駅の地下街をセンス良くした感じ。また行ってもいいかな、と思える場所でした。
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