2013年4月6日土曜日

不幸なプロジェクト2

前にも書きましたが不幸なプロジェクトってのはどれも同じでございますな。
顧客が成果物にケチを付けて仕事を増やす。
現場の仕事が回らなくなって品質が落ちる。
品質を上げろと、さらにタスクを増やす。
さらに品質が落ちる。
ヒドいプロジェクトになると「徹夜でやれ」とか全体にバトルモードですな。悪循環でございます。

この悪循環に入ってしまうとほとんど逃れられないですね。

PMを変えても難しい。火消専門の優秀なPMでも。

最初が肝心。ナメられないこと。

それから、途中も絶対気にを抜けない。内部プロセスとかかっちりやって、PMやリーダーが全ての成果物に目を通して理論武装しなきゃいけない。

いやはや。厳しいですね。

顧客と信頼関係があると、その辺が実に楽。

信頼関係というのは、とにかく大事なのです。

以上。

2013年3月29日金曜日

人を馬鹿にしたい人たち その2

このネタについて考えざるを得ない近況。

一難去ってまた一難。

以前、人を馬鹿にする行為ってのは、主観的セルフイメージは高いんだけど、客観的セルフがそれに追いついていない、そんな人が、苦しいギャップを埋めるために、他人をコキおろし、相対的に自分の立場を高めてプライドを保持しようとしている、哀れな行為なのだろう、という旨のことを書きました。

ま、基本的には正しいと思うんですが。

いろんなバージョンがありますな。確かに

「劣っている人が必死になって他人をコキおろして、やっとプライドを維持している」

ってケースが相対的に多い気はしますが、

「それなりに優れている人が他人をコキおろす」

ってことがありますね。残念ながら。

共通点もあります。

ナルシズムね。人をコケにして自己陶酔してる。

なまじっか優れているだけ、後者の方がタチが悪い。

ダメな人が必死で相手をコキおろしていたら、しばしばボロが出る。すると、ダメな人でも、それに気が付くことがある。どうも相手の方が正しい気がする。オレの方がダメかもしれない。何度もそんな経験を重ねると、反省したり、おとなしくなったりすることも、ないではない。
しかし、優れた人が相手をコキおろしていると、そこに気が付かない。

頭の回転が速い分、事実を都合よく丸めこんじゃうんですな。

多少の矛盾があっても、やり込められた事実があっても、テキパキと自分に都合よい方に現実を捻じ曲げてしまう。

多少やり込められても、その場で言い逃れて、取り繕うことができる。

頭がいい人ならでは。

でも、岡目八目というか何というか。

傍からみてると、分かるんですな。

その場は、やり込められる。ぐうの音も、出ない。

でも、何となく違和感が残る。

そして、翌日に思う。

あー。


頭はいいけど、ダメな人だね。
器の小さい、想像力の足りない人だね。
あんな風になりたくないな。って。

何度も書いてますが、頭がいい。頭の回転が速い。それだけじゃダメなのね。

尊敬されるか。軽蔑されるか。

頭の良さは、あまり関係ない。

あと、生真面目な人。

こんな人も、やたら人を見下したりするね。真面目でプライドの高い人。

で、頭のいい人。

真面目でプライドが高いからこそ、理不尽な言い分でやり込められた記憶が、積もり積もってるんだろうね。

理不尽な正論で、やり込められる悔しさ。

・・・

そうは言ってもな。
そんなに世の中そんな単純じゃねーんだよ。って。

正論で、世の中が変わるのかよ(怒)

お前がやれよ(怒)

みたいな。

自分より立場が上の人間にさんざん叩かれた、真面目でプライドの高い人間が、こんどは立ち場が下の人間に対して理不尽なことを言いまくる。

虐待の連鎖とかいいますが、それに近いよね。

ユダヤ教なんかは、目には目を。とか言うんでしたっけ。

そのリアクションが、自分より立場が下の人に、いっちゃうんだよなあ。 みつを

キリストだったら、右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出せって。(難しいよね)

ブッダだったらば、恨みに恨みを以て返せば、その恨み止むことはない。だから、やめようよ。って。


数千年も前から、偉い人は正しいことを言ってたんだなあ。 みつを

ま、なんつーかね。

今日は金曜じゃないすか。

酒でも呑んで、風呂入って寝るかと。

以上。

2013年3月28日木曜日

やっぱしプロジェクトは人間が回すもんだよなあ みつを

当たり前のことなんですけどね。

人間がプロジェクトを回す。

人間がナニだと、プロジェクトがアレになる。

頭の良さって、あまり関係ないよなと思います。

センスと度胸、それから人の気持ちが分かること。

こっちのが重要だね。

人間次第で、全然雰囲気が違う。

暗ーい、鬱々とした雰囲気か。

あるいは冗談が飛び交う雰囲気か。

いやはや。

しかし、いつでも力づけられるのはニーチェの名言。

「わたしを殺さないものは、わたしをますます強くする」(この人を見よ)

あとはブッダの言葉。

いやあ。今日はね。さっさと仕事を切り上げて、合気道にでも行きたいなとか思っています。

そのくらいの自由度はあるからね。

以上。

2013年3月20日水曜日

やはり・・・

「ここ最近メンタルの方の調子がイマイチだな・・・と思っていたら鬱の季節だったのか」と昔のブログを読み返して思う。

あるいは「そういえば、確か晩冬~初春は鬱の季節だったっけ?」と気が付いて、昔のブログを読み返す。

どちらも正しい。表裏一体の気づき。

仕事場と人間関係が変わっただけじゃなかったんだな。

人間って、本当にもろいもんだな、と思います。

こういう厄介な感覚を背負うことなく、ストレートに生きられる人もいるんだろうけどね。

そういう人たちは、一等地に100平米の土地を相続したくらいのアドバンテージがあるよな。などと思っても詮無い話で。

あるもので頑張るしかないのよ。

などと思うのです。

以上。

不幸なプロジェクト

トルストイの言葉に、
すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。
というのがあるようですが、ことプロジェクトについては逆のことが言えそうです。
すべての*不幸な*プロジェクトは互いに似ている。*幸福な*プロジェクトはそれぞれの仕方で幸福である。
顧客の不信感。コミュニケーション不全。段取り崩壊。迷走。クリティカルパスの忘却。目先の突発タスクに振り回される現場。

幸福なプロジェクトはいろいろですな。

リーダーがしっかりしているとか、お客さんから信頼されているとか、何かしらポジティブなファクターがあって、それを突破口として何かと上手く行く。それが幸福なプロジェクト。

完璧じゃなくてもいい。何かしら長所があれば、それを広げて幸福なプロジェクトにすることはできる。

そんなことを思う毎日なのです。

2013年3月15日金曜日

人を馬鹿にしたい人たち

「この人から馬鹿にされる理由は全く思い当たらないのに、何故だかしらないけど馬鹿にされる」というのはどうやら普遍的な経験らしい。

などと「マウントポジションを取りたがる人の話」を読んで思ったのでした。

以前に引用した記事もそうでしたが、「他人を馬鹿にする」人の通底には、「ハイレベルなセルフイメージ」と「現実の自己」とのギャップに薄々気が付き、苦しんでいる。あるいは焦りを感じている、ということがありそうです。

だって、素晴らしい容姿やら才能やらに恵まれて「あー。自分は恵まれているよな。ありがたいな」と思っている人が、他人をコキおろすってのは考えにくいですからね。

何かしら不満があるから、他人をバカにするワケ。オレはこんなに素晴らしいのに。にもかかわらず、こんなに苦しんでいるのに。そのことに気が付かないこいつはバカかと。

人を馬鹿にする人の基本的な思考回路って、そんな感じ。

そこに、人によっていろんな風味が入ってきます。

高い濃度の「自己陶酔」が入ってくる。

「器が小さい」感がブレンドされる。あるいは「時折ヒステリーを伴う」とかね。

あー。やだやだ。疲れますな。人生って。

でも、黙ってたらやられるばかりだけど、状況が変わることもあります。

理路整然と口答えしたらば、それ以降は黙ったとかね。

子供がいて仕事があるとあまり波風は立てたくないワケですが、時折はそんな反応も必要になるのかな、と。上手くやらないとトゲが立つから、慎重にやらねばなりませんけど。

思い返してみれば、わたしも若い頃はかなり人を馬鹿にしてたなあと。高校生~大学生くらいが山だったかな。

ナルシズムもあったし、自己の能力を信じる!オレは出来る!という焦燥感もあったし、でも、結果が出なくてピリピリと追い詰められていた。のほほんと生きているヤツが、バカに見えるワケ。

正直、イヤなヤツだったですよ。あのころの振る舞いを思い出して「ぎゃー!」叫ぶこともしょっちゅうっすわ。ぎゃー。

年取るに従って徐々に落ち着いてきましたね。

自己過信が減ってきた。自分の能力に幻想を持たなくなってきた。理想と現実の折り合いがついてきた。総合的な自信もついてきた。

総合的な自信って何かというと、人生観と現実生活の折り合いとでもいいますかね。オレもそれなりに頑張ってきたじゃないかと。100%満足ではないけれど、それなりに自分を肯定できる。オレ、頑張ってるぞ。それが総合的な自信。

「東大出だから、オレは偉い」「年収3千万だから、オレは偉い」こういうのって指標自体は確かに客観的だけれど、総合的な自信じゃない。むしろ、総合的に自信がないから、そんな指標にすがりつくワケ。

逆に言えば、他人を否定して何とかセルフイメージを維持している人たちって、理想と現実の折り合いも付いてないし、総合的な自信もないってことでしょうね。

こういう人たちって、高飛車なんだけど案外もろかったり、弱かったりするので、しっかり言い返すことは重要だよな。などと思うのです。

ブツブツ

2013年3月11日月曜日

やっぱり名著

岩波文庫「ブッダの真理のことば・感興のことば」。

出勤前に目に留まり、ナニゲに手に取ってパラリとめくってみました。

ホントにナニゲ。あ。そういえばこんな本があったな。ってくらいのナニゲ。

適当にページを開いていきなり目に入ったのが・・・
悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮らそう。

愚人とともに歩む人は長い道のりにわたって憂いがある。愚人とともに住むのは、
つねにつらいことである。--------- 仇敵とともに住むように。
心ある人と住むのは楽しい。--------- 親族に出会うように。
あー。そうだよ。その通りですよ。

なんで大昔の人に、今のわたしの状況が分かるかね。

などと思ったのです。最近ストレスフルだったからなあ。

というわけで本日は出勤うぃずブッダ。

悩んでいる人はほっとけ、と。

愚人といるのはつらいから、なるべくよそうよ、と。

なんだか傲慢でしょうか。

そうとは、思えないです。

足の引っ張り合いやら、しょーもないエゴとエゴとの衝突(いくらでも回避できるだろうに・・・)などを日常的に目の当たりにすると、ね。

結局のところ、悩んだり、苦しんでる人が、お互いに足を引っ張りあったり、しょうもないシノギ合いをしてるわけですよ。

だったらそういう人たちはさておいて、われわれは悩み無く、楽しく生きようと。

ま、そんなに簡単にゃ、いきませんがね。

以上でした。

2013年3月10日日曜日

匿名ブログにもメリットはあるよな


このブログを、「99%匿名(両親もしくは数少ない友人がこのブログを見て本人特定できるかどうか)」という方針で、自己慰安という喜びだけで数年書き続けてきて、それはそれで地味に満足してはいたものの、こと客観的成果という観点からすれば砂漠に砂をまいてるも同然だよな。ここに掛けるエネルギーを使って、もう少し客観的な成果を上げられないかということで「80%程度匿名」コンセプトでブログを開設・移転してみて、相変わらず読者の方々からのレスポンスはほとんど貰えないものの、ブログ含めていろんな刺激を受けて、今年から新たな副業などやってみようという新たなステージに来ることができたのは、やはり99%匿名ブログを辞めて80%匿名ブログを始めた成果ではなかろうか。と思いつつ、やっぱり80%匿名ブログだと、書きにくいようなネタもあったりするので、そんなネタはたまにこっちに書いてみようかなどと思う昨今。

では早速。

頭の悪い人ほど自己評価が高いのはなぜか

うつ病の人は自己評価が低いって話もありますし。

以前80%匿名ブログに書いたように、仕事の出来る人は自己評価が(根拠もなく)高いってこともあるし。(逆は必ずしも真ならず)

自己評価が高いのも、一概に悪いこととは言えませんな。

しかし、中には性質の悪いのもありまして。

「頭が悪い等ある種の能力が低いにく関わらず、自己評価が高い」。

それだけなら別にいいのですが。

自分でも薄々感じているその矛盾を埋めるために、人を馬鹿にし始める。


こういうハタ迷惑なのがいますな。

経験的にも能力的にも平均より優れているハズのオレの発言あるいはスキルが、経験的にも能力的にも劣ってるハズのアイツよりも、どうやら劣っていることがあるらしいが、これは妙なことだ。
しかしながら、アイツにはそれ以上に大きな欠点があり、その辺を総合してみると、やはりオレの方が優れている。だからアイツをバカにして、イジメてやらねば。


こんなイミフな思考回路で、自分より立場の弱い人間を馬鹿にする。

セルフ・イメージを維持するためだから、多少イミフにならざるを得ない。もう必死。

何とも、イタイ。

そういう人の、精神構造まで見えてしまうと、バカにされている方もちょっとイタイなーとかしんどくなってしまう。

真っ向から立ち向かうと、角が立つ。

ま、頭を伏せてやり過ごしていれば、こういう人はかなりの確率でシュリンクしていくのでしょうけどな。

人生ってのは、ホントいろいろあるよな。と思うのです。

以上。少し、スッキリ。

2012年7月18日水曜日

7/18 朝

ジョギングのちシャワーのち緑茶。

メインと言えそうなコンテンツは、最近は別ブログに書いています。

こっちには「かゆいなあ」とかそんなことばかり書くかもしれません。

2012年7月17日火曜日

7/17 朝

ジョギングのちシャワーのち緑茶。

痒くても夏が好き。

昨日はSPA50の日焼け止めを購入。紫外線アレルギーからは慎重に身を守るのだ。

アセモによるかゆみもなかなか厳しいけれど、狂おしいほど痒い、という訳ではない。シャワーと薬とムヒで抑えるのだ。

相変わらず別ブログ模索中で。

2012年7月16日月曜日

7/16 朝

やっぱ夏好きだわ~

疲れが溜まっているとみてジョギングはおさぼり。

シャワーのち緑茶が切れていたので、紅茶で。

部屋の隅に積んで見ないふりをしていた秋冬のシャツを洗濯中。ようやく仕舞えるな。

別ブログでキャラ模索中。ってほとんど見られてませんが。

今日はのんびりしよう。

ブツブツ

2012年7月15日日曜日

7/15 朝

いやー。寝苦しかった。

さすがに今日あたり扇風機を出さねばと思うのです。(子供部屋には既出(?)なんですけど)

でも夏はいいですねえ。

朝の5:00から明るい。

楽しいじゃありませんか。

まだ暑くならない早朝に頂く、熱い緑茶もオツなもの。


今年の収穫は何と言ってもかゆさの主原因の判明。

日焼けアレルギーね。

昨日はSPF38の日焼け止めをしっかり塗ったけれど、一時間弱日光にさらされたら、少しかゆくなったという。
 腕用にはSPF50の日焼け止めが必要である、と確信したのであります。

あせももかゆいけど、こっちは狂おしいほどのかゆみではないし。

ブツブツ・・・

2012年7月14日土曜日

7/14 朝

雨の合間を縫って久しぶりのジョギングのち緑茶。

別ブログ試行錯誤中な感じ。

ブツブツ

2012年7月13日金曜日

7/13 朝

本日も忙しいのです。ブツブツ

2012年7月12日木曜日

7/12 朝

緑茶が美味い朝。

えーと。

そうそう。早野先生によるダニエル・カールさん講演ご紹介の連続Tweetがなかなかよいのだけど、まとめがないかな。

2012年7月11日水曜日

7/11 朝

朝起きて緑茶。

いろいろ建設的なことをやりたい一日なのです。

別ブログ試行中。

がんばろう。

2012年7月10日火曜日

7/10 朝

ジョギングのちシャワーのち緑茶。

昨日は久しぶりにスタバでコーヒーを飲んだら美味かった。のちカフェインでクラクラ。
もともとあんましカフェインに強くないのです。 ところでスタバのシュガードーナツ美味いよね。

イジメ事件。全国的にイヤな気分をしてる人が多い模様。

別途ブログ作成中。

さてさて。本日も頑張るぞ。

2012年7月9日月曜日

7/9 朝

久しぶりにジョギングのち緑茶。

今日はコーヒーを飲みたい気がするぞ?どうしよう。

と、他のブログ試行中。

いじめの件。

ブログ、Twitterでお父さん方の厳しいコメントをよく見かけますねえ。
やはり、お子さんを持つ家庭は、気が気じゃないっすよね。

わが家。

上の子は非常にマイペースだし、下の子はやたら空気が読めるので、清潔でそこそこオシャレにしていれば激越ないじめの標的にはならないだろうとは見込んでいるのですが、どうなることやら。

マイペースな性格は軽いいじめの標的になりえるし、そこからエスカレートすることがないとは言えないし。一方で空気が読めたら読めたで、今度はいじめ側に加担する可能性があるし。

心配は尽きないのですな。

うちが一つ気を付けているのは、子供が困ったり、何か変だなと思ったら、親に相談できる、そんな家庭を維持すること。

やっぱりいじめられていることを子供が言ってくれないと、どうしようもないですからな。

分ってからの対処も大変そうだけどね。

例の件は親御さんが頑張っても食い止められなかったらしいから(事実関係は正確に把握してないけど)、ヒドイ話だよね。

ブツブツ・・・

2012年7月8日日曜日

手羽餃子の顛末

以前、とある会合で小料理店経営の後期オバサマが持ちこんだ手羽餃子を頂いたんですよ。

それにワリと衝撃を受けましたね。

「どうやって骨取るんですか!?」って聞いたら「取れるのよ!」だって。

美味い!ってびっくりするほどではないけれど、あ!これは贅沢だね!美味しいっすね!って感じ。

手羽の中身に餃子を詰める。なかなかの発想。相当な快楽主義ではありませんか。

ということで、一度作ってみなあかんなと。

購入したるナントカ赤鳥。

これをベリッとめくるんですが、メチャクチャ大変っすね。

指、大活躍。爪、総動員。

親指をグイッ!と突っ込んで、人差し指を隙間に突っ込んで、肉を削って筋を引きちぎる。

相当大変でしたわ。

で、ようやく8本処理して、さあ具を詰めるかと思ったら入らないの。

破れたところをツマヨウジでナニすればいい、と思ってたけど、そもそも袋状じゃないし、薄くもないし。


こりゃ、ダメだ。

ということで具と和えちゃった。

でもまあ、このまま焼くと具だけ焦げるのが明らかだから、せっかく和えた具だけど、やっぱり丁寧に落としてフライパンへ。
じっくり両面を焼いてから、残りの具をかぶせて蓋で蒸し焼き。
酢と醤油を掛けて頂いたのでした。




ということで子供たちの感想。

(妻は鳥の皮と脂を好まないので絶対に食べない)

ま、黙々と全部食ってましたね。特に文句はなし。「骨がない・・・」くらは言ったかな。

わたしも、そこそこ美味いなと。具が中に入ってたらもっと美味かったろう。

上の子と話して、七輪の手羽焼きで十分だよね、という結論に至ったのでした。

次回はあるのか。どうだろう。

以上。

7/8 朝

雨とか湿度が高いとか、すっきりしないのは梅雨だから仕方ないのです。

さて本日も頑張ろうと思ったらイヤな情報を見てしまった。

小学生が「原発は必要か」討論したら賛成派が多数になったことへの反応まとめ

かしこい子供って大人の顔色読むの上手いからねー。演技も大人より上手い。
放送前に、大人が方向性を暗示すれば、器用にそれに合わせてくるんだろうな。

逆に、事前に子供たちに、原発のコスト対効果や、福島の小学生や大人たちの不安をインプットしたら、別の結論を引き出せたはずだ。

小学生が個別に具体的に自分の意見を持てるわけがないよ。と言ったら語弊があるかな。

でも自分でネガティブ、ポジティブ情報を両方集めて、自分の力で本当に考えられるのは、個人差はあるだろうけど、少なくとも35歳過ぎてからじゃないかと思うんだよね。(人によっては40、50歳になっても怪しい)

(独り言) 20代前後の方が、何のしがらみもないから、まっすぐに結論を引き出せる場合もある。でも、若いだけに浅薄な結論に飛びつくことは多いだろうな。(かつてのわたしが小泉改革に少し期待してしまったように)。もちろん、若者がストレートに、ストレートな真実に真っ向に取り組むということはあるだろう。
逆に50歳、60歳になったらなったで、頭がガチガチになって考えを変えられないってのもあるよね。石原都知事やら経団連のお偉いさんの頭ん中は、まだ1980年代なんじゃなかろうかとか。

(独り言追加) 自分の意見を確立するためには、まず事実を把握し、それについての複数の対立する意見を吸収、評価して、自分の世界観、人間観とすり合わせ、さらに自分の考える「あるべき論」や「信念」と調整する必要がある。小学生にそんなことはできない。

マスコミは人の意見を左右するのなんか簡単だぜ。とか思ってるんだろうし、事実そうだ。

子供は利用しやすいってこと。

あーやだやだ。