2011年4月16日土曜日

今日のお酒(福島産)

今日は何のお酒にしよっかなー。と食材を探しに行ったスーパーにて。

やはり東北地方、太平洋側のお酒。と思って探していて、浦霞発見。奥の松発見。しかし、このレベルのお酒を呑みつづけるのは財布に厳しいなあ(気持ち的には呑みたいんだけど。美味いから)・・・と紙パックコーナーにて。

あ。これ・・・


福島のお方だったんですね。

地図で確認したところ、おそらくさほどの被害は受けなかったと思われる地域(本当はどうか分かりません。ただの推測)。

でもまあ、福島は福島。こちらを頂こうかと。

以前からわりと愛飲していたお酒です。パックにしては上出来の方。若干薄いんですが、スッキリ美味い。冷やでおいしく頂けるお酒。日本酒の王道たる(とわたしが信じる)ぬる燗にはキビしいですが。

暖かかった本日は、このお酒を冷やで頂こう。

今朝の勉強(4/16)

hayano:(日本地質学会 日本の自然放射線量 http://bit.ly/g0aP7v
へー。結構出てるもんですねえ。

放射線ということは天然ウラン?とか思ったんですが、そうでもないんですね。Wikipediaによると 三重水素(トリチウム)や炭素14などであり、地殻由来のカリウム40、ルビジウム87、ポロニウム210、鉛210が、ウランやトリウム、ラジウム トカトカ。

へー×3

(12:28追記)
hayano:(国際宇宙ステーションに6ヶ月滞在すると160 mSv,NASAの宇宙飛行士の生涯被曝限度は,25歳女性で1000 mSv,55歳男性で4000 mSv !!! これは本当に別世界. http://1.usa.gov/he8gOw

ほー×3。すごい世界があるもんです。
あー。そうだ。他のリスク(例えば事故)の方がよほど高いんだ。放射線なんか、ギリギリまで構ってられん!と。こちとら宇宙で生きるか死ぬかなんだ!と。なるほどねー。そうだろうな。

2011年4月15日金曜日

team_nakagawaさんブログ更新。偏見は止めよう!

team_nakagawaさん ブログ更新。
放射能はうつるのか?
更新スピード早かったですね。
結論は

うつらない。

適当な情報源から、普通に情報収集されている方なら自明だと思いますけど。

しかし、こんな話もありましたね。

被曝チェック未済の人は、病院での診療を拒否されたとか。

福島郡山出身の西田敏行さんによると「福島の女は嫁にもらうな」などというバカげた中傷まで言われているということです。(ソースはここ数日の毎日新聞。夕刊?時事から積極的に遠ざかってるので、確認しません。)西田さんもそうとう怒っておられる。

偏見もアカンですが、「将来、あたしはちゃんと子供が生めるのだろうか」と若い女の子が心配されるのも、よくないですな。

そういうケアなり、情報発信が、今後大事である。

原子力委員会:国民の皆様からのご意見募集

hayano: 【原子力委員会:国民の皆様からのご意見募集】とのことです.http://bit.ly/eq0FBJ

以下を送信しました。

・原発の新規建設停止
・もんじゅは即刻停止。(ズルズルとリスクを伸ばし、金を浪費するだけ!損切りすべき!)
・既存原発の廃炉ロードマップ策定

あと激越なコメントを一発。やりすぎたかな。でも止まらんかった。

子供が、ナイフで無邪気に遊んでたら、「危ない!」って怒るのが自然な親の態度。

欲ボケバカジジイが、原発で金儲けしようとしてたら、「危ない!」って怒るのが自然な国民の態度。

うん。そう思うよ。ほんとに。

夜の臨済録(4/15)

明日は休みだ!

妻の差し入れを頂きつつ。有難き幸せ。


うん。時事情報を遮断してから精神がいい方向に向かって来てる気がします。
過度な興奮、強い一喜一憂は精神に良くない。
もちろん、怒り、憤りなどなどのネガティブな感情も。心が焼けてしまう。
もともと気分にムラがある躁鬱タイプなので、気をつけねばなりません。>自分

今晩も臨済録。

諸君、心というものは形がなくて、しかも十方世界を貫いている。眼にはたらけば見、耳にはたらけば聞き、鼻にはたらけばかぎ、口にはたらけば話し、手にはたらけばつかまえ、足にはたらけば歩いたり走ったりするが、もともとこれも一心が六種の感覚器官を通してはたらくのだ。その一心が無であると徹底したならば、いかなる境界にあっても、そのまま解脱だ。 (下線わたし)

心は十方世界を貫いている。われわれは、太古の生命と進化の歴史に思いを馳せ、あるいは夜空を見上げ、途方もない広さの宇宙に想像力を飛翔させることもできます。心は時間、空間にほぼ無限に広がり、世界を貫いている。

宇宙があって、星雲があって、銀河系があって、太陽系があって、地球があって、日本があって、東京があって、練馬があって、自分がいる。そういう世界に、わたしは生きている。

父母がいて、祖父母がいて、曾祖父母がいて、どんどん時代を辿るとおそらくは猿人、原始哺乳類に至ることができる。そういうとてつもなくゆったりとした生命の流れの中に、わたしの短い人生がある。

そんなわれわれの世界は、言葉や本はもちろんですが、手に触れるもの、大地、人との関係、食べ物、いろんなものから成り立っているわけです。それは全て「心」のはたらきによっている。この「心のはたらき」。西洋哲学の用語を使えば「超越論的意識」ということになるでしょうか。いちいち意識して宇宙を構成しているわけではない。でも、宇宙がわれわれを取り囲んでいることは分かる。悠久の時間の中に生きていることが分かる。われわれはそれを確信している。世界の成り立ちを確信している。心が貫いているからです。

なるほど。

ところが、臨済さんは「その一心が無である」と切って捨てるんですね。

え?

どういうこと?

ここは、大変難しいところだと思います。

無とか空って、大乗仏教の究極の真理だとか言われます。

わたしもよー分からんです。

頭で考えてもしょうがないんかなーとも思いますけどね。

無。

むむむむ。

ブツブツ考えているんですが、こういう解釈ができるかな。というのが三つほどあります。頭で考えてる時点でダメなんかもしれませんけどね。ま、しょうがないっすよ。

一つ目。時間的な無。
禅は今。この瞬間にズバリと生きることを重視してるわけです。
今、その瞬間。時間的な瞬間を取り出すと、それは実は無じゃないか。
時間があるから、存在がある。
今、そこにある。しかし、その「今」をギリギリまで突き詰めると、それは「無」になってしまう。
ギリギリの瞬間に己れを徹底すれば、それは無なんじゃないか。

二つ目。普遍としての無。
普段、オレオレと思って生きてるわけですね。
これはオレの心だ、と。オレの手だ、と。
しかし、このように十方世界を貫いているような心。それはもはや普遍存在。「個としてのオレ」など超えているじゃないか。つまり、オレなどというものが消えてなくなる。心があるのみ。己れが消えれば、それは無じゃないか。

三つ目。宗教的トランス状態を「無」と呼んでる。
何か静かな場所で座禅とかしてると、トランス状態の宗教体験ができると言います。
それを「無」だと言ってるんじゃないか。

一つ目か、二つ目あたりじゃないかなーなどとつらつら考えております。三つ目だと何だか安っぽい気がする。

ま、そんなところで。

早野さん情報:アメリカが事態好転とアナウンス。

hayano:(アメリカが,事態は3/16頃と比べて好転しており,一時帰国していた公務員家族は日本に戻ってもOKとアナウンスしているが,これを日本人が見て安心するという図式も奇妙だ http://1.usa.gov/gJlKT3
早野さんが帰国されると安心するという図式も奇妙だ(笑)
引き続き事象を見守っておられる様子。

鳥つみれ鍋、肉団子トマトスープ

タイムスタンプによると3月末の写真。2日分です。同時に一日で作ったわけではありません。(ま、どっちでもいいようなもんですがね)

まだ心が安定していない様子が伝わります。どの辺が安定してないかというと、写真にストーリーが感じられない。とりあえず上の空で撮った感じ。1週間前の自分とは、もはや他人なり。

鳥つみれ鍋。

不味かった記憶はないので多分美味かったハズ。失敗しずらい料理。

日を改めて肉団子スープ。これだけ。上の空写真。

確か大量に作ってまたしても妻にイヤミを言われた記憶があるな。だから子供とオレで食べきるから。大丈夫だから。って。

さてさて。今週末はね。休みますよ。しっかりと。食べ過ぎ飲み過ぎもせず、体調を整えて、睡眠をしっかり取って、と。心身の疲れは、イクナイ!

以上。

ストレス解消には怪しい踊り

とにかく、踊ってみる。
めちゃくちゃでもいいですし、バリ島の踊りを模してもいいし、インドっぽいイメージでもいいです。

手を振り首を振り足を振り腰を振る。

すると、結構リラックスできます。お勧め。

朝の7時。妻と一緒にしばし怪しい踊りを舞う。楽しい。

外ではできないのが難ですけどね。

今朝の勉強(4/15)

team_nakagawaさんブログ更新。
がんの放射線治療──その2 全身照射
後で読もう。

昼休み追記)
へー!すっげー!そうなんだ。これは驚いた。
骨髄移植の前に行う全身照射は、体全体に均等に放射線を照射する点で他の放射線治療と大きく異なります。全身照射の目的は、白血病細胞を完全に消失させることと、患者さんの免疫力を一時的にノックアウトして、他人の骨髄を自分の臓器として受け入れるようにするためです。
私たちのチームでは、1回2 Gy(グレイ)で、1日2回の照射を3日間連続して行い、合計12 Gyを全身に照射しています。

スゴい治療法があったもんで。しかも有効なんだ。

ま、考えてみれば、手術でお腹を開くのも乱暴な話ですよね。それが有効であるなら、そういう手段もあるんだ、と。ま、できれば生涯この治療法とは縁がないことを願いますけどね。

こちらは早野さん
hayano :【日本の地震学、改革の時】ゲラー先生のNature記事和訳.http://bit.ly/f9vRff

臨済録をぱらりとめくる
思いまどう必要はない。君たちの心と心が異ならぬこと、それを活きた祖師というのだ。もし異なった心を生じると、心の本体とその現れとが別々になる。しかし一心は異ならぬから、その本体と現れとは同一である。

あるがままの心が一つ。

2011年4月14日木曜日

今日の臨済録(4/14)

もしお前が一切のものは生起することなく、心も幻のように空であり、この世界には塵ひとかけらのものもなく、どこもかしこも清浄であると悟ったなら、それが仏である。

生々しい話ですが。

いわゆる放射性物質。ウラン、プルトニウム、ストロンチウム、セシウム、ヨウ素。

こいつらそれ自体は悪じゃないんですね。人間に害を及ぼすから、恐れられる。

にもかかわらず、人間が大量に作る。だから余計に嫌われる。

結局、人間の所作なんだ。人間が作り、人間が嫌っている。

自然には罪はない。自然はそれ自体あるがままだ。自ずから、然あるのみ。

放射性物質それ自体が、人間に有害なことをしてやろう、などと思ってるわけじゃないんだ。

それを上手いこと利用してやろうという人間が、浅はかだっただけなんだ。

放射性物質には、罪はない。

人間の価値観を離れれば、全て清浄。全部、仏だ。

ま、なかなか飲み込むのは難しいですけどね。

所詮は人間の価値観なのだ、と。

山川草木悉皆仏性。全ては仏。

なかなかそこまでは徹底できませんけれど。

悩み、苦しむのが凡夫ってことで。

宮城のお酒 浦霞

今酒呑みにできること。

それは、酒を呑むこと。

しかも、楽しく。



吉田類さん 東日本大震災義援イベントのお知らせ
合い言葉は「我々酒呑みにできることは、楽しく笑って酒を呑むことだけだ」
なんつーか。酒呑みなら分かって頂けることかと思います。

どーせなら、福島周辺のお酒。

ということで、福島在住の方のブログでご教示頂いた以下の酒
(福島) 磐城壽 金寶 あぶくま(中通り)
(宮城) 愛宕の松 乾坤一 日高見 墨廼江
を求めてスーパー、酒屋に行ってみたんですが、無いもんですねえ。

とりあえず福島、宮城のお酒を探して、今回ゲットしたのはこちら。


浦霞です。公式ページ。再建に向けて大変なご努力をなさっておられます。

微力ながら、及ばずながら、福島、宮城の酒を呑むばかり。

ただ、無心に、楽しく、そして有難く呑むこと。それがせめてもの気遣いか。

鳥皮とネギの炒め

いきなり定番化した「鳥皮とネギの炒め」。

美味いんすよ。これが。
写真はこれだけ

レシピはクックパッド。ただし片栗粉は入れない、というアレンジ採用。しっかり炒めたかったからです。モツのグニグニは好きなんですけど、鳥皮のグニグニは脂感が強いので、できるだけ脂を落としたい。片栗粉入れてしっかり炒めると、焦げちゃうだろうと思って。

しっかり鳥皮を炒めて、次にネギを炒める。味付けは砂糖と醤油を塩梅。

これだけのシンプル料理ですが、実に美味い。日本酒に合う、ビールに合う。七味など振りかけてもグッド。調理の合間にささっと作って、飲みながら、つまみながらの調理。小確幸の一時。家族はネギも鳥皮もさほど好まないので遠慮なく独り占め。

これまで鳥皮は「何とかならんものかなあ」と思いながらやむを得ず捨てていたんですが、こんないい料理があったとは!って感じです。

また作ろう。

お茶を一服



ふー。

Webなど見ながら漫然と食べるから、食べ過ぎるんですな。

瞬間瞬間を味わわねば、と。

今朝の無門関(4/14)

ある時、僧が趙州に尋ねた、「私はこの道場に入ったばかりの新米でございます。ひとつ尊いお示しを頂きたいと思います」。すると趙州が言われた、「朝飯はすんだかい」。僧が言った、「はい、頂きました」。そこで趙州が言われた、「それでは茶碗を洗っておきなさい」。僧はいっぺんに悟ってしまった。

日常が、大事。

2011年4月13日水曜日

臨済録再読(4/13夜)

諸君、正しい見地をつかんで天下をのし歩き、そこいらの狐つき禅坊主どもに惑わされぬことが絶対肝要だ。なにごともしない人こそが高貴の人だ。絶対に計らいをしてはならぬ。ただあるがままであればよい(下線わたし)

ま、昔の中国の修行僧に向けられた言葉ですけどね。

現代日本のわれわれがそのままこの言葉を受け取ってはイケンのかというと、そうでもないのかな、と。

んでもって、特にこの「あるがまま」をもっともらしく解釈する必要もないのかな、とも思いますね。

食べて、ウンコして、喜んで、怒って、笑って、泣いて、寝る。そういう生き方が「あるがまま」。

それでいいんじゃないか。

それじゃあんまりか。

でも、わたしには「あんまりな理解」とも思えないんですな。

自分を振り返って見る。

これまで、食事をちゃんと食べていたかと。心ここにあらず。ボケーッと何気なく食べてなかったか。

ちゃんとウンコ・・・これはいっか。

子供がいいことをしたとき、心の底から喜んだか。

子供が悪いことをしたとき、正しく、子供を傷つけずに怒ったか。

心の底から、笑ったか。

心の底から、泣いたか。

今、この時を、あるがままに、生きているか。

あるがままであれ、と。

あるがままに生きろ、と。

せっかくの人生なんだから。

臨済さんはそう言ってるんじゃないか、とわたしは思いますね。

早野さん情報:海域汚染予測(プロ向けかな)

hayano: 訂正 気象庁→JAMSTEC【参考 :気象庁】海域における放射能濃度のシミュレーションについて 4/12 → http://bit.ly/ghe4Ah (ようやく出てきた...)
プロ向けだろうな。
素人としてはざっと広がり具合を確認。
岩手県沖あたりは、5月以降は問題ないのかな?

ふむふむ、と。(これは時事じゃなくてお勉強)

さんま骨まで柔らか煮、大根もち、イシモチ蒸し焼き、卵スープ

3/20の写真。写真のタイムスタンプからすると一晩で作った模様。どっさり作ってるなー。贅沢だなー。後ろめたさは忘れずに。当時のことは覚えていませんが、東京消防庁の皆さんのご活躍にすっかり安心し、張り切ったのかもしれません。

さんまは定番。圧力鍋で30分。


大根もちは初ですね。大根が余ってた記憶。CookpadNHK教育のサイトを参考にテキトーアレンジしました。桜えびがなかったからじゃこにした、とかね。案外簡単です。


イシモチは子供の大好物。生臭くない。さっぱり白身。いつもはオーブン焼きにするんですが、節電ムードだったのでビタクラフトで蒸し焼き。卵スープも子供の好物。


大根もちは美味かったです。大根好きなんすよ。酢醤油で頂いて日本酒をちびり。うめー。

ちょっとだけほろ苦いかなー。と思ったんですが子供からも好評。

ふと、西行法師の(ものとされる)歌を思い出しました。

何事のおはしますをば 知らねども かたじけなさに涙こぼるる

ただ、感謝して、頂く。

暗い夜

昨夜、ウィルキンソンのジンジャーエールが飲みたいねー。と妻と話していたら矢も盾もたまらん状態になってですね。「まだ酒屋開いてるんじゃない」「じゃ、ひとっ走り行ってくるか」とリターナブル瓶持って近所の酒屋に出かけたんです。

すると、いつもなら開いていた時間なのに、店は閉まってたんですね。あー。これはあれか。節電のあおりかな。だったら仕方ねーな。と思って自転車ちんたら漕いでてふと気がつく。あたりが暗い。そうか。街灯もなるたけ消してあるのね。

何だか、なつかしーなー。と思って。

夜に店が閉まる。

夜道が暗い。

20年ほど前ってこんなもんじゃなかったけ。と思って。

コンビニなんか無かった(都市部にはあった?)し。田舎の夜って暗かったし。

つーか、今まで東京が明るすぎたんじゃないかと。店が夜遅くまでやってる必要があるのかと。

そんな風に思いましたね。だって、夜って暗いもんだよ。お店の人だって生活してるんだから、夜遅くまで働くのは気の毒じゃないか。

競争競争で24時間営業。それでよかったのか?と。正月だってお盆だって、休めばいいじゃない。売上のために頑張って店を開くことないじゃない。従業員の生活犠牲にしてまで、売上求めなくたって、いいじゃない。

頑張る方向が違うんじゃないかな、と。

そんな風に思いましたね。

電気がないんだったら、効率的に仕事終わらせて、さっさと帰って、家族で過ごしたらどうか。

コンビニ開いてなかったら、翌朝まで我慢したらどうか。

ビジネスも消費も大事だけれど、その辺りも大事じゃなかろうか。と思いました。

時事チェック一時ストップ

少なくとも1、2日間は、ネットでのニュースチェックをストップしようと思っています。

どうも最近、ニュースを見るとネガティブな感情が止まりません。もはや胸焼け状態。胸が痛いわ。マジで。

落ち着くまで情報を遮断することにしました。
(紙の新聞を遠くから眺めるくらい)

無門関より(4/13) 巖喚主人

瑞厳の彦和尚は、毎日自分に向かって「おい主人公」と喚びかけ、自分で「はい、はい」と応えられるのであった。「しっかりなされや」。「はい」。「どんな時も他人に騙されてはなりませんぞ」。「はい、はい」。と自問自答されるのが常であった。

自分を信じることです。