まずは頑固な顧客至上主義者。
次に顧客の単なる拡声器。
すなわち、顧客の不安とクレームとを増幅して下に押し付けるだけの存在。
モットーは「健全な精神は健全な胃腸に宿る」「生きてるあいだは上機嫌」
主張として「原発は営利企業に任せるべきでなく、もんじゅは絶対に廃炉!」「税金には気をつけろ!」
もう一つ、福島原発作業員の方々ならびに早野先生に国民栄誉賞を。
サブ・ブログという位置づけで、細々更新しています。
まずは頑固な顧客至上主義者。
次に顧客の単なる拡声器。
すなわち、顧客の不安とクレームとを増幅して下に押し付けるだけの存在。
ニ。金持ちは、社会に貢献すればよい。クリスマスに寄付するのもよいし、有り余る金を基金として慈善事業を行ってもよい。それが神のご意志である。
三。故にどれほど稼いでも、信仰し慈善を行えば何の問題もない。
四。貧乏人は信仰を通じて格差を是認することができる。すなわち、本当の幸せは死後の世界にあり、現在の金銭的豊かさなど全く問題ではないのだ。
五。神は金持ちと貧乏人両者の味方である。両方の生き方を、それでいい、と肯定してくれる。格差には、何も問題がない。
まだ少し浅い気がするなあ。一応メモということで。
★★★★★☆:必読かも
佐藤優さんの薦める本は、立花隆さんのそれと比べると、何で今の時代にこんなもの薦める?と思わされたり、わりとコケ脅し的な本もあって実に玉石混淆なのですが、これは当たりでしたね。相当面白い。
ゴルバチョフさんの名前は、私の中ではぼんやりと「冷戦終結」「ソビエト連邦崩壊」というキーワードと結びついていただけでしたが、この人の考えていたこと、やろうとしていたことが初めてわかりました。いや、大した人です。この人は。
結果的にはソビエト連邦の崩壊の端緒を開いたわけですが、その認識だけでは到底この人を正しく評価したとは言えません。
スターリンから始まる全体主義を否定し、自己保存が目的と化した強固な既得権益の固まりである官僚主義と戦い、官僚と結びつき、腐敗、硬直した農業と産業の改革を進め、中央集権構造を民主化しようと頑張った。しかも、それほどまでに困難な仕事をあくまで民主的にやり通そうとしました。信念の超人です。超人としか言いようがない。確かに結果は出せなかった。政治においては結果がすべてです。どれほど善い意図だったとしても、結果的に民が飢えたり、社会の混乱を引き起こしてはどうしようもない。しかし、この人の動きをみると、ゴルバチョフだったから踏みとどまることができた。彼ではなかったら、もっとひどいことになっていたのではないか、と思わされます。
それから、われわれは社会主義の崩壊を、全体主義に対する民主主義の、計画経済に対する自由経済の勝利、といった感じに図式的に解釈しているわけですが、それが浅薄な見方であることがよく分かります。まず全体主義イコール社会主義ではない。経済を統制するという考え方は、全体主義と非常に親和性の高いものだとは思います。しかし、社会主義と民主主義は相入れないものではありません。また、計画経済に対する自由経済優位の理由として、競争原理が挙げられるわけですが、別に競争原理が自由経済の専売特許なわけではない。実際、ソ連でもコルホーズに試験的に競争原理を持ち込んで成功した事例はあった。でもその展開を妨げるものがあったのです。それは官僚主義。
中央の官僚たちは、コルホーズが自分たちで計画し、自分たちで考えることを嫌ったのです。あくまで自分達の権力を失いたくはなかった。そこには権力欲と、もちろん利権の問題があります。つまり社会主義の敵は官僚主義と極端な中央集権構造、それから権力闘争だったようです。
ゴルバチョフが直面した課題の数々をよく表している一節がありました。上巻382ページ。
チェルノブイリはわが国体制の多くの病根を照らし出した。このドラマには長い年月の間に積もりつもった悪弊がすべて顔をそろえた。異常な事件や否定的なプロセスの隠蔽(黙殺)、無責任と暢気、投げやりな仕事、そろいもそろっての深酒。これは急進的な改革が必要であるもうひとつの確実な論拠だった。
ソビエト連邦の崩壊を他山の石とするなら、そこから学べるのは、既得権益への人間の執着が、そして変化に乗じて一儲けしようとする欲望が、いかに全体の利益を損なうか、ということかもしれません。
1.人は失敗し得る。
2.プロジェクトとは人の所為である。
3.ゆえにプロジェクトは失敗し得る。
上記証明を人は信じない。
失敗はありえない。失敗の原因をなくせば、失敗はなくなるのだ。
しかし、プロジェクトは大なり小なり必ず失敗する。
人は失敗するものである。この事実を受け入れない人にとって、プロジェクトは悪夢でしかない。
いつまで悪夢にうなされるつもりなのだろうか。
日本のマスコミに出た時は、何だかとても偉そうだなあと(まあ偉いんだけど)反感を持ったのですが、アメリカで理不尽にやり玉に上がっているのをみると応援したくなります。頑張れ豊田社長。
経歴だの経験談だのを読んでなんだどっかの社長のぼんぼんじゃないかチクショウと反感を覚えるのですが、読み進めるとそんなに悪くなかったです。ちゃんと考えているし、頭もいい。
しかし、ヨガってやっぱり女性ユーザーが多いのですねえ。この本でも、ヨガ教室の発展は女性の参加が鍵だったという旨が書いてありました。男社会でいろいろなストレスに直面してんだろうな、と思います。それから頭で批判的にアレコレするのではなく、まず信用してやってみる、というポジティブさが女性にはあるのかもしれません。男はいろいろ理詰めで考えてなかなかすんなりとは動かないけど、いざやり始めると極端に走る傾向があるように思います。性差というのは面白い。
念のため妻に、なんでヨガのユーザーに女性が多いのか意見を聴いてみたら、そりゃあ女の人は自分の体への関心が強いからよ、との言葉。なるほどねえ。確かに。男は体に無頓着かもしれませんね。痛いところがなければ意識しないもの。ちょっとお腹の調子が悪い気がするなあ、と思いつつ、急行電車にのったらうんこ漏らしたりしてね。そんなことはないか。というか流れに関係ないか。しかし体に滅多に意識を向けないというのは、ある意味で自由なのかもしれませんが、それはそれで不健康と言えます。健全な精神は健全な身体に宿る、と。不健全な精神も、それを貫徹させるためには健全な身体が必要です。
一方女性は月のものは来るし、子供は産むし、老化現象は容赦なく外見を襲うしで、身体とそのメンテナンスに意識が向かざるをえないのでしょう。
ヨガを実践することで身体が語りかける音に耳を傾けることは大事だと思います。それが宗教的な言葉に結びついて日本人の口から聞くと、何だか怪しいなあという気がしますけど。偏見かなあ。座禅なら違和感ないけどね。
以上。
普段は国産小麦粉使ってるんですけどね。生協の店に行くタイミングを逃したので、まあたまにはガメリヤでも使ってみるか、と。
例によってテキトーレシピなので、厳密な比較にはならんのですが。
はい。夜間発酵成功。二次発酵完了。オーブンを暖め焼きます。
その間に生協のウィンナー+トマト缶スープ。
KAGOMEのホールトマト缶を使ったら若干味が濃い気がしましたね。安売りの得体の知れぬ缶詰より。
カメリヤは焼き立て状態だと国産小麦とまったく区別がつきませんでした。冷めたら若干国産の方が美味い気がしましたけど。マジで。でも妻に言わせれば気のせいじゃないの?ということですが、ホントのところはどうでしょうか。まあ国の農家を支援するという意味でも、基本的に国産の材料を使いますけどね。私は。
実家からクール宅急便で生魚を送ってくるんですわ。しかも、イナダ(ブリの若いやつ)の切り身半切れ(400g相当)+カジキマグロ昆布締め二サク+とびうお刺身用一サクとか。食べ切れんちゅうねん。
ちょっと二日じゃ食べきれないからさあ、生魚送らないでよ。と頼んでみたら「余ったら捨てたらいいじゃないか」とのマリー・アントワネットばりのお言葉。いやあ。ちょっと待て。食べ物を残すなと口を酸っぱくして言ってたのはあなたじゃないですか。マックのポテトならいざ知らず、どうしてお魚さんを捨てられるでしょうか。なんというご都合主義。魚を買って送って満足しているあなたはよござんす。でも、送られた方はたまったもんじゃない。まあ、ありがたいんですけどね。
という訳で今回も生魚が詰まってました。小ぶりのカワハギ。鮭の切り身。ぶりの味噌漬け。まあ少ないほうですわ。よかったよかった。
まずはカワハギ。東京のスーパーで買うより、地元のスーパーで買ったのをクール宅急便で送った方が若干新鮮な気がするのは気のせいか。気のせいかな。やっぱ。
ゴボウを多めに入れました。
煮立ったらカワハギ投入。
フタして火を通します。
ほうれん草とたっぷり塩をかけた鮭。ほうれん草はおひたしに。鮭は塩焼きにしました。どれも美味かった。
★★★☆☆☆:まあまあ
子曰く、人の己れを知らざるをうれえず、己れの人を知らざるをうれえよ
なるほど。自分が評価されないことではなく、優秀な人物が他に埋もれていることを心配せよ、と。
子曰く、賢を見ては等しからんことを思い、不賢を見ては内に省みる
そうだよね。
子曰く、約をもってこれを失うものは少なし
質素に地味に生きていれば、失うものは少ない。その通り。
子曰く、人、遠きおもんばかりなければ、必ず近き憂いあり
将来を考えなければ近いうちに痛い目に合うよ、と。
全くその通り。まっとうなことばかりです。読んでいて安心しました。最近何だか毒々しいような本ばかりだったので。
全編を貫く封建思想には目をつぶりましょう。閉塞感のない社会で皆ハッピーに暮らせるなら、別にかめへんやないか。
一つ文句を言うとすれば、この本は図解にする必要は全くなかったね。狩野さんのテキストが読みやすくて、内容もちゃんとしていて非常に良かったと思います。
★☆☆☆☆☆:ほとんど読む価値なし
フランス革命を批判したイギリス保守派の、反動的演説。2ちゃんねるネット右翼の書き込みの方が面白いといったら失礼か。時代背景、歴史を真剣に分析すれば面白いのかもしれませんが、どうも現代に敢えて読むほどの意義が見当たりませんでした。説得力のある保守的議論を期待したのですが、期待外れ。時代が違う。以上。
★★★★☆☆:西欧を理解するためには必要な情報
なぜキリスト教が世界宗教たり得たのか。うーん。わからない。逆にニーチェとフォイエルバッハがなぜ執拗にキリスト教を批判するのか。それが理解できました。非合理な教義、瑣末な議論、血なまぐさい宗教戦争と異端迫害の歴史。人間にとって宗教とは何なのだろう。超越的な人格神をどうして信じてしまうのか。人間とは本来非合理なものなのだ、としか思えません。無神論風神仏混合原始仏教シンパ無節操宗派の私には、キリスト教史は相当異様に写りました。
もちろん、宗教に積極的な意味があることは間違いありません。神の下に人は平等だという思想とか慈善とか。信仰によって心やすく暮らせる人も多いでしょう。自分と愛する人の死に意味を与えることもできる。宗教が感動的なアウトプットを生み出すこと、また宗教から積極的な意義を引き出す人がいることは認めます。
しかしクリスチャンの多い欧米で、人種差別がいまだに幅を利かすこの現実。格差もひどい。プロテスタンティズムと資本主義での勤労は親和性が高い。しかし、その資本主義が人を押しつぶしている。ならば宗教のメリットすら、怪しいのではないか。そんな気がしてなりません。
神がいなければ善い行いをする意味がなくなる。つまり、善行はたとえ現世で報われなくても天国(来世)で報われ、悪行は地獄で罰せられる、などとは言えなくなる。現世の利益だけが生きる目的となり、真実や善が省みられなくなる。だから神は必要なのだ、という議論があります。しかし、今現に宗教はそのように機能しているのでしょうか。敬虔なクリスチャンが、数千人を無慈悲にリストラしているのではないでしょうか。貧しい若者たちを戦場に送り込んではいないでしょうか。宗教がなくなれば、その歯止めすらなくなるとでもいうのでしょうか。
うーん。難しい。
プロジェクトはマニュアルでは動かない。もしマニュアルで動くならば、高校生アルバイトにだってシステムは作れるだろう。
したがってプロセスの標準化に期待してはならない。それは単なる必要悪である。
再発防止策には何の効果もない。それはすでに無思考であり、不快な事象に対する条件反射でしかない。
トラブルを防ぐのは無意識レベルでの経験の蓄積しかない。もちろんそれは、トラブルを起こさない十分条件ではないのだが。
障害の報告と対策はトップに迅速に伝わる必要があるが、原因分析は現場のリーダーでとどまるべきである。なぜならリーダー以上の立場の人間に詳細な原因分析を伝えるためには、全てを抽象化し、口当たりをよくし、骨抜きにする必要があるから。しかもそれらの作業は全てムダである。
「結果」から逆に時系列をたどると、過去の無数の事象が得られる。そしてそれら全てが「原因」の資格を持つ。では無数の過去の中から「原因」を選ぶのは何か。それは政治とプロパガンダである。ゆえに「原因」は常に立場の弱い人間に帰せられる。障害の原因が顧客やプロジェクトマネージャーだったことが、かつてあっただろうか?
トップは障害を報告したメンバーを褒めなければならない。さもなければ障害は隠されることになる。そして弊害はそれにとどまらない。
この当たり前のことが常に無視され、過ちが繰り返されている。