2010年4月25日日曜日

チキンとキノコのクリームパスタ、コールスローサラダ、トマトドレッシング

キャベツをタップリ刻んでます。

これはブレンダーでクラッシュしたトマト。

こっちはクリームソースに使う小麦粉なじませ中の牛乳。ホワイトソースを作るのは大変だし、カロリーも高いでも、牛乳に小麦粉を馴染ませて使えば、ヘルシーなクリームもどきスープができるのですよ。

たっぷりのキャベツと、彩りの人参。

再び圧力鍋で鶏胸肉を茹で、ほぐします。

茹でたスープにキノコを投入。

チキンを投入。

牛乳を投入。塩コショウで調味。

ドレッシングにはぎょっとするほどの油が必要です。

シェイクして完成。別途パスタを茹で、チキンクリームソースで頂きました。美味かったです。

小豆あん、豚薄切りカツサンド、多摩六都科学館

圧力鍋であんこを作りました。やはり早い。普通に美味い。また作ろう。

それから多摩六都科学館に子供を連れて出かけました。妻抜き。お弁当はカツサンド。

豚薄切り肉に塩コショウして小麦粉をまぶし、

卵液につけてパン粉をまぶし、

揚げ焼きします。

じゅうじゅう。

引き続きじゅうじゅう。

冷めたら市販の食パンに挟んでケチャップをかけます。申し訳程度にキャベツの千切りも

到着。結構ね、楽しいんですよ。

これは雪。4月にもなって降りましたね。

そしてお弁当。やはり子供と食べる弁当は美味い。

サンマ骨まで軟らか煮、茹で鶏胸肉、トマトスープ、モヤシサラダ

さんまの煮ものです。圧力鍋で作りました。今回は中骨も食べるつもりで30分の圧力。

完成。バッチリでした。缶詰のさんまみたい。骨まで軟らか。いいですね。

これは鶏胸肉。

20分圧力をかけます。残ったスープにトマト缶を投入。トマトスープを作成。

完成した蒸し鶏は、サラダにするつもり。

モヤシのさっと茹で。

トマトスープ。

蒸し鶏のほぐしたん。モヤシと和えてドレッシングで頂きました。ヘルシーな感じでグッド。

2010年4月22日木曜日

梅原猛訳・注「歎異抄」講談社学術文庫

★★★★★☆:梅原さんの注が邪魔

歎異抄です。短い文の一つ一つにグッときます。梅原さんの注がなければ満点を付けますね。彼のおかげで親鸞が矮小に見えてしまった。

角田房子「責任 ラバウルの将軍 今村均」筑摩書房

★★★★★★:こんな将軍もいた

非常に感動して読みました。傑作です。しかし感想は複雑。これほど自らの信念に真摯に生きた将軍がいたのか、と。歎異抄と新約聖書を愛読した将軍。恐らく彼を理解した人は少なかったのではないか。孤独だったのではなかろうかと思われたり。

それから角田房子さんのスタンスも少し気になりました。徹底的な反戦の立場。客観性よりも人間の本性に迫ろうとする(と私には感じられた)スタンス。敢えて誤解を恐れずいえば、足に地のついた、女性らしいアプローチだと思いました。それはそれで構わないし、貴重だし、評価すべきなのですが、組織に生きる男の悲しさと葛藤が描かれなかったように見えて残念。「今村もやはり陸軍将軍の枠を出ることはなかった」旨のことがサラッと書いてあって、いや、組織に生きるってのはそんなに簡単に割り切れるものじゃないんですよ。とひとりごちたり。大体、あのご時世でジャワに対してリベラルな政策を押し通したり、ラバウルで食料の確保を最優先にしたということは、自分の信念に従ってやったことに違いないわけで、組織に完全に飲み込まれた人ではなかったことは明らかだし。

まあ、それにしても優れた本です。私はこの本で初めてラバウルの意味を知った。恥ずかしい限り。

2010年4月20日火曜日

大佛次郎「終戦日記」文春文庫~ノグソに関する考察

★★☆☆☆☆:資料としての価値

昭和19年9月から20年10月にかけての日記です。淡々と生活の様子が書かれていて、往時が忍ばれます。何だか美味いもの食べて酒ばかり呑んでいるようにも見えるのだけれど、物量は今よりよほど少なかったはずだから、そう見えるだけだと思う。ああいうご時世だからこそ、何を食べた、呑んだ、幾らだったということに関心が向くのでしょう。

まあ、地味な本です。

ひとつ気になったのがノグソ。野糞の方のノグソです。って他にないか。

たびたび腹を壊してノグソをした旨の記述がある。なんとなく読み過ごしてしまいますが、考えてみると不思議。功なり名を遂げた壮年過ぎの男性が、ノグソして、それを日記に残しているわけですから。

それを読んだアタクシは、ふと今の世はノグソもままならない世の中なわけだな、と思ったわけです。と言っても、私がかつてノグソという行為を日常的に堪能していたわけではありません。ノグソをめぐる状況。ノグソが可能な環境というものが、もはやなくなったのだなあ、と。なんというか人が多過ぎるし、草木の茂みというものも存在しない。東京に於いては、ノグソは事実上あり得ないものとなってしまった。

そんなん、別にかまへんやないか。まあ、そういえばそうなのですが、ノグソもできる環境、それはすなわちなんとなく人目につかないエリアがあって、そこに潜むこともできる環境なわけで、そういうエリアが周囲にあってもいいなあ、とそんなことを考えるわけです。治安上はよろしくないかもしれませんが、普段は近寄らなければいいわけで。誰かがウンコしてるかもしれないしね。

切羽詰まった時なんかはありがたいんじゃないかしらん。ちょっとそこでクソしてくる。そんな気楽な感じがあってもよいのでは。って何書いてんだろうな。オレ。ダメになってるのかも。

2010年4月19日月曜日

秦郁彦「南京事件」中公新書

★★★★★☆:客観的・中立的。良書です

南京事件があまりにも政治的に利用されているため、すでにして食傷気味だったのですが、最近「大日本帝国興亡史」を読んでいる関係で気になって読んでみました。

結果。良書でした。読んでで納得がいく。学者の良心と心意気が感じられました。

南京事件は、やはりかつての日本の問題としてちゃんと目を向けなければいかんなあ、と思いつつ、その政治的な利用のされ方には注意しなければいかんな、と。

日本人がなぜあんな行為に走ったのか。中国と日本の右派のプロパガンダはひとまず脇において、正視し、真摯に反省するにたる重大な出来事であったと思います。

ジョン・トーランド著 毎日新聞社訳「大日本帝国興亡史 全5巻」ハヤカワ文庫

★★★★★★:客観的中立的に書かれた第二次世界大戦史。必読。こんな優れた本がなぜ絶版?

3巻まで読了。愚かな日本人と愚かなアメリカ人の物語。日本もアメリカも望んでいなかった戦争がなぜ始まったか。

イギリス、フランスの植民地政策、白人優位主義、そして黄禍論が日本を追い込んだ。

戦えば負けることは日本には分かっていた。あくまで交渉で解決しようとしたが、日本の稚拙な外交と、ハル国務長官の無闇な猜疑心と不信感、そして日本語から英語への、英語から日本語への誤った翻訳が戦争の原因となる。筆者は「日本とアメリカという二人の子供が始めた戦争」と評する。

回避できた筈の戦争が、日本にどれほど悲惨な結果をもたらしたか。

われわれは敗戦国としての歴史を叩き込まれてきた。そのためか、日本が戦争を始めた理由はちゃんと教えられていないように思う。でも戦争の背景はしっかり教えるべき。過去を正当化するするためではなく、二度と戦争を起こさないために。

2010年4月15日木曜日

人はなぜ宗教を求めるのか

最近禅やヨガ、インド宗教の書籍を読んだので考えて見ました。

人が宗教に走る理由。いろいろあるでしょうが、お釈迦様は簡単に、それは生きるのが苦だからだ、とおっしゃるわけです。まあ、そりゃあそうですわな。生きる上ではいろんな苦しみがあります。生老病死四苦八苦。愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦。愛する人の死に耐えられるか。死への恐怖に耐えられるか。自分の生きる意味の虚しさに耐えられるか。世の中には死よりも恐ろしく、苦しいものすらある。そのような恐怖の前に、人はただ孤独に震えながら、何かに祈るしかない。すがりつくしかない。そんな事態がある。まことに生きることは苦しみである。

ところが逆は必ずしも真ならず。日頃生きるのがしんどいなあ、苦しいなあと思いつつ、信仰を持たない人もいる。そのような人はどうなっているかというと、これは日本人に特徴的な態度じゃないかと思うんですが、現世のサムシングにすがります。例えば仕事。成功体験。自分磨き。死後の世界に期待するのではなく、現世の成果を目的とし、生き甲斐とする。人生の苦をハードワークに転嫁し、敢えてそこに飛び込むことで克服を目指す。あるいは気晴らしのための刹那的な快楽イベント。あるいは家族や物への愛。これら現世のリアルが「意味のある」人生をかたち作る。そんな「充実した」人生を目標とする人は多いと思う。

逆にいえば、それがある種の日本人の宗教だったりするんじゃないか。そんな風にも思えます。つまり、リアル(恋愛、趣味、家族、仕事)に充実した人生が理想としてあって、それを目指して生きる。それが生きる指針となり意味となる。仮にこれをリア充教としましょう。なんだか台無しなネーミングな気もしますけど。

リア充教。ある意味ではよほど宗教よりも健全に思える。キリスト教なんかは下手をすると、金持ちを恨みながら来世に期待しながら、淡々と日々を過ごすことになりかねない。それよりも、学生ライフや就職、仕事、人間関係といった人生に不可避なイベントや事象に生きる意味を求めるほうが正しいのではないか。特に会社経営者や、国家の運営にとってはこれほど都合良い思想はない。なぜなら現世での成功がコンセンサスとなり、結果として人が共通の目的に即して均質化され、ハードワークと消費が正当化されるわけですから。

またアンチ・リア充教も忘れてはなりません。心のどこかでリア充教に憧れの念と劣等感を覚えつつ敢えてこれを見下し、俺は違うぜ、とニッチな趣味やライフスタイルを目指す生き方です。これはもはや宗教とは言えない。あまりに批判的だし、こういう人は自らの生きる意味に対しても懐疑的なケースがある。アンチ・リア充。はたして宗教からは遠い立場なのか、それとも近いのか。

なんだか話がずれてきました。

話を戻して、なぜ人は宗教に走るのか。

短絡的なパターンは除外することにします。死ぬのが怖いから来世を期待したいとか、祖先にたたられているから、とかその手のやつ。あるいはニーチェがルサンチマンと名付け、ドストエフスキーが登場人物(確かカラマーゾフのアリョーシャ)に要請させたような、善と悪の根拠としての神も除外。

お釈迦様の考えに追加する、私が考えた理由。

やはり自分が生きているという神秘に気がついた時、それを合理的に解釈する手がないんですな。そこに宗教的な態度の下地があると思われる。

もちろん、人類というものが増殖している以上、誰かが生まれるわけで、それ自体は不思議でもなんでもない。誰かが生まれることになった。それがたまたま私だった。そこに問を投げかける余地はない。

でも、人は生きる理由を問う存在です。ある種の人間は問わざるを得ない。なぜ他ならぬ私が生まれたのか。その問にはもはや合理的な説明が出来ない。数億の精子がいて、そのどれがどの卵子に突入できたかによって、生まれる子が変わってくる。天文学的な確率を積み重ねて、この一人の存在となる。

そして人間の存在とは、石か何かのように単にそこにある、というだけではない。五感を持ち、受動的かつ能動的に世界と相互関係を持つことができるような存在である。

ストレスですさんだ心にはそんなこと関係ねーよ。となるかもしれませんが、まあとにかく、自分と世界が存在しているというその奇跡を、驚きと畏敬の念を持って眺めたときに、宗教的な感覚が生まれるのだと思う。

その感覚がわかると、どうも世の中の細かいことがどうでもよくなってしまってイカンのですが、そこを敢えて煩悩の世界に踏みとどまり、汚れ、汚されながら生きるほかはないのが、悲しいサラリーマン生活なのだなあ、と思うしだいであります。サラリーマンは修羅の道。

強引にまとめたところで以上。

2010年4月13日火曜日

大豆、大豆フムス、カレー、コールスロ-

まさかね。大豆が2分で煮あがるなんて思わないわけですよ。「絶対芯が残るね」「うん。長めに圧力かけとこう」と妻との会話。

というわけで一晩水につけた大豆を、

3分圧力掛けてみました。

もうね。軟らかくて。びっくり。指で簡単に潰れる。柔らかすぎじゃないの?ってくらい。

だって、普通の鍋で茹でると、3,4時間かかりますよ。マジで。掛け値なし。ひょっとしたらも少しかかるかも。いやあ、参った。圧力鍋バンザイ。

で、フムスです。朝食に前日仕込んだ大豆が使えるとはねえ。あり得ない。マジ。参った。

粉チーズ、にんにくのすりおろし、レモン汁、EVオリーブオイルを入れてクラッシュ。

一口味見して、???な味。何が言いたいのかわからない味。料理の体をなしてない。困った。味が決まらない。カレー粉投入。

???

チキン出汁の元顆粒を少々投入。反則気味。

???

ヤバイ。どうしよう。ええい。ままよ、と雪印6pチーズを二つ手でちぎって投入。やった。これでやっと味が決まりました。危なかった。

最終的にはそれなりに美味いものが出来上がったので、また作るかも知れない。

まとめ。大豆、レモン汁、EVオリーブオイル、にんにくのすりおろし、カレー粉、チーズたっぷり。以上をクラッシュして完成です。

ツナチーズトーストとともに頂きました。チャイも作ったハズ。

思い出した。これは西武遊園地に行った日ですよ。疲れたのでカレーにしました。疲れたなら作るなよ。妻に任せろよ。でも作る。だって趣味だから。

新玉ねぎと鶏手羽を伝家の宝刀3,000円の圧力鍋で煮ます。便利だわ。鶏手羽なんて、水から煮ると1時間以上かかる。それが余熱調理含めて30分未満ですからね。早い早い。

頼もしき圧力鍋(3,000円)。

それからドレッシング作りました。油を恐れないのが重要。

そしてコールスロー。キャベツと胡瓜を大めに刻んだのですが、塩振って絞ると激減しました。

以上。美味かった。

PodCastダウンロード後に「ライブラリーをアップデートしています」を発生させない方法

iPod TouchでWiFiなどを使ってPod Castをダウンロードした後にがじゃがじゃ操作すると、結構な確率でタイトルにあるようなメッセージが出て、音楽、画像、動画データがさっぱり消えてくれます。かなりのストレスです。iTunesと同期すればデータはもとに戻るのですが、それにしてもたまらないバグです。

今回、あくまで経験則であって100%の対処方法ではありませんが、なるべくデータを飛ばさないようにする手順を書きます。

まず、ダウンロード操作する前は、なるべくiPodを触らないこと。30分以上は放置するのが望ましい。

そして、余計な操作をせず、すぐにダウンロード画面に進むこと。

ダウンロード中も一切余計な手順は踏まない。じっと完了するのを待つこと。

次に、30秒待つ。バカバカしいですね。でも、ここで待たないとまず間違いなくデータが飛びます。

最後におもむろにミュージックを起動。決して余計な操作はしないこと。反応が遅いかもしれません。ハングしたように見えるかもしれません。でも、イライラしてタップした途端、飛ぶ確率が上がります。

無事起動したら、念のためダウンロードしたデータを数秒再生しておきましょう。ただし、焦ってはダメ。起動した、と思ってパタパタタップすると、ミュージックアプリが強制終了してデータが消えることがあります。でも、再生できればまず大丈夫。経験上。

これでダメならもうダメです。

しかし、こんな呪術に頼りたくないんだけどなあ。頼みますよ。アップルさん。

道元著 増谷文雄訳「正法眼蔵」講談社学術文庫

★★★★★★:日本人の生んだ最高の宗教思想書

これまでムリして岩波文庫とかの注釈付き原文を眺めていたんですけど、今回口語訳読んで感動しました。早く口語訳から入っておけばよかった。

もうとにかくスゴイですね。西欧思想の大著に引けを取らない。無理して言ってません。「現成公案」とか「有時」とかは高校の教科書にのせるべきだ。うむ。

2010年4月12日月曜日

スペアリブ、ポテサラ(、レタスサラダ)

スペアリブです。こういう脂系の肉って、時折強烈に惹かれるんですな。性懲りもなく。

まずはビタクラフトのフライパンでしっかり焼き目を付けます。

それから伝家の宝刀3,000円の圧力鍋にタレとともに放り込み、調理開始。

その間にポテサラ作ります。

完成。

いやね。確かに美味いんですよ。柔らかくてジューシーで。でも子供たちはあまり食べなかった。責任とって私が大量に食べる羽目になった。

あのチェ・ゲバラはボリビアに潜伏中、ラード(豚の脂)を舐めて飢えをしのいだというしね。スペアリブの脂ごときが。この。消化してやる。と思いつつ、やはり重い。魚食DNAが人体にはびこる私には荷が重すぎる。豚や牛の脂を平気で分解できる人が日本人にもいるのか。う~ん。私にはムリだ。もう当分スペアリブだとかバラ肉は勘弁してつかあさい。という心境になりました。


ハンバーガー

外食が多過ぎるという警告が妻から発せられたので、気温も上がってきたことだしお弁当を作ることにしました。

少し気合いを入れてハンバーグ。パンから自作です。慣れるとパンもハンバーグも割と簡単なのです。両方の工程に慣れれば、どうってことないっすよ。マジで。

はい。小麦粉捏ねます。

1次発酵の間にスーパーにあいびき肉を買いに行って、帰ったら1次発行が完了。別に時間を厳密に区切ったわけでもなし。ゆるーく進めます。

2次発酵の間にハンバーグを捏ねて焼きます。

二次発酵完了。ハンバーガーのバンズだから、もっと大きくすればよかった・・・

ハンバーグ完成。肉500gに塩小さじ2杯以上、ナツメグ黒コショウ大目が吉ですよ。

肉汁で玉ねぎを炒めます。

それからスナップエンドウを茹でておきます。

パンの完成。レタスを洗ってたっぷり持って行きました。近所の公園で食べました。外で食べる弁当って本当にいいもんです。

秋月龍珉「白隠禅師」講談社現代新書

★★★☆☆☆:まあまあ

これはまあまあでしたね。この人には他にもっと優れた本がある。禅の深さを自画自賛するようなトーンがかすかに感じられ、ちょっとだけですが鼻につきました。

秋月龍珉「初めに大悲ありー 人間を生かす禅 ー」講談社

★★★★★★:素晴らしい禅の入門書

間違いなく本物の思想家であり宗教家であると思います。一言一句が重い。これほどの思想家が日本にいたとは。

うむむむ。

2010年4月11日日曜日

西武遊園地、プリキュアショー

西武遊園地に行ってまいりました。

ユルいんですよね。そのユルさが好き。ユルさ故に人が少ない。その少なさが好ましい。

と言っているユーザーばかりだと商売にならないので、西武もいろいろやっているわけですが、まあ、ダメなんじゃないかね。はは。こういう体質というか土着の雰囲気っつうのは変わらないというか。垢ぬけなさ。それもまたよし。諸行無常。ってそんなことを言ってたら妻に怒られたんですけどね。西武沿線は価値を高めて欲しいとは思いつつ、なんか練馬のジジババ的な雰囲気も悪くはないな、という感もあって、そこはアンビバレンツな住人の気持ちなわけですよ。ムツカシイもんですね。

といいつつ、幼稚園、小学生にとってはまだまだ夢の遊園地。スゴく楽しそう。子供たちが楽しめる遊園地じゃないとダメだよね。そういう意味ではまだまだ西武遊園地も堪えているようです。

春。桜。休日も閑散とした遊園地ですが、さすがに人が多い。

プリキュアショーも楽しみました。

知らなかったけど、この手のショーってストーリー仕立てだったんですね。シナリオも練られていて、結構面白いです。

頑張れプリキュア。

帰り際。子供たちは名残惜しそうにしていました。遊園地を一緒に楽しめるのもいつまでかなあ。その切なさもまた老朽化した遊園地とジャストフィット。頑張れ!西武遊園地!