2010年6月22日火曜日

中村元訳「ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤII」岩波文庫

★★★★☆☆:まあまあ

興味深いのですが、なかなか世界に入り込めないです。有名な文言や、警句を探しながら読んでしまう。

まあまあってとこで。

ひろさちや「仏教 はじめの一歩」春秋社

★★★★★☆:まあ金太郎飴なわけですけど

やめられない止まらないひろさちや。

ひろさちや「ほとけさまの物差し」すずき出版

★★★★★★:いい

これもまたいい話てんこ盛り。

2010年6月19日土曜日

からあげ、うどん

操作ミスってレイアウト変わってしまいました。

まあ、別にこのBlogのレイアウトがどうなろうが、世の中の大勢に影響はないわけで。あたりまえですが。

そんなことより料理です。からあげを作ってみました。慣れてくるとワリと気楽に作れます。

調味料に漬け込んで

揚げます。

完成。

あとはうどん。

からあげの衣が余ったので、妻のアイデアで野菜(ピーマンとまいたけ)を浸して揚げてみました。これまた美味かった。うどんは冷凍うどん。つゆで頂きましたがコシがあってこれまた美味かった。ふはは。


2010年6月17日木曜日

子供はさずかりものか

「子供はさずかりものだから」という言葉を聞くわけです。

「そうですねえ」などと適当を打ちながら、でも信じないわけです。

だって、そろそろ子供でも作るか、と思って作るわけです。

あんまり年いって作ると後がしんどいからなあ、なんて思って。子供が20歳になった時、60近かったらどうか。そりゃマズい気がする。そんなノリで「作るか」と思うわけです。

で、意図的に作るような行為を繰り返しているとそのうち出来るわけです。

となると「さずかった」気なんかしないわけですよ。意図的に作った。おれが育てた。

そう思ってました。

でも、子供が生まれてから8年たって分かってきた。

これ、オレが作ったんじゃねえよ。こんなの作った覚えはない。

だって、動いて、考えて、泣いて、笑って、生きてる。こんなの作れるわけがない。作ったんじゃないよ。

作ろうと思って作れない人もいる。でも、ありがたいことにうちには作れた。

いや、作れたんじゃない。やっぱり「さずかった」んだ。そうとしか言えない。「さずかった」が気に入らない?誰から授かったかが分からない。神か?仏か?そんなの信じられない。だったら「さずかった」なんて言えない。

じゃあどう言えばいいか。「来てくれた」。それが近いかも。じゃあどこから来た?どこ?それも分からない。

夫婦に子供を作る力が備わっていたから子供ができた。でも、どうして子供を作る力を持ってるの?

・・・

とにかく分からない。そういうこと。

分からないならそれは不可思議です。思いの及ばない。考えることができない。不可思議。生命が生まれた。それは奇跡であって、もう考えの及ばない世界である。理由なんか分からない。

なぜだか知らないけれど、子供を作る機能を持っていた。なぜかはわからない。それは人類が存続するためだろう。そうかもしれない。でもオレが頼んだわけじゃない。どうして人類が繁栄する必要があるのか。ひょっとして地球が存続するために、人間を必要としているのかもしれない。生態系の一部として生きてほしいから、あなたに生まれて欲しいのかもしれない。そんなことは分からない。

子供が生まれた理由?精子と卵子が結合したからだろ?夫婦に子供が生まれて、そんなの当たり前じゃないか。どこが不思議だ。そうやって人類は増えてきたんだ。

じゃあ、あんたは精子と卵子が結合した結果か?そうじゃないでしょ。ご両親に聞いてごらん。オレって精子と卵子が結合したから生まれたんだよね?って聞いてごらん。

そんな単純な話だろうか。

誰でもよかった。たまたま、あなたが生まれた。そうだろうか。取り換えのきく存在。それがあなた。それが子供。それが人間。

そうだろうか。

だったら、隣の子と自分の子が交換できるか?

精子と卵子が結合した結果として、人生がある。だったら、誰の人生も「同じ」だ。だったら交換可能か?そうじゃないでしょう。

かけがえがないんだ。取り換えられない存在なんだ。あなたも、私も、子供も。

生まれた途端、その子はかけがえのない、取り返しのつかない存在になるんだ。

だから、大事にしなければいけないんだ。

だから、授かりものなんだ。

そんな風に思ってきたわけです。年とってくるとね。


2010年6月16日水曜日

DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部 編訳「いかに『プロジェクト』を成功させるか」ダイヤモンド社

★☆☆☆☆☆:浅はか

プロジェクトの迷走を止めるためには、懐疑派(見切り役)の意見を聞け。

有害な楽観主義に歯止めをかけるためには自分を客観的に見なければならない。

書いたのはMITの助教授の皆さんだそうですが、いかがなものかという内容でした。EQに着目した論文、時間のプレッシャーと創造性を論じた文章には少し面白かったけれど。にしても、くだらねー。の一言。ドラッカーだけで十分。

三浦綾子「新約聖書入門」光文社文庫

★★★☆☆☆:やはり奇跡はしんどい

悪くない入門書だと思います。新約聖書にはいい話がたくさんあることがわかる。しかしキリストの奇跡はいささかしんどかった。三浦さんは「ないとは言えない」の一言で奇跡を信じますが、私にはムリよ。

私にとっては、いま、こここそが奇跡であって、ドラマチックな奇跡には関心ありませぬ。

それから、これは私が頭でっかちだからなんでしょうが、奇跡以外についての箇所もロジカルではなく、あまり感心しなかった。それから、比べるのも酷ですが、ひろさちやさんよりも洞察の点でものたりなかった。

なんか我ながら好き勝手なこと書いてるなあと思いますけれど。それだけ真剣に読んでるのだ、と考えて頂ければ。反省しつつ。

以上。

鎌田茂雄「法華経を読む」講談社学術文庫

★★★★★☆:学術的かつ宗教的な良書。力がある。挫折したけど

本自体は良書です。しかし、法華経は私にはいささかしんどいことが判明。3/4あたりで挫折。

2010年6月14日月曜日

シチュー

暑い日だったんですが、シチューを作りました。

玉ねぎと鶏肉に、圧力鍋でガーッと火を入れます。

ジャガイモ、人参、後入れ玉ねぎは、後で火を通します。

S&Bのシチュー・ルーで手早く完成。まあ、美味いっすよ。うむ。手抜き。

圧力鍋って高温で材料を痛めつけちゃう風味が落ちるのかなあ。などと思ったこともありましたが、最近は気にしてません。つーか分からない。2時間くつくつ煮たシチューか、それとも30分で仕上げたシチューか?と聞かれても分からん気がする。だから、これでいいのだ!

メモ:
鶏(1.5口サイズ胸肉)・玉ねぎ(薄切り)強5分
人参・玉ねぎ(そぎ切り)弱3分
じゃがいも(角切り)弱5分

じゃがいももう少しかたくてもOK。3分強でいいかも。
玉ねぎは後入れでいいかも(ジャガと同じタイミング)

2010/8/8結論:(夏だから割り引いて考える必要はあるかもしれません)
カレーを作りましたが、人参、玉ねぎ、じゃがいも、全部入れて弱3分でOKと見た。人参玉ねぎとろり、じゃがいももっちり。


恐るべき冷え~疲労感とだるさの原因

最近朝が非常にだるかったわけですよ。こんなことは今までなかった。なんでこんなにダルいんだろう。心当たりはなし。年のせいか。

昼に向けて徐々に体調は回復するのですが、朝起きるのがつらい。眠った気がしない。弱ったなあ。と割と真剣に悩んでおりました。

で、この間、睡眠の質が悪いということもあって早めに眠ってみたとき、ナニゲにレッグウォーマーをつけてみたのですね。オバサン臭いボロボロのレッグウォーマー。いや、むしろボロボロのレッグウォーマー臭いオバサン。もしくはレッグウォーマー臭いオバサンのボロボロ。と、この辺よく分かりませんが。

そうすっとですね、まあ例によって酒を飲んで寝たため、睡眠の質は良くもなく、午前2時ごろにいったん目が覚めたのですが、なんとなく疲れが取れていたのです。体も熱くて、汗もじんわり。あ、この感じ?体調が比較的良い時、こんな感じだよ。

で、そのまま横になってウトウトと質の悪い睡眠の中をまどろんでいて、6:00に携帯のアラームで目を覚ましたのですが、やはり体調がよろしい。

筋肉がバリバリいってるような、どこを動かしても不快感がある状態ではなく、筋肉が熱を持っていて、比較的スムースに動きに入れるような、そんな感じがしました。

うむ。冷えが原因だったのか。これは盲点だった。

まあ、間違っているかもしれませんが。

ということで、これからしばらく暑めの恰好で布団に入ってみることにします。(大学生までは薄着で寝ても平気だったんだけどなあ)

2010年6月11日金曜日

岩波文庫のブッダシリーズを読んで

小乗の教えだな、というのが最初の感想。こんな修行は無理っす。

教団存続のために、出家を讃える教えが優先して残されたのかしらん。歎異抄が長らく秘本とされたのも、それが教団自体を否定する思想を含んでいたからですしね。自灯明法灯明という言葉を残した釈尊が、教団組織にこだわっていたはずがない。ま、根拠はありませんが。

大乗への展開は必然的だったのではないか、と思いました。

クリント・イーストウッド トゥルー・クライム見た

いい映画でした。素晴らしかった。

キャラがいい。セリフがいい。ラストもいい。満点。

2010年6月10日木曜日

女性を見たらいかんのか

瀬戸内寂聴さんとひろさちやさんの対談で、お釈迦様はアナンダに「女性を見るな」「見たとしても口をきくな」「口をきいたとしても劣情を抱くな」と言われた、という旨の話があったように思います。

寂聴さんはそれに対して、ちょっとヒドいんじゃないか、女性に失礼ではないか、という反応を示していたような記憶が。

以上、なんだかあいまいで申し訳ない。速読しているのでどうしても確信が得られないのです・・・

上記の解釈を前提して話を進めます。

考えてみると、「女性を見るな。話しかけるな。劣情を抱くな」という教えは、「ブッダ様、すばらしい教えです」というほどではなくても、まあそうですよね。うん。と首肯せざるを得ない、まともな話だと凡夫たる私は思うのです。別に女性を軽蔑しているわけでもなく。

だって、きょろきょろとそこらの女の子を眺める男ってみっともないじゃないですか。

チラチラと女の子を見る男ってのは、ああ、美人だ。とか、おお、美人でない。とか、ああ、スタイルがいい。とか、ああ、スタイルがよくない。とか、そんなことを考えて眺めるわけじゃないですか。それってカッコ悪いじゃないですか。

だから、もう、見るな、と。分かりやすい。確かに、そんな風に見ちゃだめだろ、と。いっそ見るな、と。

でも、そうは言っても見ることもあるわけじゃないですか。仕事で、とか。口もきかざるを得ないことがあるわけですよ。

そうすると、劣情を抱くな、とこう来るわけですね。

そら、そうだよね。いちいち劣情を抱く人なんていかがなものかと思う。思いませんか。

ということで、ブッダの教えは普通に正しいんじゃないか、とそんな風に思います。男の立場としては。

以上なんです。

戦争からの帰還

戦争する意味なんて、何一つないじゃないか、と思わされる動画。

しかし、この動画が戦争をたきつける方から発信されているとしたら?

動画にならず、youtubeにアップロードされない、悲しみに沈む家族は?

下衆の勘ぐりはよした方がいい?でも。この動画のコメントはGod bless our troops。わが軍を祝福せよ。

とにかく、戦争はばかげている。人と人が殺しあうなんて、ばかばかしい、ナンセンスだ。どうしてよりによってそんな面倒くさいことをしなければいけないのか。日常生活だって十分大変なのに。



中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫

★★★★☆☆:分かりやすい

まあ、面白いですわ。翻訳と注はスッタニパータの方が優れている気がします。同じ中村さんですけど。

中村元訳「ブッダのことば スッタニパータ」岩波文庫

★★★★☆☆:面白い

楽しい本ですね。

どなたか学術度を下げて分かりやすくリライトしないかしら。手塚ブッダでも読んでみようかな。

2010年6月8日火曜日

ミシェル・フーコー 田村 俶訳「狂気の歴史」新潮社

★★★☆☆☆:何とか読了

中盤から退屈しつつ、根性で読み切りました。ヨーロッパ(特にフランス)の話だからねえ。ちょっと史実のフォローが細かすぎて。

興味深い本だったと思います。ヘーゲル的な観念論史観、マルクス唯物史観の強烈なアンチテーゼとなり得てる気がするし。

しかし、どうしてこう肉食人種というのは義論が細かく、執拗なのだろうか。かないませんわ。

トルストイ 望月 哲男訳「アンナ・カレーニナ」光文社

★★★★★☆:長かった

優れた小説です。若い頃に無理して読み切った記憶がありますが、その時はほとんど理解できなかった。30半ばを越えて読み直し、改めて大した小説だと感心しました。

しかし、時代が違いますね。百年以上昔のロシア貴族の方々ですから。感情移入も難しい。まして性が商品と化した現代日本の私からすると、アンナに共感するのは難しい。

並行して進むリョービンの物語しかり。共産主義にも、資本主義にも、宗教にも違和感を持つまっすぐな若者、と言われても、これまた共感するのは難しい。

と言いつつも、かなり引き込まれましたけどね。特にキティの出産シーンや、アンナの煩悶のモノローグなどは凄まじい描写力。さすが大作家です。

しかし、あれですね。最後にリョービンが自己の体験でもって神の存在を確信するところは、あれはカントですね。理性ではわからんのや、と。我がうちなる道徳律や。真善美や、と。カントの信仰は結局のところ不可知論じゃないか、などと言われたりもしますが(多分)そうでもないんじゃないかね、などと思いました。ま、アンナ・カレーニナとは関係ありませんがね。

2010年6月6日日曜日

努力はムダか

ひろさちやさんの著作を読んで気になったのが「努力をするな」「がんばるな」「ほどほどでいい」という言葉。

なぜか。「おれは努力をしたから成功した。だからお前も努力しろ」これはすなわち「お前が成功しないのは、お前が努力しなかったせいだ」。それは違うでしょう、と。

成功には様々な因縁がある。因があって縁がある。努力のみで成功するわけではない。努力を誇ってはならぬ。努力を押し付けてはならぬ。成功者よ、思いあがるな。失敗者よ。自己をおとしめるな。感謝の心を失うな。そして誇りを持て。

まあ、そうだよね。正しいよね。

しかし気になる。だからと言って努力を推奨しないわけにはいかないだろう。

私は努力するタイプである。子供にも努力を励行している。

私自身、無駄だと思っても努力する。外国人とビッグビジネスするチャンスはおそらくこの先一生ないだろう。でもiTunesからCNNニュースをダウンロードして聞いている。ドラッカーを原書で読む。実学ばかりではない。この年になっても、数学書や古文の復習をする。無駄だなあ、と思う。でも、なんとなく勉強を続ける。

そんなことをして年をとって、努力が無駄だということがしみじみ分かってきた。だって、実際役に立たないんだもの。

そんなことをして年をとって、努力すれば成功する、それは間違っている、としみじみ思うようになった。努力しても必ずしも成功しないのだ。控え目に言っても。

いや。はっきり言おう。努力したってまず成功しない。努力したって成功は手に入らない。だから、成功したくて努力するのはムダ。

努力してイチローになれるか?努力して金メダルが取れるか?努力してバッハ、モーツァルト、ピカソになれるか?

でも、努力は成功のために必要でしょう。天才とは99%の努力と1%のひらめきである。ああ、キレイ事だ。ウソッパチだ。大した努力をしなくても、縁があって成功する人がいる。とすれば、努力は必要条件ですらない。

努力を推奨するのは、他人の努力によって自らが潤う人間だ。すなわち政治家、官僚、経営者。

努力は成功を生まない。

じゃあ、成功する人しない人、何がそれを分けるか。それは因縁だ。頑張ったからどうなるというものではない。

じゃあ、なんで努力するか。努力したって成功しない。それは分かっている。でも、努力をすれば成長する。それも分かっている。

だから、自分を高めるために努力するのだ。

もし世間の尺度での成功を目標にするのなら、頑張ってもしょうがないよ。そんなことは本当に無駄で、空しいことだよ。

でも、自分の尺度で目標を定めるのなら、頑張るのは価値があるし、意味があることだよ。

そんな風に思う。


ハンバーグカレー

疲れが取れない。眠れば回復するのだけれど、簡単に眠れない。昼に横になっても目が冴える。読みたい本がある。用事がある。子供が馬乗りになって攻めてくる。どうも昼寝するのはもったいない。

かといって夜に早く寝てもなぜか質のよい睡眠がとれない。早朝にふと目が覚める。予定のない朝ほど元気。とにかくままならぬわが睡眠。血で血を洗うとはこのことか。空しい努力を積み重ね。

ま、いっか。

たまに愚痴っぽくはなりますが、それなりに楽しんで生きている。

今日はハンバーグカレーにしました。玉ねぎ3個を刻んで炒めます。

一時間ほど炒めました。ビタクラフトのおかげで楽だった気がするな。フタをすれば比較的焦げ付きの心配がない。といっても5分ほど目を離しても大丈夫、という程度だけれど。玉ねぎを刻むのは大変。

それからハンバーグ。卵、パン粉、ナツメグ、塩、黒コショウ。玉ねぎは生。別途刻みました。水分は布巾でしっかり絞りました。

あいびき肉。不退転の決意で肉に手を突っ込みます。

ホイっと完成。

カレーも完成。S&Bゴールデンカレーがメインです。

それからハンバーグを焼きにかかります。

うむ。いい感じ。

完成。

(少し拡大)

美味かった。ふはは。