2010年2月6日土曜日

小金井公園、チキンカツ丼

最初は山に行く予定だったんですけどね。先日雪が降ったもんで。東京近郊の山の状況を妻がチェックしたら、軒並み積雪10cm以上とのことでした。雪が積もると、もう登山の難易度が跳ね上がりますからね。ムリ。

というわけで平地にピクニックに行くことにしました。

で、小金井公園に行ってみたんですが、広々として気持ちのよい公園だったんですけど、とにかく風が強くてね。寒くて。

とにかく寒々しくて、大変でしたよ。

おー寒。

これは江戸東京たてもの園。千と千尋の神隠しのモデルになったとかならないとか。この写真のたてものじゃありませんがね。

あー。寒かった。でも子供にとっては強い風もまた楽しからずやって感じらしい。

帰る途中、タイヤキを買い食いなんかしたりして、何とか家に帰りました。たどり着いた家の暖かかったこと。

で、チキンカツ丼。しっかり出汁をとって、

ミズナを入れます。これは味噌汁用。

別途取り分けた出汁にタマネギとしょうゆ、みりん、砂糖を入れます。参考にしたのはcookpad

グラム65円の鳥胸肉を観音開きにして塩コショウ。

小麦粉まぶして

らん液まぶしてパン粉をつけます。

揚げ焼きして完成。

出汁を暖めて、卵をゆっくり流しいれます。

チキンカツを切って、


ご飯に乗せて、卵出汁をかけてチキンカツ丼完成。美味かったもんねー。

きのこチキンクリームパスタ、アスパラポテサラ、雪だるま

そうそう。2月3日に雪が降りましたね。

会社から帰ると、娘と友だちのエリちゃんと作った雪だるまが玄関先においてありました。残念ながら翌日には消えてましたけどね。

エリンギ、アスパラ。って見たまんまやないかい。

ほうれん草。

ポテサラ用。じゃがいもとニンジンを茹でまっせ。

鳥むね肉を刻んで

しめじ、エリンギ、タマネギを切って、多めのバターで炒め、

小麦粉大さじ一をなじませた牛乳を投入。温まったら鶏肉を投入。最後にほうれん草を投入。

アスパラポテサラ。アスパラは結構強力です。肉なみに味を決めてくれますね。

完成したホワイトソースに

パスタを投入。美味かったです。


ポトフ

そうそう。確か「かいじゅうたちのいるところ」を見た日の料理ですよ。豚のかたまり肉が安かった。

タマネギ、ローリエ、豚肉をひたすらゆでます。

あとはキャベツとミズナを投入。くったくたになるまで煮ます。確かチキンスープの素も入れました。

じゃがいもは1時間も煮込めば溶けてしまうので別茹で。

二時間煮込んで完成。豚肉ホロホロで美味いんだな。これが。

シルバニア遊び、煮豆

一晩水に漬けた白いんげん豆。

翌日、砂糖で甘く煮付けます。美味かったけれども、私は金時とか黒豆の方が好みですな。クセがあった方が美味い。でも妻の意見は逆でして。むむ。

シルバニア遊び。USA仕様のシマ猫赤ちゃんを、割り箸+洗濯バサミのギミックで遠くに飛ばします。

効果音はバブバブーイ。なんと無体な遊びか。

以上。

トヨタ社長の会見

「崖の上のポニョ」をメインにテレビザッピングしてたら、ニュースステーションでプリウスのブレーキ問題についての豊田章男社長の会見を見たわけです。

何となく耳に残った言葉。「今の時期に、この私が出てきた理由は何かと申しますと」・・・。

あれ?

この私。ほかならぬこの私。このやんごとなき豊田家の直系の私が恐れ多くも下々の民衆の媒体たるマスコミの前に顔を出したその理由。マスコミのスポンサーとして、絶大な情報操作を行いうる、トヨタの社長。そのわたくし。

はぁ?おまえ誰だよ。トヨタの社長?豊田喜一郎の孫?そうですか。へぇ。だから、何だよ。

下々の私にもそう言う権利はあるわけだよね。

おっと。感情的になってしまった。

まあ別に張り合う気なぞありませんがね。絶対に勝てないのは分かってるし。誰も私の味方にはならない。

でもなんというか、正直この言葉に世襲がイケない理由が現れているような気がしましたね。

豊田喜一郎がこの言葉を聞いたら何と言うか。知ったこっちゃないですけどね。でも私ならこう言うな。ナニサマだ。黙ってろ。と。

正直、プリウスのリコール問題は騒ぎすぎだと思う。業種は違えども同じエンジニアとしてはね。あのくらい「問題」じゃないでしょう。レクサス(?)のスティッキーガスペダル(アクセルがフロアマットで戻らなくなることをCNNでこう言ってた)と時期が重なったのが運が悪かったと思う。しかし、この社長の言葉はイケてないね。幼稚さすら感じたし、このヒト何かの勘違いしてるのでは?とも思った。

トヨタが奥田なんちゃらの次の社長に豊田章男を立てたのは、危機の時代に豊田家直系のリーダーとして、その求心力に期待したからだという日経の記事を覚えています。そんなもんかね。と思いましたが、今はただ「危機の時代には真の力量を備えたヒトが活躍するが、平時には世襲の地盤看板を持った人間が幅を利かせる」という旨のマキアベッリの言葉を思い出すばかり。

諸行無常ですよ。

2010年2月4日木曜日

久米邦武編著 水澤周訳「特命全権大使 米欧回覧実記 〜1アメリカ編」慶応大学出版局

★★★★☆☆:志のあった日本人。読む価値あり

19世紀後半に大使として海外に派遣された、日本の一大外交団の日誌です。これが地味に面白い。

久米さんの問題意識は、今後日本という国が生き延びるためには欧米列強のよいところをどんどん吸収して発展して行かなければならない、という点にあります。そうしなければ日本は植民地化され、属国化してしまうかもしれない、という強い意思もそこには含まれている。

でもって、彼は彼なりにアメリカの現状を観察し(一巻)、考察を加えているのですが、これがいいのですよ。まっとうに是々非々で考えていて、当然久米さんの知識の限界や当時の時代制約はありつつも、アメリカのいいところ、悪いところ、特徴はなにか。日本ではどうすべきか。きちんと考えている。バランス感覚がいい。古びない。

例えば、以下のような記述がありました。(正確ではありません)いわく、

アメリカはイギリスとの独立戦争を経てから王権制や君主制に対する強い反感を持っている。彼らの徹底した民主主義信奉はそこから来ているが、その結果(いろいろあって)金持ちや有力な市民が政治に影響を与えるなど、若干の腐敗も見られる等々(書いててかなり自信がなくなりましたが、要するにしっかり見ているなあ、ということです)。

あるいはキリスト教や既成宗教を手厳しく批評するところとか、非常に興味深い。

天才的というわけでも、斬新でもないんですが、明治の日本人が見た当時の欧米というのは興味深いの一言に尽きます。

さっきから興味深いとか面白いとか伝わらないことばかり言っていて恐縮ですが、この地味な面白さというのはなかなか伝え難い。一巻だけ読んで終わりにしようと思っていたんですが、全巻読破するつもりになっています。

2010年2月2日火曜日

マックス・ウェーバー「職業としての政治」岩波文庫

★★★☆☆☆:まあまあ。現代性もある

政治家になりたい人、政治家と関わる人にとっては必読の本かもしれません。政治を職業とするということは、とりもなおさず私利私欲と公的な利害とのバランスをつけることであり、うまくやって行くためにはセンスが必要となります。日本のマスコミでは、政治家と金との関わりを蛇蝎のように嫌うトーンの記事が多いわけですが、そんなに簡単な話じゃあなかろうと私は日々思っており、ウェーバーもその辺かなり現実的な捉え方をしております。いや、別に当たり前のことだと思うんですよね。もちろん金権汚職政治を認めるわけじゃないけれど、グレーゾーンは絶対にある。そこをどう解釈するか、意見は分かれるはず。

まあ、基本的に斜め読みでしたがね。政治家になるつもりもないし、こちらから積極的にお近付きになりたいわけでもないので。

一つはっとしたのは、国家の裏には暴力があり、国家は暴力を正当化できる唯一の機関だ、という旨のルカーチの言葉です。ああ。そうだろうな。植草一秀さんのことを思い出すまでもありません。国家と選挙権を持つ人との間には、常に緊張関係がなければヤバイな、と思いました。

「かいじゅうたちのいるところ」見た

日曜日のこと。本当はハイキングに行く予定だったのですが、体調がいまいち優れなかったのでやむをえず中止としました。収まりがつかないのが子供たち。楽しみにしていたハイキング。泣くやら寂しそうな顔をするやらもう大変。しょうがないので金が多少かかってもいいから、と映画に行くことに。

昼食時、狭いベランダで山用ストーブとクッカーを並べ、インスタントラーメンを作ってやってなんとかご機嫌を取った後、見に行ったのがこの映画。何度か読み聞かせをしていたので原作は知っています。あのシンプルな絵本をどうやって90分の映画にもって行くのか。はたしてアニメ以外に免疫のない長女はこの映画に耐えられるか。次女は着ぐるみに怯えてしまうのではないか。

結果。子供たち問題なし。長女は感動したとのこと。次女は怖くて少し涙をこぼしていましたが最後まで鑑賞。私はといえば、なるほどねえと感心。そうきたか。見事。あのストーリーの背景にある子供の熱狂と不安、そして気持ちの揺れを見事に描いています。家族の描きかたも子供の描写も見事でした。子供がリアルでしたね。ああ。そうだ。子供ってこうなんだよなあ。

子供はいつだってかまって欲しいし、親に甘えたい。家族が大好きだから。でも親は仕事だとか人間関係にかまけて十分にかまってはくれない。姉ももう外を向いていて、小さい弟とは遊んでくれない。どうしてだろう。こんなに大事な家族なのに。どうしてみなお互いにもっと仲よく楽しく暮らさないんだろう。親にとってはかわいい子供。愛情だって注いでいるつもりです。でも子供からみればいつだって足りない。だから反抗する。どうしてお母さんはわかってくれないんだ。どうしてそんなどうでもいいことにとらわれてるんだ。もっと家族を、僕を大事にしなきゃダメなのに。でもお母さんにだって事情があります。仕事をしなければ食べていけないし、大事な人間関係もある。社会と関わって行かなければ暮らしていけない。姉はもう子供っぽい弟に構っている時間はない。友だちも大勢いるし、ボーイフレンドもできた。でも子供にはそれが分からない。分からないからひどいことを言う。狂ったように暴れる。一人で無茶苦茶に遊ぶ。

家族を愛してやまない子供と親、そして家族から羽ばたこうとする姉との葛藤が、あのかいじゅうたちのファンタジーだったのです。どうしてこうなったんだ。なんで皆仲よく暮らさないんだ。かいじゅうの叫びは子供の叫びです。かいじゅうたちの葛藤は家族の葛藤です。そしてかいじゅうたちのファンタジーを通して子供はいやされ、大人になっていく。原作の雰囲気を残しながら、深い洞察もそこに含まれています。非常にいい映画でした。お見事。

とベタ褒めで終わりたかったのですが一つ問題が。

この映画、とにかく画面が揺れるのですよ。全編を通して手で撮影している様子。急きょ映画に行った関係で良い席が取れず、私は子供と離れて最前列で見たのですが、はっきり言って眼が疲れた。だってほぼ全視界が始終グラグラグラグラグラグラグラグラしてますからね。もうたまらん。少し気持ち悪くなりました。幸い子供たちは微妙に離れた席だったためか無事だったもよう。私から二つ離れた席の小学生くらいの女の子も顔を手で覆ったりひんぱんに姿勢を変えたりしていたから、おそらく年のせいではあるまい。この映画を観るときはなるべく良い席をおすすめします。

2010年2月1日月曜日

iPad!

第一印象。オラオラ欲しいんか。欲しいんやろと言われれば欲しいと答えますね。これは買ってしまっているだろうなという不思議な未来完了系の感想をおぼえる魅力的な佇まい。だが。果たして買うメリットはあるのか!

以前モバイル通信手段の購入を検討して若干の失敗を納めたその教訓。デジタル系のガジェットを買う時にはそのポテンシャルを買え。現在の延長で考えるな。すなわちそのツールは何かしらの生活の変化を引き起こすはず(引き起こさないなら最低限のものでよい)。その変革後の世界を想定し、買うかどうかを判断するのだ。

といっても未来なんか分からないですよね。というわけでさしあたり現在の延長から考えてみる。iPad。まず重いっすね。700グラム。立って使うのは厳しい。電車の中で立ってる時に取り出すか?取り出さないと思うな。大きさ。うん。WEB巡回するのに良さそう。電子書籍は?コンテンツ次第ですね。マニアックな人文系学術書が読めると好印象。後はDVDとか見られればいいんですけどね。自分でエンコードすればいける?ちょっと面倒くさいな。あと覗き見防止スクリーンは必須ですね。それはすぐにでも発売される気がする。

さて、iPad。私の生活に何らかの変革を起こすだろうか。うーん。正直疑問。Word、Excelを今よりストレスなく開けそうなこと、それからWebが見易くなるであろうことは期待できますが、それで何か変わるかな。うーん。変わらない気がしてきたぞ。iPodで十分。そんな気がしてきた。まあアプリ次第ですけどね。3月まで状況注視です。

2010年1月27日水曜日

櫻部建 上山春平「仏教の思想2 存在の分析<アビダルマ>」角川文庫

★★★★☆☆:仏教思想を語る本がもっとあってもいい

個人的には仏教の思想、特に原始仏教思想はわりとしっくりくる思想です。宗教ということであればやおよろずの神もそうですけどね。大晦日には寺に行き、正月には神社に行く。実家の仏壇にはホトケになった祖父の骨が置いてあって、居間にはアマテラスオオミカミの神棚がある。応接間には天神様=菅原道真公の掛け軸。全く違和感なし。今のわが家にはないけれど、父がホトケになれば仏壇ぽいものを置くだろうし、そうなれば神棚もついでに置くことになるかもしれません。ついでというのも失礼な話ですが、自分の中では矛盾しない。

まあそれはともかく原始仏教思想の一つ、アビダルマの解説本です。アビダルマの位置づけなど細かい話については割愛するとして、面白かったのは無常についての話でした。

アーガマ経典=阿含経には以下のような叙述があるとのことです。「すべては無常である、無常なものは苦である、苦であるものは無我である」。よく分からないわけですが、櫻部建氏によれば「無常なのに常にあると思っているから苦しい。苦しいのは自己であるが、そもそも無常なものに常を見出そうとして苦しむ自己など常住不変な主体ではない。故に自己などない」という意味だそうです。深い。

私なりに解釈してみるとこうなります。

自我が存在するから苦しいのか。それとも苦しいから自我が存在するのか。ひょっとしたらむしろ後者ではないのか。つまり感性的なインプットがあると、それを何とか整理しなければならない。その雑多なインプットを整理するための入れ物として、自我があるのではないか。すなわち自我とは苦の原因ではなくてむしろ結果じゃなかろうか。

普通は私がいるからあの山は存在するのだ、などと考えません。山の存在の原因は私ではない。まず山があって、次にそれを見ている私がいる。では苦しみはどうか。まず苦しみがあって、次に私がいるのではないか。

でも苦しみがそれ自体で存在するわけではないじゃないか。苦しむためにはその苦を受ける存在があるはずだ。だからその苦しみを生きる主体が、苦しみよりも先んじているのではないか。

苦しんでいる存在。西洋ではそれを自我とか主観と呼ぶわけですが、その裏にはキリスト教的なバイアスが潜んでいる。つまりキリスト教の救済の対象としての魂です。彼らは自我ありきで考える。

でも苦しみというのは苦しいと考えたから苦しい、というようなものではない。ただ苦しいのである。もちろん苦しいことを考えれば苦しくなるに決まっている。しかしなぜ苦しいことを考えざるをえないのか。そこが問題である。つまり、苦しみとは自我とはまた別の自発的な源泉を持っている。じゃあその自発性とは何か。

西洋風にいえば、それは自我を超えた自己意識、つまり超越論的意識に求められるわけですよ。超越論的意識が苦しみを構成している、と。やや牽強付会か。まあいいや。

しかし原始仏教ではどうやらそうは考えない。むしろ、我苦しむ故に我あり。つまり苦が先にある。じゃあ苦を生み出しているのは何か。実はそんなものはない。となるわけですな。だって無我なんだもの。だから我とか自己とかそんな言葉は空に過ぎないんだ。単に世の無常を悟らない無知があって、それが自我だとか何だとか空しい言葉を言ってるだけなんだ、と。常に存在する我などない。無我だ。

じゃあどうやったら苦しみから逃れられるのか。といえば集滅道の話になる(多分)のですが、それはまた別の話。

どうですかね。西洋の超越論的意識という考え方もアリだと思いますが、仏教の無我の思想も全然通用すると思いますね。卑近な例で言えば、オレオレと自我を意識してる時間よりもぼけっとしてる時間の方が長いしね。まあそんなところです。

小沢一郎騒ぎ

まず、それがいいことかどうかはさておき、大物政治家に金が集まるのは当たり前だと思います。日本では優秀な人に投資するよりコネや人脈に投資するのがよほど効率的。だからエスタブリッシュな人すなわち世襲した人だとか地盤看板を持った人に金が集まる。サラリーマン、特に営業やってれば(あるいは営業の仕事を見てれば)身に染みて分る。ホレ接待接待。世の中、かなりの部分がコネと人脈で動く。

それから優秀な人を雇う、あるいはひきつけておくためにも金はいる。優秀かつ私欲のない人よりそれなりに欲があって優秀な人を探す方が早い。金があれば人が集まる。人が集まれば仕事が増える。そしたらまた人を増やす必要がある。人が増えれば金がいる。人を一人雇えば一千万かかる。

金を投資されたら感謝する。見返りも考慮する。考慮しない人に金は集まらない。投資して効果があれば人はまた投資しようと思う。

だから金があればなにかと上手くまわる。それが政治家の世界ではなかろうか。私の妄想か。そうだったらうれしいのだけど。

妄想は続く。だったら政治家の誰しも何かしらグレーな資金運用があるはずだ。私のささやかな家計だって妻にかなりを任せている。全部把握しようとは思わない。把握できると思う。でも他にやることがある。私の知らないところで妻がへそくりしたって分かりはしない。ましてや何人もの人が関わる政治家稼業。資金の動きを把握できるわけがない。

どこかの週刊誌で見ました。小渕さんの娘さんが誰からか高級腕時計をごっつぁんしたそうな。さもありなん。不思議とも思わない。

で、何で今小沢攻撃か。自民だって叩けばいくらでも埃が出るはず。西松献金騒ぎ、鳩山母献金騒ぎ、なぜ彼らがことさらターゲットなのか。検察はいろいろネタを持っていて、流れによってネタを使い分けているんじゃなかろうか。検察もまた官僚ではなかったか。官僚主導の政治を辞めさせようとする民主に、何か含むところはないのか。

あるいはアメリカから離れようとする小沢を疎ましく思う大物(妄想)の利害がそこに一致してないか。郵政貯金を外資系金融機関に流そうとする勢力は動いていないのか。アメリカの赤字国債=不良債権の購入とは無関係か。自民党は吉田茂以来、アメリカと密接な親分子分関係がある。そこに何か関係はないのか。

話は飛びますがCNNによると、かの国ではゴールドマン・サックスが社員に数億ドルのボーナスを払う一方、ウォルマートでは一万人をレイオフするそうな。もはや欲望の醜さしか感じられませんが。そんな国が長期的に持続するのだろうか。そんな国と付き合うにしても距離を置くことを考えてもいいのではなかろうか。今の日本社会の閉塞感はアメリカと無関係なのだろうか。

いや、ぶっちゃけ民主党政権ってのは民主的な革命じゃないか、と思うんですよ。アメリカからのプレッシャーだとか国内の反発見てると、かえって民主党政権ってのはすごいことなんじゃないかと思われてならない。感情的に反発する人はいつでもいるけれど、組織的な反民主の動きってのは珍しい。うん。面白いじゃないの。自民党にはとにかくうんざりだし、アメリカも何だか悲しい社会だし、だったらこれまでの流れを変えちゃった方がいいんじゃないか。

また話は飛びますが、軽い左派的なメッセージの入ったアバターがヒットしたところをみると、アメリカの一般人もアメリカ流価値観には嫌気がさしてるんじゃないですかね。どうでしょう。

以上、妄想でした。

2010年1月26日火曜日

なんかむつかしい本読んだ

その筋では有名な先生の本ですが、何が言いたいかさっぱりわかりませんでした。何を読んだかは書きません。

いわゆる立派な大学の先生が書く本が立派かといえは、そんなことはないわけですが、何を言いたいのかさっぱりわからない本を書く先生が、なぜだか大御所というか、権威だったりするのはよくあることです。不思議なもんです。

その手の本には明らかに特徴があって、引用と一般論に毛の生えたレベルの議論が8,9割を占めています。Aはこう言った。一方Bこう。またCはこう言っている。Aの意見はナントカカントカの視点が欠けているといわざるえまい。何だ。言いたいことはそれだけかい。

それはいわば思想の採集標本です。きちんと整理されている。知性も統一性も感じられる。でも、全ては静止している。王様がまとっているのは死んだコトバだ。子供なら素直に言うのかもしれません。でも大人になってしまうと、しがらみもあるし、人のことをどうこう言うのもアレだし、ということで、まあ黙ってればいいや、となってしまいますね。

それとも私がバカだけだろうか。その可能性は全く捨てきれない。実はもっと奥深い思想が隠れているのかもしれない。それとも王様は実は裸なのかもしれない。

「純粋理性批判」を読めば、あるいは「デカルト的省察」を読めばわれわれは超越論的主観性を生きることができます。その言葉をありありと、生き生きと把握することができる。しかし一旦ある種の批評に扱われてしまうともうダメです。単なる論理の操作対象となる。空虚な記号と化してしまう。対象より上に立とうとした時点で批評はダメになってるんじゃないか。そんな気がしてなりません。

バベル見た

ブラピとか菊池凛子とか出ているやつです。傑作でしたね。映画見ながら「ああ」とか「おう」とかいく度もうめいてしまった。途中いろいろ痛ましくて悲しくて、最後も一部救われないんだけど、何となくカタルシスがないわけではないのはやはり菊池凛子さんとモロッコのガイドさんのたまものですかね。最後まで引き込まれっ放しでした。

難解な映画です。途中までは、なんだなんだなんなんだ?という感じ。タイトルからして「話が通じない」ことがキーになっているわけですけど、理詰めで言えばちょっと違う。モロッコの片田舎に置き去りにされたブラピにはバベル的状況ですけど、聾唖の少女にとっては言葉が通じないわけじゃない。どうやら論理的に理解するタイプの映画ではありません。

三つのストーリーが時間的に混乱しつつ交錯するという作りからしてムツかしい。悪夢的なメタファーが飛び交う現代の神話といったところでしょうか。

印象的なシーンが多いのですが、個人的にツボにはまったのが、モロッコから子供の待つ家に電話したブラピが、子供の他愛のないおしゃべりを聞きながら慟哭するあたり。すっげー共感しました。

そういえば映画全体に子供(菊池凛子含む)への温かい視線が感じられましたね。登場人物はみな子供を愛している。恐らくは映画監督も。その辺も大いに救いでした。

2010年1月24日日曜日

夜間発酵パン、シメジとウィンナーと卵炒め、ポテサラ、ボンゴレロッソパスタ

おお。やっと料理写真が今日に追いついた。マメに更新しないとダメですね。

今日は子供の友達姉妹がやってきて一緒に遊びました。楽しかった。昔は私と目が合っただけで泣いていた下の子と、手をつないで散歩したりお話したり一緒に遊んだりしました。う~ん。成長した。上の子も生意気になってひねくれてました。う~ん。こっちも成長した。

再び夜間発酵パンです。コツはイースト半量と見つけたり。

下が冷蔵庫で一晩経過したもの。ビミョウに膨らんでいるのみです。いい感じ。

超手抜き成型。ハズカシイ気がしてきたな。三葉虫みたいだし。

シメジとウィンナーをたっぷりのバターで炒めます。

卵を投入。バターを焦がさないように低温で炒めていたのがマズかったらしく、卵がフライパンに張り付いて大変でした。難しいものです。きのこはいったん外に出して、後で混ぜた方が良かったらしい。

はい。三葉虫ブレッドの完成。味はOK。

夜。ポテサラを作ります。ポテサラ好きなんすよ。卵とツナとさらしタマネギを入れて

大量のマヨネーズ。

混ぜたら完成。

しっかり塩抜きしたあさりです。ボンゴレロッソ用。

あとはパスタを茹でるのと平行して一気に作ったので経過写真はありません。

にんにくを刻んで低温のEVオリーブオイルで炒め、アサリと白ワインを投入してフタをします。

あさりのクチがパクパク開いたら、ホールトマト缶を入れて一煮立ち。塩コショウとスープの素(アサリが多ければ多分不要)で調味。そこに茹で上がったパスタを投入して完成。

美味かったです。

夜間発酵パン、黒豆煮、トマトスープ、鮭とほうれん草のクリームパスタ、ほうれん草と卵のスープ

どうも過発酵が続くので再度パン作りです。冷蔵庫に入れてもダメだったので、今回はイーストを半分ほど減らしました。そうそう。去年もこんな感じで試行錯誤しながら、結局毎週作ったんだっけ。

黒豆も仕込みます。前回はアルデンテ黒豆になってイマイチだったのでこれもまたリベンジ。作り方は土井勝式です。実家の母もお勧めとのこと。ただしクギはなし。

翌朝。うん。全然発酵してない。

黒豆はひたすら煮るのみ。8時間だよ。8時間。もう二日掛かりを覚悟。

例によって超手抜き成型。

それからトマトスープです。ニンジンタマネギトマト缶にスープの素を投入して

ブレンダーでクラッシュ!野菜ジュースだな。こりゃ。

パンの完成。ようやくそこそこ満足の行くものができました。

夜はパスタ。本当は鮭のフライにしようと思ったんですが、時間とパン粉がないので方向転換。

塩コショウしておいて

バターで焼きます。この後フタして蒸し焼き。

黒豆完成。7時間ほど煮たんですが、小型羊羹のようなもっちりウマウマの甘煮ができましたよ!ヒャッホーと思ったら子供と妻に不評。柔らかすぎるってさ。チッ。でもこれは美味いっすよ。

そうこうしているうちに鮭とほうれん草クリームソース完成。実は鮭の匂いが気になってこの時点でタイムを大量投入。

平行して卵・ほうれん草スープ。これはアンパイです。和風出汁とチキンだしの両方が入るのがいい感じ。

パスタも完成。タイムがかなり効いていてですね。

妻は、ちょっとクリーム系とタイムは合わないわね。とか言いながらまあ何とか完食。子供たちはちょっと変な味と言いながらも完食。きわどいところでした。