2010年4月15日木曜日

人はなぜ宗教を求めるのか

最近禅やヨガ、インド宗教の書籍を読んだので考えて見ました。

人が宗教に走る理由。いろいろあるでしょうが、お釈迦様は簡単に、それは生きるのが苦だからだ、とおっしゃるわけです。まあ、そりゃあそうですわな。生きる上ではいろんな苦しみがあります。生老病死四苦八苦。愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦。愛する人の死に耐えられるか。死への恐怖に耐えられるか。自分の生きる意味の虚しさに耐えられるか。世の中には死よりも恐ろしく、苦しいものすらある。そのような恐怖の前に、人はただ孤独に震えながら、何かに祈るしかない。すがりつくしかない。そんな事態がある。まことに生きることは苦しみである。

ところが逆は必ずしも真ならず。日頃生きるのがしんどいなあ、苦しいなあと思いつつ、信仰を持たない人もいる。そのような人はどうなっているかというと、これは日本人に特徴的な態度じゃないかと思うんですが、現世のサムシングにすがります。例えば仕事。成功体験。自分磨き。死後の世界に期待するのではなく、現世の成果を目的とし、生き甲斐とする。人生の苦をハードワークに転嫁し、敢えてそこに飛び込むことで克服を目指す。あるいは気晴らしのための刹那的な快楽イベント。あるいは家族や物への愛。これら現世のリアルが「意味のある」人生をかたち作る。そんな「充実した」人生を目標とする人は多いと思う。

逆にいえば、それがある種の日本人の宗教だったりするんじゃないか。そんな風にも思えます。つまり、リアル(恋愛、趣味、家族、仕事)に充実した人生が理想としてあって、それを目指して生きる。それが生きる指針となり意味となる。仮にこれをリア充教としましょう。なんだか台無しなネーミングな気もしますけど。

リア充教。ある意味ではよほど宗教よりも健全に思える。キリスト教なんかは下手をすると、金持ちを恨みながら来世に期待しながら、淡々と日々を過ごすことになりかねない。それよりも、学生ライフや就職、仕事、人間関係といった人生に不可避なイベントや事象に生きる意味を求めるほうが正しいのではないか。特に会社経営者や、国家の運営にとってはこれほど都合良い思想はない。なぜなら現世での成功がコンセンサスとなり、結果として人が共通の目的に即して均質化され、ハードワークと消費が正当化されるわけですから。

またアンチ・リア充教も忘れてはなりません。心のどこかでリア充教に憧れの念と劣等感を覚えつつ敢えてこれを見下し、俺は違うぜ、とニッチな趣味やライフスタイルを目指す生き方です。これはもはや宗教とは言えない。あまりに批判的だし、こういう人は自らの生きる意味に対しても懐疑的なケースがある。アンチ・リア充。はたして宗教からは遠い立場なのか、それとも近いのか。

なんだか話がずれてきました。

話を戻して、なぜ人は宗教に走るのか。

短絡的なパターンは除外することにします。死ぬのが怖いから来世を期待したいとか、祖先にたたられているから、とかその手のやつ。あるいはニーチェがルサンチマンと名付け、ドストエフスキーが登場人物(確かカラマーゾフのアリョーシャ)に要請させたような、善と悪の根拠としての神も除外。

お釈迦様の考えに追加する、私が考えた理由。

やはり自分が生きているという神秘に気がついた時、それを合理的に解釈する手がないんですな。そこに宗教的な態度の下地があると思われる。

もちろん、人類というものが増殖している以上、誰かが生まれるわけで、それ自体は不思議でもなんでもない。誰かが生まれることになった。それがたまたま私だった。そこに問を投げかける余地はない。

でも、人は生きる理由を問う存在です。ある種の人間は問わざるを得ない。なぜ他ならぬ私が生まれたのか。その問にはもはや合理的な説明が出来ない。数億の精子がいて、そのどれがどの卵子に突入できたかによって、生まれる子が変わってくる。天文学的な確率を積み重ねて、この一人の存在となる。

そして人間の存在とは、石か何かのように単にそこにある、というだけではない。五感を持ち、受動的かつ能動的に世界と相互関係を持つことができるような存在である。

ストレスですさんだ心にはそんなこと関係ねーよ。となるかもしれませんが、まあとにかく、自分と世界が存在しているというその奇跡を、驚きと畏敬の念を持って眺めたときに、宗教的な感覚が生まれるのだと思う。

その感覚がわかると、どうも世の中の細かいことがどうでもよくなってしまってイカンのですが、そこを敢えて煩悩の世界に踏みとどまり、汚れ、汚されながら生きるほかはないのが、悲しいサラリーマン生活なのだなあ、と思うしだいであります。サラリーマンは修羅の道。

強引にまとめたところで以上。

2010年4月13日火曜日

大豆、大豆フムス、カレー、コールスロ-

まさかね。大豆が2分で煮あがるなんて思わないわけですよ。「絶対芯が残るね」「うん。長めに圧力かけとこう」と妻との会話。

というわけで一晩水につけた大豆を、

3分圧力掛けてみました。

もうね。軟らかくて。びっくり。指で簡単に潰れる。柔らかすぎじゃないの?ってくらい。

だって、普通の鍋で茹でると、3,4時間かかりますよ。マジで。掛け値なし。ひょっとしたらも少しかかるかも。いやあ、参った。圧力鍋バンザイ。

で、フムスです。朝食に前日仕込んだ大豆が使えるとはねえ。あり得ない。マジ。参った。

粉チーズ、にんにくのすりおろし、レモン汁、EVオリーブオイルを入れてクラッシュ。

一口味見して、???な味。何が言いたいのかわからない味。料理の体をなしてない。困った。味が決まらない。カレー粉投入。

???

チキン出汁の元顆粒を少々投入。反則気味。

???

ヤバイ。どうしよう。ええい。ままよ、と雪印6pチーズを二つ手でちぎって投入。やった。これでやっと味が決まりました。危なかった。

最終的にはそれなりに美味いものが出来上がったので、また作るかも知れない。

まとめ。大豆、レモン汁、EVオリーブオイル、にんにくのすりおろし、カレー粉、チーズたっぷり。以上をクラッシュして完成です。

ツナチーズトーストとともに頂きました。チャイも作ったハズ。

思い出した。これは西武遊園地に行った日ですよ。疲れたのでカレーにしました。疲れたなら作るなよ。妻に任せろよ。でも作る。だって趣味だから。

新玉ねぎと鶏手羽を伝家の宝刀3,000円の圧力鍋で煮ます。便利だわ。鶏手羽なんて、水から煮ると1時間以上かかる。それが余熱調理含めて30分未満ですからね。早い早い。

頼もしき圧力鍋(3,000円)。

それからドレッシング作りました。油を恐れないのが重要。

そしてコールスロー。キャベツと胡瓜を大めに刻んだのですが、塩振って絞ると激減しました。

以上。美味かった。

PodCastダウンロード後に「ライブラリーをアップデートしています」を発生させない方法

iPod TouchでWiFiなどを使ってPod Castをダウンロードした後にがじゃがじゃ操作すると、結構な確率でタイトルにあるようなメッセージが出て、音楽、画像、動画データがさっぱり消えてくれます。かなりのストレスです。iTunesと同期すればデータはもとに戻るのですが、それにしてもたまらないバグです。

今回、あくまで経験則であって100%の対処方法ではありませんが、なるべくデータを飛ばさないようにする手順を書きます。

まず、ダウンロード操作する前は、なるべくiPodを触らないこと。30分以上は放置するのが望ましい。

そして、余計な操作をせず、すぐにダウンロード画面に進むこと。

ダウンロード中も一切余計な手順は踏まない。じっと完了するのを待つこと。

次に、30秒待つ。バカバカしいですね。でも、ここで待たないとまず間違いなくデータが飛びます。

最後におもむろにミュージックを起動。決して余計な操作はしないこと。反応が遅いかもしれません。ハングしたように見えるかもしれません。でも、イライラしてタップした途端、飛ぶ確率が上がります。

無事起動したら、念のためダウンロードしたデータを数秒再生しておきましょう。ただし、焦ってはダメ。起動した、と思ってパタパタタップすると、ミュージックアプリが強制終了してデータが消えることがあります。でも、再生できればまず大丈夫。経験上。

これでダメならもうダメです。

しかし、こんな呪術に頼りたくないんだけどなあ。頼みますよ。アップルさん。

道元著 増谷文雄訳「正法眼蔵」講談社学術文庫

★★★★★★:日本人の生んだ最高の宗教思想書

これまでムリして岩波文庫とかの注釈付き原文を眺めていたんですけど、今回口語訳読んで感動しました。早く口語訳から入っておけばよかった。

もうとにかくスゴイですね。西欧思想の大著に引けを取らない。無理して言ってません。「現成公案」とか「有時」とかは高校の教科書にのせるべきだ。うむ。

2010年4月12日月曜日

スペアリブ、ポテサラ(、レタスサラダ)

スペアリブです。こういう脂系の肉って、時折強烈に惹かれるんですな。性懲りもなく。

まずはビタクラフトのフライパンでしっかり焼き目を付けます。

それから伝家の宝刀3,000円の圧力鍋にタレとともに放り込み、調理開始。

その間にポテサラ作ります。

完成。

いやね。確かに美味いんですよ。柔らかくてジューシーで。でも子供たちはあまり食べなかった。責任とって私が大量に食べる羽目になった。

あのチェ・ゲバラはボリビアに潜伏中、ラード(豚の脂)を舐めて飢えをしのいだというしね。スペアリブの脂ごときが。この。消化してやる。と思いつつ、やはり重い。魚食DNAが人体にはびこる私には荷が重すぎる。豚や牛の脂を平気で分解できる人が日本人にもいるのか。う~ん。私にはムリだ。もう当分スペアリブだとかバラ肉は勘弁してつかあさい。という心境になりました。


ハンバーガー

外食が多過ぎるという警告が妻から発せられたので、気温も上がってきたことだしお弁当を作ることにしました。

少し気合いを入れてハンバーグ。パンから自作です。慣れるとパンもハンバーグも割と簡単なのです。両方の工程に慣れれば、どうってことないっすよ。マジで。

はい。小麦粉捏ねます。

1次発酵の間にスーパーにあいびき肉を買いに行って、帰ったら1次発行が完了。別に時間を厳密に区切ったわけでもなし。ゆるーく進めます。

2次発酵の間にハンバーグを捏ねて焼きます。

二次発酵完了。ハンバーガーのバンズだから、もっと大きくすればよかった・・・

ハンバーグ完成。肉500gに塩小さじ2杯以上、ナツメグ黒コショウ大目が吉ですよ。

肉汁で玉ねぎを炒めます。

それからスナップエンドウを茹でておきます。

パンの完成。レタスを洗ってたっぷり持って行きました。近所の公園で食べました。外で食べる弁当って本当にいいもんです。

秋月龍珉「白隠禅師」講談社現代新書

★★★☆☆☆:まあまあ

これはまあまあでしたね。この人には他にもっと優れた本がある。禅の深さを自画自賛するようなトーンがかすかに感じられ、ちょっとだけですが鼻につきました。

秋月龍珉「初めに大悲ありー 人間を生かす禅 ー」講談社

★★★★★★:素晴らしい禅の入門書

間違いなく本物の思想家であり宗教家であると思います。一言一句が重い。これほどの思想家が日本にいたとは。

うむむむ。

2010年4月11日日曜日

西武遊園地、プリキュアショー

西武遊園地に行ってまいりました。

ユルいんですよね。そのユルさが好き。ユルさ故に人が少ない。その少なさが好ましい。

と言っているユーザーばかりだと商売にならないので、西武もいろいろやっているわけですが、まあ、ダメなんじゃないかね。はは。こういう体質というか土着の雰囲気っつうのは変わらないというか。垢ぬけなさ。それもまたよし。諸行無常。ってそんなことを言ってたら妻に怒られたんですけどね。西武沿線は価値を高めて欲しいとは思いつつ、なんか練馬のジジババ的な雰囲気も悪くはないな、という感もあって、そこはアンビバレンツな住人の気持ちなわけですよ。ムツカシイもんですね。

といいつつ、幼稚園、小学生にとってはまだまだ夢の遊園地。スゴく楽しそう。子供たちが楽しめる遊園地じゃないとダメだよね。そういう意味ではまだまだ西武遊園地も堪えているようです。

春。桜。休日も閑散とした遊園地ですが、さすがに人が多い。

プリキュアショーも楽しみました。

知らなかったけど、この手のショーってストーリー仕立てだったんですね。シナリオも練られていて、結構面白いです。

頑張れプリキュア。

帰り際。子供たちは名残惜しそうにしていました。遊園地を一緒に楽しめるのもいつまでかなあ。その切なさもまた老朽化した遊園地とジャストフィット。頑張れ!西武遊園地!

2010年4月7日水曜日

植島啓司「偶然のチカラ」集英社新書

★★★☆☆☆:軽い

感想。最近の新書は何だか薄い気がする。もちろん、内容が。

確かに面白いですよ。たくさんの興味深いエピソード。見やすい強調フォント。すらすら読めて、楽しめる。

でも、何が言いたいのか。最後の数章を読めば足りる。要するに「思い詰めるなくよくよするな。なるようになるさ」。完全に同意するものの、新書一冊読んだ結論としては何だかなあ。

江原ナントカとか細木ナントカを、あれはあれで誰かがやらねばならない仕事だから、と弁護するあたりも、宗教を研究した人にしてはあまりに凡庸な意見。うーん。マンダム。何ともはや。以上。

猪木武徳「戦後世界経済史」中公新書

★★★★☆☆:よくまとまってます

新書にしては厚いですが、サラリと読めました。この人は大秀才ですね。複雑な事象を分かりやすくまとめることが出来る。

若干内容が表面的な気はしましたが、それはトレードオフというものでしょう。この本は入り口。概説。細かいところは各人の問題意識で各人が深化させたらよろしい。

しかしまあ、起きたコトを説明するのも難しいのに、経済理論を振り回してまことしやかに未来を語る専門家には気をつける必要がありますね。特にTヘイゾー。今思えば、ありゃほとんど詐欺の領域だったように思えてならない。

秋月龍珉「誤解された仏教」講談社学術文庫

★★★★★★:どんぴしゃ

仏教思想には親近感を持っているのですが、一つだけ納得いかなかったんですよね。輪廻転生。前世の業(カルマ)を引きずって、生まれ変わる。んなの信じられないよ。

脳みそ削れば別の人。脳が焼ければ意識はない。私はそう思う。無味乾燥ではあるけれど。火葬場で灰になって千の風に舞ってるかもしれない。それを情緒的に取るか即物的に取るかは人の勝手。死んだら意識はない。輪廻もない。もちろん死んだ後のことは分からない。でも、少なくとも生まれ変わるってのはありそうにない。

でも仏教は輪廻を説く。分からない。なぜそこだけ独断的なのか。他の経説は理論的なのに。

この本を読んでスッキリしました。

悟って「後生を受けず」とした釈尊が輪廻を信じていたわけがない。輪廻は当時のインドで支配的だった思想を援用した方便だと。説法を分かりやすくするために輪廻を使ったのだ。仏教は「今」かつ「ここ」だ。この瞬間に、ここで、非我=無にさらされてあるのが私なのだ。一瞬一瞬が新しい私だ。直前の私の業(カルマ)から、次の瞬間の私が縁起するのだ。そうか。それで分かった。

後は、アートマン=ブラフマンすなわち梵我一如は仏教ではない。という主張。仏教は無我だ。梵我一如を超えるのだ。なるほど。そうか。

古代ギリシャ人が感じた存在の驚異は、インドではアートマンとして梵我一如の思想に結実した一方、キリスト教の近代ヨーロッパでは超越論的主観となり存在が忘却された。

仏教では、アートマンを超え、超越論的主観を超え、無の境地に至ったのであった。うーむ。感心しきり。

私は不勉強で秋月さんという方を今まで知らなかったのですが、宗教家としても思想家としてもスゴイ人です。素晴らしい。この人の本に出会えてよかった。

2010年4月5日月曜日

ハワード・ジン著 鳥見真生訳「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」あすなろ書房

★★★★★★:必読かも

最近の私のアメリカに対するイメージが、嫌米とでも安易に名付けたくなるような単調なものだったので、そんなに単純な話でもないだろう、と自己を諌めようとしていた矢先、この本と出会ってしまいました。

そうだったのかアメリカ。いや、何となく知ってはいたけど、これほどひどい歴史だったとは。

トンデモ本ではありません。一般には伏せられていた事実を淡々と書いているだけ。富豪が金を儲け、インディアンと貧乏人と黒人が踏みにじられてきた歴史。アメリカの奴隷解放運動も自由と平等の旗印も、高尚な思想から生まれた「目的」だったのではなく、たまたま都合良く手近にあった「手段」に過ぎなかった。アメリカという国の目的はただ一つ。富裕層の更なる発展。すなわち金儲け。

アメリカと一緒に繁栄してきた事実は認めるし、感謝をしないでもない。しかし、彼等が何を考えているか、彼等の目的がどこにあるのか、理解する必要がありそうです。

小泉竹中改革が日本をダメにした理由は、彼等がアメリカの犬に過ぎなかったからだ、私は今さらながらそう確信するものであります。

秋月龍珉「「無門関」を読む」PHP研究所

★★★★★☆:個人的には結構衝撃の出会い体験

以前「無門関」を読んで狐につままれたようなバカにされたような気になっておったのですが、これを読んで少し納得しました。深い意味があったんだ。当たり前か。でも「無門関」。ただ読んでも分からんよ。

とはいえ、相変わらずヘンテコなところに放り出されたような気になるのは禅ならではでしょうか。

昨今何となく現実の理不尽さと人間の愚かさ、醜さに直面し、混乱したような、俺はマシだという思い上がったような、嫌な気分で過ごしていたのですが、ハタと盲点を付かれたような気分です。混乱は相変わらずですが、少しは足が地についたか。

悟りの道は遠い。悟ればいいのか、という話もあるけれど。

頼住光子「シリーズ・哲学のエッセンス 道元」NHK出版

★★★☆☆☆:まあまあ

道元の「正法眼蔵」というのは非常に晦渋でなかなか歯が立たない本です。あまりに難しくて、単なるコケおどしじゃなかろうかなどと思ったりもするのですが、どうやらそうでもない。折に触れて読んでは、ああ。分からん。と歯がゆくなる本です。

これはその道元の解説本。

悪くはないと思います。しかし、やはりビンと来ない。「正法眼蔵」の難しさは言語の限界を超えた真理を語ろうとしているのが理由だ、と。それはそうかもしれませんが、でもそれって解説本の自己否定では?

頭では禅は分からんというのは完全に同意しますがね。

よくあるパターンですが、道元が神格化され過ぎているとまた理解が遠のく。「正法眼蔵」ってのは、禅の公案やお経をベースにした言葉遊びという側面もあるので、道元=屈折したインテリ(?)という切り口がないと、理解が難しいと思われるのは私だけだろうか。

安藤健二「封印作品の憂鬱」洋泉社

★☆★☆★☆:評価不能

一度は放映されたものの、諸般の事情から封印されてしまい、二度と日の目をみることのなくなったアニメや特撮作品を追ったルポです。作者と制作側のすれ違いや思惑のズレ、利権なども関わっていて、業界の裏事情が透けて見える。Amazonでの評価がわりと高かったので図書館で借りてみました。

結果。面白みが感じられない。この程度の理不尽さ、愚かさ、不幸なすれ違いなど珍しくもなんともない。

とすれば悲しむべきはむしろ私の純真さが失われたことかもな。

マスコミや制作側にいると、また見え方が違うのだろうな、と思いました。なので厳しい評価は控えています。ま、そんなところで。

西田幾多郎「善の研究」岩波文庫

★★★★★☆:傑作と思います

時折読み返してます。

知とは、自己の理想に従って現実を改変し、現実に従って自己の理想を改変するものである。また、真理とは我々の客観的事実を統一したものである。もっとも有力にして統括的なる表象の体系が客観的真理である。そして、真理を知るとは自己の経験を統一することに他ならない。しかも、真理を知った自己はそれまでの自己よりも大きい。ゆえに知は力である。

引用が長くなりました。そう。知ることはすなわち力なんですよね。単に情報を得ている、知っている、それだけでも強い(人に先んじることができる)わけですが、正しく現実を見据えるのも、それだけでまた力なのです。

後は、経験なくして自己はないとか、西洋哲学ではなかなか言えないことをさらっと書いていて溜飲が下がる。西洋思想は相対化される必要があります。

前田専学「ブッダを語る」NHKライブラリー

★★★★☆☆:読みやすくて分かりやすい

仏教に関しては断片的な情報が多く、いまいち全体像が掴めないな思っていたら、これを読んで疑問が解消しました。そうか。ブッダ自身が体系的、形而上学的な認識に不可知論的態度をとっていたのか。なんだ。それを早く言ってよ。

ブッダの足跡をたどりつつ、当時のインド社会や思想状況の描写などもあったりして興味深い本でした。

後は「聖☆おにいさん」に出てきたエピソードも多く親しみが持てます。といってもいい加減な本ではありません。ブッダへの敬意と愛が感じられる良書です。

2010年4月4日日曜日

ウィンナーとキノコの卵炒め、圧力鍋買った、さんまの骨まで煮、野菜炒め

これは朝食です。キノコとウィンナーの卵炒め。古くなりかけていたシイタケが案外いい味を出してました。

夕方。圧力鍋を衝動買いです。

以前から「そろそろ買おうか」などと妻と話してはいました。豆を煮るのも早いというし、塊り肉も早くホロホロに煮あがる、とのこと。魚も骨まで柔らか。

普通の鍋だと、豆を煮るのにモノにもよりますが数時間から6,7時間かかる。塊り肉は2時間。魚の骨まで柔らか煮はいつになったらできるやら。圧力鍋あったらいいよね。

でも、逆を言えば時間をかければ何とかなるわけです(魚以外はね)。だったらまあ、そんなに急いで買う必要もない。それに経験上、どうせ買うならキッチン周りは高いものがよい。包丁にせよ鍋にせよ。高めの投資覚悟でじっくりいいものを選ぼうじゃないの。というわけで、Webで調べては高いものは高いんだなあ、と呟く毎日だったのです。

でも今日何気に衝動買い。ええやんけ。しかも超安いもの。なんと3000円弱。かつ小さめのサイズ。18cm。3.2L。はい。はっきり言って禁じ手です。調理用具は、定評のあるよい(=高い)ものを、しかもワンサイズ大きめのを買うのが成功パターン。まさに大は小を兼ねる。それが賢い選択。

でもね、今回に限っては、この衝動買い、正解かも?と思ってます。まず、問題なく圧力鍋の機能が使える(当たり前だ)。それに、3.2Lあれば、4人前は確実に作れる。子供が成長期に入ると別かもしれないけれど。それは別のおかずでカバーするさ。

やはり、圧力をかけて調理するという機能があるかどうか、そこに大きな差異が出るのであって、それ以上の差異はよほど使い込まないと分からないのかもしれません。ペラペラの鍋と無水調理多層鍋の違いは、圧力鍋と通常鍋との違いと比べると、絶対的には案外小さい差異だったりして。

上手い比喩とは思いませんが、(1)ペラペラの安鍋と(2)無水鍋、(3)安い圧力鍋と(4)高い圧力鍋を乗り物に例えると、(1)ママチャリ、(2)KLEINのロードバイク、(3)原付バイク、(4)750ccの大型バイク、ってなことになりますかね。高い圧力鍋を使ったことがない(かつバイクに詳しくない)ので自信はないけれど。よい自転車とはいえ、やはり原付のバイクの便利さは捨てがたいだろうし、750ccあったら楽しいかもしれないけれど、原付で十分使えるね、みたいな。伝わったかな。まあいいや。

ということで早速さんまの煮ものを作ってみました。

結果。15分加圧ではまだ背骨に違和感ありました。大人は食べられるけど子供は無理。大人も歯の間に挟まるとつらい。でも小骨は完全にOK。子供も骨があっても気にならない!といって食べましたよ。でもね。楽。簡単。早い。これはいい。次回は20分に挑戦です。

それから野菜炒め。大量のチンゲンサイとモヤシとブタコマです。生協の牡蠣風味調味料、ナンプラーで味付けして、片栗粉で軽くとろみを付けました。アンパイの味です。

それからモヤシの味噌汁。美味かったです。

ポテサラコロッケ、ロコモコ、野菜スープ

前日のポテサラ。翌日には味がぼやけてイマイチな感じになっていたのでコロッケにしてしまいました。

まあまあってところでした。

続いてロコモコ。要はハンバーグライスです。羽田空港の看板で見かけたのが印象に残っていたのです。

ぐぐってみたところ、まあなんだかこいつも適当な料理みたいです。まずは玉ねぎをブレンダーでクラッシュして、半分をハンバーグの種に、半分をソースの材料にします。

ソースは適当。にんにく、玉ねぎ、ケチャップ、赤ワイン、醤油とみりん。ひたすら煮詰めるだけ。

卵が多すぎて(肉500g弱に二個入れたら)ユルユル。非常に取り回しが面倒でしたが、ちゃんと焼けてくれました。

ソースに肉汁を入れて仕上げ。でも味が決まらない。首をかしげてしまうような味でした。妻に食べさせてみたら、レモン汁を入れてみてはどうか、と。お!それだ!大さじに1杯ほど入れたらばっちり和風ソースになりました。大当たり。後は卵焼きを作ってご飯に乗せて頂きます。

野菜がないので適当野菜スープとともに。ロコモコ美味かったです。