「人生の本質は四苦八苦である」「苦集滅道」というけれどわれわれの人生はワリと小確幸(TM村上春樹)で成り立っているじゃないか。仏教ってあんまりペシミスティックじゃありませんか。いや、仏教じゃないな。これまでのブッダの解釈者たちだな。
と思ったら「苦」と訳されている言葉のもとの意味は「思い通りにならないこと」らしい。ということは、人生は「苦である」ではなく、人生は「思い通りにならない」というのが正しい解釈。そうであれば納得がいく。
苦だけじゃない。たとえ思い通りにならなくても、今、そこに幸せがある。
モットーは「健全な精神は健全な胃腸に宿る」「生きてるあいだは上機嫌」
主張として「原発は営利企業に任せるべきでなく、もんじゅは絶対に廃炉!」「税金には気をつけろ!」
もう一つ、福島原発作業員の方々ならびに早野先生に国民栄誉賞を。
サブ・ブログという位置づけで、細々更新しています。
2010年10月29日金曜日
貨幣博物館、Mujiミールでお茶
営団地下鉄三越前駅から徒歩5分の貨幣博物館に行ってまいりました。入場料は無料。個人情報も提出する必要なし。展示はかなり充実しています。そこかしこに警備員の方が立っておられるのも物々しくて雰囲気があります。おお。そうか。大判小判を展示してるんだもんな。すなわち警備員さんは不可欠のオブジェとなるわけ。貨幣に興味がない人がナニゲに入っても楽しめる場所です。

上の子は金貨や小判に興味深々。GOLDが好きなのね。やっぱり綺麗だからか。それとも高価だからか。他にもいろいろ興味が向くらしく、クイズにチャレンジしたり、紙幣の細かい作り込みに感心したり。下の子は例によって早々に飽きてましたけどね。アカデミックなコンテンツにはまだ早いようで。
それなりに楽しんだ後、銀座にご用事のあった妻と有楽町Mujiで合流です。無印良品というブランドにはわりとスルドイ目線を向けるわたくしですが、ムジのフラッグシップ店たる有楽町Mujiはワリと好きですね。考えてみればMujiの文房具とかは普通に愛用しているもんな。やはりいろいろとモノがあって楽しい場所です。

Mujiのレストランでカフェ。味はまあまあ。学食をちょっとだけオシャレにしたって感じで、気を使う雰囲気はまったくなし。子供連れでも問題ないところがポイント高いですね。

上の子は金貨や小判に興味深々。GOLDが好きなのね。やっぱり綺麗だからか。それとも高価だからか。他にもいろいろ興味が向くらしく、クイズにチャレンジしたり、紙幣の細かい作り込みに感心したり。下の子は例によって早々に飽きてましたけどね。アカデミックなコンテンツにはまだ早いようで。
それなりに楽しんだ後、銀座にご用事のあった妻と有楽町Mujiで合流です。無印良品というブランドにはわりとスルドイ目線を向けるわたくしですが、ムジのフラッグシップ店たる有楽町Mujiはワリと好きですね。考えてみればMujiの文房具とかは普通に愛用しているもんな。やはりいろいろとモノがあって楽しい場所です。

Mujiのレストランでカフェ。味はまあまあ。学食をちょっとだけオシャレにしたって感じで、気を使う雰囲気はまったくなし。子供連れでも問題ないところがポイント高いですね。
2010年10月28日木曜日
ファッションについての考察
うさとで買った服を着るのが楽しい今日この頃です。30台半ばを過ぎてファッションに目が覚めてしまった。いや、そんな大げさなもんじゃないか。むしろ、30台半ばを過ぎてユニクロ(※)から脱しつつある。主体的に服を選びつつある。そんなところ。
(※)「ユニクロ」は固有名詞ではありますが「普通のそこそこ安くて質が良くてデザインのよい服」の代名詞としてお考え下さい。
そりゃあユニクロだって気に入らなかったわけではありませんでしたが、いかんせんユニクロ。何というか、チノパンかくあるべし。シャツかくあるべし。ゆえに、Don't think.そんな感じですな。楽しくて着るんじゃない。まあ、こんなもんか、と思って着る。服なんかこだわってないもんね、という主張が却って必要となる。それがユニクロ。
でも、今は違います。気に入った服を選んで、買って、着る。楽しいじゃん。ということで、これまで「ファッションが趣味」だとか「服に金を使う」という感覚が理解できなかったのが、ようやく分かってきました。しょせん、おじさん。ファッションに金を使うなど、客観的費用対効果が疑問である、と思っていたんですけど、いやいや楽しいんだから費用対効果なんかどうでもいいよ、という感じです。(ま、しかしファッション雑誌にあるようなジャケット一着10万とかオカシイと思いますけどね。)
さて、自分の気に入った楽しい服を着るとどうなるか。まず、銀座、渋谷、あるいは吉祥寺などというソレっぽい場所に行くときに気後れがしなくなった。前はどこかに「ユニクロですみません」という意識があったようです。おしゃれなおじさんを見ると、ユニクロ上下のおじさんよりもやはり「正しいおじさん」であるなあ、と思えるんですね。そりゃそうですよね。近所のスーパーや秋葉原に買い物に行くならともかく、銀座に行くのに「オレ、ファッションには興味ないもんね」というのはいささか力んだ考え方と言わざるを得ない。「ファッションやぶさかではない」という服装と態度の方がしっくりくる場所が世の中にはあるわけ。
若さ由来の反骨精神、あるいは「服なんかどうだってええよ」という気概の現れとして、敢えてユニクロ、無印というのはアリだと思いますけど、そんな主張も年を取ってくるとなかなか厳しくなってくる。若くてスタイルのいい若者の「敢えてユニクロ」は鑑賞に耐えるとともに、そこに主張を感じられるわけですが、おじさんの「敢えてユニクロ」は見た目がそもそもいかがなものか、ということになるし、仮に主張を感じたとして「はた迷惑」ということになる。
後はやはり気に入ったものをまとうってのは何といっても気分がいい。いきなり一般化しますが、気に入ったモノが手近にあると、人間って落ち着くものですよね。居心地がいいんです。例えば道具。鍋なんかでも、安いペラペラの鍋で焦げつかせながら調理するのと、いい鍋を正しく使って調理するのとでは料理の楽しさが違う。包丁だってそうですね。DIYが趣味の人なら、よい工具を買うと幸せになれるでしょう。装飾品だってそうです。気に入った絵のレプリカを部屋に掛ける。なかなか気分がいいものです。つまり、人間ってモノに囲まれて生きているし、そのモノたちとは何らかのメンタルな交流があるわけ。交流じゃなくて、一方的なのかもしれないけれど、やっぱりいい道具を大事に使えば、道具だってそれに応えてくれるとか、そういうことはありますよね。
だから、気に入った服を着て過ごすのが気分がいいのは当然のことですね。人は服を着て生きているんだから、そこに気を配れば少し生活が変わってくる。気分が変わってくる。ファッションにちょっとこだわってみると、微妙に世界が変わってくるわけで、それはそれでなかなか楽しいことである、と思いながら過ごす昨今です。
(※)「ユニクロ」は固有名詞ではありますが「普通のそこそこ安くて質が良くてデザインのよい服」の代名詞としてお考え下さい。
そりゃあユニクロだって気に入らなかったわけではありませんでしたが、いかんせんユニクロ。何というか、チノパンかくあるべし。シャツかくあるべし。ゆえに、Don't think.そんな感じですな。楽しくて着るんじゃない。まあ、こんなもんか、と思って着る。服なんかこだわってないもんね、という主張が却って必要となる。それがユニクロ。
でも、今は違います。気に入った服を選んで、買って、着る。楽しいじゃん。ということで、これまで「ファッションが趣味」だとか「服に金を使う」という感覚が理解できなかったのが、ようやく分かってきました。しょせん、おじさん。ファッションに金を使うなど、客観的費用対効果が疑問である、と思っていたんですけど、いやいや楽しいんだから費用対効果なんかどうでもいいよ、という感じです。(ま、しかしファッション雑誌にあるようなジャケット一着10万とかオカシイと思いますけどね。)
さて、自分の気に入った楽しい服を着るとどうなるか。まず、銀座、渋谷、あるいは吉祥寺などというソレっぽい場所に行くときに気後れがしなくなった。前はどこかに「ユニクロですみません」という意識があったようです。おしゃれなおじさんを見ると、ユニクロ上下のおじさんよりもやはり「正しいおじさん」であるなあ、と思えるんですね。そりゃそうですよね。近所のスーパーや秋葉原に買い物に行くならともかく、銀座に行くのに「オレ、ファッションには興味ないもんね」というのはいささか力んだ考え方と言わざるを得ない。「ファッションやぶさかではない」という服装と態度の方がしっくりくる場所が世の中にはあるわけ。
若さ由来の反骨精神、あるいは「服なんかどうだってええよ」という気概の現れとして、敢えてユニクロ、無印というのはアリだと思いますけど、そんな主張も年を取ってくるとなかなか厳しくなってくる。若くてスタイルのいい若者の「敢えてユニクロ」は鑑賞に耐えるとともに、そこに主張を感じられるわけですが、おじさんの「敢えてユニクロ」は見た目がそもそもいかがなものか、ということになるし、仮に主張を感じたとして「はた迷惑」ということになる。
後はやはり気に入ったものをまとうってのは何といっても気分がいい。いきなり一般化しますが、気に入ったモノが手近にあると、人間って落ち着くものですよね。居心地がいいんです。例えば道具。鍋なんかでも、安いペラペラの鍋で焦げつかせながら調理するのと、いい鍋を正しく使って調理するのとでは料理の楽しさが違う。包丁だってそうですね。DIYが趣味の人なら、よい工具を買うと幸せになれるでしょう。装飾品だってそうです。気に入った絵のレプリカを部屋に掛ける。なかなか気分がいいものです。つまり、人間ってモノに囲まれて生きているし、そのモノたちとは何らかのメンタルな交流があるわけ。交流じゃなくて、一方的なのかもしれないけれど、やっぱりいい道具を大事に使えば、道具だってそれに応えてくれるとか、そういうことはありますよね。
だから、気に入った服を着て過ごすのが気分がいいのは当然のことですね。人は服を着て生きているんだから、そこに気を配れば少し生活が変わってくる。気分が変わってくる。ファッションにちょっとこだわってみると、微妙に世界が変わってくるわけで、それはそれでなかなか楽しいことである、と思いながら過ごす昨今です。
2010年10月27日水曜日
カレーを手で食べてみました
カレーを手で食べる。一度やってみたかったんですよね。
「よし。今日のカレーは手で食べよう!」と言ってみたら子供も喜んでました。普段手で食べて怒られている下の子も、上の子も喜んでる。手で食べるのが楽しみらしい。まあ分からなくもありませんが、不思議といえば不思議。人間って「手で食べたい」欲望でもあるのでしょうかね。あるいは「下品は楽しい」という倒錯した喜びなのか。(もちろん「手で食べる=下品」というのはあくまで日本的尺度に過ぎないわけですが)
ということでさっそく料理に入ります。まずは玉ねぎを炒めます。ワリとしっかり炒めたら、しょうが、にんにく、にんじんといった野菜群を投入。

挽き肉大量。ピーマンも投入。

なすとトマト缶を入れてグツグツ。

仕上げにルーを入れました。ルーはカレーの壷とS&Bゴールデンカレーのブレンド。

ご飯とカレーを冷ましてから、不退転の決意を持ってカレーに手を突っ込みます。これがですね、思った以上に楽しかった。

まず、カレーを手ですくってご飯にまぶすんですが、これがヌメヌメして楽しい。ねっちゃねっちゃとご飯とカレーをこねる。というか、まぶす。んで、カレーとご飯を一口分まとめて、シャベルのイメージで親指除く四本の指の上に乗せる。これを口元に運び、親指で口に押しやるわけです。美味しい。楽しい。子供たちも夢中で食べてました。ま、小さい方はカレーで汚れた手を、思いっきり服で拭いてたけどね。
手でカレー。結構おすすめです。
「よし。今日のカレーは手で食べよう!」と言ってみたら子供も喜んでました。普段手で食べて怒られている下の子も、上の子も喜んでる。手で食べるのが楽しみらしい。まあ分からなくもありませんが、不思議といえば不思議。人間って「手で食べたい」欲望でもあるのでしょうかね。あるいは「下品は楽しい」という倒錯した喜びなのか。(もちろん「手で食べる=下品」というのはあくまで日本的尺度に過ぎないわけですが)
ということでさっそく料理に入ります。まずは玉ねぎを炒めます。ワリとしっかり炒めたら、しょうが、にんにく、にんじんといった野菜群を投入。

挽き肉大量。ピーマンも投入。

なすとトマト缶を入れてグツグツ。

仕上げにルーを入れました。ルーはカレーの壷とS&Bゴールデンカレーのブレンド。

ご飯とカレーを冷ましてから、不退転の決意を持ってカレーに手を突っ込みます。これがですね、思った以上に楽しかった。

まず、カレーを手ですくってご飯にまぶすんですが、これがヌメヌメして楽しい。ねっちゃねっちゃとご飯とカレーをこねる。というか、まぶす。んで、カレーとご飯を一口分まとめて、シャベルのイメージで親指除く四本の指の上に乗せる。これを口元に運び、親指で口に押しやるわけです。美味しい。楽しい。子供たちも夢中で食べてました。ま、小さい方はカレーで汚れた手を、思いっきり服で拭いてたけどね。
手でカレー。結構おすすめです。
2010年10月25日月曜日
西田幾多郎メモ(無と意識)
最近、西田幾多郎論文集を読んでますが、この人は凄いですね。なぜ日本の思想家としてもっと広まらないか。ま、そりゃ難解だからだな。あるいは禅の宗教体験が前提されてるからか。そうだとすれば「生きる哲学」が扱えていないのが、日本の哲学研究じゃなかろうか。
しかし日本人哲学者たるもの、西洋哲学を有り難がって、細かい文献採集してるばかりじゃなくて、日本人らしい思想をぶち上げるべきなのでしょうが、ダメなんでしょうな。日本人の生真面目さが裏目に出ているのか。硬直化した学者世間の中で、異端が排斥され、エスタブリッシュな体制が安穏としているのか。
ま、関係ねーや。
ということで最近西田幾多郎を読んでますが、かなりシビれます。
「有に対する無が一つの類概念としてすべてを包摂する時、無は一つの潜在的有となる。如何なる有をも否定し果てしなきの立場に立つ時、即ち有に対して無その物が独立する時、意識の立場という如きものが現れる」(岩波論文集1、79ページ)
西洋の意識ってのはキリスト教の不死の霊魂、つまり神という「汝」に対する「我」が暗黙のうちに立てられているわけですが、西田幾多郎は東洋的「無」の直感からスタートすることで、完璧に西洋思想を相対化してるワケ。
おもしろいっすよ。
しかし日本人哲学者たるもの、西洋哲学を有り難がって、細かい文献採集してるばかりじゃなくて、日本人らしい思想をぶち上げるべきなのでしょうが、ダメなんでしょうな。日本人の生真面目さが裏目に出ているのか。硬直化した学者世間の中で、異端が排斥され、エスタブリッシュな体制が安穏としているのか。
ま、関係ねーや。
ということで最近西田幾多郎を読んでますが、かなりシビれます。
「有に対する無が一つの類概念としてすべてを包摂する時、無は一つの潜在的有となる。如何なる有をも否定し果てしなきの立場に立つ時、即ち有に対して無その物が独立する時、意識の立場という如きものが現れる」(岩波論文集1、79ページ)
西洋の意識ってのはキリスト教の不死の霊魂、つまり神という「汝」に対する「我」が暗黙のうちに立てられているわけですが、西田幾多郎は東洋的「無」の直感からスタートすることで、完璧に西洋思想を相対化してるワケ。
おもしろいっすよ。
2010年10月23日土曜日
チャーハン
チャーハンです。
一気呵成につくるので写真を取ってる暇なし。先日つくった煮豚で卵・煮豚チャーハンを作りました。
参考にしたのは以下のページです。
http://self.tagigo.net/200610/07-0546.php
いや、シンプルで悪くないレシピです。
中華鍋はカンカンに熱くすること。うん。基本ですな。
油は多めで。そうだよね。でもそれをはっきり書いてあるレシピは案外少ない。
ネギは事前に卵に入れておけ。なるほど。言われてみればそうだな。
あとは一気呵成に仕上げるだけ。卵がゆるい状態でご飯を投入したので、若干パラパラ感はありませんでしたが、子供からは好評の香ばしいチャーハンが出来ました。うん。これからはこのレシピがよいなあ、と思いました。
一気呵成につくるので写真を取ってる暇なし。先日つくった煮豚で卵・煮豚チャーハンを作りました。
参考にしたのは以下のページです。
http://self.tagigo.net/200610/07-0546.php
いや、シンプルで悪くないレシピです。
中華鍋はカンカンに熱くすること。うん。基本ですな。
油は多めで。そうだよね。でもそれをはっきり書いてあるレシピは案外少ない。
ネギは事前に卵に入れておけ。なるほど。言われてみればそうだな。
あとは一気呵成に仕上げるだけ。卵がゆるい状態でご飯を投入したので、若干パラパラ感はありませんでしたが、子供からは好評の香ばしいチャーハンが出来ました。うん。これからはこのレシピがよいなあ、と思いました。
政治はむつかしい
別にあたしは政治家じゃないので、政治的な意見がぶれたって実害はないのですが、やはり昔の政治的な思いこみや意見が、後に「必ずしもそうではなかったかなあ」と思えてしまうと、それなりに過去の自分を後悔するとともに政治というのは難しいのであるなあ、と思います。
具体的にはですね、数ヶ月前のわたくしは、アメリカはもう落ち目であるからして(これは今でもそう思ってる)、これからはアジアで仲良くすべきであろう、と思っていたんですな。中国、韓国と仲良くやっていくべきじゃないか、と。
昨今の情勢を見れば、もうこれ以上は言わずもがなですな。
中国もダメだよ。ありゃ。まだアメリカの方がずいぶんマシだ。
やっぱりアレですわ。最後に頼れるのは自国である、と思えるわけですが、ここを突き詰めるとそれそれで中庸から外れた路線に近くなるわけで、政治的判断というのは本当に難しい、と思います。何が正しいか、何が誤ってるかなんてわかりゃしません。
でも、朝令暮改でいいから、状況を見ていろいろ思ったり考えるほかはないのでしょうな。もちろん、軸がブレてはどうしようもありませんが。
むむむ。
具体的にはですね、数ヶ月前のわたくしは、アメリカはもう落ち目であるからして(これは今でもそう思ってる)、これからはアジアで仲良くすべきであろう、と思っていたんですな。中国、韓国と仲良くやっていくべきじゃないか、と。
昨今の情勢を見れば、もうこれ以上は言わずもがなですな。
中国もダメだよ。ありゃ。まだアメリカの方がずいぶんマシだ。
やっぱりアレですわ。最後に頼れるのは自国である、と思えるわけですが、ここを突き詰めるとそれそれで中庸から外れた路線に近くなるわけで、政治的判断というのは本当に難しい、と思います。何が正しいか、何が誤ってるかなんてわかりゃしません。
でも、朝令暮改でいいから、状況を見ていろいろ思ったり考えるほかはないのでしょうな。もちろん、軸がブレてはどうしようもありませんが。
むむむ。
2010年10月21日木曜日
夜の散歩
仕事の後、久しぶりに学生時代の友人XX君と呑むことになりました。「いつか合おう」「今度合おう」と年に数回メールしながら、何となく数年ご無沙汰。お互い忙しくてなかなか都合が付かなかったり、学生時代と違って共通の話題がないんじゃないかと気後れしたりであっという間に数年が経ってしまった。私の数少ない友人で(実質唯一か?)、昔はよく二人でお茶をしたもんだ。若干うらぶれた近所のマクド。懐かしや。
ということがあって、家族には今日は遅くなるよ、と一言。XX君と久しぶりに呑んでくる。ああ、そう。ほんとに久しぶりねえ。妻も彼を知っているので話は簡単。
仕事を済ませ、早めに会社を出ます。いつも物欲を誘うきらびやかな街の灯に後ろ髪を引かれながらも、まっつぐ家に帰るんですが、今日は待ち合わせの時間まで、夜の街をブラブラしてみようか、と。
通勤途中の駅で降りる感覚も新鮮。夜の街の放浪と散策です。いやあ、いいもんですねえ。夜といってもまだ6時台。野菜の入った買い物袋を抱えて帰宅を急ぐお母さんたちと会社から出て駅に急ぐお父さんたち。「日常」している人々の、あわただしい雰囲気。秋の夜、世はこともなし。人の流れに逆らって大きなショッピングモールに入ると、そこは明るいイルミネーション。きらびやかな商品がならんでいて、あわよくばと人々の物欲を誘っている。夜に出歩くはしゃいだ高校生たちや、水族館のクラゲのように電飾のあいだをさまよう若い女の子たち。夜のショッピングモールを歩く女の子には何となく寂しさを感じます。若い子が一人でベンチに腰かけている。人待ちなのか。それとも、家に帰っても何もないから、ただ時間を潰しているのか。私など、たまに散歩するから解放感を感じるのでしょうが、会社帰りにしょっちゅうウィンドウショッピングする生活というのは、それはそれで寂しんじゃないかななどと考えたり。
そういえば「グレート・ギャツビー」の最初の方にもこんなシーンがあった。都会に出た主人公が夜の街を散策するシーン。都会の夜の魅力、憧れ、そして寂しさと、ちょっとしたやるせなさが、見事に描かれていました。
しばらくブラブラと散歩して、待ち合わせの場所に到着。まだ早いかったのでプロントでビールを一杯頂きます。あー。こういうの憧れてたんだよなあ。仕事帰りに、ナニゲにバーで軽く一杯っての。ビールとちょっとしたつまみで650円くらいだったかな。プロントではMZONEが使えます。狭い机でノートパソコンを広げてasahi.com、Yomiuri Online、メールをチェック。暇つぶしにブログの草稿をパタパタと叩き、ビールをすする。プロントってワリと何でもありな雰囲気だから、バーでビールでノートPCという組み合わせも許されてる気がしてリラックス。しかしまあ、実際一人でビールを一杯呑むってのも、それほどスペシャルな体験じゃあないなあ。楽しいかと聞かれれば「それなりに」と答えるけれど、こんな機会がなきゃバーで一人ビールなんてことはしないな、と思ったり。
そうこうしているうちにXX君からメール着信。駅の東口に着いたとのこと。プロントを出た私は、刎頚の友XX君と無事東口で邂逅し、数年のブランクも感じることもなく、盃を酌み交わしたのでした。
ということがあって、家族には今日は遅くなるよ、と一言。XX君と久しぶりに呑んでくる。ああ、そう。ほんとに久しぶりねえ。妻も彼を知っているので話は簡単。
仕事を済ませ、早めに会社を出ます。いつも物欲を誘うきらびやかな街の灯に後ろ髪を引かれながらも、まっつぐ家に帰るんですが、今日は待ち合わせの時間まで、夜の街をブラブラしてみようか、と。
通勤途中の駅で降りる感覚も新鮮。夜の街の放浪と散策です。いやあ、いいもんですねえ。夜といってもまだ6時台。野菜の入った買い物袋を抱えて帰宅を急ぐお母さんたちと会社から出て駅に急ぐお父さんたち。「日常」している人々の、あわただしい雰囲気。秋の夜、世はこともなし。人の流れに逆らって大きなショッピングモールに入ると、そこは明るいイルミネーション。きらびやかな商品がならんでいて、あわよくばと人々の物欲を誘っている。夜に出歩くはしゃいだ高校生たちや、水族館のクラゲのように電飾のあいだをさまよう若い女の子たち。夜のショッピングモールを歩く女の子には何となく寂しさを感じます。若い子が一人でベンチに腰かけている。人待ちなのか。それとも、家に帰っても何もないから、ただ時間を潰しているのか。私など、たまに散歩するから解放感を感じるのでしょうが、会社帰りにしょっちゅうウィンドウショッピングする生活というのは、それはそれで寂しんじゃないかななどと考えたり。
そういえば「グレート・ギャツビー」の最初の方にもこんなシーンがあった。都会に出た主人公が夜の街を散策するシーン。都会の夜の魅力、憧れ、そして寂しさと、ちょっとしたやるせなさが、見事に描かれていました。
しばらくブラブラと散歩して、待ち合わせの場所に到着。まだ早いかったのでプロントでビールを一杯頂きます。あー。こういうの憧れてたんだよなあ。仕事帰りに、ナニゲにバーで軽く一杯っての。ビールとちょっとしたつまみで650円くらいだったかな。プロントではMZONEが使えます。狭い机でノートパソコンを広げてasahi.com、Yomiuri Online、メールをチェック。暇つぶしにブログの草稿をパタパタと叩き、ビールをすする。プロントってワリと何でもありな雰囲気だから、バーでビールでノートPCという組み合わせも許されてる気がしてリラックス。しかしまあ、実際一人でビールを一杯呑むってのも、それほどスペシャルな体験じゃあないなあ。楽しいかと聞かれれば「それなりに」と答えるけれど、こんな機会がなきゃバーで一人ビールなんてことはしないな、と思ったり。
そうこうしているうちにXX君からメール着信。駅の東口に着いたとのこと。プロントを出た私は、刎頚の友XX君と無事東口で邂逅し、数年のブランクも感じることもなく、盃を酌み交わしたのでした。
2010年10月19日火曜日
子供と外食@神保町
ある休日、下の子が熱を出してしまいました。せっかくの休みだけど、まあしょうがないよね。こればっかりは。しかし家族四人で家にこもっているのも何だかストレスが溜まる。妻も人が減った方が少しストレスがない、とのことで我々のみの外出を許可。というわけで、ラーメンをエサにして上の子を連れ出しました。
行き先は神保町です。確か地下鉄の出口すぐに、そこそこ美味い喜多方ラーメンがあったハズ。子供だから有名店の行列には耐えられないし、有名店のくせのある味よりも、普通の中華屋さんとかファミレス系の、当たり前のラーメンの方を好む。当然、あわよくば書店巡りをしてやろうという私の狙いもあります。
というわけで神保町。目的の店はあっさり変わっておりました。よく覚えていませんが、何だか辛い系?とんこつ系?に変更。参ったなあ、と思ったらすかさず子供が私の手を引いて「他のところにしようよ」。子供はあまり新しい店にチャレンジするタイプじゃありません。でも、子供に任せるとファミレスになっちまうので、ここは頑張って私が探します。すなわち私も古本屋巡りどころじゃない。やれやれ、という感じで店を探します。
ほどなく、ちょっと離れたところにひなびた中華料理屋を発見。迷うのも面倒くさかったのでためらう子供を引っ張って入りました。中は超場末な感じ。客は中年のカップル(ただの仕事休憩?)の二人だけ。子供がラーメン、私は酢豚定食とビール。


何か街の中華料理って感じの酢豚でしたね。ビール中瓶が670円もしたのが残念だったけど、まあ飛び込みで入ったらこんなもんでしょう、というお店。
何というか、中途半端だなあって感じの外出でした。本もゆっくり見られなかったし。子供と街散歩ができるのはいつの日か。と言っても、大きくなると親とは外出してくれないんだろうなあ、という予感もありますが。
行き先は神保町です。確か地下鉄の出口すぐに、そこそこ美味い喜多方ラーメンがあったハズ。子供だから有名店の行列には耐えられないし、有名店のくせのある味よりも、普通の中華屋さんとかファミレス系の、当たり前のラーメンの方を好む。当然、あわよくば書店巡りをしてやろうという私の狙いもあります。
というわけで神保町。目的の店はあっさり変わっておりました。よく覚えていませんが、何だか辛い系?とんこつ系?に変更。参ったなあ、と思ったらすかさず子供が私の手を引いて「他のところにしようよ」。子供はあまり新しい店にチャレンジするタイプじゃありません。でも、子供に任せるとファミレスになっちまうので、ここは頑張って私が探します。すなわち私も古本屋巡りどころじゃない。やれやれ、という感じで店を探します。
ほどなく、ちょっと離れたところにひなびた中華料理屋を発見。迷うのも面倒くさかったのでためらう子供を引っ張って入りました。中は超場末な感じ。客は中年のカップル(ただの仕事休憩?)の二人だけ。子供がラーメン、私は酢豚定食とビール。


何か街の中華料理って感じの酢豚でしたね。ビール中瓶が670円もしたのが残念だったけど、まあ飛び込みで入ったらこんなもんでしょう、というお店。
何というか、中途半端だなあって感じの外出でした。本もゆっくり見られなかったし。子供と街散歩ができるのはいつの日か。と言っても、大きくなると親とは外出してくれないんだろうなあ、という予感もありますが。
2010年10月18日月曜日
服に金をかけるということ
若い頃からファッションにはほとんど関心がありません。そこそこの定番ブーツ、定番ジーンズ、定番シャツを買うだけ。すなわち頭はまったく使わない。金もさほど使わない。特にユニクロが定番化してから顕著になりました。安い。かつ特徴のない汎用的デザイン。モノによっては品質もいい。おまけに、ユニクロってワリと行ったり買ったりするのが楽しいんですな。だからもう、ホント何も考えずにユニクロ一本。そんなファッションライフです。
それに、そもそも最近は「もうモテなくていいや」って思ってる。すなわちファッションにこだわる原動力の根源が失われてしまったわけ。んで、ぼーっと外に行く服を着たら妻に「ちょっとあんた!何それ。やめなさいよ!チノパンにジャージは無理!」とか「いや、その上下が黒ってないわ。ありえない」とか言われる。ええ?そうなん?よく分からんけどな。という状態です。言われて、しみじみ鏡を見て、ま、変といえば変?でもためらわずに外行っちゃうけどな?とちょっとヤバめ。つーか普段鏡すら見ないし。みたいな。
ちなみに妻は地味系なんですけどそれなりに服には気を使っています。パート先やボランティア先などでナニゲに服装がチェックされてしまうのだそうだ。思い起こせば、ママトモさんたちを見てもオシャレな人が多いようです。ということで、妻はもともとMuji指向、ゆる系指向の人でさほど服には気を遣わないんですけど、最低限みっともなくない格好をしようと努力している模様です。
私もまあ、興味はないことはないんです。例えば美容院に行ってメンズノンノ読むのは楽しいですね。おお。君ら本当に細いなあ。何だ?そのカッコ?半ズボンにストッキング?それがカッコいいの?モテるの?とか。私より2、3才上の美容師さん(若く見える。おしゃれ。二児の父)も「昔は金掛けましたけどねえ。今はユニクロにRight’on重ねるくらいっすよ」などとおっしゃる。そうっすよねえ。ファッションに頭も金もかけてらんないっすよ。いかんせんおっさんにはコストパフォーマンスが悪すぎる。つーか似合う服がない。それだったらユニクロのチノパンにユニクロシャツでええよ、と。
で、例によって話は唐突に展開しますが、この間うさとという手織り系、草木染め系の服のブランドの、展示会に行ったんですね。展示会と行っても、普通の民家の二階でやってるみたいな、6畳と4.5畳をつなげた程度の小さな会場です。この「普通の民家」というのはほとんど比喩ではありません。一階を店舗に改造した木造の一軒家。一階は自然食品、自然系服飾品を扱っている小さなお店です。マクロビオティックとかヨガとか(ヨガはなかったかな)東洋医学とかそれ系です。そんな店の二階。店の小上がりで、子供がちゃぶ台でおやつ食べてる。そんな和み系のお店です。
この「うさと」の服。妻が一着持っていて、なかなかセンスがいいんです。ぱっと見地味なんだけど、不思議とおしゃれ。ダサくない。流行とは一切無関係でありつつ、銀座あたりを散歩してもしっくり来る感じ。ということで「うさと」の展示会、あんたも来る?と妻に誘われて当日。
妻とチャリ漕いで行ってみたら、お姉さん・おばさんパワー充満な感じの店内でした。NPOとかボランティアに取り組むおばさん、お姉さんをご存知ならお分かりかと思うんですが、みなさんコミュ力(りょく)があって、ある価値観(あるいは弱い使命感)で結びついてて、女性だから人間関係が強力で厳しそうですが、前向きで足が地についたポジティブさ、たくましさがあるっていうか、そんな雰囲気。
で、そんな熟女パワーの渦巻く雰囲気の中、ノンポリ(ポリシーなし)のおじさんであるわたしが、ふらふら服を眺めるているんですが、これがなかなかおもしろい。まずユニクロに並んでる商品とモノが違う(当たり前だ)。デザインは当然ちょっとユニクロやRight’on、バーバリー、NewYoker(要するにデパートやイオン等の複合ショッピングモールに入ってるような店舗)では見られないタイプ。アジアっぽい感じです。でも、奇を衒った安物っぽい雰囲気は全然ない。タイやベトナムの金持ちおじさんが着ている感じかなあ。でも、タイ・ベトナム風というわけではなく中国山間部と日本の田舎、インディオも入ってる感じ。汎アジアチックとでもいいましょうか。それでいてシルエットもいい感じです。腹の出たおじさんにも似合う型あり、ウェストラインすっきりという型もあります。しかも、ナチュラルな癒し系でありながら洗練されている。
気になるお値段は、ユニクロに比べれば高い(当たり前だ)けど、デパートに入ってるようないわゆるブランドの商品からすると全然リーズナブル。具体的にはシャツとパンツが一万円~一万七千円くらい。コートが二万~。高いけど手が出ないほどではない。
でも、ちょっとあれかな、オレ、もうモテなくてもいいし。とワリと他人事な感じで服を眺めてたら、手の空いたコーディネーターさん(?)がいらっしゃって、わたくしにいろいろ「うさと」の服を着せてくれたんですね。まいったなあ、こういうの慣れないし、照れるなあ、などと思いながらも上下を何着か試着していると、だんだんと着心地だとかデザインだとかが、もの凄く気に入ってきたんです。着ていて楽だ。動きやすい。デザインもおもしろい。太ってても痩せてても似合う服だし。うん。これ、いいじゃないすか。妻からもあんたなかなか似合ってるわよ。森に住んでる人みたい。とお声がかかる。へぇ。そうかな(照れ)(褒められてるんか?)。コーディネーターさんからも「宗教関係の人みたいですね」とコメント頂いたり(多分褒められてない)、気分は盛り上がる一方。結局上下セットを3万弱で購入してしまいました。
で、家に帰って子供に着替えて見せて「ムササビ!」などとポーズを取ってウケを狙ったんですけど、そんなことはともかく気に入った服があるっていうことは楽しいものだなあ、と久しぶりに思った次第です。そういえば遠い昔にもこのワクワク感があった記憶があります。もはやハッキリとは思い出せませんが、それは多分小学生時代ではなかろうか。勝手に「カコイイ」と思い込んでいた服。それは例えばただの黒いシャツだったり(子供心に黒がカッコよかった)とか、初めて買ってもらったボストンバッグとか。服やバッグ(あるいはアーミーナイフ)にワクワクして、モノから貰ったエネルギーを燃やして生きていた子供の頃。
ずいぶん年をとったけれど、小学生のころと同じように服にテンションをあげてもらったり、服から元気をもらうことができるのだなあ。
小学生から大人になる途中で、結局オレなんかそんなに服似合わんやんけ。とか所詮「布」やんけ、とか、物事を即物的に捉え始めてからは、あまり惹かれなくなったモノ(服)についての情熱が、再び湧き上がってきたこと、そしてその対象が服飾であったということは、子供時代の気持ちを思い出すとともに、このオレが服に興味をもつとは、何か「わたくし的歴史」におけるちょっとした革命のようだなあ、という感慨もあり、なかなか興味深い心境の変化だと思っています。
もう一歩下がって反省してみると、どうも最近物欲が旺盛である、という警戒心もありつつ、でも物欲を楽しみながら生きていると、それはワリと楽しいから、これはこれで結構なことではないか、と思ったりもする今日この頃であります。
それに、そもそも最近は「もうモテなくていいや」って思ってる。すなわちファッションにこだわる原動力の根源が失われてしまったわけ。んで、ぼーっと外に行く服を着たら妻に「ちょっとあんた!何それ。やめなさいよ!チノパンにジャージは無理!」とか「いや、その上下が黒ってないわ。ありえない」とか言われる。ええ?そうなん?よく分からんけどな。という状態です。言われて、しみじみ鏡を見て、ま、変といえば変?でもためらわずに外行っちゃうけどな?とちょっとヤバめ。つーか普段鏡すら見ないし。みたいな。
ちなみに妻は地味系なんですけどそれなりに服には気を使っています。パート先やボランティア先などでナニゲに服装がチェックされてしまうのだそうだ。思い起こせば、ママトモさんたちを見てもオシャレな人が多いようです。ということで、妻はもともとMuji指向、ゆる系指向の人でさほど服には気を遣わないんですけど、最低限みっともなくない格好をしようと努力している模様です。
私もまあ、興味はないことはないんです。例えば美容院に行ってメンズノンノ読むのは楽しいですね。おお。君ら本当に細いなあ。何だ?そのカッコ?半ズボンにストッキング?それがカッコいいの?モテるの?とか。私より2、3才上の美容師さん(若く見える。おしゃれ。二児の父)も「昔は金掛けましたけどねえ。今はユニクロにRight’on重ねるくらいっすよ」などとおっしゃる。そうっすよねえ。ファッションに頭も金もかけてらんないっすよ。いかんせんおっさんにはコストパフォーマンスが悪すぎる。つーか似合う服がない。それだったらユニクロのチノパンにユニクロシャツでええよ、と。
で、例によって話は唐突に展開しますが、この間うさとという手織り系、草木染め系の服のブランドの、展示会に行ったんですね。展示会と行っても、普通の民家の二階でやってるみたいな、6畳と4.5畳をつなげた程度の小さな会場です。この「普通の民家」というのはほとんど比喩ではありません。一階を店舗に改造した木造の一軒家。一階は自然食品、自然系服飾品を扱っている小さなお店です。マクロビオティックとかヨガとか(ヨガはなかったかな)東洋医学とかそれ系です。そんな店の二階。店の小上がりで、子供がちゃぶ台でおやつ食べてる。そんな和み系のお店です。
この「うさと」の服。妻が一着持っていて、なかなかセンスがいいんです。ぱっと見地味なんだけど、不思議とおしゃれ。ダサくない。流行とは一切無関係でありつつ、銀座あたりを散歩してもしっくり来る感じ。ということで「うさと」の展示会、あんたも来る?と妻に誘われて当日。
妻とチャリ漕いで行ってみたら、お姉さん・おばさんパワー充満な感じの店内でした。NPOとかボランティアに取り組むおばさん、お姉さんをご存知ならお分かりかと思うんですが、みなさんコミュ力(りょく)があって、ある価値観(あるいは弱い使命感)で結びついてて、女性だから人間関係が強力で厳しそうですが、前向きで足が地についたポジティブさ、たくましさがあるっていうか、そんな雰囲気。
で、そんな熟女パワーの渦巻く雰囲気の中、ノンポリ(ポリシーなし)のおじさんであるわたしが、ふらふら服を眺めるているんですが、これがなかなかおもしろい。まずユニクロに並んでる商品とモノが違う(当たり前だ)。デザインは当然ちょっとユニクロやRight’on、バーバリー、NewYoker(要するにデパートやイオン等の複合ショッピングモールに入ってるような店舗)では見られないタイプ。アジアっぽい感じです。でも、奇を衒った安物っぽい雰囲気は全然ない。タイやベトナムの金持ちおじさんが着ている感じかなあ。でも、タイ・ベトナム風というわけではなく中国山間部と日本の田舎、インディオも入ってる感じ。汎アジアチックとでもいいましょうか。それでいてシルエットもいい感じです。腹の出たおじさんにも似合う型あり、ウェストラインすっきりという型もあります。しかも、ナチュラルな癒し系でありながら洗練されている。
気になるお値段は、ユニクロに比べれば高い(当たり前だ)けど、デパートに入ってるようないわゆるブランドの商品からすると全然リーズナブル。具体的にはシャツとパンツが一万円~一万七千円くらい。コートが二万~。高いけど手が出ないほどではない。
でも、ちょっとあれかな、オレ、もうモテなくてもいいし。とワリと他人事な感じで服を眺めてたら、手の空いたコーディネーターさん(?)がいらっしゃって、わたくしにいろいろ「うさと」の服を着せてくれたんですね。まいったなあ、こういうの慣れないし、照れるなあ、などと思いながらも上下を何着か試着していると、だんだんと着心地だとかデザインだとかが、もの凄く気に入ってきたんです。着ていて楽だ。動きやすい。デザインもおもしろい。太ってても痩せてても似合う服だし。うん。これ、いいじゃないすか。妻からもあんたなかなか似合ってるわよ。森に住んでる人みたい。とお声がかかる。へぇ。そうかな(照れ)(褒められてるんか?)。コーディネーターさんからも「宗教関係の人みたいですね」とコメント頂いたり(多分褒められてない)、気分は盛り上がる一方。結局上下セットを3万弱で購入してしまいました。
で、家に帰って子供に着替えて見せて「ムササビ!」などとポーズを取ってウケを狙ったんですけど、そんなことはともかく気に入った服があるっていうことは楽しいものだなあ、と久しぶりに思った次第です。そういえば遠い昔にもこのワクワク感があった記憶があります。もはやハッキリとは思い出せませんが、それは多分小学生時代ではなかろうか。勝手に「カコイイ」と思い込んでいた服。それは例えばただの黒いシャツだったり(子供心に黒がカッコよかった)とか、初めて買ってもらったボストンバッグとか。服やバッグ(あるいはアーミーナイフ)にワクワクして、モノから貰ったエネルギーを燃やして生きていた子供の頃。
ずいぶん年をとったけれど、小学生のころと同じように服にテンションをあげてもらったり、服から元気をもらうことができるのだなあ。
小学生から大人になる途中で、結局オレなんかそんなに服似合わんやんけ。とか所詮「布」やんけ、とか、物事を即物的に捉え始めてからは、あまり惹かれなくなったモノ(服)についての情熱が、再び湧き上がってきたこと、そしてその対象が服飾であったということは、子供時代の気持ちを思い出すとともに、このオレが服に興味をもつとは、何か「わたくし的歴史」におけるちょっとした革命のようだなあ、という感慨もあり、なかなか興味深い心境の変化だと思っています。
もう一歩下がって反省してみると、どうも最近物欲が旺盛である、という警戒心もありつつ、でも物欲を楽しみながら生きていると、それはワリと楽しいから、これはこれで結構なことではないか、と思ったりもする今日この頃であります。
2010年10月17日日曜日
ナイフについて
ナイフ欲しいなあと思ってWebでブログなど見ていたら、気が重くなりましたね。なんでかって言うと例の銃刀法違反とか軽犯罪法とかいうヤツです。
Webでの盛り上がりを見る限り、どうやら2006年~2007年に警察によるオタク・ナイフ狩りが励行されたらしい。刃渡り3cmのキーホルダーナイフを警察に見とがめられ、何を言っても通らず6時間拘束され、「護身用に持っていた」などとという警察のでっち上げ調書(刃渡り3cmでどうやって護身するのよ)に無理やり署名させられた、という例など気の毒というほかはありません。
植草一秀さんが受けた屈辱を見れば一目瞭然。警察とは権力の言うがままに動く非人間的、不条理な機構であり、そんな警察がほとんど無害な男の子からナイフを没収したり、植草さんその他のひどい冤罪事件を起こしているわけです。いやあ、昔はお巡りさんを尊敬してましたけどね。どうもそんなんじゃありません。救いと言えば、インターネットという草の根媒体が、小さい声ながらそういう事実を伝えているということでしょうか。官憲を信用してはいけない。
もちろん「ナイフなんか持って歩いている奴が悪い」「挙動不審だったんだろう」。確かにそれはそうでしょう。しかし、そこに「自分もそうなりえた」「警察は恐ろしい」という想像力がなければ、事実から目をそむけた愚かな断定に過ぎないと思います。軽犯罪法に寄ると、武器になり得る器具を持っている場合に、法に問われる可能性がある、となっているようです(詳しくは知りませんが)。そうなると、たとえば杖だの壺だの七輪だって凶器や鈍器になり得るわけで、それで警察にしょっ引かれる可能性がある、と。いや、大げさに煽ってるわけではなく、カッターナイフ当然ダメ、はさみだってアウト、爪切りですら人によって連行されるとのことです。どうなっておるのか。
Webの投稿には「ナイフ持ってるようなヤツなんか、どんどん逮捕して欲しい」という意見もありましたが、どうも恐れる対象を間違っているんじゃないか。あんたの母親は毎日刃物握ってるぜ。そんな神経症的な過敏反応もどうも気分が悪い。
人生しばらく生きていると、日本の組織というのはどうやら「規則原理主義者」と「瑣末事大主義者」が強くて、「臨機応変主義者」「柔軟思考人」は潰されることが多いんじゃないか、ということを思ったりもします。
私ももう20年近く一度も職務質問を受けたことはありませんし、全く目立つことのない地味な一介のサラリーマンですが、何かあるとこの国の警察(その他組織)はヤバイぞ、そんな思いを新たにする次第です。
Webでの盛り上がりを見る限り、どうやら2006年~2007年に警察によるオタク・ナイフ狩りが励行されたらしい。刃渡り3cmのキーホルダーナイフを警察に見とがめられ、何を言っても通らず6時間拘束され、「護身用に持っていた」などとという警察のでっち上げ調書(刃渡り3cmでどうやって護身するのよ)に無理やり署名させられた、という例など気の毒というほかはありません。
植草一秀さんが受けた屈辱を見れば一目瞭然。警察とは権力の言うがままに動く非人間的、不条理な機構であり、そんな警察がほとんど無害な男の子からナイフを没収したり、植草さんその他のひどい冤罪事件を起こしているわけです。いやあ、昔はお巡りさんを尊敬してましたけどね。どうもそんなんじゃありません。救いと言えば、インターネットという草の根媒体が、小さい声ながらそういう事実を伝えているということでしょうか。官憲を信用してはいけない。
もちろん「ナイフなんか持って歩いている奴が悪い」「挙動不審だったんだろう」。確かにそれはそうでしょう。しかし、そこに「自分もそうなりえた」「警察は恐ろしい」という想像力がなければ、事実から目をそむけた愚かな断定に過ぎないと思います。軽犯罪法に寄ると、武器になり得る器具を持っている場合に、法に問われる可能性がある、となっているようです(詳しくは知りませんが)。そうなると、たとえば杖だの壺だの七輪だって凶器や鈍器になり得るわけで、それで警察にしょっ引かれる可能性がある、と。いや、大げさに煽ってるわけではなく、カッターナイフ当然ダメ、はさみだってアウト、爪切りですら人によって連行されるとのことです。どうなっておるのか。
Webの投稿には「ナイフ持ってるようなヤツなんか、どんどん逮捕して欲しい」という意見もありましたが、どうも恐れる対象を間違っているんじゃないか。あんたの母親は毎日刃物握ってるぜ。そんな神経症的な過敏反応もどうも気分が悪い。
人生しばらく生きていると、日本の組織というのはどうやら「規則原理主義者」と「瑣末事大主義者」が強くて、「臨機応変主義者」「柔軟思考人」は潰されることが多いんじゃないか、ということを思ったりもします。
私ももう20年近く一度も職務質問を受けたことはありませんし、全く目立つことのない地味な一介のサラリーマンですが、何かあるとこの国の警察(その他組織)はヤバイぞ、そんな思いを新たにする次第です。
2010年10月15日金曜日
もつ煮込みリベンジ、金宮ホッピーで一杯
前回イマイチな出来だったもつ煮込み。さっそくリベンジです。会社帰りにスーパーでモツを購入。いつもと違う店です。それから出来合いのラーメンスープみそ味も購入。ジャンキーな味は覚悟の上です。
家に帰ってまずは下茹で。もつのパックを開けるともわっとアンモニア臭が。おお!これは!まさに便所のかほりではないか。およそ食品の匂いではありません。ヤバい。ヤバいよこれ。でも捨てるわけにも行かない。下茹での時に圧力鍋から漏れる蒸気がまたアンモニア臭い。しょうがないので二度目の下茹でで、日本酒を多めに入れました。これで少しはマシになった。もうあのスーパーでモツを買うのは止めよう。
圧力鍋が冷える間にお酒を買いに行きました。迷って迷って金宮焼酎とホッピー。実は家呑みの選択肢としては若干割高なんだよねえ。安ウィスキーの薄いお湯割や缶チューハイ(or第三のビール)の方が安い。まあ、たまにはいいでしょう。
さて、下茹でしたもつに豆腐を追加して、ラーメンスープと前回の残りを投入。ぐつぐつと煮るとまあまあ期待通りの、ジャンキーな居酒屋風もつ煮込みができましたね。とんこつ味噌味だともっと近かったのだろうか。
もつ煮込み+妻謹製のポテサラとホッピーで一杯。なかなか幸せ。


さて、大量にできたもつ煮込み。ハッキリ言ってもう飽きてますから。しかし豚さんの内蔵をムゲに捨てるわけにはイカン!絶対に食べきろうと覚悟を決めたのでありました。
家に帰ってまずは下茹で。もつのパックを開けるともわっとアンモニア臭が。おお!これは!まさに便所のかほりではないか。およそ食品の匂いではありません。ヤバい。ヤバいよこれ。でも捨てるわけにも行かない。下茹での時に圧力鍋から漏れる蒸気がまたアンモニア臭い。しょうがないので二度目の下茹でで、日本酒を多めに入れました。これで少しはマシになった。もうあのスーパーでモツを買うのは止めよう。
圧力鍋が冷える間にお酒を買いに行きました。迷って迷って金宮焼酎とホッピー。実は家呑みの選択肢としては若干割高なんだよねえ。安ウィスキーの薄いお湯割や缶チューハイ(or第三のビール)の方が安い。まあ、たまにはいいでしょう。
さて、下茹でしたもつに豆腐を追加して、ラーメンスープと前回の残りを投入。ぐつぐつと煮るとまあまあ期待通りの、ジャンキーな居酒屋風もつ煮込みができましたね。とんこつ味噌味だともっと近かったのだろうか。
もつ煮込み+妻謹製のポテサラとホッピーで一杯。なかなか幸せ。


さて、大量にできたもつ煮込み。ハッキリ言ってもう飽きてますから。しかし豚さんの内蔵をムゲに捨てるわけにはイカン!絶対に食べきろうと覚悟を決めたのでありました。
2010年10月14日木曜日
ナイフ欲しー
先日「最近物欲がないのよねー」などと言っていましたが、昨日、また新たな物欲にとらわれてしまいました。すなわちナイフです。
昨夜、呑み終えた「のものも」紙パックをリサイクルのために解体していたんです。愛用の安物フィッシングナイフ(上州屋で800円)を使っていてしみじみ思った。やっぱこの手の作業にはナイフがふさわしいなあ、と。
ハサミだとちょっと力不足。無駄に握力が必要。カッターナイフもダメ。下手をすれば刃が欠けますからね。包丁でもいいのですが、食品を切るのが本業の包丁で紙を扱うのは軽く違和感があります。やっぱりナイフでザクザク切るのがふさわしい。
それから村上春樹の昔読んだエッセイ(確か「遠い太鼓」)で、バスの車掌がナイフでチーズを切って、乗客に分け与えるシーンがありました。うーん。自然だ。やっぱナイフはいるよねえ。ラピュタでも「ナイフーランプかばーんにつーめーこーんーでー」って言うからね。男子には必須のアイテムであろう。
それに一年に数回は、何気に「何か刃物ないか」という状況があるんですね。別に刃傷沙汰に及ぼうというわけではない。ちょっと紐とかタグを切りたかったり、りんごをむいたり、食べ物を切り分けたり、というシチュエーションです。
そうつらつらと考えていると、どうもナイフが欲しくなってくる。500円の肥後の守と、800円のフィッシングナイフはあるけれど、せっかくだからいいナイフが欲しいなあ。予算5、000円くらいで。
Webで調査開始。あまりギラギラした感じのナイフとか、見るからに「アブナイ」ナイフはさすがにアレだよなあ、と。やっぱりスイス・アーミーナイフかな。おもちゃっぽいところがいい。可愛げもある。そんなに高くもないし。などと思った訳です。ちゃんと研げばそれなりに使えるんじゃないか。そうそう。思い返せば、小学生の頃に安物のアーミーナイフ持ってました。鉛筆を削ろうと思ってもロクに切れないインチキナイフだったけど、持ってるだけで楽しかった。
ナイフで何かするってプリミティブな喜びがありますね。道具というものがすべからく身体や脳の延長であるとすれば、ナイフはさしずめ「親指の爪」や「歯」の延長ではなかろうか、などと考えたり。剥いたり、ひっぱがしたり、切ったりという機能ですからね。
想像するに、古代の人はこの手のスルドイ金属や石片を操って、木でいろんな工具を作ったり、動物をしとめたり、動物を解体したり、果物や木の実の皮を剥いたり、家や家具を作ったり、生きるためのもろもろの作業をしていたに違いないわけで。すなわち、昔の人にとっては、ナイフ的なものを扱うということは、何よりもまず生きるために必須のスキルであったはず。ナイフが今の男子を惹きつける理由もそこにあるのではなかろうか。
子供時代を思い返せば、ナイフで鉛筆を削るとか、ナイフで木片を加工するというのはとても楽しい経験でありました。ナイフで木を削っていると、妙に心が落ち着きますが、あれは原始の時代から脈々と引き継がれたナイフ関連DNAに由来する「俺は歴史的に正しいことをしているんだ」という確信に違いなかろう。(そうかな?)
しかし、まあアレなんですよね。昨今の法律事情によって、正当な目的なしにナイフを持ってると、それだけで罪になるんですな。野暮だよねえ。ナイフったっていろいろあるでしょうが。
というわけで、スイスアーミーナイフは欲しいのですが、ちょっと買うのはためらっている今日この頃です。ま、買わないかなあ。そんな気がするなあ。買うとしたら、まさに今必要なシチュエーションになって、そこにナイフが売ってたら買うでしょうけどね。そんなシチュエーション滅多にないしね。あるいは山道具屋で衝動買い。これはありそうだな。
ま、そんなところです。
昨夜、呑み終えた「のものも」紙パックをリサイクルのために解体していたんです。愛用の安物フィッシングナイフ(上州屋で800円)を使っていてしみじみ思った。やっぱこの手の作業にはナイフがふさわしいなあ、と。
ハサミだとちょっと力不足。無駄に握力が必要。カッターナイフもダメ。下手をすれば刃が欠けますからね。包丁でもいいのですが、食品を切るのが本業の包丁で紙を扱うのは軽く違和感があります。やっぱりナイフでザクザク切るのがふさわしい。
それから村上春樹の昔読んだエッセイ(確か「遠い太鼓」)で、バスの車掌がナイフでチーズを切って、乗客に分け与えるシーンがありました。うーん。自然だ。やっぱナイフはいるよねえ。ラピュタでも「ナイフーランプかばーんにつーめーこーんーでー」って言うからね。男子には必須のアイテムであろう。
それに一年に数回は、何気に「何か刃物ないか」という状況があるんですね。別に刃傷沙汰に及ぼうというわけではない。ちょっと紐とかタグを切りたかったり、りんごをむいたり、食べ物を切り分けたり、というシチュエーションです。
そうつらつらと考えていると、どうもナイフが欲しくなってくる。500円の肥後の守と、800円のフィッシングナイフはあるけれど、せっかくだからいいナイフが欲しいなあ。予算5、000円くらいで。
Webで調査開始。あまりギラギラした感じのナイフとか、見るからに「アブナイ」ナイフはさすがにアレだよなあ、と。やっぱりスイス・アーミーナイフかな。おもちゃっぽいところがいい。可愛げもある。そんなに高くもないし。などと思った訳です。ちゃんと研げばそれなりに使えるんじゃないか。そうそう。思い返せば、小学生の頃に安物のアーミーナイフ持ってました。鉛筆を削ろうと思ってもロクに切れないインチキナイフだったけど、持ってるだけで楽しかった。
ナイフで何かするってプリミティブな喜びがありますね。道具というものがすべからく身体や脳の延長であるとすれば、ナイフはさしずめ「親指の爪」や「歯」の延長ではなかろうか、などと考えたり。剥いたり、ひっぱがしたり、切ったりという機能ですからね。
想像するに、古代の人はこの手のスルドイ金属や石片を操って、木でいろんな工具を作ったり、動物をしとめたり、動物を解体したり、果物や木の実の皮を剥いたり、家や家具を作ったり、生きるためのもろもろの作業をしていたに違いないわけで。すなわち、昔の人にとっては、ナイフ的なものを扱うということは、何よりもまず生きるために必須のスキルであったはず。ナイフが今の男子を惹きつける理由もそこにあるのではなかろうか。
子供時代を思い返せば、ナイフで鉛筆を削るとか、ナイフで木片を加工するというのはとても楽しい経験でありました。ナイフで木を削っていると、妙に心が落ち着きますが、あれは原始の時代から脈々と引き継がれたナイフ関連DNAに由来する「俺は歴史的に正しいことをしているんだ」という確信に違いなかろう。(そうかな?)
しかし、まあアレなんですよね。昨今の法律事情によって、正当な目的なしにナイフを持ってると、それだけで罪になるんですな。野暮だよねえ。ナイフったっていろいろあるでしょうが。
というわけで、スイスアーミーナイフは欲しいのですが、ちょっと買うのはためらっている今日この頃です。ま、買わないかなあ。そんな気がするなあ。買うとしたら、まさに今必要なシチュエーションになって、そこにナイフが売ってたら買うでしょうけどね。そんなシチュエーション滅多にないしね。あるいは山道具屋で衝動買い。これはありそうだな。
ま、そんなところです。
2010年10月13日水曜日
豚バラ角煮とラーメン
またやっちまいましたよ。豚の角煮。もう何年も前になりますか。二度と作らないと誓った豚の角煮。何をまたトチ狂って角煮なんぞ作ったか。圧力鍋ですわ。圧力鍋でしっかり下茹でしたら「余分な脂の抜けた」うまい角煮ができるんじゃなかろうか、と思ったんですね。
しかし失敗したら大量の廃棄が発生するのは確実。マックのポテトMはためらい無く捨てられるけど、豚さんのバラ肉を捨てるのは心が痛む。肩ロースのブロックも同時に作って、リスク分散を図ろう。
というわけで、肩ロースとバラブロックを中華鍋でジュウジュウと焼きます。脂を落とすと同時に香ばしさを出すわけ。

表面を焼いた肉の完成。ここでバラの方を5センチ角に切ります。(本当は焼く前に切るのがノーマルなんだけど)

おお。包丁にべったりと脂が。この脂が血管を詰めるわけね。・・・

切り口を見れば脂の層が。これって脂だよね。どう見ても。コラーゲンじゃないよね。この辺りからもう敗北の気配を感じてしまった・・・こんな脂食えねえって。

下茹でした水は一旦ボールに取ります。このまま流すと水道局の方にご迷惑がかかるので、脂だけ冷やし固めて捨てます。脂(特に動物性の脂)は下水にそのまま流しちゃダメですね。

下茹で後は若干希望の持てる外見になりました。ひょっとしたら食べられるかも?

ラーメンに乗せるためのもやしとにんじんを蒸して

角煮の方はぐつぐつと味付け煮込み中。味玉も作ってます。

野菜はいい感じに蒸し上がったので

ラーメンにトッピング。

ラーメンも角煮も美味かったんですが、もうね、二度と角煮は作らない、と今度こそ心しました。脂だらけじゃん。

ほら。これが最初に茹でこぼした水。冷やしたらこうなりました。

こっちは煮豚。

これを冷蔵庫に置いておくとこうなる。
もうね、ダメっす。この脂。これが体のあちこちに詰まるんだね。ぞっとしますな。幸い肉は美味いし、肩ブロックも入っているので、脂をよけて何とか食べましたけど。
次は、ももか肩のブロックで角煮を作るぞ!もうね、バラ肉は二度と買いません。
しかし失敗したら大量の廃棄が発生するのは確実。マックのポテトMはためらい無く捨てられるけど、豚さんのバラ肉を捨てるのは心が痛む。肩ロースのブロックも同時に作って、リスク分散を図ろう。
というわけで、肩ロースとバラブロックを中華鍋でジュウジュウと焼きます。脂を落とすと同時に香ばしさを出すわけ。

表面を焼いた肉の完成。ここでバラの方を5センチ角に切ります。(本当は焼く前に切るのがノーマルなんだけど)

おお。包丁にべったりと脂が。この脂が血管を詰めるわけね。・・・

切り口を見れば脂の層が。これって脂だよね。どう見ても。コラーゲンじゃないよね。この辺りからもう敗北の気配を感じてしまった・・・こんな脂食えねえって。

下茹でした水は一旦ボールに取ります。このまま流すと水道局の方にご迷惑がかかるので、脂だけ冷やし固めて捨てます。脂(特に動物性の脂)は下水にそのまま流しちゃダメですね。

下茹で後は若干希望の持てる外見になりました。ひょっとしたら食べられるかも?

ラーメンに乗せるためのもやしとにんじんを蒸して

角煮の方はぐつぐつと味付け煮込み中。味玉も作ってます。

野菜はいい感じに蒸し上がったので

ラーメンにトッピング。

ラーメンも角煮も美味かったんですが、もうね、二度と角煮は作らない、と今度こそ心しました。脂だらけじゃん。

ほら。これが最初に茹でこぼした水。冷やしたらこうなりました。

こっちは煮豚。

これを冷蔵庫に置いておくとこうなる。
もうね、ダメっす。この脂。これが体のあちこちに詰まるんだね。ぞっとしますな。幸い肉は美味いし、肩ブロックも入っているので、脂をよけて何とか食べましたけど。
次は、ももか肩のブロックで角煮を作るぞ!もうね、バラ肉は二度と買いません。
2010年10月12日火曜日
高いよスタバ
この間、ひっさしぶりにスタバに行きました。やっぱり高いからね。なかなか足が向かない。
だってスタバラテ、サンドウィッチ、ドーナッツ(お腹が空いてた)で900円でっせ。ドーナッツは余分だった。認めます。しかし、仮にドーナッツを抜いても700円。えーん。定食屋ならご飯、みそ汁、お新香、焼き魚、他一品が付いてきますよ。立ち呑み屋でホッピーの中おかわりしてホルモン焼き二本食べられるよ。Vice versa.

確かにね、コーヒーは美味いですよ。しかし言っちゃあ悪いがチェーンのコーヒーショップでしょう。個人経営じゃないよね。ということはアルバイトから搾取しているわけで、それで一杯300円オーバーとはどういう了見か。セットがないとは、どんな殿様商売をしているのか。うぬ。
しかしね、前にも書きましたが、過日、外でブログでも書いてやろうと思って、Mzoneを使えるカフェを探して、安いと思われるチェーンのコーヒーショップに行ったら、そこの客層と雰囲気にがっかり。もう、ノート広げる雰囲気じゃないっす。えーと、まずホッピーね。あとガツ刺しとカシラ。タレでお願い。それから、串カツある?みたいな。グビッと呑んで颯爽と去らなきゃ野暮だよ。ってあれ?コーヒーしかないの?みたいな。というわけで、こうなったらスタバでいいや。というのが結論。
スタバと言えば思い起こすのはブラック会社にいたときのこと。もう嫌だ。会社に行きたくない。シンドイ。という朝は、会社から数駅離れたスタバに直行して、そこで仕事してましたね。あの頃は辛かった・・・ほんとにもうね。なんか世の中呪ってやるって感じで・・って思わぬところに地雷がひそんでたな。気分転換が必要。
さてさて、気を取り直してスタバです。日曜のお昼時。意外と混んでました。客層が違いますよ。隣でせっせと勉強している女の子をチラッと見ると、高校数学らしき参考書。すなわち女子高生。女子高生がコーヒーに一杯3、400円払うんかい。時代が変わったなあ。若いOL風も多い。それからフツメンっぽい男が黙々とマンガとか本を読んでる。当然のごとくカップルが複数。おいおい。そこの男女。女男。女男女男女男よ。池袋くんだりまで来てスタバかよ。探せばいくらでもいいカフェがあるんとちゃうか?スタバの「それなり」なつまみでコーヒー飲んどるのか。とんだ情弱だぜ。へっなどと嘲笑ってしまいますな。イヤな奴だな俺。でもまあ、ぐるなびで探してカフェ行くまでもないやん。スタバでええやん、そんな感覚も分からなくもない。
再び女子高生の考察。スタバで粘って勉強しとるわけやね。図書館とかじゃないわけ。池袋のスタバなわけ。彼女にとっては、それなりに晴れがましい気分に違いない。スタバで勉強する私っておしゃれ?みたいな。バカにしているわけではありませんよ。かわいいもんだなあ、と思います。若狭、若狭って何だ?振り向かないことさ。ぎゃばーん。よく分かりませんね。もういいか。
そう言えば俺の暗い高校時代はどうしてたかな、と思った途端腋臭あるもとい湧き上がる黒い瘴気。黒い歴史。もといもといもとい!
ま、そんなこんなで、Mzoneの調子も良かったし、スタバいいじゃん、と思いましたね。コーヒー一杯が高い、かつ禁煙は正義だよ。何かスノビッシュだな。スタバめ。けっ。という異論も認める。しかし、勉強している女子高生じゃありませんが、コーヒーに400円払ったんだから長居させろや。そんな覚悟も渋々受け入れざるを得ないスタバの居心地も、悪くはありませんでしたよ。
だってスタバラテ、サンドウィッチ、ドーナッツ(お腹が空いてた)で900円でっせ。ドーナッツは余分だった。認めます。しかし、仮にドーナッツを抜いても700円。えーん。定食屋ならご飯、みそ汁、お新香、焼き魚、他一品が付いてきますよ。立ち呑み屋でホッピーの中おかわりしてホルモン焼き二本食べられるよ。Vice versa.

確かにね、コーヒーは美味いですよ。しかし言っちゃあ悪いがチェーンのコーヒーショップでしょう。個人経営じゃないよね。ということはアルバイトから搾取しているわけで、それで一杯300円オーバーとはどういう了見か。セットがないとは、どんな殿様商売をしているのか。うぬ。
しかしね、前にも書きましたが、過日、外でブログでも書いてやろうと思って、Mzoneを使えるカフェを探して、安いと思われるチェーンのコーヒーショップに行ったら、そこの客層と雰囲気にがっかり。もう、ノート広げる雰囲気じゃないっす。えーと、まずホッピーね。あとガツ刺しとカシラ。タレでお願い。それから、串カツある?みたいな。グビッと呑んで颯爽と去らなきゃ野暮だよ。ってあれ?コーヒーしかないの?みたいな。というわけで、こうなったらスタバでいいや。というのが結論。
スタバと言えば思い起こすのはブラック会社にいたときのこと。もう嫌だ。会社に行きたくない。シンドイ。という朝は、会社から数駅離れたスタバに直行して、そこで仕事してましたね。あの頃は辛かった・・・ほんとにもうね。なんか世の中呪ってやるって感じで・・って思わぬところに地雷がひそんでたな。気分転換が必要。
さてさて、気を取り直してスタバです。日曜のお昼時。意外と混んでました。客層が違いますよ。隣でせっせと勉強している女の子をチラッと見ると、高校数学らしき参考書。すなわち女子高生。女子高生がコーヒーに一杯3、400円払うんかい。時代が変わったなあ。若いOL風も多い。それからフツメンっぽい男が黙々とマンガとか本を読んでる。当然のごとくカップルが複数。おいおい。そこの男女。女男。女男女男女男よ。池袋くんだりまで来てスタバかよ。探せばいくらでもいいカフェがあるんとちゃうか?スタバの「それなり」なつまみでコーヒー飲んどるのか。とんだ情弱だぜ。へっなどと嘲笑ってしまいますな。イヤな奴だな俺。でもまあ、ぐるなびで探してカフェ行くまでもないやん。スタバでええやん、そんな感覚も分からなくもない。
再び女子高生の考察。スタバで粘って勉強しとるわけやね。図書館とかじゃないわけ。池袋のスタバなわけ。彼女にとっては、それなりに晴れがましい気分に違いない。スタバで勉強する私っておしゃれ?みたいな。バカにしているわけではありませんよ。かわいいもんだなあ、と思います。若狭、若狭って何だ?振り向かないことさ。ぎゃばーん。よく分かりませんね。もういいか。
そう言えば俺の暗い高校時代はどうしてたかな、と思った途端腋臭あるもとい湧き上がる黒い瘴気。黒い歴史。もといもといもとい!
ま、そんなこんなで、Mzoneの調子も良かったし、スタバいいじゃん、と思いましたね。コーヒー一杯が高い、かつ禁煙は正義だよ。何かスノビッシュだな。スタバめ。けっ。という異論も認める。しかし、勉強している女子高生じゃありませんが、コーヒーに400円払ったんだから長居させろや。そんな覚悟も渋々受け入れざるを得ないスタバの居心地も、悪くはありませんでしたよ。
もつ煮込み
たまに食べたくなるんですな。もつ煮込み。居酒屋のもつ煮込みは美味い。自分で作るといまいち。
いまいちだけれども、自分で作るというのはそれはそれで娯楽である。楽しい。というわけで作ってみました。
ぶた白もつ 400g
しょうが 1かけ みじん切り
にんにく 3かけ あらく切っただけ
だいこん 5cm
こんにゃく 一丁
クックパッドを見て一回もつを茹でこぼすレシピを採用。
まず茹でこぼしです。7分ほど加圧。煮汁を捨てて軽く水で洗います。
にんにくとしょうがを処理します。

大根、こんにゃく。

その後、圧力鍋で、なたね油、ごま油でしょうがとにんにくを軽く炒めて、香りが出たら調味料含めて全部の材料を投入。5分加圧。

出来上がり。美味そうですね。ネギを乗せて一味を振ってパクリ。

うん。水っぽい。ぜんぜん出汁の味がしない。確かにもつの臭みはほとんど無くて食べやすい。でも、不味いや、これ。
しょうがないのでチキンスープの元と昆布を投入して火にかけ、水分を飛ばすとともに味付けを画策。何とか「そこそこ」レベルまで持っていきましたが、わたし的にはかなり残念でしたね。
やはり居酒屋のもつ煮込みは、おそらくは化学調味料も含めてしっかり出汁が入ってるに違いない。そうだ。今度は味噌ラーメンのスープを投入して作ってやろう。味の薄いもつ煮込みをむにゅむにゅ頂きながら、心の中でそう誓ったのでした。
いまいちだけれども、自分で作るというのはそれはそれで娯楽である。楽しい。というわけで作ってみました。
ぶた白もつ 400g
しょうが 1かけ みじん切り
にんにく 3かけ あらく切っただけ
だいこん 5cm
こんにゃく 一丁
クックパッドを見て一回もつを茹でこぼすレシピを採用。
まず茹でこぼしです。7分ほど加圧。煮汁を捨てて軽く水で洗います。
にんにくとしょうがを処理します。

大根、こんにゃく。

その後、圧力鍋で、なたね油、ごま油でしょうがとにんにくを軽く炒めて、香りが出たら調味料含めて全部の材料を投入。5分加圧。

出来上がり。美味そうですね。ネギを乗せて一味を振ってパクリ。

うん。水っぽい。ぜんぜん出汁の味がしない。確かにもつの臭みはほとんど無くて食べやすい。でも、不味いや、これ。
しょうがないのでチキンスープの元と昆布を投入して火にかけ、水分を飛ばすとともに味付けを画策。何とか「そこそこ」レベルまで持っていきましたが、わたし的にはかなり残念でしたね。
やはり居酒屋のもつ煮込みは、おそらくは化学調味料も含めてしっかり出汁が入ってるに違いない。そうだ。今度は味噌ラーメンのスープを投入して作ってやろう。味の薄いもつ煮込みをむにゅむにゅ頂きながら、心の中でそう誓ったのでした。
2010年10月11日月曜日
食欲とか物欲とか無印良品のトートバッグとか

年を取ると少しずつもろもろの欲がなくなってきます。特に食欲と物欲。
まず食欲。5年ほど前はもうお腹が痛くなるほど食べてましたね。ストレスとかもあったし。それがじわじわと減ってきた。腹一杯食べることはあります。しかし、いっぱい食べるにしても、豆腐とか野菜とか体に負担が掛からない食事を意識的に選ぶ自分がいます。なんというか、食べると疲れるじゃん。消化するにも体力が必要なんだよな。っていう感じです。
親が言ってました。「年を取ると少し食べるだけでよくなる」。そんなもんかね、と思ってましたがどうやら正しい。しかし私の感覚では「年を取ると大量に食べられなくなる。食べると疲れるから」というのが近い。
そう言えば長生きの秘訣は「粗食」「腹八分目」などと言いますが、結局そういうことなんじゃなかろうか、と思います。すなわち楽である。体が必要としないだけ食べたって、それを貯めたり消化するのに余計なエネルギーを使う。必要な分だけ食べているのが一番効率がよい。
だから、食欲ってのは落ちていくのが自然だし、その方がむしろ望ましいのであるなあ、と思います。
一方で物欲。残念ながら(?)こちらも少なくなりますね。昔のように「欲しいぜ!」と胸をたぎらせることが少なくなった。
ここ最近ノートPC関係で出費しましたが、最近にしては珍しい出来事でした。昔は安いSCSIカードだとか今思えばしょうもないモノにときめいてましたからね。
で、話は唐突に変わるわけですが、この間子供の買い物に付き合ったんです。一段落して子供にアイスを買って、ベンチで食べさせていたら、近くに無印良品があったんですね。
ムジについては私は結構スルドイ印象を持っております。すなわち「ブランドイメージに甘えて中途半端な商品を出している店」(ファンの人すみません)。遠目には悪くないんだけど、実際に見たら欲しくなるモノがない。垢抜けない。地味。そこそこ安いんだけれど、「モノがいい」とも思えない。
しかし、そのように「やはり、ムジであるなあ」と店を散策して商品を眺めていたら、写真の帆布トートバッグが目に入って来たんです。これがズキューンと来た。
垢抜けない。地味。作りも若干粗い感じ。しかし、丈夫そう。バッグなんてこだわる必要ないじゃん。こんなんで充分っしょ。そんなメッセージがこのわたくしをダイレクトに捉えてしまった。
いや、参ったな。ムジにやられるんか。しかし、欲しい。
迷いましたね。お父さんには似合わないよ。これ。などと子供から辛辣な言葉を投げつけられましたが、しかし、10分ほど悩んだ挙句、買ってしまった。2、500円。
今使ってますけどね、結構満足してますよ。はは。
何が言いたいか。
やっぱり、あれですよ。物欲があるというのはいいことだなあと思います。抽象的な対象に向かうだけだから、体を直接に壊すこともないし。買いすぎたら(もったいないけど)捨てるなり、売るなりすればいい。物欲がなくなってきたからこそ、小さな物欲は大事に育んで、楽しんで行きたいなあなどと考えた訳です。衝動買いはダメですけどね。
ま、以上。
24時間営業なんて要らないっしょ
この間24時間営業のマックに早朝に行ってマリネマフィンを食べたのですが、その時のアルバイト君の顔がやはり疲れてましたね。調理担当の方も動きが鈍かった。利用しておいてなんですが、私は「別に無理して24時間営業しなくてもいいんじゃないの」と思ったわけです。
このごろは西友でも24時間営業を始めていたりしますが、あれって需要あるんですかね。東京23区とはいえ、ベッドタウンの西友ですよ。なんでまた24時間営業する意味があるんか。あれで儲かってるんですかね。まったくもって謎としか。
コンビニの24時間営業が地方にも広がり始めたのは15年以上も前のことでしょうか。
当時大学生だった私にとっては、確かに近所に出来たコンビニはありがたい存在でした。でも、当時も一抹の「コンビニ便利だけど、前もって買っておけばいいよね。夜に買い物に行くって、なんだか変だよね」という感覚がありました。夜のバイトも大変そう。俺は絶対したくない。
こういう24時間営業チキンレースの弊害っていろいろあるんじゃないですかね。
例えばフリーターの増加にも一役かってるんじゃないか。あまり複雑な仕事はしなくていい、とりあえず夜に店先で立ってて、たまに品出ししたりレジ打ちしてくれればいいという特殊な労働需要が生まれた訳です。その労働需要にフリーターがハマってしまうと、なかなか逃げられないんじゃないか。
あと、小売競争も営業時間の長さを競いだすと、何だかこう「必死だな」って感じでいかがなものか、と思います。あっちが夜11時まで営業するんだったら、ウチは徹夜します!そんなサラリーマンもいるよね。でも、そんな社畜が評価される社会ってどうよ?
24時間営業のコンビニって確かに学生の頃はありがたかった。でも、大人になってからは19時以降に店を利用することはあまりありません。たまに仕事帰り、20時過ぎに酒切らしていたのを買って帰る程度ですけど、これだって先週末に仕入れておけばよかっただけの話です。
どうも、ここまでやる必要はなかったんじゃないか。コンビニ24時間営業は、敢えて見直してもいいんじゃないか。そんな気がしてしょうがないんですけど、絶対に24時間営業のコンビニは無くならないでしょうね。
違和感を持ちながら生きつづけるしかないようで。
このごろは西友でも24時間営業を始めていたりしますが、あれって需要あるんですかね。東京23区とはいえ、ベッドタウンの西友ですよ。なんでまた24時間営業する意味があるんか。あれで儲かってるんですかね。まったくもって謎としか。
コンビニの24時間営業が地方にも広がり始めたのは15年以上も前のことでしょうか。
当時大学生だった私にとっては、確かに近所に出来たコンビニはありがたい存在でした。でも、当時も一抹の「コンビニ便利だけど、前もって買っておけばいいよね。夜に買い物に行くって、なんだか変だよね」という感覚がありました。夜のバイトも大変そう。俺は絶対したくない。
こういう24時間営業チキンレースの弊害っていろいろあるんじゃないですかね。
例えばフリーターの増加にも一役かってるんじゃないか。あまり複雑な仕事はしなくていい、とりあえず夜に店先で立ってて、たまに品出ししたりレジ打ちしてくれればいいという特殊な労働需要が生まれた訳です。その労働需要にフリーターがハマってしまうと、なかなか逃げられないんじゃないか。
あと、小売競争も営業時間の長さを競いだすと、何だかこう「必死だな」って感じでいかがなものか、と思います。あっちが夜11時まで営業するんだったら、ウチは徹夜します!そんなサラリーマンもいるよね。でも、そんな社畜が評価される社会ってどうよ?
24時間営業のコンビニって確かに学生の頃はありがたかった。でも、大人になってからは19時以降に店を利用することはあまりありません。たまに仕事帰り、20時過ぎに酒切らしていたのを買って帰る程度ですけど、これだって先週末に仕入れておけばよかっただけの話です。
どうも、ここまでやる必要はなかったんじゃないか。コンビニ24時間営業は、敢えて見直してもいいんじゃないか。そんな気がしてしょうがないんですけど、絶対に24時間営業のコンビニは無くならないでしょうね。
違和感を持ちながら生きつづけるしかないようで。
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