調子に乗って耳コピ完成させました。
モットーは「健全な精神は健全な胃腸に宿る」「生きてるあいだは上機嫌」
主張として「原発は営利企業に任せるべきでなく、もんじゅは絶対に廃炉!」「税金には気をつけろ!」
もう一つ、福島原発作業員の方々ならびに早野先生に国民栄誉賞を。
サブ・ブログという位置づけで、細々更新しています。
2010年3月31日水曜日
2010年3月30日火曜日
パン、チャイ、謎炒め、大豆ポテサラ(残り物)、ササミカツ
通常発酵パン、キノコソースパスタ、大豆ポテサラ
2010年3月29日月曜日
宇野弘蔵「経済原論」岩波全書
科学が反証可能な仮説で成り立つものであるとすれば、経済学は科学たり得るのでしょうか。その理論は反証可能なのでしょうか。
反証可能でないとすれば、それは単なるドグマではないでしょうか。
この本を読んだ感想も、経済学とは単に社会を経済という側面から解釈する、言わば金の解釈学に過ぎないのではないか、というものでした。欲望やカオスが描かれていない。当たり前じゃないか。経済学が欲望の分析などするわけがない。それはそうかもしれません。しかし、経済学が、経済を対象にした時点で、経済学は現実離れしたものになったのかもしれない。
それに、竹中ヘイゾーのように専門用語をひけらかし、相手を貶めるために、自分に都合よく話を持って行くために、経済学を使っているのをみると、コイツ本当にダメだな、としか思えません。まあ、経済学のせいではありませんけどね。
以上。
ストレスについて
具体的にどう苦労していたか。自分の精神衛生状態を悪化させないために詳しくは書きませんが、簡単に言えば仕事中毒の上司と無駄で非効率な仕事の山。夜中の呼び出し電話。無駄な徹夜。云々。
そうそう。私も上司に言われました。「無駄だとか非効率的だと言って文句言うけどさ。今の時代、仕事があるだけでありがたいとおもわなきゃ」。何という社畜根性でしょう。無駄だろうがなんだろうが関係ない。なぜなら仕事こそが俺の存在意義。生きる意味=仕事となった生真面目な上司。
こういう上司がそこそこ有能だったりするとホント迷惑なんですよね。有能であるがゆえに明らかに無駄な仕事は振ってこない。95%の完成度を95.8%にするために、本当に深夜遅くまで頑張って仕事してる。
でも、あなたにとって、周りの人間にとって、その仕事は本当に大事なんですか?明日死ぬとして、その仕事が完成しなかったことを後悔しますか?後悔しないんだったら、テキトーに切り上げちゃいなさい。後悔するなら、あなたの人生にとってもっと大事なものを見つけるべきじゃありませんか?あなたが死ぬときに思いが残るのは、そんなしょうもない仕事なんですか?
まあ、いいや。
しかし、今思ってもあの頃はシンドかった。私は何とか自分で状況を変えましたが、その過程でも強いストレスがあった。よく「嫌ならやめればいいじゃないか」と軽く言う人がいますが、簡単な話ではありません。景気もいまいちだったし(今もだけど)、子供もいたしね。人材の流動化がどうしたこうしたという時代は終わり、長く一箇所に勤めた方が特だという風潮にもなっていた。追い込まれる人、動けなくなる人だっているに違いない。
具体的なもの作りでは優秀な日本人も、こと抽象的な作業となるとダメになるなあ、という気がします。どうしようもない細かいことをひたすらやってる。相手が物なら、作り込めば作り込むほど良くなりますが、こと抽象概念や数字が相手となると、完成度などただの上司の自己満足。
あ、話がストレスからずれましたね。しかも、私の思考回路がストレスの原因への道に踏み込もうとしている。話をもとに戻そう。
しかしストレスというのは非常に御しがたい対象です。逃げようとすればするほど囚われる。忘れようとすればするほど思い出す。
ストレスが激しいとき、以前はがばがば酒飲んで寝ていたのですが、最近の私のストレス解消方は適切な量の飲酒とヨガになってきました。とても健全。まあ、とにかく、ストレスというのは厳しいものです。ストレスに潰されることがないよう、上手く逃げ道をさがしましょう。私の思うところ、安全な逃げ場は自分自身なんじゃないか。そこに安住の地を見つけなければ、ストレスからは逃げられないんじゃないか、という気がします。どこにいようがそこが神秘のパラダイス。存在とは不可思議の極楽なのだ、と。まあ、難しいんですけど。