2009年11月13日金曜日

明日に向かって撃て見た

微妙。

確かに良く出来てます。ポール・ニューマンもロバート・レッドフォードもカッコいい。セリフもいい。ラストシーンはかなりいい。語り口がやや古臭いですが許容範囲。でも、確かにいいんだけと、ちょっとこれはイマイチかなあというのが正直な感想でした。

なぜだろう。

いろんなものを詰め込みすぎた、という気がします。例えば。喜劇。悲劇。男の友情。娯楽と本格的描写。この映画、公開当時は批評家に散々けなされたらしいです。残念なから私は彼ら批評家に少し同意です。

110分の間飽きずに見ていられるし、ラストもいいです。しかしまあ、何より良かったのは付録のインタビューでしたかね。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの話が面白かった。

最近名作といわれる映画を固めて見たせいで、評価が厳しくなったのかもしれません。駄作ばかり10本観てからこの映画を見れば、また違った評価になるのでしょうが。といってもこれじゃあフォローにならないか。

11/16追記) ちょっと映画を見ることに疲れていたようです。義務みたいに見てた。映画自体は良く出来てると思います。思い返しても悪い印象はありません。

2009年11月12日木曜日

塩野七生「ローマ人の物語」途中経過

★★★★★☆:歴史って面白い

やはり面白い。順調に読み進めています。と言ってもまだ文庫三冊目ですけど。文庫版は薄いのでテンポがいい。

さて。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という警句があります。私はこれが昔から気にいらなかった。経験をバカんすんなよ。経験から学ぶのも簡単じゃねーぞ。

たまたま歴史を趣味にしている人が、後出しじゃんけんで、上から目線で言うセリフ。それがこの警句だと思ってました。なんか偉そうだ。悔しい。

まあ、そうは言っても歴史も大事だから、ということで今回は真摯に歴史チックな本を楽しんでいるんですが、身も蓋もないことを言えば、昔から持っていた私の直感は正しかった、と今のところは思っています。つまり「愚者は云々」は間違い。あくまで人は経験から学ぶのであって、歴史から何を学ぶかは学ぶ人次第だ、ということ。愚者が経験に、賢者が歴史に学ぶというのはあまりにも傲慢。というかレベルが低い警句だと言わざるを得ない。

歴史とは、学ぶ人がおのおのの見出したいものをそこから発見して、都合良く解釈できてしまう、そんな非常に柔軟で多義的な対象だと思います。確かに見事な解釈は存在し得ます。でも愚かしい解釈だって充分にありえる。歴史をどう解釈するか、そして歴史から何を学ぶかは、学ぶ人にかかっている。誰かが歴史から学んだからといってその人が賢者だということにはなりません。当たり前のことですが。

結局、ある歴史の一時点の意思決定が次の時代にどういうことになるか。最終的に正しいかどうか、なんて絶対に分からないのです。だって人間には未来は分からないから。もちろん、明らかな愚行はありますよ。でも、歴史は明らかな愚行と、明らかな正しい行いばかりで成り立っているわけではない。

しかし歴史を都合良く解釈する人にはそうは見えない。あの時の決断は誤っていた。なぜなら云々。事後的に見ると評価は実に容易。歴史上の出来事を自らの価値観で並べてそこに因果関係を見出していると、歴史の流れは必当然的に見える。

ホレミタコトカ。これと似た事例は過去にもあった。そのときも同じような意思決定がなされ、同じような失敗をした。なぜ歴史から学ばないのか。云々。似てる。同じ。それもまた価値判断です。恐らくは逆の事象もあったに違いない。でも歴史から学べという高慢な人には、自分に都合の悪い史実は見えていない。

そしてこううそぶくのでしょう。愚者は経験から学び賢者は歴史から学ぶのだ、と。

愚者が経験から学ぶのではない。人はありありとした経験からしか学べない。あるいは経験こそが人の礎となる。経験とそれに裏付けられた抽象化された体系がなければ、歴史の解釈なぞそもそも不可能です。

自由平等博愛というフランス革命的理念や、あるいはキリスト教的価値観が透けて見える西洋史解釈には馴染めなかった、と言う塩野さんのセンスは正しいと思います。やはり、人は経験や社会にを背景としたバイアスを持っている。歴史よりも先に経験があるのは間違いないと私は思います。

結論として、歴史というのは非常に肥沃な研究対象であり、それは疑う余地がありません。注意しなければならないのは、自分がそこから何を見出そうとしているが。そこから何を学ぶか。一歩下がって反省しておかないと、歴史解釈なぞ単なる自分勝手な手前味噌に終わってしまう、ということです。

まあ、単なる警句に腹を立てもしょうがないのでこの辺で。

話を変えます。

勉強になったのはリパブリックとデモクラティックの語源。デモクラティックは民主、リパブリックが共和という日本語。民主はよく分かる。でも共和が分からん。共に和する?何のこっちゃ。違和感ありまくりでした。でも、この本を読んでスッキリ!

なるほど。民主が皆で皆のためになることを考えよう主義。民衆を信じる主義。共和(リパブリック)は皆(パブリック)のためになることを考えるから任せてくれ主義。民衆を信用しない主義。そういうことだっのか。今さらながら一つ勉強させていただきました。

この本は面白いです。もう少し若いころに出会えてたらなあ、と思いました。歴史に「もし」はないのけれど。

2009年11月11日水曜日

フルメタルジャケット見た

これもまた昔から見なきゃならんなあ、と思いながら見てこなかった映画でした。

高校の時に「2001年宇宙の旅」にすっかりやられてから、キューブリック監督作品は一通り見なければいけない、というわけの分からない義務感を背負って生きてきました。でも、戦争モノって、スタローンとかシュワルツェネッガーが出るもの以外はヘビーに決まってるので、なかなか見る気になれません。しかもキューブリックだし。キューブリックかつ戦争モノ。そりゃ腰が引けます。

今回、積年の課題を解消しようとTSUTAYAでフルメタルジャケットを手にとったのは、やはりブログ一日一投稿という課題を自らに課したがために、そのネタ探しというファクターが大きかった。バカバカしい。おっと。思わず書いてしまった。しょうもないモチベーションですが、昔から気になっていた映画も見れたのでよしとしましょう。これもまたブログを書いていたからこそ。そうだろうか?

二晩に分けて鑑賞。やはり面白い。でも、あれ?なんだが展開の予測が付くぞ。いや、見えすいた展開で先がわかるとかじゃなくて、漠然と次にどうなるか知ってるって感じ。しかも断片的に。デジャヴュではない。記憶をたどったものの、やはり以前に見た記憶はなし。模造記憶か。

と記憶をひっくり返したところ、昔「シャイニング」(怖かった)と「時計じかけのオレンジ」(何となく面白かったという記憶しか残ってない)を、恐らくはNHKの衛星放送で見たことを思い出しました。とすれば、そのときにキューブリック特集をやっていたに違いない。ならばフルメタルジャケットも放映したことだろう。若かりし私が断片的にそれを見た、ということはいかにもありそうなことだ。ということで模造記憶については一件落着。NHKとキューブリックがいまいち結び付くようで付かないがまあよしとしょう。

圧倒されて鑑賞終了。エンドロールの間、立ち上がれませんでした。見たあとに大変奇妙な感覚が残るのはキューブリックの持ち味。

やはり映像が独特です。三分も見れば、あ、キューブリックだ、と分かるあの空気。対象との絶妙な距離感。密着することもなく、かと言って突き放すわけでもない、冷静なようでいて、奥底に狂気を秘めた視線。

戦争という狂気に翻弄される若者たち。人が簡単に殺される世界と、そこに生きる人々が、淡々と語られます。極限状況で普通の若者がどうなっていくのか。キューブリックの冷徹な目が戦争のもう一つのリアルを映します。

まあ、そんな小手先の解釈や評論など、どうでもいいんですけどね。こんな戦争映画、確かにキューブリックにしか作れません。わけのわからない、凄い作品だと思いました。

イヤだなあ。キューブリックだからって有難がってさ。何が言いたいか分からない映画でしょ。どこがいいの?あんな観客を放り出すような映画。

む。痛いところを。やはり好き嫌いでしょうね。私はキューブリックはかなり好きなんです。まあ、いい映画でした。

2009年11月9日月曜日

ハッカクオーブン焼き、ポテト謎グラタン風、小松菜オリーブオイル炒め

ハッカクリベンジで。今度はわりと大物でした。値段も二匹で680円。安いと言っていいんじゃないかしらん。

目が血走っているところはご愛嬌。

どこかでお会いしましたっけ?どうも初対面のような気がしない。と塩を浴びせながら。

はい。オーブン焼き完成。刺身にするには鮮度と当方の腕前に不安があり、魚焼きグリルで焼くにはサイズが大きかったのでオーブンで焼きました。

それからポテト。まず軽く茹でます。

昨日の残りのオリーブオイル(イワシ混じり)とトマトソースで炒めて、

チーズを乗せて焼きます。

それからオリーブオイル(魚混じってない)とにんにくと小松菜を炒めて塩コショウ。

うん。ハッカク大好評でした。うわさにたがわずすごい油。上品な白身。これは美味いです。今度見つけたらまた買おう。他もそれなりの味でまあ成功といっていい。オリーブオイルを大量に摂取した週末でした。

朝食)ツナキャベツ炒め、味噌汁

キャベツ炒め by Cookpadです。大変に地味な料理ですが、簡単で美味い。作るのは二回目。二回以上作るレシピはわりと貴重なのです。

レシピでは電子レンジを使ってますが、Vitacraftの無水調理でチャレンジ。-

平行して出汁を取ります。

出汁を漉して火にかけ、しおれかかったナスを投入。

キャベツにツナと調味料を入れて仕上げ。味噌汁には溶き卵を投入しました。以上。まあまあでした。

カタクチイワシのトマトパスタ、ほうれん草炒め

スキットル。私のお友だちです。この中に角瓶(黄)の中身が180ml入っております。結婚する前に妻がプレゼントしてくれたものです。最近ウィスキーを飲み始めたので引っ張り出して使ってみました。結構楽しいです。うっかりすると飲みすぎるのが問題。

まずはトマトソースを作ります。

低温のEVオリーブオイルでタマネギを炒めます。ウィスキーを飲みながら。

低温でグツグツ。

完成。

タッパーに退避。

カタクチイワシです。2パックで196円。安い。

頭をちぎってはらわたを取ります。

これもまた低温のEVオリーブオイルとにんにくで煮ます。

じゅわじゅわと30分。

完成。

別途ほうれん草を茹でて、カタクチイワシを煮たオリーブオイルで炒めました。それからパスタを茹でてイワシとトマトをのせて完成。

これがですね。笑っちゃうくらい不評。いや、私はかなり満足だったんですよ。美味い。濃厚な魚っぽい旨みと臭みと、トマトソースの旨みがパスタに絡んでこれはいい!と思ってたら私以外みんな残してやんの。魚臭くて厳しいって。

イワシオリーブオイル煮の風味が効いたほうれん草の炒めは好評だったんですけどね。ほうれん草は美味かったろ?と聞いたら、うん。でも魚風味がなくても多分美味しかったと思う。そうか。カタクチイワシ玉砕。私は美味かったんだけどなあ。こういうこともあります。

フレッシュプリキュア映画見た

映画館でプリキュア映画見るのも三回目。母親は用事で外出。子守を兼ねて出かけました。やはりお父さん率高い気がする。

子供二人にパパママという四人連れをよく見るようです。

ちょっとお父さん、ママがついてればいいじゃん。料金もバカにならないし。本屋とかレンタルDVD屋とかCD屋でつぶせない時間じゃないでしょ?でも映画見ちゃうんだ。そうなんだ。と、これはもうプリキュア目当てと認定。

私もアニメ映画(プリキュア、ドラえもんとか)+ファミレスランチならば喜んで子供の面倒みるからね。当然バカにしてるわけではない。同志よ。

まあ微笑ましくていいんですけどね。プリキュア良く出来てます。行きつけの美容師さん(男)に娘が出来たんですけど、プリキュアなんて、などと鼻で笑ってるんですな。俺はぜってー見ません。とでも言いたげな。これからどうなるか楽しみにしてるとこです。

まあ他愛のない映画です。でも戦闘シーンが凄いのと、ストーリーの展開が練れているせいで、結構見せます。後半はホロリとさせられたりして。毎回そうなんだよなあ。年を取ると心がスレる一方で、涙もろくもなるのだ。

蛇足ながら、一言。今回のプリキュア映画のメッセージは、おもちゃを大切にしようね!というもの。そうですか。でも、だったら、半年ごとにプリキュアの必殺技道具を、追加、更新、削除しないで欲しいな。一年たったらもう遊ばないもの。こっそり捨てるしかないですやん。と思ったお父さんお母さんはきっと少なくないに違いない。

8日放送のNHK貧困問題特集見た

37才で貯金なし。ハロワ通い。全くもって他人事じゃない。何歩か間違っていれば私もこうなってたと思います。無関係だとは思えない。

今の社会は貧困層の犠牲のうえに成り立っています。富裕層、中流層の賃金には、彼らから搾取された金が、多量に含まれている。

それはそれで結構じゃないか。ツキか才能か努力が足りなかったのさ。妥当な給料貰ってるオレはメシウマ。搾取やむなし。そうでしょうか。私はそんな社会は持続しないと思います。

日本では、一度定まった身分が固定化する傾向があります。世襲制度は言わずもがな、親が何をしていたかによって子供の将来が左右される社会。

忘れもしない就職活動での出来事。某大企業での二次面接でした。聞かれたのは親の職業。そのとき感じた違和感と残念な気分は今もありありと思い出せます。まあ、その企業には入れなかったわけですが、自分の親が中小企業の社長、役員だったら違うんだろうな、という思いが今でも消えません。いや、ただ何となく聞いてみたんでしょう。親の職業だけで合格不合格を決めるわけがない。落ちたのはあなたの力不足。それはそうかもしれません。でも、一流企業の人事の人が何げなく聞くことが、他ならぬ親の職業だということに、私は日本社会の閉塞具合が如実に現れているような気がしました。コネ。親の七光り。そういうことか、と。欧米で親の職業が問題になるでしょうか。ならない気がします。もはや10年以上昔の出来事です。今の就活学生に、親の職業など質問してなければよいのですが。

話を戻すと、日本は一度転落するとなかなか這い上がれない社会だ、ということです。親子の関係もそうですが、同一人物の失敗にも世間の目は厳しい。それが例え冤罪であったとしても。

要するに救いがないのです。一度転落すると希望が持てない。既得権益層が必死で自らを守り、世間一般の人もそれを応援するありさま。その証拠に政治家を見れば二世だらけ。しかも墓穴を掘るが如く二世を応援する低所得者層。二世の裏に既得権益層あり。

生きるための希望が必要です。希望を持つためには、まず食べ物と寝るところが必要でしょう。少なくとも家族で食って行くことはできる。経済の発展した先進国の国民ならばそのくらい保証されてもいい。

金持ちや大企業がギャーギャー言ってるのは何のためか。自分の資産を、収入を目減りさせないためか。それ以上稼いでどうする気だ。業績が上がって株価が上がってそれでどうなる。それは人と希望を犠牲にしないと得られないものなのか。他に大切なものがないか。これから生きて行く子供たちに希望を与える方が、どれほど大事か。

人生に必要なものは夢と希望とサム・マネーだと言ったのはチャップリン。大金持ち、そして企業を経営する人よ。国民からそれら全てを奪ってどうする。人を大事にしない社会に明日はない。私には自明のように思えますがね。金持ちや経営者には分からない模様。金の方が大事な模様。

と、少し熱くなりましたが、それだけパワーのある番組でした。NHKが本腰を入れるとは、少しは時代が変わって来たのかも。でも。とここで沸き起こる疑念。まさかNHKさん、派遣切りやってないでしょうね。下請けが苦しんでないでしょうね。NHKはマシ。そう思いたいものですが。(実態を何も知らないので何も言いません)