2009年9月26日土曜日

大失敗(熱一度アップ)

昼に熱を計ったら36度8分。体も楽だったし、これは治ったかと思ったんですよね。

ルンルンという感じで久しぶりの風呂を堪能します。まず発泡スチロールに45度の足湯(多分実質43度程度)を張って足を浸します。うん。いい気持ち。それから体と頭を洗ってさっぱりしました。足湯のお陰で体が冷えることもなく、いい気持ちでシャワーを済ませます。それから昼食の検討に着手。体も楽になったし、しっかり食べたいな。 多少ジャンク系でもいいか。

というわけでスーパーに行って唐揚げとポテサラとナポリタン、それからインスタントの豚汁を購入。学生街の定食をイメージした組み合わせです。

結果、一口食べては、むむぅ・・・二口食べては、うぅ・・・という感じ。脂っこい。香りがない。ポテサラなぞじゃがとマヨでどうしてこんな味のない料理が作れるのか、と不思議なほど。どうやら惣菜系が外れのスーパーだったようです。

まあそれでも楽しく独りメシ。うう。不味い。ヒドいと思いながら無事平らげました。

その後念のため体温を計ってみると37度。微妙だなあ。体は比較的楽だけど、熱はある。どうしようか。アンパイなのはもちろん家で安静にすること。でももう飽きたし。さっき摂取したカロリーが高過ぎて、体が運動を求めてる気がする。

しばらく迷ってから、ええい。ままよ。とユニクロに出かけてしまいました。去年評判になって品薄になったヒートテックを求めて。

熱でフラフラしながらもチンタラ自転車を漕いでユニクロに到着。ヒートテックを一万円分購入してきました。帰りがシンドくてこりゃしまった、と後悔。

家で熱を計ると再び38度まで上がってましたとさ。覆水盆に帰らず。もう少し慎重になっとけば良かった。やれやれ。

2009年9月25日金曜日

iPodを買って変わったこと

まず本を読まなくなりましたね。iPodに費やす時間が相対的に増えたわけですから、当たり前といえば当たり前。しかしiPodで情報収集にいそしんでいると、どうも軽い情報や浅い情報ばかり集まるようになってしまいます。うん。これはよろしくない気がする。

紙媒体だからネットの情報より深くて有益かといえば必ずしもそうじゃありませんけどね。昨今のベストセラーのほとんどは、極一部の例外を除いて読む価値なしと思ってます。やはり古典です。30年以上生き残っている本を定期的に読まないと、Webから得られる情報だけでは胸焼けしてしまいそう。

ネットには存在しない、あるいは存在しても不十分なコンテンツは多い。もう少しいうと、ネットで盛り上がってはいるものの、優れた紙コンテンツを二、三冊読めば十分という場合もある(ビジネスニュースにある自己啓発系記事をたくさん読むより、ドラッカーを二、三冊読みこんだ方が結局早いとかね)。ネットの情報は、大抵表面的で、ほんの入り口に過ぎないことが多いですね。もちろん、とても良い入り口や、浅いけどぎょっとするような情報もあり、役に立つことも多いですが。というか、良い情報がなきゃ見ませんがね。

後ウェブの傾向として人文科学系の情報が手薄だ、ということがあります。理系エリアの細か〜いレベルでの論客はたまにいますけど。経済となると怪しいし(別格:山形浩生)、哲学文学宗教エリアだとかなりヤバい印象があります。というか近付きたくない、みたいな。

えーと、だんだんお前はどーなんだというツッコミが聞こえて来そうなのでいい加減にします。

何が言いたいかというと、本を通して得られる情報ってのは、ウェブで得られものとは違うべきだ、ということが言いたかった。

本にはどのような情報が載っているべきか。それは読む人の情報処理能力と精度を高めるような、思考能力の地力を強くするような、そんな情報が載っているべきと考えます。

具体的にはどういうものか。

まず始めに強く主張しておきたいのは、安っぽいコンサル的な(つまりあらゆるコンサル的な)小手先の方法論では絶対にありません。

それから知を軽々しく抽象して軽やかに記号を弄ぶような、青臭い秀才的方法論でもない。

そうではなく、妙な例えですが、何が体が裏返るような、理解した途端に人生観が変わるような、そんな本が必要だと思います。

最近手っ取り早いのは脳みそがどうしたこうした、という類いの本です。あれはお手軽です。最近は目も当てられないのばかりですけどね。

私の考える正攻法かついかにもな本というのは、大昔の別の国の思想家の本です。まず何を言ってるのか分からない。ぜんぜん理解できない。でも、それを何とか読んでいくと、いつか分かったという時が来る。遠い昔の遠い異国の人の気持ちが分かればシメタものです。現代のいろんな変てこな主張も理解できるようになる。変てこだと思っていたら、別の角度からみたら分からんでもない、ということも増えて来る。世界の見方がどんどん変わってくる。

こういう本との出会いがないと、古典の存在意義、いや、本の存在意義がないと思います。ベストセラーなんかどうでもいいんです。なんでこんな時代遅れの本を読むの?意味が分からないんだけど。10年経てば逆転します。何であんな下らないの読んでたんだろう。ウェブの情報またしかり。

果たしてそれは10年生き残る知識だろうか?そう問うてみるのも有益だと思います。

さて、本でも読むか。

八ッ場ダムGOGO

いいですね。現地の方の抵抗。民主党はこれを機に、理念主導、結果小手先の施策は上手く行かないことをしっかり学びましょう。

地元の人も、相当悩んだ挙げ句に、腹を括って土地を明け渡したそうですね。説得工作の裏にはキナ臭い話もあったかもしれないし、利権もあったかもしれない。しかし、地元の人は最終的にはお国のため、とダムを受け入れた。

それが民主党政権になった途端、ムダだから中止します。そりゃ誰だって怒りますよ。

数字を積み上げると、確かにムダかもしれない。でも、住民の皆さんは既にダムありきで生活していたし、未来を設計していたわけです。しかも、これまでの国の主張は180度変わった。ちょっとこれは冗談じゃない。さらに、八ッ場ダムの現場で話を聞いた議員は一人もいなかったとのこと。100%机上で決定したわけです。数字の得意なお利口さんの発想です。現場の反発は当たり前。

こういうのをみると、自民党+官僚政治がいかにタフで、ドブ板根回しを恐れず、したたかにたちまわったかが見えます。理念主導じゃダメですよ。特に社民党はちょっとねぇ。ちょっとどころじゃないか。

民主党へのお願い。長期政権を目指すなら、理念は理念でいいけれど、現場レベルではしたたかに、現実路線で進めて頂きたいです。ドブ板根回しカモン。

2009年9月24日木曜日

やっぱり健康が一番

熱が出て二日ばかり寝込みました。流行りのインフルエンザではなく、熱の高さもMAX 38.0度と病(やまい)としては軽め。しかし十分不健康の辛さを堪能することが出来ました。並行して喉を痛めていたというのもありますし、歳を取ったというのもあると思います。ずっしりと体に応えた二日間でした。

まず喉の痛み。なぜ喉が痛いか。アレルギーだか花粉症だか分かりませんが、秋になってからやたら鼻が垂れていたのです。夜寝る時も鼻が垂れる。でも眠らなきゃいけないので始終鼻をかむ訳には行かない。となると鼻が詰まった状態で眠らざるを得ない。すると当然口で息をしながら眠ることになる。
一方で秋の空気は乾燥している。つまり喉が乾燥する。喉が荒れる。と、このようになるわけです。

まあ喉の痛みだけならまだ何とかなります。せいぜい咳と喉の痛みで寝不足になる程度。でもここに発熱が加わると辛さが三倍増しになります。咳をするだけで結構体力は奪われますし、寝不足がそれに拍車をかける。そこに発熱による体力の消耗。かなりしんどかったです。

これまで「病気で死ぬ」ということが実感として分かっていませんでした。でも、今回の軽い発熱+咳で初めて病死という言葉が理解出来たような気がしました。具体的には、熱っぽい体で咳き込みながら、あ、このまま二、三ステップ進むと逝ってしまうわけだな。と実感したのです。別に死ぬほど苦しかったわけではありません。軽く苦しい。その程度です。でもその軽い苦しみに耐えていると、死が自分の身近にあるということが、ありありと感じられたのです。

この感覚は初めてのものでした。やはり歳を取って死に一歩近づいた、ということなのかしらん。そんなことを思いました。

死に近づく。人によってはこれほどイヤな響きはないかもしれません。でも、それも悪くないかもしれないな、そんな気がします。だって、死に近づいて初めて生きられることもありますからね。気がつくのは早い方がいいです。

2009年9月23日水曜日

亀井大臣モラトリアム法案はアリじゃないか

亀井大臣が中小企業の借金の返済を遅らせる法案を検討していて、有識者やら業界から批判されている件。

アリじゃないですかね。こういう素人臭い発想っていいと思います。

専門家がギャーギャー言ってることの方が怪しいと思ってしまうな。

私はシステムの構築とか運用とかやってるわけですが、お客さんの素人チックな発想に仰天することは多いです。でも、やってみたら大抵何とかなる。ならなくても運用やら我慢で何とかしちゃう。そんなに酷いことにはならないと思うな。最悪でも、多少現場の効率が下がるくらい?とっぴなアイデアでもやってみる価値はある。

素人があまり細かいレベルに口を出すとダメですけどね。スローガンレベルなら後でいかようにでも骨抜きできるのでは?

個人情報保護法という天下の悪法ですら何とかなったのですから、モラトリアムくらい大丈夫ですよ。うん。

日本の銀行の株価が下がって金余りアメリカン企業に買収されないかどうか、そこだけは心配ですけど。

産経新聞・・・

産経新聞って頭の固い親父って感じですね。もっともな記事もあるけれど、苦笑するような記事も結構多い。

最近の記事で二点ばかりメモ。

将棋の名人だかなんだかが、自民党の次の一手を考えた記事。小泉Jrを自民総裁にしたら支持率が上がるよ。イケメンだし、選挙で成長したらしいから。という旨の主張。

やれやれ。あなた日本の将来を考えないでしょ。下手なマーケティングの発想で決めてもらったら困りますよ。

イケメンなのは認めるけど、二世三世ってのは限度があるの。一定レベルまでは地位や周りが育てるけど、それ以上の成長は二世じゃ厳しいの。今の自民党の重鎮見てれば分かるでしょうが。

安酒場でクダをまく無責任なおじさんの発想としか言いようがない。

曽野綾子さんのどこかの市長がガムを噛みながら答弁したことについて、受けた教育がなっとらんのではないか、と述べた記事。

この人は確かゆとり教育の推進者。二次方程式の解の公式など生きるうえでは何の役にも立たないとか、中学生レベルの発言を平気でした人。

そりゃあ見栄えのいいもんじゃありませんがね。大上段からお前の育ちが悪いみたいな決めつけってどうかと思うよ。あんたの発想の方がみっともない。

ガムには集中力を高める力があるというし、市長さんの喉が痛かったという話もある。ガムを噛んでたからといって鬼の首でもとったかのように近頃の若者は、と愚痴を始めるのは老化現象に過ぎないんじゃないかしら。

とまあ、上に挙げたのは一例でして、基本的に産経新聞は偉そうなおやじおばはんどもの言いたい放題の場になっているようです。

あ、一応産経さんを誉めるとすると、軍事力の均衡によって平和が保たれることもある、そういう意見は真っ当だと思いますね。友愛だけじゃダメじゃないかなあ。日本駐留のアメリカ軍を削減するなら、日本でも徴兵制度がいるんじゃないかしらん。まあ、戦争になるようなことはないと思いますけどね。

以上。

風邪ひいてしまいました

小さい方にうつされた模様です。先日チビが9度越えの熱を出したときは、すわインフルエンザか。しかも連休の始めなのに。と焦ったのですが、翌日の昼には平熱に戻ってまして、お医者さんからもインフルエンザではないですね、との診断。

安心したのもつかの間、今度は私が発熱。必ずしも体調良くなかったんですね。体温は7度5分程度。素人診断はダメなんですが、まあ状況からみてインフルエンザじゃなかろう、と勝手に判断してます。大して苦しくないし。

今回のシルバーウイークは幸い貧乏ウイークでして、最初から最後まで予定が入ってません。こうなったらもう遠慮なく休んでやれとばかりに朝からゴロゴロしてます。

しかし子供はハイテンションです。グッタリしてようが寝てようが父親が家にいるだけで嬉しい様子。お父さんお父さん!ってね。

いつまで続くのやら。今を大事にしないと。

2009年9月22日火曜日

多摩六都科学館に行ってきました


シルバーウィークは予定ナシ。すべて近場で済ませるつもりです。
というわけで多摩六都科学館に行ってきました。結構空いてましたね。人ごみの苦手な私は快適です。


休憩室から何とかドームを臨む。
ここでお弁当を食べました。


常設展示の張りぼてスペースシャトル。大きさが分かります。


張りぼて宇宙飛行士。
スペースシャトルもダメになっちゃいましたねえ。どこかでロシアの宇宙船の方が質実剛健で信頼性が高い、という話を聞いた記憶があります。


西沢田無タワーを足元から謹写。


それからドーム型スクリーンでナットのスペースアドベンチャーを見ました。このスクリーンがスゴかった。コワいほどの迫力でしたよ。

映画自体はハエが舞いウジが踊るというかなりアメリカンテイストなSF。まあまあ面白かった。妻は前に恐竜系の映画を見たそうですが、それもまたスゴい迫力だったそうです。
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ドラえもん

先日の金曜、早めに家に帰ることが出来たので、声優さんが変わったあとのドラえもんを子供と見ました。

いやあ、違和感ありありでしたね。声というよりもむしろキャラクターが違う。なんか皆いい奴になっちゃった。それからストーリーも教訓臭いというかお涙頂戴系になってるし。昔はドタバタギャグ漫画だったのに。

のび太とドラえもんの友情も、昔は緊張感のある男の友情だったのが、今は何だか馴れ合いっぽい。どうも全体にソフトになってます。

これもまた時代の流れでしょうか。寂しいような仕方のないような。

Bloggerのレイアウト変えてみました

いまいち地味というか、ユーザー間での盛り上がりが欠けるように思えますね。Bloggerって。海外ではあのリーナス・トーバルスさんかも使っているわけで、そんなにマイナーな選択肢ではないはず。というか、いわゆるブログの草分け、元祖ではなかったかしらん。にもかかわらずいまいちな日本のBlogger。いや盛り上がってないのお前のとこだけだし。それは言わないお約束。

とまあそんなことはさておいて、例によってかなりどうでもいい書き込みなわけですが、ブログのレイアウトを変えてみました、というご報告です。

以前は目一杯横に広がったレイアウトを採用していたのですが、それは何故かといいますと、当初はこのブログは、システム開発に関係する技術的、あるいはプロジェクトのマネジメントに関係するメモを中心に記載する予定だったからなのです。

つまりpreタグなんかを使ってコーディングのサンプルを投稿したかったのですね。で、preタグってのはレイアウトを無視して横に広がりたがるやっかいな奴でして、画面からはみ出したり、あるいは他のエレメントの下に隠れたり、というみっともないことが起こりうる。だから、横に何もないようなシンプルなレイアウトを採用したわけです。

しかしまあ最近すっかりコードを載せるなんてこともなくなり、iPodの小さい画面からから見ることも増えて来たので、思い切って違うレイアウトにしてみました。
すみません。それだけです。

2009年9月21日月曜日

X-MEN2を見ました

昨日テレビで放映された、X-MEN2という映画を見ました。人物描写は漫画チックかつステレオタイプなものではあったものの、ストーリーはしっかりしており、映像もバトルシーンも迫力があって、十分楽しめるものでした。

この映画、その名の通りX-MENというアメコミ(アメリカンコミック)がベースになってまして、その世界観の大筋のところは以下のようになります。

まず世の中にミュータントたちがいて、様々なカッコいい特殊能力を持っています。例えば目からビームが出るとか、手から爪が出て、かつなかなか死なないとか、天候を自由に操れるとか。

そしてミュータントたちはその特殊性により、人々から差別されたり迫害されたりします。

そういったミュータントを巡って、4種類のスタンスを取るミュータントとノーマルな人々がいます。

まず迫害されているにもかかわらず人類との共存を目指すミュータント。逆に人類の排斥を目指すミュータント。あとはミュータントを毛嫌いする人々とその他大勢。

そして主にミュータント同士のバトルやら人間に対する葛藤が見所である、といったストーリーです。

これだけ聞くと違和感ありありなわけですが、実際このストーリーって日本で生まれても育たなかったと思われますね。何故と聞かれて明確には答えられませんけど。強いて言えば、設定の唐突さと登場人物たちの屈折具合でしょうか。

ひるがえってこの漫画が何故アメリカで受けているのか。そこはなんとなく理解できるような気がしないでもない。

どういうことかというと、登場人物であるところのの一部の凄いミュータントたちというのは、例えばオバマさんとかライスさんとか、ビル・ゲイツさんとかスティーブ・ジョブズさんとか、その辺りに重なるわけですよ。つまりアメリカにはなんだか凄い特殊な人たちがいる。ということで、アメリカンにはミュータントがたくさんいらっしゃるという設定も、さほど違和感がないのではなかろうか。

それから、アメリカン流の極めて強力な個人主義というのも、特殊能力を持つミュータントが存在するという発想を後押しするんじゃなかろうかとおもいます。これはお馴染みオンリー・ワンというやつですね。個人という存在が際立った挙げ句、その特殊性に多くの重きが置かれてしまう。オレは違うぜ!ってやつです。そしてその必然的な結果として、一味違うオレの悲哀やら葛藤やらがあり、中二病のアメリカンにとっては感情移入し易い作品になっているのではないか、と。

しかしオンリー・ワンにはなりえても、なかなかベスト・ワンにはなれない。そう考えると、X-MENの設定も面白うてやがて悲しきというか、アメリカンたちの屈折を感じるようで興味深い、そんな気がしないでもありません。

2009年9月20日日曜日

長寿の秘訣

だいたいこの年寄りがテレビやらラジオやらに出てくると、まずは年齢を聞いて「いやあお若い」などと驚いてから「長寿の秘訣は?」とアナウンサーがインタビューすると、年寄りの方は腹八分とか、適度な運動とか適度な飲酒とか、そういったような事がらを挙げて、アナウンサーがほっほっほなどと意味もなく笑う、そんなやりとりがわりと典型的にあるわけです。

そういったステレオタイプな会話を聞きつつ、まあ確かにもっともなことであるなあ。せっかくだから長生きしたいたいし、私も長寿の秘訣に励まなければ。と日頃思っていたのですが、ふと気がついてしまいました。長寿の秘訣っつうのもまた原因と結果の履き違えではないか。つまり、長生きした人がたまたま小食だった、あるいは小食で何とかなるライフスタイルだった。そういうことではないだろうか、と。

原因と結果というフレームワークは、まずヒュームが否定して、カントが何とか限定付きで肯定し返したところを、再びニーチェが完膚なきまでに否定し、その後フッサールが何故かシレッと肯定している一方、養老孟司が浅はかな人間的思い込みであると決め付ける、といった感じの、哲学的にはわりとホットな概念です。

で、私はといえば、だいたいニーチェとカントの中間あたりで考えてまして、原因も結果もないんだ、んなものは人間的尺度に過ぎないんだ、という感じで考えています。原因なんてのは人間の浅知恵に過ぎない。過去を振り返って、便宜的に原因を措定してるだけなんだ、と。

長寿の秘訣っつうのも実は同様じゃないのか。腹八分だとか程よく酒を嗜むというのは、原因というよりも、むしろその人のライフスタイルや生きざまの結果ではないか。だってたらふく食べる/呑むことが楽しくてしょうがない人がいるはずで、そんな人が多少長生きしたいからといって、小食や酒の節制に励むわけがない。(この辺ロジック大丈夫かな)

要するに、小食が長寿の秘訣だと仰る100歳オーバーの方がいっぱいいる一方、たらふく食べ呑んで100歳を越えたという人を余り聞かない。とすれば、基本的に鯨飲馬食系の人は長生きができない。そう捉えた方がポジティブな気がします。つまり、ライフスタイルが、体質が違うのです。

別に自暴自棄になるとか、そういうことではありません。一病息災という言葉もある。自分の体質なりライフスタイルなり嗜好なりに欠点があると分かれば、それを前提として自分なりの長寿の法則を考えればよいと思うのです。

どうせ無理したって長続きするわけがない。だから酒飲みは酒飲みなりに、大食いは大食いなりに注意して、そこそこ長生きできればそれでいいんじゃないか。そういう感じで気軽に、でも注意しながら健康を指向したらよろしいんじゃなかろうか。そんなことを思いました。