2009年9月21日月曜日

X-MEN2を見ました

昨日テレビで放映された、X-MEN2という映画を見ました。人物描写は漫画チックかつステレオタイプなものではあったものの、ストーリーはしっかりしており、映像もバトルシーンも迫力があって、十分楽しめるものでした。

この映画、その名の通りX-MENというアメコミ(アメリカンコミック)がベースになってまして、その世界観の大筋のところは以下のようになります。

まず世の中にミュータントたちがいて、様々なカッコいい特殊能力を持っています。例えば目からビームが出るとか、手から爪が出て、かつなかなか死なないとか、天候を自由に操れるとか。

そしてミュータントたちはその特殊性により、人々から差別されたり迫害されたりします。

そういったミュータントを巡って、4種類のスタンスを取るミュータントとノーマルな人々がいます。

まず迫害されているにもかかわらず人類との共存を目指すミュータント。逆に人類の排斥を目指すミュータント。あとはミュータントを毛嫌いする人々とその他大勢。

そして主にミュータント同士のバトルやら人間に対する葛藤が見所である、といったストーリーです。

これだけ聞くと違和感ありありなわけですが、実際このストーリーって日本で生まれても育たなかったと思われますね。何故と聞かれて明確には答えられませんけど。強いて言えば、設定の唐突さと登場人物たちの屈折具合でしょうか。

ひるがえってこの漫画が何故アメリカで受けているのか。そこはなんとなく理解できるような気がしないでもない。

どういうことかというと、登場人物であるところのの一部の凄いミュータントたちというのは、例えばオバマさんとかライスさんとか、ビル・ゲイツさんとかスティーブ・ジョブズさんとか、その辺りに重なるわけですよ。つまりアメリカにはなんだか凄い特殊な人たちがいる。ということで、アメリカンにはミュータントがたくさんいらっしゃるという設定も、さほど違和感がないのではなかろうか。

それから、アメリカン流の極めて強力な個人主義というのも、特殊能力を持つミュータントが存在するという発想を後押しするんじゃなかろうかとおもいます。これはお馴染みオンリー・ワンというやつですね。個人という存在が際立った挙げ句、その特殊性に多くの重きが置かれてしまう。オレは違うぜ!ってやつです。そしてその必然的な結果として、一味違うオレの悲哀やら葛藤やらがあり、中二病のアメリカンにとっては感情移入し易い作品になっているのではないか、と。

しかしオンリー・ワンにはなりえても、なかなかベスト・ワンにはなれない。そう考えると、X-MENの設定も面白うてやがて悲しきというか、アメリカンたちの屈折を感じるようで興味深い、そんな気がしないでもありません。

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