2010年1月16日土曜日

鳥の水炊き

かなり乱暴に作って、写真も取らなかったのに、かなり美味かったのでメモとして残します。

塩大さじ1。ネギ一本。しいたけ6個。パック出汁600ml分(1パック)。チキン出汁600ml分。鶏肉水炊き用400g。牡蠣7,8個(市販の剥き牡蠣1パック。必須ではないかも)。白菜山盛り(ここがミソ)。水適当。以上をじわじわと煮ます。他に適当に野菜を入れても美味いはず。仕上げによく洗ったもやしを投入(これも効きます)。それからうどんを硬めに別茹でして、水で締めておきますよ。

鍋に火が通ったらそのまま卓上に鍋として持ってゆくだけ。うどんを皿に取って、そこにだし汁と具を投入、生しょうゆで適宜味付け。ウマーな鳥の水炊きの完成でした。

2010年1月14日木曜日

ライブハウスで

学生時代の友人とライブハウスへ行くことになった。演奏するのはその友人。どうやらバンドを始めたらしい。彼は営業で好成績を納めるタイプの、押し出しの強いビジネスマンである。弁が立ち頭の回る現実主義者だ。バンド活動などという屈折した趣味があるとは。ちょっと信じられないな、と私は思う。

彼に車で拾ってもらうことになった。私は大きな商業施設の広場で彼を待っている。なんだか見覚えがある場所だと思ったら、吉祥寺東急の前だった。冷たいタイル貼りの地面に、ぽつりぽつりと細い円柱が見える。吉祥寺にしては人通りが少ないな、と私は思う。

彼が現れる。相変わらずエネルギッシュだ。再会の挨拶もそこそこに、彼の友人のバンに乗りこみライブハウスに向かう。車中は広々している。バンというより小型のバスだ。車中で私は尿意を催す。少し焦りながら、ライブハウスについたらまずはトイレに行かなければ、と思う。

信号待ちをしていると、外からわめき声が聞こえてきた。窓から覗くとサラリーマン風の男が、われわれの前で止まっている信号待ちの車に向かって早く進めとわめいていた。半分「キレ芸」のような怒り方だったので、大して気にならなかった。本気で怒っているわけではないのだ。

ライブハウスに到着した。私はすぐにトイレ向かった。廊下の壁沿いにトイレのドアがある。ライブハウスというより場末の映画間のような雰囲気だ。床はリノリウム貼りで、清潔ではないが不潔な感じもしない。トイレのドアを開けると、顔がごつごつと腫れあがった男が二人、床に座りこんでいた。青い顔は内出血の色のようだ。でも痛がっている様子は見えない。ただ静かに、諦めたように座っているだけだ。トイレの壁沿いには小部屋がいくつもある。床との間に隙間があるため、部屋それぞれに人がいて体育座りしていることが分かる。十人ほどいるようだ。二人をなぐったのはこの男たちだ。尿意はもう消えていた。私は静かにドアを閉める。トイレを出ると自分の足が汚れていることに気がつく。茶色い液体のようなものを踏みつけたのだ。そのことが私に恐怖にも近い感情を引き起こす。私は必死で足の汚れをリノリウムの床にこすり付け、取ろうとする。

「演奏の上手い奴らはトイレで散々殴られるんだ。嫉妬だろうな」と友人が当たり前のように言う。

場所が変わり、私は友人のバンドの演奏に立ち会っている。ライブハウスというより屋外だ。いや。吉祥寺東急の前だ。間違いない。いつの間にか待ち合わせ場所に戻っていたのだ。友人のバンドのはずだが友人は見当たらない。私の知らない女の子が歌っている。しかし演奏は全く耳に入らなかった。何も聞こえないのだ。何か歌っていることは確かだ。でも何も聞こえてこない。

そこにライブハウスの主人らしき人が来た。顔馴染みらしい客に挨拶をしたりスタッフに指示を出したりしている。私の手元に古新聞の束が二つあった。重い束だ。私はライブハウスの主人に古新聞の捨て場所を尋ねた。「倉庫に置いてください」と主人が答えた。私は古新聞を持って教えられた場所に向かう。主人が私の運び方を褒める。「腰が入っていてよろしい」とのことだ。私は何も考えずに古新聞を運ぶ。指示に従うことにはすっかり慣れているのだ。

2010年1月12日火曜日

岩波文庫「無門関」

★★☆☆☆☆:よく分からんけど面白いといえば面白い

仏とは何か。乾いた糞の塊りである。糞かきベラという方が有名だがそれは誤訳らしいです。

ある高僧は人差し指を立てて話すのが常であった。弟子の一人ががそれを真似たところ、その高僧は弟子の人差し指を切ってしまった。痛さに泣きわめく弟子を前に、高僧が人差し指を立てて見せた。弟子はいっぺんに悟ってしまった。とかとか。まあ流し読みですけどね。禅というのは洒落てるのかなんなのか、よくわからないですね。私の悟りは遠いようです。

吉田茂「回想十年」読了

★★★★★☆:昭和~平成の自民党がよく分かる

読み終わって、吉田茂=自民党なのだ、という感慨を持ちました。アメリカと上手につきあいながら、両国が共存共栄するというスキームを確立したのが吉田翁だった。今の自民党も、吉田茂さんの生きた時代と状況こそ違えど同様の路線からぶれることはない。吉田茂の考えのいくつかは時代遅れになっているものの、道路に関する考え方、農政に関する考え方、いずれも今の自民党の基本路線に重なるように思えます。

今でも彼の発想が生きているその理由は、やはり吉田茂が真っ当な常識人として健全な方向性を打ち出したからだし、そして何と言っても戦後日本をなんとか復興させなければいけないという気概というか迫力というか、魂が自民党に受け継がれたからではないか、と思いました。

ただ、いかんせん時代が変わってきてます。冷戦も終わり、アメリカの強欲資本主義に対する反感がじわじわと広がるなか、アメリカとの属国的軍事同盟をどう利用するか。どのように共存共栄に持って行くのか。本当にお互いのためになっているのか。そこは再考の余地があるのではないかと思われてなりません。

そして自民党に目を向けてみれば、気概のある政治家はどこへやら。アメリカ、資本家、既得権益層だけではなく、日本の国益を本当に考えている人がいるのだろうか、と危ぶまれるばかり。まあ、民主だってアレですけどね。

岩波文庫オイディプス王とかちくま書房アーサー王物語とか

まあぼちぼち読んでます。オイディプス王は読むのは初めてです。でもフロイトのエディプスコンプレックスはじめ西洋文学、思想、評論で引用されまくりの比喩使われまくりの話であり、当然結末も分かって読むわけで、そういう意味では残念な読書でした。明らかに傑作なだけに残念感も強い。まあ仕方がないですけどね。

アーサー王物語。はっきり言ってかなり乱暴な展開、内容。でも確かにパワーがあります。駄作とは決め付けられないまま、ぼちぼちと楽しく読んでます。エクスカリバーとか円卓の騎士とかあまりにも有名エピソードも楽しい。

アバター見た(感想詳細)

まずは映像の美しさですね。奇をてらわずにセンス良く3Dを利用したらこんなにスゴイぞ、と。臨場感が半端じゃありません。筆舌に尽くし難いとはこのことです。まあとにかく見ていただく他はない。百聞は一見に如かず。映画の歴史が変わったのではないか。そんなことを思わされました。

これから3Dがメジャーになって行くと、DVD化を待つのではなく、ぜひとも映画館で見なきゃ、という映画が増えますね。間違いない。

以下ネタバレあり。

もちろんストーリーも良くできてます。2Dで見ても及第点以上でしょう。面白いのは、強欲資本主義とアメリカ海兵隊が、最終的にガイア思想的宗教を持つ原住民に破れること。始めから正義は原住民側にあるのです。最後に元アメリカ海兵隊の主人公はアメリカ人であることを捨て、原住民と同化してアメリカ軍と戦います。そして現代的兵器で自然を蹂躙したアメリカ軍は破れ、強欲資本主義のエグゼクティブたちはエイリアン呼ばわりされて追い出されることになる。

野暮は承知で書きますが、これ、アメリカ人の自己批判ですね。反覇権主義、反強欲資本主義が明らかです。アメリカでは生理的に嫌悪されたんじゃないかしらん。そうでもないのかな。むしろアメリカの知識人にはかえってその辺りが受けたか。その可能性もありますね。

最初はエンターテインメントをこんな風に解釈するのはイケてないか、と思ったんですげど、でもウェブをパラパラとみる限りジェームズ・キャメロンのメッセージが入ってることには間違いないなさそうなので、敢えて書いた次第です。

だって大企業のCEOやらマネーゲーム会社の社員が何億円もの年収を受け取る一方で、何千人もの社員がクビになる社会ですよ。強欲資本主義的価値観に疑問を持つのは当たり前だと思うな。貧困層の若者は軍隊に送られる仕組みが出来ているというし、軍隊での兵士の自殺率は異常に高いというし。と、ここまで行くとアバター解釈としては行き過ぎだな。反省。

まあ、アバターでは、アメリカの流価値観に対立しているのはガイア思想的自然賛美なので、また比較的人口に膾炙したのかもしれません。美しい映像と大迫力の戦闘シーンにシビレながらも、アメリカというのも大変な国であるなあと、そんなことを思いました。

2010年1月11日月曜日

見た見たアバター

半信半疑で行ったのですが、もうスゲー感動。映画館を出てしばらくは顔面ヒクヒク体シビシビでした。これは映画館で3D版見るしか。シガニー・ウィーバーとか海軍大佐とかハマりまくり。また後日詳細を投稿します。