2010年10月15日金曜日

もつ煮込みリベンジ、金宮ホッピーで一杯

前回イマイチな出来だったもつ煮込み。さっそくリベンジです。会社帰りにスーパーでモツを購入。いつもと違う店です。それから出来合いのラーメンスープみそ味も購入。ジャンキーな味は覚悟の上です。

家に帰ってまずは下茹で。もつのパックを開けるともわっとアンモニア臭が。おお!これは!まさに便所のかほりではないか。およそ食品の匂いではありません。ヤバい。ヤバいよこれ。でも捨てるわけにも行かない。下茹での時に圧力鍋から漏れる蒸気がまたアンモニア臭い。しょうがないので二度目の下茹でで、日本酒を多めに入れました。これで少しはマシになった。もうあのスーパーでモツを買うのは止めよう。

圧力鍋が冷える間にお酒を買いに行きました。迷って迷って金宮焼酎とホッピー。実は家呑みの選択肢としては若干割高なんだよねえ。安ウィスキーの薄いお湯割や缶チューハイ(or第三のビール)の方が安い。まあ、たまにはいいでしょう。

さて、下茹でしたもつに豆腐を追加して、ラーメンスープと前回の残りを投入。ぐつぐつと煮るとまあまあ期待通りの、ジャンキーな居酒屋風もつ煮込みができましたね。とんこつ味噌味だともっと近かったのだろうか。

もつ煮込み+妻謹製のポテサラとホッピーで一杯。なかなか幸せ。





さて、大量にできたもつ煮込み。ハッキリ言ってもう飽きてますから。しかし豚さんの内蔵をムゲに捨てるわけにはイカン!絶対に食べきろうと覚悟を決めたのでありました。

2010年10月14日木曜日

ナイフ欲しー

先日「最近物欲がないのよねー」などと言っていましたが、昨日、また新たな物欲にとらわれてしまいました。すなわちナイフです。

昨夜、呑み終えた「のものも」紙パックをリサイクルのために解体していたんです。愛用の安物フィッシングナイフ(上州屋で800円)を使っていてしみじみ思った。やっぱこの手の作業にはナイフがふさわしいなあ、と。

ハサミだとちょっと力不足。無駄に握力が必要。カッターナイフもダメ。下手をすれば刃が欠けますからね。包丁でもいいのですが、食品を切るのが本業の包丁で紙を扱うのは軽く違和感があります。やっぱりナイフでザクザク切るのがふさわしい。

それから村上春樹の昔読んだエッセイ(確か「遠い太鼓」)で、バスの車掌がナイフでチーズを切って、乗客に分け与えるシーンがありました。うーん。自然だ。やっぱナイフはいるよねえ。ラピュタでも「ナイフーランプかばーんにつーめーこーんーでー」って言うからね。男子には必須のアイテムであろう。

それに一年に数回は、何気に「何か刃物ないか」という状況があるんですね。別に刃傷沙汰に及ぼうというわけではない。ちょっと紐とかタグを切りたかったり、りんごをむいたり、食べ物を切り分けたり、というシチュエーションです。

そうつらつらと考えていると、どうもナイフが欲しくなってくる。500円の肥後の守と、800円のフィッシングナイフはあるけれど、せっかくだからいいナイフが欲しいなあ。予算5、000円くらいで。

Webで調査開始。あまりギラギラした感じのナイフとか、見るからに「アブナイ」ナイフはさすがにアレだよなあ、と。やっぱりスイス・アーミーナイフかな。おもちゃっぽいところがいい。可愛げもある。そんなに高くもないし。などと思った訳です。ちゃんと研げばそれなりに使えるんじゃないか。そうそう。思い返せば、小学生の頃に安物のアーミーナイフ持ってました。鉛筆を削ろうと思ってもロクに切れないインチキナイフだったけど、持ってるだけで楽しかった。

ナイフで何かするってプリミティブな喜びがありますね。道具というものがすべからく身体や脳の延長であるとすれば、ナイフはさしずめ「親指の爪」や「歯」の延長ではなかろうか、などと考えたり。剥いたり、ひっぱがしたり、切ったりという機能ですからね。

想像するに、古代の人はこの手のスルドイ金属や石片を操って、木でいろんな工具を作ったり、動物をしとめたり、動物を解体したり、果物や木の実の皮を剥いたり、家や家具を作ったり、生きるためのもろもろの作業をしていたに違いないわけで。すなわち、昔の人にとっては、ナイフ的なものを扱うということは、何よりもまず生きるために必須のスキルであったはず。ナイフが今の男子を惹きつける理由もそこにあるのではなかろうか。

子供時代を思い返せば、ナイフで鉛筆を削るとか、ナイフで木片を加工するというのはとても楽しい経験でありました。ナイフで木を削っていると、妙に心が落ち着きますが、あれは原始の時代から脈々と引き継がれたナイフ関連DNAに由来する「俺は歴史的に正しいことをしているんだ」という確信に違いなかろう。(そうかな?)

しかし、まあアレなんですよね。昨今の法律事情によって、正当な目的なしにナイフを持ってると、それだけで罪になるんですな。野暮だよねえ。ナイフったっていろいろあるでしょうが。

というわけで、スイスアーミーナイフは欲しいのですが、ちょっと買うのはためらっている今日この頃です。ま、買わないかなあ。そんな気がするなあ。買うとしたら、まさに今必要なシチュエーションになって、そこにナイフが売ってたら買うでしょうけどね。そんなシチュエーション滅多にないしね。あるいは山道具屋で衝動買い。これはありそうだな。

ま、そんなところです。

2010年10月13日水曜日

荒野の七人見た

七人の侍の方がいいでしょうとおもって酔っ払ってナニゲに見てたら、こっちもよかったすね。

チャールズ・ブロンソンいいね。ジェームズ・コバーンもいい。

ユル・ブリンナーか志村喬か、と問われれば、日本人だから志村喬と答えるが。

結構、エンターテインメントないい感じで見終わりました。面白かった。

豚バラ角煮とラーメン

またやっちまいましたよ。豚の角煮。もう何年も前になりますか。二度と作らないと誓った豚の角煮。何をまたトチ狂って角煮なんぞ作ったか。圧力鍋ですわ。圧力鍋でしっかり下茹でしたら「余分な脂の抜けた」うまい角煮ができるんじゃなかろうか、と思ったんですね。

しかし失敗したら大量の廃棄が発生するのは確実。マックのポテトMはためらい無く捨てられるけど、豚さんのバラ肉を捨てるのは心が痛む。肩ロースのブロックも同時に作って、リスク分散を図ろう。

というわけで、肩ロースとバラブロックを中華鍋でジュウジュウと焼きます。脂を落とすと同時に香ばしさを出すわけ。



表面を焼いた肉の完成。ここでバラの方を5センチ角に切ります。(本当は焼く前に切るのがノーマルなんだけど)



おお。包丁にべったりと脂が。この脂が血管を詰めるわけね。・・・



切り口を見れば脂の層が。これって脂だよね。どう見ても。コラーゲンじゃないよね。この辺りからもう敗北の気配を感じてしまった・・・こんな脂食えねえって。



下茹でした水は一旦ボールに取ります。このまま流すと水道局の方にご迷惑がかかるので、脂だけ冷やし固めて捨てます。脂(特に動物性の脂)は下水にそのまま流しちゃダメですね。



下茹で後は若干希望の持てる外見になりました。ひょっとしたら食べられるかも?



ラーメンに乗せるためのもやしとにんじんを蒸して



角煮の方はぐつぐつと味付け煮込み中。味玉も作ってます。



野菜はいい感じに蒸し上がったので



ラーメンにトッピング。



ラーメンも角煮も美味かったんですが、もうね、二度と角煮は作らない、と今度こそ心しました。脂だらけじゃん。



ほら。これが最初に茹でこぼした水。冷やしたらこうなりました。



こっちは煮豚。



これを冷蔵庫に置いておくとこうなる。

もうね、ダメっす。この脂。これが体のあちこちに詰まるんだね。ぞっとしますな。幸い肉は美味いし、肩ブロックも入っているので、脂をよけて何とか食べましたけど。

次は、ももか肩のブロックで角煮を作るぞ!もうね、バラ肉は二度と買いません。

2010年10月12日火曜日

高いよスタバ

この間、ひっさしぶりにスタバに行きました。やっぱり高いからね。なかなか足が向かない。

だってスタバラテ、サンドウィッチ、ドーナッツ(お腹が空いてた)で900円でっせ。ドーナッツは余分だった。認めます。しかし、仮にドーナッツを抜いても700円。えーん。定食屋ならご飯、みそ汁、お新香、焼き魚、他一品が付いてきますよ。立ち呑み屋でホッピーの中おかわりしてホルモン焼き二本食べられるよ。Vice versa.



確かにね、コーヒーは美味いですよ。しかし言っちゃあ悪いがチェーンのコーヒーショップでしょう。個人経営じゃないよね。ということはアルバイトから搾取しているわけで、それで一杯300円オーバーとはどういう了見か。セットがないとは、どんな殿様商売をしているのか。うぬ。

しかしね、前にも書きましたが、過日、外でブログでも書いてやろうと思って、Mzoneを使えるカフェを探して、安いと思われるチェーンのコーヒーショップに行ったら、そこの客層と雰囲気にがっかり。もう、ノート広げる雰囲気じゃないっす。えーと、まずホッピーね。あとガツ刺しとカシラ。タレでお願い。それから、串カツある?みたいな。グビッと呑んで颯爽と去らなきゃ野暮だよ。ってあれ?コーヒーしかないの?みたいな。というわけで、こうなったらスタバでいいや。というのが結論。

スタバと言えば思い起こすのはブラック会社にいたときのこと。もう嫌だ。会社に行きたくない。シンドイ。という朝は、会社から数駅離れたスタバに直行して、そこで仕事してましたね。あの頃は辛かった・・・ほんとにもうね。なんか世の中呪ってやるって感じで・・って思わぬところに地雷がひそんでたな。気分転換が必要。

さてさて、気を取り直してスタバです。日曜のお昼時。意外と混んでました。客層が違いますよ。隣でせっせと勉強している女の子をチラッと見ると、高校数学らしき参考書。すなわち女子高生。女子高生がコーヒーに一杯3、400円払うんかい。時代が変わったなあ。若いOL風も多い。それからフツメンっぽい男が黙々とマンガとか本を読んでる。当然のごとくカップルが複数。おいおい。そこの男女。女男。女男女男女男よ。池袋くんだりまで来てスタバかよ。探せばいくらでもいいカフェがあるんとちゃうか?スタバの「それなり」なつまみでコーヒー飲んどるのか。とんだ情弱だぜ。へっなどと嘲笑ってしまいますな。イヤな奴だな俺。でもまあ、ぐるなびで探してカフェ行くまでもないやん。スタバでええやん、そんな感覚も分からなくもない。

再び女子高生の考察。スタバで粘って勉強しとるわけやね。図書館とかじゃないわけ。池袋のスタバなわけ。彼女にとっては、それなりに晴れがましい気分に違いない。スタバで勉強する私っておしゃれ?みたいな。バカにしているわけではありませんよ。かわいいもんだなあ、と思います。若狭、若狭って何だ?振り向かないことさ。ぎゃばーん。よく分かりませんね。もういいか。

そう言えば俺の暗い高校時代はどうしてたかな、と思った途端腋臭あるもとい湧き上がる黒い瘴気。黒い歴史。もといもといもとい!

ま、そんなこんなで、Mzoneの調子も良かったし、スタバいいじゃん、と思いましたね。コーヒー一杯が高い、かつ禁煙は正義だよ。何かスノビッシュだな。スタバめ。けっ。という異論も認める。しかし、勉強している女子高生じゃありませんが、コーヒーに400円払ったんだから長居させろや。そんな覚悟も渋々受け入れざるを得ないスタバの居心地も、悪くはありませんでしたよ。

もつ煮込み

たまに食べたくなるんですな。もつ煮込み。居酒屋のもつ煮込みは美味い。自分で作るといまいち。

いまいちだけれども、自分で作るというのはそれはそれで娯楽である。楽しい。というわけで作ってみました。

ぶた白もつ 400g
しょうが 1かけ みじん切り
にんにく 3かけ あらく切っただけ
だいこん 5cm
こんにゃく 一丁

クックパッドを見て一回もつを茹でこぼすレシピを採用。

まず茹でこぼしです。7分ほど加圧。煮汁を捨てて軽く水で洗います。

にんにくとしょうがを処理します。



大根、こんにゃく。



その後、圧力鍋で、なたね油、ごま油でしょうがとにんにくを軽く炒めて、香りが出たら調味料含めて全部の材料を投入。5分加圧。



出来上がり。美味そうですね。ネギを乗せて一味を振ってパクリ。



うん。水っぽい。ぜんぜん出汁の味がしない。確かにもつの臭みはほとんど無くて食べやすい。でも、不味いや、これ。

しょうがないのでチキンスープの元と昆布を投入して火にかけ、水分を飛ばすとともに味付けを画策。何とか「そこそこ」レベルまで持っていきましたが、わたし的にはかなり残念でしたね。

やはり居酒屋のもつ煮込みは、おそらくは化学調味料も含めてしっかり出汁が入ってるに違いない。そうだ。今度は味噌ラーメンのスープを投入して作ってやろう。味の薄いもつ煮込みをむにゅむにゅ頂きながら、心の中でそう誓ったのでした。

2010年10月11日月曜日

食欲とか物欲とか無印良品のトートバッグとか



年を取ると少しずつもろもろの欲がなくなってきます。特に食欲と物欲。

まず食欲。5年ほど前はもうお腹が痛くなるほど食べてましたね。ストレスとかもあったし。それがじわじわと減ってきた。腹一杯食べることはあります。しかし、いっぱい食べるにしても、豆腐とか野菜とか体に負担が掛からない食事を意識的に選ぶ自分がいます。なんというか、食べると疲れるじゃん。消化するにも体力が必要なんだよな。っていう感じです。

親が言ってました。「年を取ると少し食べるだけでよくなる」。そんなもんかね、と思ってましたがどうやら正しい。しかし私の感覚では「年を取ると大量に食べられなくなる。食べると疲れるから」というのが近い。

そう言えば長生きの秘訣は「粗食」「腹八分目」などと言いますが、結局そういうことなんじゃなかろうか、と思います。すなわち楽である。体が必要としないだけ食べたって、それを貯めたり消化するのに余計なエネルギーを使う。必要な分だけ食べているのが一番効率がよい。

だから、食欲ってのは落ちていくのが自然だし、その方がむしろ望ましいのであるなあ、と思います。

一方で物欲。残念ながら(?)こちらも少なくなりますね。昔のように「欲しいぜ!」と胸をたぎらせることが少なくなった。

ここ最近ノートPC関係で出費しましたが、最近にしては珍しい出来事でした。昔は安いSCSIカードだとか今思えばしょうもないモノにときめいてましたからね。

で、話は唐突に変わるわけですが、この間子供の買い物に付き合ったんです。一段落して子供にアイスを買って、ベンチで食べさせていたら、近くに無印良品があったんですね。

ムジについては私は結構スルドイ印象を持っております。すなわち「ブランドイメージに甘えて中途半端な商品を出している店」(ファンの人すみません)。遠目には悪くないんだけど、実際に見たら欲しくなるモノがない。垢抜けない。地味。そこそこ安いんだけれど、「モノがいい」とも思えない。

しかし、そのように「やはり、ムジであるなあ」と店を散策して商品を眺めていたら、写真の帆布トートバッグが目に入って来たんです。これがズキューンと来た。

垢抜けない。地味。作りも若干粗い感じ。しかし、丈夫そう。バッグなんてこだわる必要ないじゃん。こんなんで充分っしょ。そんなメッセージがこのわたくしをダイレクトに捉えてしまった。

いや、参ったな。ムジにやられるんか。しかし、欲しい。

迷いましたね。お父さんには似合わないよ。これ。などと子供から辛辣な言葉を投げつけられましたが、しかし、10分ほど悩んだ挙句、買ってしまった。2、500円。

今使ってますけどね、結構満足してますよ。はは。

何が言いたいか。

やっぱり、あれですよ。物欲があるというのはいいことだなあと思います。抽象的な対象に向かうだけだから、体を直接に壊すこともないし。買いすぎたら(もったいないけど)捨てるなり、売るなりすればいい。物欲がなくなってきたからこそ、小さな物欲は大事に育んで、楽しんで行きたいなあなどと考えた訳です。衝動買いはダメですけどね。

ま、以上。

24時間営業なんて要らないっしょ

この間24時間営業のマックに早朝に行ってマリネマフィンを食べたのですが、その時のアルバイト君の顔がやはり疲れてましたね。調理担当の方も動きが鈍かった。利用しておいてなんですが、私は「別に無理して24時間営業しなくてもいいんじゃないの」と思ったわけです。

このごろは西友でも24時間営業を始めていたりしますが、あれって需要あるんですかね。東京23区とはいえ、ベッドタウンの西友ですよ。なんでまた24時間営業する意味があるんか。あれで儲かってるんですかね。まったくもって謎としか。

コンビニの24時間営業が地方にも広がり始めたのは15年以上も前のことでしょうか。

当時大学生だった私にとっては、確かに近所に出来たコンビニはありがたい存在でした。でも、当時も一抹の「コンビニ便利だけど、前もって買っておけばいいよね。夜に買い物に行くって、なんだか変だよね」という感覚がありました。夜のバイトも大変そう。俺は絶対したくない。

こういう24時間営業チキンレースの弊害っていろいろあるんじゃないですかね。

例えばフリーターの増加にも一役かってるんじゃないか。あまり複雑な仕事はしなくていい、とりあえず夜に店先で立ってて、たまに品出ししたりレジ打ちしてくれればいいという特殊な労働需要が生まれた訳です。その労働需要にフリーターがハマってしまうと、なかなか逃げられないんじゃないか。

あと、小売競争も営業時間の長さを競いだすと、何だかこう「必死だな」って感じでいかがなものか、と思います。あっちが夜11時まで営業するんだったら、ウチは徹夜します!そんなサラリーマンもいるよね。でも、そんな社畜が評価される社会ってどうよ?

24時間営業のコンビニって確かに学生の頃はありがたかった。でも、大人になってからは19時以降に店を利用することはあまりありません。たまに仕事帰り、20時過ぎに酒切らしていたのを買って帰る程度ですけど、これだって先週末に仕入れておけばよかっただけの話です。

どうも、ここまでやる必要はなかったんじゃないか。コンビニ24時間営業は、敢えて見直してもいいんじゃないか。そんな気がしてしょうがないんですけど、絶対に24時間営業のコンビニは無くならないでしょうね。

違和感を持ちながら生きつづけるしかないようで。