2010年12月30日木曜日

高円寺行ってきた

古着屋とかエスニック系ファッションのおもしろい店はないかしらと思いながらWebをつらつら見ていると、高円寺が面白いらしいという情報を発見しました。

そうか。高円寺か。これまでの人生で聞いたことのない地名です。しかしまあ、試しに行ってみっか。と12月のある日に行ってみたんです。エスニックではありませんが、それなりに変テコな服着て。

西武線で新宿。新宿から中野。中野から一駅。中野駅のホームで寒風に吹かれながら乗り換えの電車を待っていると、なぜだかワリと「遠いところまで来てしまった感」がありますね。近くて遠い街、高円寺。その都心からの絶妙な距離感が、高円寺という独自の場所を醸し出しているのかもしれません。

とにかく中野から一駅。JR高円寺の南口を出てすぐに気がつくのは商店街が元気なこと。人通りが多い。若者が多い。若者といっても大学生以上って感じですね。それから渋谷原宿と違ってあからさまな欲望はあまり感じられなかった。アートとかファッションとかその辺にこだわりがあるっす。という雰囲気でしょうか。わたし的には結構しっくり来ましたね。若者が多かったけど、落ち着いて散歩できました。

古着屋も小奇麗な店から何だか怪しい店まで様々。一日来てぶらっと歩いただけですから、あまりコアな店までチェックできていないのですが、ジャンクから本格物までいろいろありそうです。足を使えば掘り出し物や気に入った服が探せそう。これは楽しい高円寺。

2時間ほど街を歩いて、4千円ほどのパーカー(妻によればそれなりに名の通ったブランドらしい)、千円のドイツのトレーナーを購入(いずれも古着)。まずは安くて楽しいショッピングでした。

ある意味では一昔前の秋葉原のような感じですかね。もちろん訪問する人の種別はまったく異なります。そのターゲットも片やパソコン電化製品、片やファッション関係と大きくことなりますが、そのモノへのこだわりと「お買い得」商品を楽しむ感覚には共通点がありそうです。結構ディープな高円寺という街。じっくり馴染んで行きたいと思えました。

古着は楽し

うさと服によってファッションに目覚めてしまったわたくしですが、最近は楽しく古着系の店を巡っています。

古着のどこがいいか。まず価格に惹かれますね。例えば人が何年か着た5万円の服が1万で手に入る。5万円の服だから、やはりモノがいい。流行に左右されない型の服や、面白系の服なら今でも楽しく着ることができる。大変リーズナブルだと思います。ものによっては10万円は下らないような服が1万円で手に入ったりするのもまた楽しからずや、です(ま、勝手に「これは10万円は下らないだろう」と思い込んでるだけってのはありますけどね)。

わたくし、普通のPコートや普通の革ジャンといった定番系の服やアメカジ(よく分からないけど)があまり好きじゃありません。エスニックとか変わった型、模様の服が好き。となると、どうしても定番系の回転が多くなる古着屋では、必然的に選択肢が限られてくる。なかなか当たりにはめぐり逢えない。それでもデパートやユニクロでやたら高い服や、仕掛けられた流行の服を選ぶよりは数倍も楽しいですね。たまに面白い服に出会えると、嬉しさもひとしおです。

この間、池袋の古着屋を回っていて店員さんと話をしたんですが、その話がやはり面白い。皆さんファッションに哲学がある(当たり前かもしれないけれど)。自分はどのようにファッションに関わっているのか。はっきりした(それでいて押し付けがましくない)人生観をお持ちになっておられる。なかなか好感が持てます。

ということで、まだまだしばらくは、楽しく古着屋を巡っていることと思いますね。

帰省2010冬

今年もいよいよ大詰めです。11月から12月にかけて公私ともに忙しかった。仕事が忙しいというのは(独り言:その忙しさの原因と質にはいささか批判的ではありつつ)ありがたいもので、日本経済が先行き怪しいなか、しばらくの間は不景気を忘れることができました。もっとも忙しいからと言って給料が上がる訳ではないのですがね。時給換算では暇してる方が割がいいの。

ま、そんなこんなでやってまいりました大晦日。今年は特に、無事に年を越せたなあ、という感慨がありました。何でかっていうと、40を越えた知り合いとか知り合いの知り合いの方が、ボツボツ逝去されるんですな。幼稚園児、小学生のお子さんを残して。さぞかし無念であろう。悔しいであろう。胸が締め付けられるほどよく分かる。

普段仏教やら哲学に親しんでいるせいで、死についてはワリと考えている方だと思いますが、それにしても理不尽なことだ、と思います。しかし思っても詮ないこと。死すべき個体は、全力で今を生きるしかないのです。そう思って身を引き締めていると、やはりこの年越しというのはありがたいものだと思われます。マンネリと言えばマンネリ。死ぬもんかと思っていれば退屈かもしれないけれど、今年も無事に家族一緒に生きて来られた。この当たり前の事実を有難く噛み締める。すると何とも深い年越しが味わえるというわけ。

そういえば義母がちょっとした事故で骨折したことがありました。いわゆる「軽傷」の部類に入るのでしょうが、数週間家事に不自由して大変難儀をされておられた。そんな義母が時折しみじみ言った「当たり前のことが、ありがたいんですよ」という言葉を思い出します。

当たり前の年越し。しみじみと、有難く、過ごさせていただこうと思います。