2010年2月26日金曜日

プロジェクト試論(アフォリズムによる)17

1.人は失敗し得る。

2.プロジェクトとは人の所為である。

3.ゆえにプロジェクトは失敗し得る。

上記証明を人は信じない。

失敗はありえない。失敗の原因をなくせば、失敗はなくなるのだ。

しかし、プロジェクトは大なり小なり必ず失敗する。

人は失敗するものである。この事実を受け入れない人にとって、プロジェクトは悪夢でしかない。

いつまで悪夢にうなされるつもりなのだろうか。

頑張れ豊田社長

CNNで、下院やラリー・キングライブでのトヨタ社長の発言を断片的に聞きました。日本なまりの強い英語で一生懸命話しているのを聞いていると、何だか頑張れ!という気持ちが湧いてきますね。

日本のマスコミに出た時は、何だかとても偉そうだなあと(まあ偉いんだけど)反感を持ったのですが、アメリカで理不尽にやり玉に上がっているのをみると応援したくなります。頑張れ豊田社長。

ケン・ハラクマ「ヨガから始まる」朝日出版社

★★★★☆☆:悪くないのね

経歴だの経験談だのを読んでなんだどっかの社長のぼんぼんじゃないかチクショウと反感を覚えるのですが、読み進めるとそんなに悪くなかったです。ちゃんと考えているし、頭もいい。

しかし、ヨガってやっぱり女性ユーザーが多いのですねえ。この本でも、ヨガ教室の発展は女性の参加が鍵だったという旨が書いてありました。男社会でいろいろなストレスに直面してんだろうな、と思います。それから頭で批判的にアレコレするのではなく、まず信用してやってみる、というポジティブさが女性にはあるのかもしれません。男はいろいろ理詰めで考えてなかなかすんなりとは動かないけど、いざやり始めると極端に走る傾向があるように思います。性差というのは面白い。

念のため妻に、なんでヨガのユーザーに女性が多いのか意見を聴いてみたら、そりゃあ女の人は自分の体への関心が強いからよ、との言葉。なるほどねえ。確かに。男は体に無頓着かもしれませんね。痛いところがなければ意識しないもの。ちょっとお腹の調子が悪い気がするなあ、と思いつつ、急行電車にのったらうんこ漏らしたりしてね。そんなことはないか。というか流れに関係ないか。しかし体に滅多に意識を向けないというのは、ある意味で自由なのかもしれませんが、それはそれで不健康と言えます。健全な精神は健全な身体に宿る、と。不健全な精神も、それを貫徹させるためには健全な身体が必要です。

一方女性は月のものは来るし、子供は産むし、老化現象は容赦なく外見を襲うしで、身体とそのメンテナンスに意識が向かざるをえないのでしょう。

ヨガを実践することで身体が語りかける音に耳を傾けることは大事だと思います。それが宗教的な言葉に結びついて日本人の口から聞くと、何だか怪しいなあという気がしますけど。偏見かなあ。座禅なら違和感ないけどね。

以上。

2010年2月23日火曜日

ゴボウサラダ、ポテサラ

とにかくカラダが繊維質を求めていたようです。ゴボウサラダとポテサラが食べたい!たんぱく質が過ぎる食生活をしていると野菜が食べたくなります。

ゴボウを晒して茹でて、マヨネーズ、大量のゴマ、ノンオイルツナ一巻と和えて完成。別途ポテサラ用にジャガイモを茹でます。

クラッシュしてマヨネーズで和えて

完成。

ブリの味噌漬けは、二日経っていたので酒で塩抜きして焼きました。後はこれも実家から送ってきた甘い煮豆。とにかく茶色い食卓でした。

パン、トマト・ウィンナースープ

普段は国産小麦粉使ってるんですけどね。生協の店に行くタイミングを逃したので、まあたまにはガメリヤでも使ってみるか、と。

例によってテキトーレシピなので、厳密な比較にはならんのですが。

はい。夜間発酵成功。二次発酵完了。オーブンを暖め焼きます。

その間に生協のウィンナー+トマト缶スープ。

KAGOMEのホールトマト缶を使ったら若干味が濃い気がしましたね。安売りの得体の知れぬ缶詰より。

カメリヤは焼き立て状態だと国産小麦とまったく区別がつきませんでした。冷めたら若干国産の方が美味い気がしましたけど。マジで。でも妻に言わせれば気のせいじゃないの?ということですが、ホントのところはどうでしょうか。まあ国の農家を支援するという意味でも、基本的に国産の材料を使いますけどね。私は。

カワハギ煮物、鮭塩焼き、ほうれん草おひたし

実家からクール宅急便で生魚を送ってくるんですわ。しかも、イナダ(ブリの若いやつ)の切り身半切れ(400g相当)+カジキマグロ昆布締め二サク+とびうお刺身用一サクとか。食べ切れんちゅうねん。

ちょっと二日じゃ食べきれないからさあ、生魚送らないでよ。と頼んでみたら「余ったら捨てたらいいじゃないか」とのマリー・アントワネットばりのお言葉。いやあ。ちょっと待て。食べ物を残すなと口を酸っぱくして言ってたのはあなたじゃないですか。マックのポテトならいざ知らず、どうしてお魚さんを捨てられるでしょうか。なんというご都合主義。魚を買って送って満足しているあなたはよござんす。でも、送られた方はたまったもんじゃない。まあ、ありがたいんですけどね。

という訳で今回も生魚が詰まってました。小ぶりのカワハギ。鮭の切り身。ぶりの味噌漬け。まあ少ないほうですわ。よかったよかった。

まずはカワハギ。東京のスーパーで買うより、地元のスーパーで買ったのをクール宅急便で送った方が若干新鮮な気がするのは気のせいか。気のせいかな。やっぱ。

ゴボウを多めに入れました。

煮立ったらカワハギ投入。

フタして火を通します。

ほうれん草とたっぷり塩をかけた鮭。ほうれん草はおひたしに。鮭は塩焼きにしました。どれも美味かった。

狩野直禎「図解雑学 論語」ナツメ社

★★★☆☆☆:まあまあ

子曰く、人の己れを知らざるをうれえず、己れの人を知らざるをうれえよ

なるほど。自分が評価されないことではなく、優秀な人物が他に埋もれていることを心配せよ、と。

子曰く、賢を見ては等しからんことを思い、不賢を見ては内に省みる

そうだよね。

子曰く、約をもってこれを失うものは少なし

質素に地味に生きていれば、失うものは少ない。その通り。

子曰く、人、遠きおもんばかりなければ、必ず近き憂いあり

将来を考えなければ近いうちに痛い目に合うよ、と。

全くその通り。まっとうなことばかりです。読んでいて安心しました。最近何だか毒々しいような本ばかりだったので。

全編を貫く封建思想には目をつぶりましょう。閉塞感のない社会で皆ハッピーに暮らせるなら、別にかめへんやないか。

一つ文句を言うとすれば、この本は図解にする必要は全くなかったね。狩野さんのテキストが読みやすくて、内容もちゃんとしていて非常に良かったと思います。

バーク「フランス革命についての省察」中央公論社 世界の名著34巻

★☆☆☆☆☆:ほとんど読む価値なし

フランス革命を批判したイギリス保守派の、反動的演説。2ちゃんねるネット右翼の書き込みの方が面白いといったら失礼か。時代背景、歴史を真剣に分析すれば面白いのかもしれませんが、どうも現代に敢えて読むほどの意義が見当たりませんでした。説得力のある保守的議論を期待したのですが、期待外れ。時代が違う。以上。

藤代泰三「キリスト教史」日本YMCA同盟出版部

★★★★☆☆:西欧を理解するためには必要な情報

なぜキリスト教が世界宗教たり得たのか。うーん。わからない。逆にニーチェとフォイエルバッハがなぜ執拗にキリスト教を批判するのか。それが理解できました。非合理な教義、瑣末な議論、血なまぐさい宗教戦争と異端迫害の歴史。人間にとって宗教とは何なのだろう。超越的な人格神をどうして信じてしまうのか。人間とは本来非合理なものなのだ、としか思えません。無神論風神仏混合原始仏教シンパ無節操宗派の私には、キリスト教史は相当異様に写りました。

もちろん、宗教に積極的な意味があることは間違いありません。神の下に人は平等だという思想とか慈善とか。信仰によって心やすく暮らせる人も多いでしょう。自分と愛する人の死に意味を与えることもできる。宗教が感動的なアウトプットを生み出すこと、また宗教から積極的な意義を引き出す人がいることは認めます。

しかしクリスチャンの多い欧米で、人種差別がいまだに幅を利かすこの現実。格差もひどい。プロテスタンティズムと資本主義での勤労は親和性が高い。しかし、その資本主義が人を押しつぶしている。ならば宗教のメリットすら、怪しいのではないか。そんな気がしてなりません。

神がいなければ善い行いをする意味がなくなる。つまり、善行はたとえ現世で報われなくても天国(来世)で報われ、悪行は地獄で罰せられる、などとは言えなくなる。現世の利益だけが生きる目的となり、真実や善が省みられなくなる。だから神は必要なのだ、という議論があります。しかし、今現に宗教はそのように機能しているのでしょうか。敬虔なクリスチャンが、数千人を無慈悲にリストラしているのではないでしょうか。貧しい若者たちを戦場に送り込んではいないでしょうか。宗教がなくなれば、その歯止めすらなくなるとでもいうのでしょうか。

うーん。難しい。

今は反省している

1月20日から始めたピアノ演奏youtubeアップロードですが、いったんちゃぶ台返しというか削除しました。ほかの人の演奏に比べると、どうも自分の演奏が雑でしょうがない。愛が足りなかったようです。仕切り直しです。

2010年2月22日月曜日

プロジェクト試論(アフォリズムによる)16

プロジェクトはマニュアルでは動かない。もしマニュアルで動くならば、高校生アルバイトにだってシステムは作れるだろう。

したがってプロセスの標準化に期待してはならない。それは単なる必要悪である。

プロジェクト試論(アフォリズムによる)15

再発防止策には何の効果もない。それはすでに無思考であり、不快な事象に対する条件反射でしかない。

トラブルを防ぐのは無意識レベルでの経験の蓄積しかない。もちろんそれは、トラブルを起こさない十分条件ではないのだが。

プロジェクト試論(アフォリズムによる)14

障害の報告と対策はトップに迅速に伝わる必要があるが、原因分析は現場のリーダーでとどまるべきである。なぜならリーダー以上の立場の人間に詳細な原因分析を伝えるためには、全てを抽象化し、口当たりをよくし、骨抜きにする必要があるから。しかもそれらの作業は全てムダである。

プロジェクト試論(アフォリズムによる)13

「結果」から逆に時系列をたどると、過去の無数の事象が得られる。そしてそれら全てが「原因」の資格を持つ。では無数の過去の中から「原因」を選ぶのは何か。それは政治とプロパガンダである。ゆえに「原因」は常に立場の弱い人間に帰せられる。障害の原因が顧客やプロジェクトマネージャーだったことが、かつてあっただろうか?

プロジェクト試論(アフォリズムによる)12

トップは障害を報告したメンバーを褒めなければならない。さもなければ障害は隠されることになる。そして弊害はそれにとどまらない。

この当たり前のことが常に無視され、過ちが繰り返されている。

プロジェクト試論(アフォリズムによる)11

ゆえに組織的な障害の原因分析は、部署間の不毛な責任の擦り付け合いを生む。当然システムの品質向上に貢献することはない。