2010年10月23日土曜日

チャーハン

チャーハンです。

一気呵成につくるので写真を取ってる暇なし。先日つくった煮豚で卵・煮豚チャーハンを作りました。

参考にしたのは以下のページです。

http://self.tagigo.net/200610/07-0546.php

いや、シンプルで悪くないレシピです。

中華鍋はカンカンに熱くすること。うん。基本ですな。

油は多めで。そうだよね。でもそれをはっきり書いてあるレシピは案外少ない。

ネギは事前に卵に入れておけ。なるほど。言われてみればそうだな。

あとは一気呵成に仕上げるだけ。卵がゆるい状態でご飯を投入したので、若干パラパラ感はありませんでしたが、子供からは好評の香ばしいチャーハンが出来ました。うん。これからはこのレシピがよいなあ、と思いました。

政治はむつかしい

別にあたしは政治家じゃないので、政治的な意見がぶれたって実害はないのですが、やはり昔の政治的な思いこみや意見が、後に「必ずしもそうではなかったかなあ」と思えてしまうと、それなりに過去の自分を後悔するとともに政治というのは難しいのであるなあ、と思います。

具体的にはですね、数ヶ月前のわたくしは、アメリカはもう落ち目であるからして(これは今でもそう思ってる)、これからはアジアで仲良くすべきであろう、と思っていたんですな。中国、韓国と仲良くやっていくべきじゃないか、と。

昨今の情勢を見れば、もうこれ以上は言わずもがなですな。

中国もダメだよ。ありゃ。まだアメリカの方がずいぶんマシだ。

やっぱりアレですわ。最後に頼れるのは自国である、と思えるわけですが、ここを突き詰めるとそれそれで中庸から外れた路線に近くなるわけで、政治的判断というのは本当に難しい、と思います。何が正しいか、何が誤ってるかなんてわかりゃしません。

でも、朝令暮改でいいから、状況を見ていろいろ思ったり考えるほかはないのでしょうな。もちろん、軸がブレてはどうしようもありませんが。

むむむ。

2010年10月21日木曜日

夜の散歩

仕事の後、久しぶりに学生時代の友人XX君と呑むことになりました。「いつか合おう」「今度合おう」と年に数回メールしながら、何となく数年ご無沙汰。お互い忙しくてなかなか都合が付かなかったり、学生時代と違って共通の話題がないんじゃないかと気後れしたりであっという間に数年が経ってしまった。私の数少ない友人で(実質唯一か?)、昔はよく二人でお茶をしたもんだ。若干うらぶれた近所のマクド。懐かしや。

ということがあって、家族には今日は遅くなるよ、と一言。XX君と久しぶりに呑んでくる。ああ、そう。ほんとに久しぶりねえ。妻も彼を知っているので話は簡単。

仕事を済ませ、早めに会社を出ます。いつも物欲を誘うきらびやかな街の灯に後ろ髪を引かれながらも、まっつぐ家に帰るんですが、今日は待ち合わせの時間まで、夜の街をブラブラしてみようか、と。

通勤途中の駅で降りる感覚も新鮮。夜の街の放浪と散策です。いやあ、いいもんですねえ。夜といってもまだ6時台。野菜の入った買い物袋を抱えて帰宅を急ぐお母さんたちと会社から出て駅に急ぐお父さんたち。「日常」している人々の、あわただしい雰囲気。秋の夜、世はこともなし。人の流れに逆らって大きなショッピングモールに入ると、そこは明るいイルミネーション。きらびやかな商品がならんでいて、あわよくばと人々の物欲を誘っている。夜に出歩くはしゃいだ高校生たちや、水族館のクラゲのように電飾のあいだをさまよう若い女の子たち。夜のショッピングモールを歩く女の子には何となく寂しさを感じます。若い子が一人でベンチに腰かけている。人待ちなのか。それとも、家に帰っても何もないから、ただ時間を潰しているのか。私など、たまに散歩するから解放感を感じるのでしょうが、会社帰りにしょっちゅうウィンドウショッピングする生活というのは、それはそれで寂しんじゃないかななどと考えたり。

そういえば「グレート・ギャツビー」の最初の方にもこんなシーンがあった。都会に出た主人公が夜の街を散策するシーン。都会の夜の魅力、憧れ、そして寂しさと、ちょっとしたやるせなさが、見事に描かれていました。

しばらくブラブラと散歩して、待ち合わせの場所に到着。まだ早いかったのでプロントでビールを一杯頂きます。あー。こういうの憧れてたんだよなあ。仕事帰りに、ナニゲにバーで軽く一杯っての。ビールとちょっとしたつまみで650円くらいだったかな。プロントではMZONEが使えます。狭い机でノートパソコンを広げてasahi.com、Yomiuri Online、メールをチェック。暇つぶしにブログの草稿をパタパタと叩き、ビールをすする。プロントってワリと何でもありな雰囲気だから、バーでビールでノートPCという組み合わせも許されてる気がしてリラックス。しかしまあ、実際一人でビールを一杯呑むってのも、それほどスペシャルな体験じゃあないなあ。楽しいかと聞かれれば「それなりに」と答えるけれど、こんな機会がなきゃバーで一人ビールなんてことはしないな、と思ったり。

そうこうしているうちにXX君からメール着信。駅の東口に着いたとのこと。プロントを出た私は、刎頚の友XX君と無事東口で邂逅し、数年のブランクも感じることもなく、盃を酌み交わしたのでした。

2010年10月19日火曜日

なんだか最近

霜の話で恐縮ですけど、最近ワリとお腹の調子がいいんですよ。私がそう言うってことは、すなわち下さない、ということであります。

で、どういうことかと思って考えてみたら、最近レッグウォーマーを足首に装着するのみならず、半ズボンとか、半モモヒキとかで、太ももをあっためる感じで寝るようにしていたんですが、それが非常に効いてきた模様。

太ももの冷えも要注意ってことですな。(おそらく個人差はありますが)

子供と外食@神保町

ある休日、下の子が熱を出してしまいました。せっかくの休みだけど、まあしょうがないよね。こればっかりは。しかし家族四人で家にこもっているのも何だかストレスが溜まる。妻も人が減った方が少しストレスがない、とのことで我々のみの外出を許可。というわけで、ラーメンをエサにして上の子を連れ出しました。

行き先は神保町です。確か地下鉄の出口すぐに、そこそこ美味い喜多方ラーメンがあったハズ。子供だから有名店の行列には耐えられないし、有名店のくせのある味よりも、普通の中華屋さんとかファミレス系の、当たり前のラーメンの方を好む。当然、あわよくば書店巡りをしてやろうという私の狙いもあります。

というわけで神保町。目的の店はあっさり変わっておりました。よく覚えていませんが、何だか辛い系?とんこつ系?に変更。参ったなあ、と思ったらすかさず子供が私の手を引いて「他のところにしようよ」。子供はあまり新しい店にチャレンジするタイプじゃありません。でも、子供に任せるとファミレスになっちまうので、ここは頑張って私が探します。すなわち私も古本屋巡りどころじゃない。やれやれ、という感じで店を探します。

ほどなく、ちょっと離れたところにひなびた中華料理屋を発見。迷うのも面倒くさかったのでためらう子供を引っ張って入りました。中は超場末な感じ。客は中年のカップル(ただの仕事休憩?)の二人だけ。子供がラーメン、私は酢豚定食とビール。





何か街の中華料理って感じの酢豚でしたね。ビール中瓶が670円もしたのが残念だったけど、まあ飛び込みで入ったらこんなもんでしょう、というお店。

何というか、中途半端だなあって感じの外出でした。本もゆっくり見られなかったし。子供と街散歩ができるのはいつの日か。と言っても、大きくなると親とは外出してくれないんだろうなあ、という予感もありますが。

2010年10月18日月曜日

服に金をかけるということ

若い頃からファッションにはほとんど関心がありません。そこそこの定番ブーツ、定番ジーンズ、定番シャツを買うだけ。すなわち頭はまったく使わない。金もさほど使わない。特にユニクロが定番化してから顕著になりました。安い。かつ特徴のない汎用的デザイン。モノによっては品質もいい。おまけに、ユニクロってワリと行ったり買ったりするのが楽しいんですな。だからもう、ホント何も考えずにユニクロ一本。そんなファッションライフです。

それに、そもそも最近は「もうモテなくていいや」って思ってる。すなわちファッションにこだわる原動力の根源が失われてしまったわけ。んで、ぼーっと外に行く服を着たら妻に「ちょっとあんた!何それ。やめなさいよ!チノパンにジャージは無理!」とか「いや、その上下が黒ってないわ。ありえない」とか言われる。ええ?そうなん?よく分からんけどな。という状態です。言われて、しみじみ鏡を見て、ま、変といえば変?でもためらわずに外行っちゃうけどな?とちょっとヤバめ。つーか普段鏡すら見ないし。みたいな。

ちなみに妻は地味系なんですけどそれなりに服には気を使っています。パート先やボランティア先などでナニゲに服装がチェックされてしまうのだそうだ。思い起こせば、ママトモさんたちを見てもオシャレな人が多いようです。ということで、妻はもともとMuji指向、ゆる系指向の人でさほど服には気を遣わないんですけど、最低限みっともなくない格好をしようと努力している模様です。

私もまあ、興味はないことはないんです。例えば美容院に行ってメンズノンノ読むのは楽しいですね。おお。君ら本当に細いなあ。何だ?そのカッコ?半ズボンにストッキング?それがカッコいいの?モテるの?とか。私より2、3才上の美容師さん(若く見える。おしゃれ。二児の父)も「昔は金掛けましたけどねえ。今はユニクロにRight’on重ねるくらいっすよ」などとおっしゃる。そうっすよねえ。ファッションに頭も金もかけてらんないっすよ。いかんせんおっさんにはコストパフォーマンスが悪すぎる。つーか似合う服がない。それだったらユニクロのチノパンにユニクロシャツでええよ、と。

で、例によって話は唐突に展開しますが、この間うさとという手織り系、草木染め系の服のブランドの、展示会に行ったんですね。展示会と行っても、普通の民家の二階でやってるみたいな、6畳と4.5畳をつなげた程度の小さな会場です。この「普通の民家」というのはほとんど比喩ではありません。一階を店舗に改造した木造の一軒家。一階は自然食品、自然系服飾品を扱っている小さなお店です。マクロビオティックとかヨガとか(ヨガはなかったかな)東洋医学とかそれ系です。そんな店の二階。店の小上がりで、子供がちゃぶ台でおやつ食べてる。そんな和み系のお店です。

この「うさと」の服。妻が一着持っていて、なかなかセンスがいいんです。ぱっと見地味なんだけど、不思議とおしゃれ。ダサくない。流行とは一切無関係でありつつ、銀座あたりを散歩してもしっくり来る感じ。ということで「うさと」の展示会、あんたも来る?と妻に誘われて当日。

妻とチャリ漕いで行ってみたら、お姉さん・おばさんパワー充満な感じの店内でした。NPOとかボランティアに取り組むおばさん、お姉さんをご存知ならお分かりかと思うんですが、みなさんコミュ力(りょく)があって、ある価値観(あるいは弱い使命感)で結びついてて、女性だから人間関係が強力で厳しそうですが、前向きで足が地についたポジティブさ、たくましさがあるっていうか、そんな雰囲気。

で、そんな熟女パワーの渦巻く雰囲気の中、ノンポリ(ポリシーなし)のおじさんであるわたしが、ふらふら服を眺めるているんですが、これがなかなかおもしろい。まずユニクロに並んでる商品とモノが違う(当たり前だ)。デザインは当然ちょっとユニクロやRight’on、バーバリー、NewYoker(要するにデパートやイオン等の複合ショッピングモールに入ってるような店舗)では見られないタイプ。アジアっぽい感じです。でも、奇を衒った安物っぽい雰囲気は全然ない。タイやベトナムの金持ちおじさんが着ている感じかなあ。でも、タイ・ベトナム風というわけではなく中国山間部と日本の田舎、インディオも入ってる感じ。汎アジアチックとでもいいましょうか。それでいてシルエットもいい感じです。腹の出たおじさんにも似合う型あり、ウェストラインすっきりという型もあります。しかも、ナチュラルな癒し系でありながら洗練されている。

気になるお値段は、ユニクロに比べれば高い(当たり前だ)けど、デパートに入ってるようないわゆるブランドの商品からすると全然リーズナブル。具体的にはシャツとパンツが一万円~一万七千円くらい。コートが二万~。高いけど手が出ないほどではない。

でも、ちょっとあれかな、オレ、もうモテなくてもいいし。とワリと他人事な感じで服を眺めてたら、手の空いたコーディネーターさん(?)がいらっしゃって、わたくしにいろいろ「うさと」の服を着せてくれたんですね。まいったなあ、こういうの慣れないし、照れるなあ、などと思いながらも上下を何着か試着していると、だんだんと着心地だとかデザインだとかが、もの凄く気に入ってきたんです。着ていて楽だ。動きやすい。デザインもおもしろい。太ってても痩せてても似合う服だし。うん。これ、いいじゃないすか。妻からもあんたなかなか似合ってるわよ。森に住んでる人みたい。とお声がかかる。へぇ。そうかな(照れ)(褒められてるんか?)。コーディネーターさんからも「宗教関係の人みたいですね」とコメント頂いたり(多分褒められてない)、気分は盛り上がる一方。結局上下セットを3万弱で購入してしまいました。

で、家に帰って子供に着替えて見せて「ムササビ!」などとポーズを取ってウケを狙ったんですけど、そんなことはともかく気に入った服があるっていうことは楽しいものだなあ、と久しぶりに思った次第です。そういえば遠い昔にもこのワクワク感があった記憶があります。もはやハッキリとは思い出せませんが、それは多分小学生時代ではなかろうか。勝手に「カコイイ」と思い込んでいた服。それは例えばただの黒いシャツだったり(子供心に黒がカッコよかった)とか、初めて買ってもらったボストンバッグとか。服やバッグ(あるいはアーミーナイフ)にワクワクして、モノから貰ったエネルギーを燃やして生きていた子供の頃。

ずいぶん年をとったけれど、小学生のころと同じように服にテンションをあげてもらったり、服から元気をもらうことができるのだなあ。

小学生から大人になる途中で、結局オレなんかそんなに服似合わんやんけ。とか所詮「布」やんけ、とか、物事を即物的に捉え始めてからは、あまり惹かれなくなったモノ(服)についての情熱が、再び湧き上がってきたこと、そしてその対象が服飾であったということは、子供時代の気持ちを思い出すとともに、このオレが服に興味をもつとは、何か「わたくし的歴史」におけるちょっとした革命のようだなあ、という感慨もあり、なかなか興味深い心境の変化だと思っています。

もう一歩下がって反省してみると、どうも最近物欲が旺盛である、という警戒心もありつつ、でも物欲を楽しみながら生きていると、それはワリと楽しいから、これはこれで結構なことではないか、と思ったりもする今日この頃であります。

2010年10月17日日曜日

ナイフについて

ナイフ欲しいなあと思ってWebでブログなど見ていたら、気が重くなりましたね。なんでかって言うと例の銃刀法違反とか軽犯罪法とかいうヤツです。

Webでの盛り上がりを見る限り、どうやら2006年~2007年に警察によるオタク・ナイフ狩りが励行されたらしい。刃渡り3cmのキーホルダーナイフを警察に見とがめられ、何を言っても通らず6時間拘束され、「護身用に持っていた」などとという警察のでっち上げ調書(刃渡り3cmでどうやって護身するのよ)に無理やり署名させられた、という例など気の毒というほかはありません。

植草一秀さんが受けた屈辱を見れば一目瞭然。警察とは権力の言うがままに動く非人間的、不条理な機構であり、そんな警察がほとんど無害な男の子からナイフを没収したり、植草さんその他のひどい冤罪事件を起こしているわけです。いやあ、昔はお巡りさんを尊敬してましたけどね。どうもそんなんじゃありません。救いと言えば、インターネットという草の根媒体が、小さい声ながらそういう事実を伝えているということでしょうか。官憲を信用してはいけない。

もちろん「ナイフなんか持って歩いている奴が悪い」「挙動不審だったんだろう」。確かにそれはそうでしょう。しかし、そこに「自分もそうなりえた」「警察は恐ろしい」という想像力がなければ、事実から目をそむけた愚かな断定に過ぎないと思います。軽犯罪法に寄ると、武器になり得る器具を持っている場合に、法に問われる可能性がある、となっているようです(詳しくは知りませんが)。そうなると、たとえば杖だの壺だの七輪だって凶器や鈍器になり得るわけで、それで警察にしょっ引かれる可能性がある、と。いや、大げさに煽ってるわけではなく、カッターナイフ当然ダメ、はさみだってアウト、爪切りですら人によって連行されるとのことです。どうなっておるのか。

Webの投稿には「ナイフ持ってるようなヤツなんか、どんどん逮捕して欲しい」という意見もありましたが、どうも恐れる対象を間違っているんじゃないか。あんたの母親は毎日刃物握ってるぜ。そんな神経症的な過敏反応もどうも気分が悪い。

人生しばらく生きていると、日本の組織というのはどうやら「規則原理主義者」と「瑣末事大主義者」が強くて、「臨機応変主義者」「柔軟思考人」は潰されることが多いんじゃないか、ということを思ったりもします。

私ももう20年近く一度も職務質問を受けたことはありませんし、全く目立つことのない地味な一介のサラリーマンですが、何かあるとこの国の警察(その他組織)はヤバイぞ、そんな思いを新たにする次第です。