★★★★☆☆:強迫神経症の理解が進む
極めて強度の強迫神経症と現在進行系で闘いつつ、徐々に乗り越えつつある人の感動的なルポです。
強迫神経症とは何か。ええと、もう何かをやらざるを得ない人というか、具体的には一日中手を洗ってないと不潔な気がして落ち着かないとか、外出時、家の鍵を掛けたかどうか不安になって三回も四回も確かめに帰ってしまうとか、そんな性癖はだれでも大なり小なりあるでしょうが(ない?)、その極端なやつです。
かくいう私も近いものがあって、例えば家の鍵を掛けたかどうか、ガスがつけっぱなしになってないかどうか、二度ほど確認してしまうタイプです。これだけ聞くと、何だ、ただ慎重なだけじゃん。神経症とはいえない。と思われるでしょうし、まあそれには同意しますが、その時のどうにも確認しなければ気が済まない感、確認しないと安心できない感は、我ながらおかしいんちゃうか、と思うほど激しい理不尽な感覚なのです。私の場合は日常生活に全く差し支えのないレベルですが(恐らくは神経症ですらない)、強迫神経症の人の気持ちは分からないでもない。
しかし、この本の主人公の病状は並外れてまして、具体的なあたりは是非この本を読んでいただきたいのですが、すごいことになっています。そして、そこから回復して行く様子もまた感動的です。
こういう本を読むと、人が当たり前に生きているというのは、実はけっこう大変な偉業でなのではないか、そんな気がします。もちろん、何の屈託もなく自然にガツガツ生きられる人はいて、そんな人は確かにかなりのアドバンテージを持っていることになります。でも、世の中には簡単なことすらうまくできない人がいる、しかもそれはその人の自己責任でそうなったわけではない。その事実が理解できない限り、当たり前に生きている人も自分の人生や環境のありがたみに気がつくことはないでしょう。そして、自分の人生のかけがえのなさに気がつかなければ、傲慢で、自らの不幸を嘆くばかりで、でも自分より劣った人をバカにするような、浅はかな人生しか生きられないような気がします。
何だか自分でも何を言ってるのかよく分からなくなってきたのでこの辺にします。
ええと、少し補足です。どうやらこの本はプロのルポライターが書いたようで、それに由来するであろう美点と欠点があります。
まず美点について。読ませる。迫力がある。わかりやすい。
次に欠点。説明が分かりやすい反面、図式的すぎる。強迫神経症を簡単に解釈しすぎている気がします。それから叙述が客観的に過ぎる。専門外のことだから、客観的にならざるをえない模様。客観性とはそれ自体限定されたイデオロギーに他なりません。また、うっかりすると類型的なサクセスストーリーに見える。ゆえに若干興ざめなところがあります。
まあ、そんなことはさておいて、この本が感動的な傑作であることには変わりありません。読んでよかった。