2008年10月21日火曜日

格差について(1)

asahi.comの「物価高を実感? 首相がスーパー視察、夕食は帝国ホテル」(http://www.asahi.com/politics/update/1019/TKY200810190137.html)という記事はよくできてますね。麻生が物価高を実感するためにスーパーに行ってトンチンカンなやり取り(記事からはそう受けとれる)をした後、帝国ホテルで夕食を取った、という内容。記事のヘッダーが実に的確です。そして政界のサラブレッド、お金持ち麻生のキャラクターが見事に揶揄されています。

さて、それはさておいて、もはや政治的に落ち着いてきたと思われる「格差」というキーワードについて今更ながら考えてみたいと思います。

「格差」という事象の扱いについては、世間・マスコミではほぼ一定のコンセンサスが出来てきたように思います。
日雇い/派遣/契約社員の問題。下流(中下流)と上流階級という図式(asahi.com)。格差先進国のアメリカを元に警告するもの。そして教育の格差から不安を煽るもの(ダイヤモンド社)。

私の見解も大したものではありません。格差はよくない。法外な給与(日本の一部の経営者、アメリカの経営者、マネーゲームの勝者)もいかがなものか。そんなところでしょうか。

しかし考えてみれば、格差やむなし、と思う自分のどこかにある。といっても給与の格差を是認しているわけではありません。ドラッカーもどこかで「経営者の給料は社員の20倍(だったかな?)を超えたらいけない。倫理的に許されない。今のアメリカの社会はおかしい」と言っていたと思います。常識的に考えてもやっぱり法外な報酬はいかんと思う。そうではなくて才能や能力の格差です。他には残念ながら家柄の格差もある。

スポーツ界では残酷なほどその格差が出ます。イチローや松井と一般人との違いは驚異的です。150kの硬球を打てる一般人はそうはいません。もちろん彼らは相当な努力をしている訳ですけど。

ビジネス界ではコネの格差が効いてきます。そこそこの会社の社長の息子であればいろいろと便宜が図られるのは間違いないでしょう。数億、数十億のビジネスを動かせる人を知っているかどうか。その人から目を掛けられているか。いるといないとでは大きな違いです。
伝統芸能は言うまでもありませんし、芸能人としてデビューする際にもコネの格差は効いてきます(二世というだけで生き延びられるほど甘い社会じゃないとは思いますが)。
戦後の教育(人は平等・差別はだめよ)によって覆い隠されてはいますが、日本社会では二世とか家柄というのが実に好まれるようです。また残念ながら負のベクトルにもそれは向かってます。

プロジェクトに入っていれば人によって生産性の格差があることがすぐに分かります。5倍、10倍の差だって珍しくありません。努力でカバーできることもありますが、努力もまた才能でしょう。やはりデキる人はデキるし、ダメな人はダメなのです。考えてみれば残酷で夢のない話です。でもありていに言ってしまえばそれが人生なのでしょう。

(続く)
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