村上春樹の本に、ドーナツの穴が、ドーナツにとっての本質的な属性であるのか、それとも単なる欠落に過ぎないのか、そんなことはどうでもよいことであって、なんとなればそれでドーナツの味が変わるわけではないから、という旨の記載があったように思います(相当不正確な引用ですが、大体そんな趣旨)。
単純で、シャレてて、軽いような文言ですがわりと頭に残っている文章です。
ようするに「くだらないことにグダグダ言ってんじゃないよ。まず食ってみろ」というあたりのニュアンスでしょうか。うるせーんだよ。食えよ。ざけんなよって感じで(言葉が汚くて失礼)。まずそこがよく分かる。
一方で、でもドーナツの穴をどう捉えるのかっていうのは、人生観の一つであってもよい。例えばドーナツ評論家にとって。などという感慨もあります。
言い換えれば、ドーナツの穴、というトリビアな対象を置き換えて、いきなりですが「わたしはいつか死ぬ」というセンテンスを考えてみましょう。
「わたしはいつか死ぬ」というのは、人生にとって本質的な属性であるのか、それとも単なる欠落に過ぎないのか、そんなことはどうでもよいことであって、なんとならばそれで人生の味が変わるわけではないから。
どうです。深いでしょう。死ぬのはどうでもいいのか。難しいですね。死ぬってことを改めて意識することによって、人生に深みが出てくる、そんなこともあるんじゃないかって思ったりしませんか。
つまり、ある知識なりスタンスなりが、現実をどう変えるか、ということを、この「ドーナツの穴」が問いかけているのではないか、そのように思うわけです。
ドーナツの穴。些細なようでいて、実は深いのかもしれませんよ。
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